風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

尖閣問題のその後

2010-11-20 15:01:46 | 時事放談
 尖閣映像をネット上に投稿したSENGOKU38を名乗る海上保安官が告白して早10日、当初、APECをやり過ごすだけと見られていましたが、諸情勢を勘案し、その後も逮捕することなく任意での取調べが続いています。公務員の守秘義務違反で問われる「秘密性」ひとつとってもそうですし、様々な論点、また論者によって様々な切り口があり、他人事にはなかなか面白い事案です。
 一つだけはっきり言えることは、菅首相は機密保全対策を検討する委員会の設置を指示したそうですが、海保の尖閣映像だけでなく、警視庁の国際テロ捜査資料の流出問題もあったことですし、情報管理のあり方を抜本的に見直し再発防止に努めることは重要でしょう。海保の職員の中に本事案に対する同情の声が多いのは事実で、心情としては理解しつつも、組織の機密保全のあり方として問題があったことは間違いありません。秘密を守れない相手に秘密を渡さないのは道理であり、日本が国際社会における秘密情報共有のパートナーとして孤立しかねないことは戒めなければならないところです。しかしだからと言って仙谷官房長官が国家公務員法の守秘義務違反の罰則強化に言及したのは、今回の事案に対する仙谷氏の関心の在り処を示唆して興味深いですが、ちょっと短絡的だと思います。組織内の不法・不正を暴き、少なくとも組織に不利な情報を流すのが内部告発だとすれば、そういう意味での構成要件をなし得るかどうかは疑問で、むしろ大きく、国家公務員の守秘義務と、国民の知る権利との間の相克を問題提起している以上、罰則強化や組織の引き締めなどに問題を矮小化しないで、もう少し議論を深めておくべきだろうと思います。
 もっともこうした大きな問題も、今ここで結論が出せるわけではなく、今後のために指針や考え方を補強しながら、個々に対処していくほかありません。問題提起のきっかけになったのは、ビデオ映像の秘匿をめぐる政権与党の対処の仕方でしたが、結局、ややほとぼりが冷めてあぶり出されてきたのは、政権与党の政権運営そのもの、ひいては党の本質と、その結果としての対中関係の劣化だろうと思います。前者については、核の密約を暴いて自民党政権下の外交の密室性を批判した民主党にあって、細野氏派遣の際、中国との間でビデオ映像秘匿の密約をなしたと指摘する声があり、勿論、事実かどうか分かりませんし、核密約とは比べるべくもないレベルの違いもありますが、その後の仙谷氏の不機嫌を見ていると(まあ、いつも不機嫌そうですが)、さもありなんと思わせます。菅首相は、かつて周囲に「民主主義とは、政権交代可能な独裁だ」と漏らしていたと言われますし、副総理・財務相時代には「ちょっと言葉が過ぎると気を付けなきゃいけませんが、議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思っている」などと公言しました。民主制において「独裁」などと耳障りな言葉を口にすること自体が異様ですが、百歩譲って、国民に対する選挙公約を守る限りにおいては「独裁」という方法論を許すにしても、今の民主党には当てはまりません。マニフェストは骨抜きにされ、唯一評価されてきた事業仕分けすらも、いわば政治対官僚の対立の構図が、ミイラ取りがミイラになり、民主党内部の内紛の様相に置き換わって、何一つ実現できず、ただの政治パフォーマンスに堕したことは誰の目にも明らかです。外交や安全保障に関する信念もどきはあったようですが、国際政治の現実の前に粉砕され、今や確固たる軸がありません。そして先ほどのあぶり出された問題の後者に関わることとして、とりわけ緻密に計算する国・中国に対して余りに無防備であり、ある大学教授がニュース解説番組で、戦略的互恵関係と思い込んでいるものは、戦略なき損得勘定に過ぎないと吐き捨てていましたが、至言です。先週末あたりは西日本だけでなく首都圏にも中国から黄砂が飛んできていたようですが、まさに勢いを増す隣国・中国のお陰で、視界不良にならなければ良いですが。
 などと、前置きが随分長くなってしまいました。実は今日は、尖閣問題に関して、ここ1~2週間に目に触れた解説記事の中からユニークな視点を紹介するつもりでした。
 一つは、内部告発(と呼べるかどうか別にして)と言えば、かつては新聞社や雑誌社などのマスコミが利用されたものですが、今回はインターネットの動画投稿サイトだったことに、危機感を強めるべきだとのマスコミ批判が見られました。確かに今回のケースで実際に尖閣映像を持ち込まれた場合、大手メディアであれば対応に苦慮したかも知れません。インターネットというメディアが広がって、あらためて伝統的なマスコミの存在意義が問われる側面があります。もう一つは、国家公務員法で保護する「秘密」は特定の「事実」であるのに対し、今回、流出したのは「情報」素材としてのビデオ映像であり、ビデオで表現されている具体的事実が、非公知であるか、保護に値するかが問題となったものであって、結論として守秘義務違反の罰則適用は困難ではないか、という指摘です。実際にビデオを見た日本人は、中国漁船がぶつかって来たことは明らかだと判断したのに対し、中国人は日本の巡視船が邪魔したと反発しました。日本の法体系は、物理的な管理・支配が不可能な「情報」を中心とする社会になりつつある現実に十分に適合できなくなっている点が指摘されたわけです。いずれも、新しいメディアを含む新しい技術の台頭に対して、法を含む社会の対応は、常に事実を後追いする性格のものであることを再認識させられ、概して政治的主張や感情論に流されがちな中で、その冷静な着眼点が面白いと思いました。
コメント
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