風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

横綱という地位の不思議

2012-11-27 01:30:11 | スポーツ・芸能好き
 大相撲九州場所は、横綱・白鵬が順当に14勝を挙げ、九州場所6連覇となる4場所ぶり23度目の優勝を飾って幕を閉じました。九州場所で、5日間以上、大入りとなったのは、実に1997年以来15年振りだそうで、興行としてもまずまずの成功だったかのように報じられています。これは終盤の13日目が祝日だったほか、16場所ぶりに東西の横綱が揃ったことが寄与したと言われます。ところが、新横綱お披露目場所の初日に満員御礼が出なかったのは、日本相撲協会に正式な記録が残る1985年以降で初めてのことだそうで、決して相撲人気が回復しているわけではなさそうです。
 こうした言わば角界の停滞を象徴するのが、精彩を欠いて9勝に終わった新横綱・日馬富士の不甲斐なさでした。新横綱として5連敗を喫したのは、横綱が番付に載った1890年5月以降で史上初めての失態とされ、新横綱の10勝未満は、8勝7敗だった87年九州場所の大乃国以来25年振りのことだそうです。また、横綱としての5連敗も、99年秋の3代目若乃花以来13年振りで、一場所のワーストタイとなりました。
 早速、場所後の横綱審議委員会(横審)では、人間国宝で歌舞伎役者の沢村田之助委員こそ「初の横綱場所で、小さい体なのでしょうがない」とかばったそうですが、鶴田卓彦委員長は「二桁勝てないようでは横綱の資格がない。自覚を持ってほしい」と厳しく指摘し、「(昇進が)早かったのかもという気持ちもある。横綱に推薦したわれわれの責任かもしれない。期待に応えてくれなくて残念」とまで述べました。横審の内規では、成績不振の横綱に対し「激励、注意、引退勧告」が出来ると定められており、来場所も同様の成績だった場合の対応を問われた委員長はそれでも「次は頑張ってくれると期待している」とお茶を濁しましたが、今度は沢村委員の方が「横綱が一桁だったら、もう引退ですよ」と厳しい口調で奮起を促したと伝えられます。
 この横審の存在こそ、大相撲にユニークなもので、大相撲がスポーツや格闘技ではない所以のものだと思います。スポーツや格闘技であれば、今場所は調子が悪くても来場所に頑張ればいい、の一言で済む話ですが、そうならないのは、大相撲は「興行」するという言葉からも分かる通り芸能の一つだからであり、それ故に、その頂点に君臨するチャンピオンたる横綱には、単に勝てば良いだけでなく、勝ちっぷりが問題にされ、更には品格まで問われる役割を与えられているから、とは、以前にもブログに書きました。もともと「1950年1月場所、3日目までに、東冨士、照國、羽黒山の三横綱が途中休場したため横綱の格下げが論議され」たことをきっかけとし、「横綱の権威を保つためにも、横綱免許の家元である吉田司家ではなく、相撲に造詣が深い有識者によって横綱を推薦してもらう」(いずれも、Wikipediaから)ために設立された横審の、内規による横綱推薦基準には、「大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則」とし、「2場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することが出来る」ともしつつ、何よりも基準の第一に「品格、力量が抜群であること」を謳い、いずれも出席委員の3分の2以上の多数決によって決議すると定めているほどです。
 素人目ながら、日馬富士はそんな横綱の器ではない、せいぜい大関だと、場所中の5連敗の前からと言わず、場所前、横綱に推挙された時から、家族にぼやき続けてきました。今さらながらなので、大きな声では言えませんが(でも、しっかり書いていますが^^)。今場所、立ち会いで足が滑る場面があり、怪我をしているのではないかと見られたこともありましたが、それにしても幕内最軽量の133キロの体格のせいばかりでなく、負けっぷりも、とても横綱のものとは言えませんでした。粗製濫造されている大関の中では、稀勢の里が一人気を吐いて二桁の10勝を挙げましたが、当然のことながら大関にしては物足りないレベルであり、いわんや鶴竜と、かど番を脱した琴欧洲は9勝、琴奨菊に至っては8勝止まりと、今場所と言わず全体的にレベルが低い中で、2場所連続全勝優勝と「文句なし」の成績で昇進した日馬富士の「文句なし」には、疑問符がつかざるを得ません。一つには、日馬富士自身、その直前の夏場所では千秋楽でようやく勝ち越しが決まるほど安定感に欠けていましたし、二つには、強豪ひしめく中でこそ、二場所連続優勝というのはハードルが高く、横綱推挙の要件としての妥当性はそれなりに担保されると考えられますが、今のように白鵬だけが突出して、粗製濫造の大関陣が星の潰し合いをしているような状況では、たとえ二場所連続全勝優勝などという、かつては考えられなかったような快挙も、価値半減と言わず、価値四分の一減以下で、横綱推挙の要件と言うよりも、単に白鵬に二場所続けて勝つだけの意味しかないようなものだからです。
 などと、素人が勝手なことを言いますが、小学生の頃からかれこれ40年近く大相撲を見続けて、人並みに大相撲を愛すればこそ。今年の新弟子数(通算)は56人と、昨年の60人を下回り、年6場所制が定着した1958年以降で最少となったそうで、大相撲の凋落には歯止めがかからず、目を覆いたくなるばかりです。こうなっては、日馬富士には、横綱の名に相応しい活躍を期待したいですし、是非、奮起して欲しい。さもなければ、形ばかりの横綱や大関の駒を並べて「らしく」振舞うのではなく、その名に相応しい実力を兼ね備えられるよう、Jリーグや、Jリーグを見習うプロ野球のように、裾野を広げる地道な取り組みを行うような、抜本的な立て直しが望まれます。


(参考)言い尽くせないことは、過去ブログをご参照。
  「把瑠都の活躍の陰に」(2012年1月25日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120125
  「角界の大器晩成」(2011年12月2日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20111202
  「昔ながらのお相撲さん・魁皇」(2011年7月24日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110724
  「土俵際」(2011年2月7日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110207
  「朝青龍引退」(2010年2月5日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20100205
  「大相撲2」(2009年12月1日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20091201
  「大相撲」(2009年11月29日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20091129
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衆議院解散と総選挙

2012-11-17 15:24:12 | 時事放談
 昨日、野田さんが「近いうちに」と言ってからちょうど100日目の解散となったようです。長かったですね。右目が腫れぼったく両目とも血走って憔悴し切った野田さんの表情を見ていると、自民党からは「ウソつき」呼ばわりされながら、身内の民主党内に解散反対の抵抗勢力が根強く、党内調整に難航して、ずるずる時期を逸してしまった苦悩が読み取れます。所謂「内憂外患」、さらには、輿石幹事長すら党内融和に心を砕いて必ずしも野田さんと心を通わせていたようにも見えず、厳しい国民の目にも晒され、「四面楚歌」とも言うべき状態だったのではないでしょうか。玄葉外相は「バカ正直解散」と名付け、「党より国家、政局より大局を考えて決断したのだろう」などと持ち上げてくれ、公明党の山口代表は「寄り切り解散」と名付けて、手柄を自画自賛しているようですが、野田さんには野田さんのアジェンダがありました。一票の格差是正に加えて定数削減の条件を突き付けたのは、どのみち民主党が惨敗するのは目に見えているので総枠を減らしてしまえと捨て身だったに他ならず、また解散は時間の問題となった中でも、第三極の準備が整わない内に、そして「ウソつき」イメージが定着する前に、さらに高まる「野田おろし」の機先を制して、といった諸々のタイミングを見計らって、自らの面子を貫いただけではないかと思います。
 それにしても、国会議員のセンセたちは離党や政党替えに慌ただしく、頭の中を割って見ると「選挙」という文字で一杯というのは、驚くべきことです。民主党の政権交代の原動力となった小沢チルドレンは雲散霧消と言われる始末で、政治家って、これほど軽いものだったのかと、あらためて目を見張ります。既に民主党と国民新党を合わせた与党の衆議院会派は実質238議席と、過半数(240)を割り込んだと報道され、予備軍も後を絶たない状況で、さっさと脱出しようにも「政界渡り鳥」などと後ろ指さされるのを覚悟しなければなりませんし、泥船に残ったところで沈むのを待つばかりでは、「進むも地獄、退くも地獄」と言わざるを得ません。他方、雌伏三年の自民党は、まるで政権を取ったかのように、衆議院解散を仲間うちでがっちり握手して喜ぶほど、党勢を回復しているとは思えません。そして第三極は・・・どうなんでしょうね。二大政党が頼りにならないので、一定の受け皿になるのは間違いありませんが、自民党がダメなら民主党、民主党がダメなら第三極と、果たしてそう簡単に人の心は移ろい行くものなのかどうか。もう少し正体を見極めないことには、本当に幽霊なのか枯れ尾花なのか何とも言えないのではないでしょうか。
 この三年間で、日本国民は、清き一票などと軽々しく叫ばれてきたものが如何に重いものかを、身に染みて感じたことと思います。二大政党制を是とするかどうかは別にして、自民党しか政権与党の経験がない、他に選択肢がない、という状況は不幸なことでしたが、それにしても、失敗続きで、授業料としては安くありませんでした。果たして今回、第三極にどれほどの支持が集まるのか、鳩山さん・菅さんといった民主党の重鎮はどう評価されるのか、小沢さんは果たして復権するのか、第三者的に眺めるならば興味は尽きない総選挙ですが、三年前の総選挙では海外からの帰国後三ヶ月以内で選挙権がなかったことを恨めしく思った私は、今回、いざ、選挙人として投票権を行使するとなると、政治にそれほど期待するものではないと思いつつも、その投じ方については実に悩ましく思います。日本の政治はなお混沌としたままです。
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労働者受難の時代

2012-11-10 19:02:43 | ビジネスパーソンとして
 前回触れた話題の三つの大学、「秋田公立美術大学美術学部美術学科」(入学定員100、3年次編入学定員10)、「札幌保健医療大学看護学部看護学科」(入学定員100)、「岡崎女子大学子ども教育学部子ども教育学科」(入学定員100)の行く末を、伊東乾さんが、素人の私とは違って専門家の立場から具体的に案じておられましたので、そのエッセイから抜粋します。
 伊東乾さんの、「東京大学で建学以来初の音楽実技教官として13年」やって来られた経験から、また「東京芸術大学はじめ伝統を誇る芸術系教育機関で非常勤指導」もされてきた現場の証人として、と断った上で、「秋田公立美術大」に入学する100人からの若い人が「貴重な青春の4年を『美術』に使ったとして、その先に『美術』の仕事が100は(中略)ない、まったくない、ぜんぜん、もう呆れるほど一切、ない」と断言されていました(苦笑)。例えば欧州、中でも旧東欧には「音楽大学の大学院を出ると『国家演奏家資格』が取得できて生活が一定保証される可能性が高くなる国が少なくなく(中略)要するに医者や弁護士と同様、社会人として活躍して行けるプロとしての資格とそれを支える国の経済システムがある」そうですが、所詮、日本では「確かに学校を出て数年は、OBもOGみんないろんな形で頑張りますが、20代後半になり30を過ぎ、結婚し子供ができ・・・なんて間に、だんだん別の生活になってゆく、それが今の日本社会の現実」だという訳です。
 また、「岡崎女子大学」は、短期大学を4年制大学に発展改組することを望んでいるもので、「保母さんや幼稚園の先生は、(美大と比べれば)専門性をもった就労の可能性や資格などとは親和性が高いのかもしれない」けれども、「札幌保健医療大学」は、専門学校を晴れて4年制大学としてスタートするものですが「果たしてこれを4年制大学にする必要があるのか?」と素朴に疑問を投げかけます。「少なくとも4年制の『看護学科』をさらに『大学院重点化』して看護師の修士という珍しい存在を作ったところ、そういった環境から先日の、世にも恥ずかしいiPS細胞移植詐欺・森口さんという人が出てきたのも、記憶に新しいところだ」と、伊東さんは手厳しい。
 前置きが長くなりましたが、芸術や医療の世界だけではなく、そもそも一般企業社会でも労働者に決して明るい未来が待っているわけではないことに関して、かれこれ8ヶ月前の日経・経済教室で、東大の伊藤元重教授が展開されていた議論が興味深かったので、要約して紹介します。
 随分昔に聞いた話と断りつつ、「働く」という言葉には3つの異なったタイプがあると言います。肉体を使った労働が「レイバー」、工場や事務所での仕事が「ワーク」、そして「プレイヤー」というのは説明が難しいですが、指揮者や歌手やスポーツ選手を例に挙げておられました。「遊ぶ」意味ではなくて、本論稿からすると、人間本来にしか出来ない付加価値の高い仕事というような意味合いでしょうか。かつて産業革命では、多くの「レイバー」が機械に置き換わり、労働者は苦役から解放された反面、仕事を失って、機械に八つ当たりする「打ち壊し」運動が起こったのは、昔、歴史の授業で学んだ記憶があります。もっとも機械が「レイバー」としての労働を奪っても、長い目で見ると、機械の利用が進む中で産業が成長し、「レイバー」より高所得をもたらす「ワーク」としての仕事が増え続けたという意味ではハッピーだったと言えます。そして今や、工場の中の「ワーク」は自動化機械に吸収され、オフィスでの「ワーク」もIT化やビジネス革新や海外の低賃金労働者に奪われ、「ワーク」が減って人が余りつつあります。中には一部に高所得の「プレイヤー」が出ていますが、多くは低賃金の海外の労働者に引き摺られて、所得が上がらない単純労働に成り下がっています。日本をはじめとする先進国で、現在、起こっているのは、こうした構造変革だというわけです。
 伊藤教授は、(労働の)需要サイドから、新たな産業を創出する必要があると説きます。ユニクロを展開するファーストリテイリングのような合理的なビジネスモデルの企業が成長すれば、「ワーカー」の仕事は海外に出て行きますが、グローバル化を見据えたマーケティング戦略やデザインなどのプロである「プレイヤー」の仕事は増えるはずだと言います。また製造業が高度化すれば、例えば炭素繊維や高度な産業機械のように日本でなければ出来ない素材や機械を開発するエンジニアの需要は拡大し、「ワーカー」の仕事は海外に一部は取られますが、「プレイヤー」の仕事は増えるはずだと。そして高齢化に伴って、国内で不足する医療や介護の人材を、どれだけ「ワーカー」から「プレイヤー」に変えていくのかも大きな課題だと述べます。理想を言えば、「レイバー」や「ワーカー」部分は出来るだけ機械や情報機器に回して、人間にしか出来ない仕事をどれだけ創り出せるか、これが医療や介護の高度化の課題だと言うわけです。現実はそんなに簡単ではないけれども、少なくともそうした方向を目指さない限り現状は打破できないのだと。
 他方、(労働の)供給サイドの取り組みは更に重要だと述べます。次世代の人材を育てない限り「プレイヤー」は増えないだろうし、「プレイヤー」が増えない限り日本の成長もない、教育や技能習得には時間がかかる、しかしそうした道筋をきちんと示せれば、多くの若者は自分の将来に対して明るい展望を持てるだろう、それが経済を活性化するはずだ、人的投資が「プレイヤー」を増やす鍵となる、と。
 これまで「レイバー」や「ワーク」が着実に機械や情報機器に置き換わって来たのは確かな現実です。四半世紀前には(そして、つい最近まで)、事務職の女性が部やライン毎に一人はいて、伝票処理やコピー取りを代行してくれて、朝十時と午後三時にお茶を出してくれるという、今となっては信じられないほど長閑で贅沢な風景が当たり前でした。プレゼンテーション資料も、上司が構想を手書きした下書きの紙をもとに、事務職の女性や下積みの若者がワープロや表計算ソフトに入れてプリントアウトして切り貼りしたものをOHPシートと呼ばれる透明シートにコピーし更に半透明の色セロハンを貼りつけて資料として完成させ(なんて長ったらしい説明・・・)、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)で映し出すという、前近代的作業を繰り返し、お陰で当時若かった私は誰よりも手際良く「レイバー」をこなせるようになりました。そんなオフィス内の「レイバー」はいつしか駆逐され、今では、アメリカ人のエグゼクティブよろしく、管理職自らパワーポイントで構想の段階からプリントアウトまで全て一人でパソコン上で作業する(あるいは前工程と後工程を分担する)など「レイバー」は「ワーク」や「プレイヤー」業務に吸収されていきました(それは景気が悪くなって若者が入社しなくなった悲劇と裏腹でもあります)。アメリカのエグゼクティブと言えば、日本では部下を一人か二人引き連れて大名旅行するのが当たり前だった当時(というのはアメリカに駐在していた15年くらい前のことです)、一人でレンタカーを運転して顧客やベンダーに乗り込むのが新鮮でカッコ良くもありました。その頃から、アメリカでは各種申請などの事務処理をパソコン上で本人自らが行なうようになるとともに、アシスタントの女性がオフィスから消えて行き、それは程なくして日本でも一般的になりました。
 以上のようにIT化がオフィスの生産性をあげ、「レイバー」が駆逐されて「ワーク」や「プレイヤー」業務に取り込まれて行く過程が雇用構造の変化の第一の波だとすれば、マーケットのグローバル化が第二の波となります。勿論、日本の労働市場がグローバル化すれば計り知れない衝撃を与えることになるでしょうが、そんな直接的な影響は当面は限定的で、むしろ間接的にじわじわっと真綿で首を絞められているのが現状です。つまり、競争がグローバルになるということは、コスト競争がグローバルに行われ、日本のように高コストの国内雇用がグローバルな競争に負けることと同義であり、端的には仕事が海外に逃げていく、あるいは正社員が減って派遣社員のように低コストの労働に置き換えれれていく、というのが失われた20年の日本で起こった確かな現実でした。これらの事実を見れば、最低賃金や派遣労働制限など、雇用ありきで考えることの愚は明らかです。
 こうした中で、「プレイヤー」全盛の時代ともてはやせるのかどうか、そもそも「プレイヤー」だけで事業が成り立つとは思えませんし、「プレイヤー」にどれほどの需要があるのかも疑問ですし、供給サイドのタレント(人財)もそれほど大量に存在するのか疑問です。しかし、鎖国でもしない限り、あるいはTPPやFTAに参加せず孤立してガラパゴス化していくならいざ知らず、グローバル社会と共存する以上、労働者が生活レベルを落とさないためには相当の覚悟が必要であることは論を俟ちません。一つは、伊藤教授も指摘されていたように、医療や介護のような内需型サービス産業を開拓・拡大することは国内雇用の受け皿の基本であること、もう一つはMade in Japanを支える国内のものづくりはもとよりMade by Japanをも支えグローバルに活躍できる人材を育成するというように、国内にせよ海外にせよ日本企業の労働の全ての領域で高品質をめざし、プロフェッショナル化することが必要であるように思います。日本の教育は、こうした国のありようを支える人材の基礎教育を提供できるか。田中真紀子文科相の投げかけた課題は重いと思います。
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供給過剰の大学生

2012-11-08 02:22:30 | ビジネスパーソンとして
 先週の日経新聞に興味深い数字が出ていました。断片的には漏れ聞いていましたが、あらためて突きつけられると感慨深いものがあります。それは一面記事の「働けない若者の危機」という特集記事の第三部・シューカツ受難①で、「供給過剰の大学生」というサブタイトルを掲げて、大学進学率はほぼ四半世紀前の1985年に26.5%から2012年には50.8%に上昇し、毎年の卒業生は37万人から55万人に急増した、と説明されていたものです。少子化の時代にかかわらず。ところがほぼ同じ時期に、従業員1000人以上の大手企業の採用数は増加傾向にあるとはいえ現在15万人程度(従い大卒の3割未満)、人気100社に限ると1.6~1.8万人(同じく大卒の3%)と言うと早・慶の学生総数にほぼ等しい狭き門だというわけです。
 「大学は出たけれど」というキャッチフレーズは、昭和初期の就職難の時代を描いた小津安二郎監督の映画(1929年公開)のタイトルで有名になりました(その後、1955年に野村芳太郎監督の作品も公開)。卒業予定ながら内定がない4年生は10万人以上と言われ、毎年のように、ロストジェネレーションを再び出さないためにも早急な対策が必要・・・と叫ばれ続けて久しいですが、日本の経済が縮小して雇用を支える仕事が減る問題がある一方、大衆化すればやむを得ないとは言え大学生の価値もまた低下している問題が当然ながら指摘されます。
 こんな数字が頭に残っていたので、田中文科相が、秋田・札幌・岡崎の3大学の開校を不認可とした問題は、よりによってこんな時期に相変わらずの「人騒がせ」ではありましたが、問題意識としては間違いではないという思いは一層強くありました。今日の会見で、3大学の内の一つの関係者が「勝った」「学生が救われた」などと思わず発言したことには、却って反発を覚えました。経営が成り立たない大学のご苦労はあるでしょうし、学生は、確かに専門学校でも短大でもない、「四大」の肩書を無事得られるかも知れませんが、入るときの称号は何であれ、それが出るときの就職を約束するものではありません。まさに「大学」のもつ価値が希釈されているのに気付かず、学生はそんな「大学」の名誉に拘って、却って不幸になるのではないかと心配ですらあります。
 先の日経の特集記事に戻ると、従業員1000人未満の企業では、来春採用の求人倍率は1.79倍、従業員300人未満の企業では、3.27倍だそうです。明らかにミスマッチがあり、何かと学生の選り好みが問題視されますが、企業側が「質」による学生の選別を強めている現実もあるはずです。つまり求人すれどもひっかかるような人材がいない、田中文科相が指摘したように、大学の量より質の問題があると。さらに、短大生や高専、専修学校の学生も加えると、若い人の雇用を取り巻く環境は益々厳しくなるばかりで、本当に気の毒です。私は企業人なので、大学側の問題はさておくとして、こうした特集記事を見ると、最近はやりの生活保護問題とも相俟って、若い人(別に若い人に限りませんが)がしっかり自立して生き生きと働ける健全な社会を築く責任が私たちオトナにはあるはずだと、まさに失われた20年を前線で過ごしたオトナの一人として痛恨の極みでやるせない・・・という思いについ囚われてしまいます。
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石原都知事が投じた一石

2012-11-02 19:50:26 | 時事放談
 先週、石原都知事が、突然、知事職を辞し、自ら代表を務める新党を結成して国政に復帰する意向を示しました。「西は橋下、東は石原」(平沼赳夫たちあがれ日本代表)として両者で第三極の中核を担おうという魂胆のようですが、果たしてそう上手く行くものでしょうか。
 元々、バリバリの保守の中でもとりわけ過激な言動が目立つ石原さんは、かつて「Noと言える日本」という本が話題になったように、“頑固親父”然とした押しの強いものの言いに力があり、潜在的に一定の支持があると言われます。また、最近は、中国や韓国が言いたい放題、やりたい放題で攪乱するものだから、さすがに控えめで人の好い日本人でも領土意識に目覚めるようになり、対外的に勇ましい主張が受け入れられやすくなってきました。さらに、第三次野田内閣の田中慶秋法務大臣が就任から僅か23日目で辞任して、民主党政権の3年余りの間に、法務大臣が9人、拉致問題担当大臣が8人、(再任もいますが)閣僚経験者を粗製濫造した結果、政治が益々薄っぺらなものになり、政権交代に対する期待を急速に萎ませる一因になりました。かつて「末は博士か大臣か」などと立身出世の代名詞にされたものでしたが、山中教授の快挙とは対照的に、政治への信認は地に堕ちて惨憺たる状況です。人々の期待は、自民党でも民主党でもなく(ましてや共産党や社民党などの弱小野党でもなく)、次なる第三極に向かうわけです。
 いくつかポイントを記しておきたいと思います。
 先ずは保守について、その意味が国民の間で理解されていないのではないかという指摘が、ある報道番組でありました。街頭インタビューでも、保守とは何か、明確に答えられる人がいなくて、なんだろう・・・って皆さん苦笑いされていました。日本人は戦後長らく保守政党である自民党の政治を受け入れながら、無意識の内に「保守」そのものの意味を顧みることなく遠ざけて来たのかと、あらためて驚かされました。実際に、広辞苑では、保守とは「旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること」、保守的とは「新しいものをきらい、旧態を守ろうとするさま」、保守主義とは「社会の現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義」とあり、なるほど、日本の代表的な辞書が決してポジティブな意味を与えていないところに、戦後の日本人の、現実的な対処と観念的な意識のずれに起因する歪んだ心象が端無くも表れていそうです。
 それはともかく、その報道番組で、保守の意味が理解されていない背景として、御厨貴さんが、戦後日本の政治シーンで、保守政党である自民党が憲法改正を党の綱領とし、革新政党が護憲の立場をとる“ねじれ”があったと指摘されましたが、御厨さんらしくない誤解です。日本の保守は、日本国憲法を戴く現状を以てよしとするものではありません。かつては中曽根さんが戦後の総決算を唱え、安倍さんが戦後レジームを問題にするように、戦後の新憲法に象徴されるGHQによる戦後統治を疑問視するものです。石原さんも、記者会見で、明確に憲法改正(というより破棄)を訴えました。アメリカ的な民主主義をも否定するわけではなく、戦前への単純な回帰とはならないにせよ、戦後日本でタブー視されるものは多く、戦後日本が失った日本らしさ、日本の原風景はよく指摘されるところですし、戦後生まれの私も心情的には理解できます。しかし石原さんが都知事と言うより一人の作家の立場で保守的な政治思想を開陳する限りは構いませんが、急進的に日本を国家主義的に右旋回させることには、微妙な時代に入った中国や韓国との関係からだけでなく、欧・米からも反発される可能性があり、日本のあり方として賢明とは言えないと思います。
 それでも、石原さんに期待するところがあります。田中真紀子さんは、石原さんが官僚制打破を掲げたことに対して、「25年間、国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判しましたが、これも誤解です。石原さん自身が、「これからやろうとしていることは、都知事として14年間やってきたことの延長」だと会見で語った通り、地方の首長だったからこそ見えてきたものがあり、統治機構を改革するという主張の現実的な裏付けに期待するわけです(それは大阪府知事、大阪市長を擁する維新の会にも共通します)。
 第三極とは言っても、維新の会とみんなの党のブレーンは同じと聞いたことがありますが、石原さんとは消費税や原発を巡って立場を異にし、いくら理念レベルで方向性が一致しても、主要政策で協調出来ないようでは、所詮は野合と言われるだけです。野合は、既に右から左までデパートのように取りそろえたヌエのような自民党、さらには第二の自民党化している民主党にも懲りてしまった国民の支持をとても得られるとは思えません。むしろ、石原さんには、理念の点で近い安倍さんと組んで、保守の枠組みで小異を捨てて大同について欲しいと思うのですが、どうでしょうか。

(参考)過去ブログ
「保守という感覚」(2011年9月16日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110916
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