風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

年の瀬

2021-12-31 11:00:21 | 日々の生活
 あと10数時間で2021年が終わる。
 暮れ行くコロナ二年目を象徴するのが東京オリパラだったと言えるだろう。始まる前は、コロナ禍対応における政府の一連のぐだぐだ振りもあって、世間では警戒心が昂じて憎悪の声まで充ち溢れて、清少納言ならさしづめ「あな浅まし・・・」と冷ややかに背を向けたことだろう(苦笑)。世論の分断は最高潮に達した。ところが、いざ始まってみると、ボランティアを含む現場の関係者の努力と、何よりもアスリートの頑張りが世間の空気を一変した。憎悪の声を煽り続けたマスコミは手のひらを返したように、日本人のおもてなしと外国の賓客の反応ぶりを詳報し、これでもかとその交流をもてはやした。清少納言なら再び「あな浅まし・・・」と呆れたことだろう。この頃を分水嶺として、デルタ株流行はワクチン接種が進むとともに収束し、誰もが首をひねるほどに原因不明の低水準で推移して来た。今またオミクロン株の脅威がひたひたと打ち寄せているが、諸外国の爆発振りと比較すれば、まだ「さざ波」レベルである(時間の問題かもしれないが)。
 こうしてファクターXを思わないわけには行かない一方、10日ほど前にアゴラに寄稿された森田洋之さんが、緩い日本と厳格な韓国の感染対策を比較して(さらに緩いスウェーデンと厳格なデンマークという同じように対照的な隣国同士の事例を付け加えながら)、「厳格なロックダウンや感染対策・経済抑制をしても、感染拡大の先延ばしするだけで、結局コロナはいつかは国中に広まるし、そうならなきゃ終わらない? とも考えられる」と、当座の結論めいたことを言われていたことに、なんとなく賛同したくなる(12/21付「韓国とスウェーデンのウィズコロナは失敗だったのか?」)。
 いずれにしても、どちらが優れているとか正解だったという評価は馴染まないのだろう。これだけ世界が一律に苦難に直面する事態は、そうあるものではなく、政治リーダーにとっては成績表を横並びで比較されるようで辛いだろうし、私たち国民は民度が試されているようで面白くないが、良くも悪くも国柄が表れているだけ、と言うべきなのかも知れない。SNSの時代に、自由な社会にあっては世論が分断するのはある程度はやむを得ないとして、儒教圏の人々のように何かと自らが優れていると思いたくて一喜一憂するのではなく、また西欧圏の人々のように自由と権利を主張してさっさとマスクを外して浮かれることもなく、日本人は淡々とマスク姿で耐え続ける(ように見えて、したたかに慣れてしまう)姿にはあらためて感服してしまう。
 私的には、生活に変化をつけようと(巣籠もりで痩せ細って上半身がジジイ体形になりつつあるのを食い止めようと)、春先に腕立て伏せ100回チャレンジを始め、夏の終わりにようやく瞬間風速で達成した(今も少なくとも二日に一度は続けているが、その後100回には二度と届かない)。秋口からは、いつでも走れる恰好で散歩に出るようにして、時々ママゴトのようなジョギングを入れている(しかし青梅マラソンは今年2月に続いて来年もヴァーチャル開催となってしまい、いまひとつ気合いが入らない)。師走に入って、学生時代の友人たちと二年振りの(腰の引けた!?)忘年会を楽しんだ。東京都の感染者数が最低レベルにあった頃とは言え、飲み屋は思った以上に密で、確率論を信じて、その後の二週間はおとなしく過ごしたものだった(笑)。五輪開会式前日に二度目のワクチン接種をして、次の接種を心待ちにしているところだが、世の中は、緩い対策による感染とワクチンによって、明らかに次のステージに進んでいるようだ。少し勇気を出して新しい世界に踏み出そうと思う。
 最後に、この一年で最も心に残るシーンを思い浮かべてみた。ブルーインパルスが(オリパラではなく)医療従事者に向けて感謝の飛行を行ったのは5月末のことだった。政治家の声は(残念ながら)心に響かないし、マスコミは(申し訳なくも)その場限りの感情を弄ぶ雑音にしか聞こえないが、常に日陰の存在ながら日本の独立と平和を守る自衛隊が、やはり縁の下の力持ちである医療従事者への感謝を通して、国民に示してくれた連帯の心意気という声なき声が、最も心に残る。30年に及ぶ経済的な凋落を続ける(特に最近は給与レベルが上がっていないとの批判が喧しい)日本の周囲を取り巻く環境は厳しいが、「日本を日本たらしめている価値」(を守ることが安全保障だと、故・高坂正堯教授は言われたが、「日本」を「私」や「私たち」に置き換えてもいい)に思いを馳せるならば、前途は決して暗くないように思う。

(注記)ブルーインパルスの飛行は前の年のことでした。その区別がつかないとは耄碌が進んでおり、恥じ入るばかりです。ここに謹んで訂正致します。
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イチロー先生 対 女子高生

2021-12-28 23:01:33 | スポーツ・芸能好き
 現役引退したイチローは普通に「さん付け」で呼ぶべきなのだろうが、敬愛をこめて、確立された野球ブランドの「イチロー」と呼び捨てにさせて頂く。10日ほど前のことになってしまうが、そのイチローが、「女子高校野球選抜強化プログラム2021」に協力し、所属する草野球チーム「KOBE CHIBEN」と女子高校野球選抜チームとのエキシビションマッチを行った。「9番・投手」で先発したイチローは、足をつりながらも147球を投げ抜き、最速135キロ、9回を無失点、17奪三振で完封した(打席では3打数無安打)。
 高校生の指導に必要な「学生野球資格」を回復したイチローは、昨年暮れの智弁和歌山に続き、今年は国学院久我山、千葉明徳、高松商を訪れて高校生と交流し、いずれブログで取り上げようと思っていたが、今回の女子高生との対戦を知って、すぐに取り上げなければ・・・と思い立った(それにしては既に10日も過ぎてしまったが 笑)。女子が相手だからと言って手加減することなく、足がつるほどに全力投球したことに感動し、その勢い余って、たまたま二度も続けて死球を与えてしまった選手から「イチローさんが投げた球だったので嬉しさのほうが大きかったです」と言われたことに、さもありなんと、不覚にもつい涙してしまった(笑)。7回無死一塁で中前打を放った選手には「スピードが格別。女子野球にはない球筋だった。外角の直球を素直に打ち返すことができた。とてもうれしかった」と言わしめ、女子チーム監督には、試合前にイチローに「120キロでも打てない」と“示し合わせ”をしていたのに、実際には初球から134キロとまるで手加減なしで、「夢のような時間。あんな間近に見られただけで感激。全力で真剣勝負してくださったのがうれしかった」と言わしめた。
 まさに夢のような時間で、羨ましくて仕方がない。
 野球の前でも男女の区別はあろうはずがなく、女子の高校野球のことを忘れることはなかったのは当然のこととして、神聖なる野球に当然のことながら全力で向き合ったことがなんだか無性に嬉しい。張本勲さんは、高校生ばかりでなく、プロ野球キャンプにも足を運んで欲しいと要望された。そのお気持ちは理解するが、プロ野球に目を掛けるOBは多い(と言うより殆ど全てがそうだ)のに対し、プロ予備軍の高校生を直接指導するOBは多くない(と言うより殆ど知らない)ことに留意すべきだ。メジャーで活躍した伝説的とも言えるイチローだからこそ、日本のプロ野球界に与える影響は大きいはずだが、敢えて「正面」を避けて、これまでプロ野球人が見向きもしなかった(必ずしもドラフトで選ばれるエリートだけではない)普通の高校生という「側面」、ある意味でマイナーでニッチな領域に優しいまなざしを向け、限りない愛情を注ぐのは、実は野球界全体を盛り立てる意味ではドツボに嵌った戦略的に重要なポイントではないかと思われ、へそ曲がりながらも本質を捉えて逃さないイチローらしいユニークな立ち位置だと、今さらながら感心するのだ。
 一連の高校生指導の中で今日はどういう印象だったかと問われたイチローは、「女子の野球熱は男子に全然負けてないというか、こうやって野球をやる子たちはきっと男子よりもそういう思いが強い子が多いんじゃないかと。負けるのは嫌いでしょうし。本当に今日は僕も負けたくなかった。緊張感があったし。こんなのいつ以来だろう。本当にWBC以来じゃないか(笑い)。それくらい負けられない緊張感を味わいました」と、最大級の賛辞を贈った。これを聞いて女子の高校野球が盛り上がらないはずはない。野球を愛してやまないイチローの面目だろう。
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外交ボイコットに見る理想と現実

2021-12-25 16:59:46 | 時事放談
 岸田政権は、北京オリパラに閣僚など政府関係者を派遣しないことを決め、松野官房長官が閣議後の会見で発表した。アメリカが「外交ボイコット」を表明したのに続いて、英国、豪州、カナダ、リトアニアが同調し、ニュージーランドも閣僚レベルを派遣しないと明らかにしたことから、「話をよく聞く」けれどもなかなか決められそうにない、しかしリベラル派の岸田さんとしては「ニュージーランド方式」かな・・・と直感した(苦笑)。最近、「新時代リアリズム外交」を推進するなどと口走ったので、「ボイコット」という文言は避けるだろうと確信した。リアリズム(現実主義)がイデオロギーにこだわらないのは、かつてニクソン共和党政権でキッシンジャー外交が旧・ソ連に対抗するために社会主義の中国を取り込んだことを見るまでもない。そういう意味で、今回の矛先を鈍らせた決定を、「外交的ボイコット」を叫んで来た保守・強硬派の方々は物足りなく思うかも知れないが、経済重視の現実主義から「ボイコット」は考えないと開き直る韓国とは一線を画し、国家理念として「自由、基本的人権の尊重、法の支配が中国においても保障されることが重要であると考え・・・総合的に勘案して判断した」と表明して、なんとか米英側に踏みとどまった。
 キッシンジャー外交の現実主義に倣って、中国に対抗するためにロシアを取り込むのはどうかと、以前、本ブログで思考実験したことがあるが、実際のところ、ロシアの政治は人権問題があり、その強権的な執政に近づき過ぎるのはちょっと危険だ(ロシアとしても巨大化する隣国・中国とあからさまに敵対するのは躊躇するだろうが)。すなわち、現実主義と言えども「理想」がないと、ただの現実追随に堕してしまう。かつて、現実主義の国際政治学者だった高坂正堯・京大教授は、坂本義和・東大教授のような進歩派を批判しつつも対話を呼びかけておられたのは、現実主義と理想主義の間の、あれかこれかの二択ではなく、そのバランスがポイントだからであり、その間には無限のバリエーションがある。そして何より今の時代状況には大いなる懸念がある。
 バイデン大統領は頻りに「民主主義 対 権威主義」を煽って、反中では超党派で一致する議会や世論に迎合し、進歩派からは世界を分断するものとして批判されるが、それは中国が(バイデンさんにとっては主たる関心が人権問題かも知れないが)ある一線を越えてしまって、その中国に宥和的であるのを問題視するからでもあるだろう。覇権が脅かされる大国アメリカの被害妄想でもあるが、理解できなくはない。1938年のミュンヘン会議で、ネヴィル・チェンバレン英首相はナチス・ドイツの勢力拡大を一定程度認めて平和を維持しようとして、「宥和政策」の悪しき先例として後世、散々批判されて来た。そこまでのことはないにしても、今の中国の権威主義的な勢力拡大は問題含みで、そこを曖昧に中国と付き合おうとすると、中国自身が見誤りかねない。そのため、地理的に離れて極東の安全保障にさほど関心がない西欧諸国ですらも、特に昨年、パンデミックでの情報隠蔽や香港国家安全維持法の施行がある一線を越えたかのように受け止められ、中国に対する警戒を強めて、新彊ウイグルの人権問題に対しては明確に声をあげるだけでなく制裁を科すまでになった。EUとして、また英・仏・独にしても、自由で開かれたインド太平洋への関心が高まっている。世界の多くの国は、中国と経済的に相互依存の関係にあって、現実的な割り切った対応をしているように装うが、心の中で苦々しく思っていない国はないだろう。
 折しも現実派の知人が、自民党・保守派が「ボイコット」を叫ぶことに眉を顰め、そんなことを公言したところで何の「得」にもならないと言ったので、いやいや「損得」勘定だけではなく、ときに「理念」を示すことも大事であって、そもそも日本にもいろいろな議論があることが表に出るのは望ましい、それこそが自由・民主主義たる所以で、様々な声を集約して、最終的に岸田さんが政府として閣僚を派遣しないのを「ボイコット」とは呼ばないという甘目の対応に落ち着かせるにしても、その政策決定過程を、当の中国に対してだけでなく、欧米その他の有志国に対しても見せることが、最終的な結論にプラスαする重要なメッセージになり得ると思う、と答えた。そう言えば、安倍・前首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言したことに反発した中国から呼び出された在中国日本国大使の垂氏が、安倍さんのように政府を離れた人の発言のひとつひとつに政府として説明する立場にないが、台湾を巡って安倍さんのような考えが日本にあることを中国は理解すべきであると、毅然と対応されたのは、外交官として実に見事だった(*)。
 このように、中国とは「是々非々」で付き合って行くべきだと思う。その限りではバイデンさんが中国との間で「協力」「競争」「対立」すると言われるものに近い。振り返れば聖徳太子も、恐らく是々非々で、遣隋使を送るけれども、「日いづるところの天子」などと称して、べったりではない最低限の付き合い(現代風に言えば「戦略的互恵関係」)を目指していたのではないかと想像する(笑)。もっと言うと、オリンピックを「外交ボイコット」すると言ったくらいで関係が危ぶまれるような弱腰の日中関係を作って来た政治を反省すべきだと思う・・・というのは言い過ぎだろうか(オリンピックを政治利用するな、と言うのであれば、そもそもオリンピックで首脳外交する過去をあらためて、今後、一切、政治が関わらないようにするのがよいと思う)。
 南京事件で犠牲者の人数を法外に膨らませて非難し続け、福島原発処理水を汚染水と言って放出に反対するのは、とても「科学的」な態度とは言えない、嫌がらせに過ぎない。南シナ海問題で仲裁裁判所の判決を紙屑呼ばわりし、尖閣に毎日のように侵入するのは、とても「法的」とは言えない、ただの身勝手だ。香港で民主的な活動を弾圧し、ウイグルやチベットや内モンゴルで人権を抑圧して恥じないのは、「非人道的」に過ぎる。そんな「非・科学的」「非・法的」「非・人道的」な側面に対して声を上げないことの方が有害であり、日本国として、国際社会・・・それは有志国だけでなく、日頃から中国の圧力を受けやすい東南アジア諸国や太平洋の島嶼国からも、どう見られるかに留意すべきだろう。遠慮したり忖度したりして、非難すべきところを非難しないで誤魔化すのではなく、また保守派のように毛嫌いして遠ざけるのではなく、引っ越し出来ない隣国同士なのだから、是々非々で、ダメなものはダメと言えるような、日本は凛として、清らかな神道的境地(あるいは皇室の“わびさび”の世界)を体現するような「国のカタチ」を模索して欲しいと、切に願う。

(*)“台湾有事は日本と日米同盟の有事”安倍元首相発言に中国抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211202/k10013371311000.html
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強がる中国

2021-12-18 17:36:44 | 時事放談
 前々回のブログで言い足りなかったことがある。そもそも今の中国の実力はどうなのか・・・分かり難い国だ。中国共産党のトップ7人(所謂チャイナセブン)以外には、あの14億の人口を抱えて世界第二の経済を誇る大国の実態は分からないのだろう。いや彼らですら、もしかしたら地方の実態まで理解し切れていないかも知れない(強権政治に忖度はつきものだから)。そして世界中が寄ってたかってその実相を掴もうと躍起になる・・・。
 もう10日以上前のことになるが、日経に掲載された高坂哲郎さん署名記事「『弱ぶる米国』と『強がる中国』 非対称な軍事対立」が面白かった(*)。冒頭、「米国などで中国の軍事的膨張ぶりを危惧する指摘が相次ぐ一方、専門家からは『台湾を侵攻するといった能力は中国軍にはまだない』といった分析もされている」とある。本当にどっちなんだよなあ・・・と思ってしまう(笑)。第一の非対称として、米国は民主主義国であり、中国のように恣意的に国防予算を決めるわけには行かないから、議会に認めてもらうために、実態はともかくとして「米国は劣勢に立っている」と訴えることが効果的だとは、以前から言われて来た(最近、中国の極超音速滑空体の実験があったのに対して、米軍幹部が「第二のスプートニク」と呼んで大袈裟に反応して見せたのもその一つで、白々しい気がしないでもない)のに対し、一党独裁の中国では、プロセスより、威信を示すことが中国共産党の統治の正統性を示す上で重要であり、実態以上に軍事的に強いふりをしたがる傾向があるというのも、言われてみれば納得する。そんな政治体制の違いから、第二の非対称として、米軍には「隠し玉の兵器」を実戦まで表に出さない癖のようなものがあるのに対し、中国軍には、まだ完成前の兵器をあたかも完成したかのように見せかける傾向が認められる、と指摘されるのにも合点する。中国にとって先ほどの極超音速滑空体はそうかも知れない。逆に、最近、中国・新彊の砂漠に米軍の空母を模したような構造物が鉄道線路の上に配置されている様子が衛星写真から判明したという報道があって(BBCなど)、対艦弾道ミサイルの実験ではないかと憶測され、なんだ、まだそういうことをやっているのかとびっくりした。そもそも大海原に空母打撃群を発見するセンサーを装備することすらハードルが高いと言われるので、こうした記事を見ると、先はまだ長い気がしてしまう。何だか狐と狸の化かし合いのようだが、高坂さんは、「2つの非対称さを合わせて考えると、米軍は言われているほど弱くなく、逆に中国軍は装っているほど強くない、とみるのが妥当と言える」と結論づけられる。
 さらに第3の非対称として、「戦争になってしまった場合の影響の及び方」を挙げておられる。仮に中国軍が台湾を侵攻し占領に成功すれば、米国では責任論が生じて政権交代に至るにしても、大統領制と議会を軸にした民主主義体制が変わることは考えられないのに対し、もし中国が戦争目的の達成に失敗すれば、既に顕在化しているさまざまな社会の矛盾と相俟って民心が離れ、共産党政権の崩壊に至りかねない、という。こうして、「米中軍事対立がさまざまな非対称さでかたちづくられていることを考えると、対立が衝突に至るか否かはかなりの部分、中国共産党政権が内在する『弱さ』をどこまで自覚して軽々と台湾侵攻などに踏み切らないよう自制できるかどうかにかかっていることがわかる」と言われる。
 かつて2008年夏季の北京五輪を成功させ、翌年のリーマンショックでは巨額の財政出動により欧米を金融危機から救ったと自負し、その翌年、日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出た中国は、以後、成長と言うより増長が著しく、国際社会における存在感と影響力を高めて来た。此度のパンデミックでは、当初、強権的な対応がうまく行ったのは事実で、それに引き換え、アメリカをはじめとする先進国のぐだぐだぶりを見て、さぞ自らの体制への自信を深めたことだろう。その間、太平洋を二分割するという大胆な覇権主義的な提案を、2013年6月にオバマ大統領(当時)に、2017年11月にトランプ大統領(当時)との共同記者発表で、表明し、先月の米中首脳のオンライン会談では、一部の地方紙しか伝えていないようだが(大手紙では見かけないが)、「太平洋二分割」案を「地球二分割」案に格上げ(!?)して、「地球全体にまで野心を拡大させた」(神戸新聞)ようだ。しかし国内に目を向ければ、最近の経済への締め付けや相変わらずの監視体制強化は、自らの脆弱性を覆い隠そうとする恐怖心から突き動かされているように思えて仕方がない。
 英国・秘密情報部(MI6)のムーア長官は、先月末に行った長官として初の演説で、「中国政府は、西側諸国のもろさに関する自らのプロパガンダを信じ、米国政府の決意を過小評価している」 「中国が自信過剰のあまり誤算をするリスクがあるのは、紛れもない事実だ」と述べたらしい(ロイターなど)。歴史的に、紛争は往々にして誤算や誤認によって惹き起こされる。バイデン大統領が習近平国家主席とオンライン会談に臨んだのは、二国間の競争関係を責任あるかたちで管理することを目的に、各課題に対する相互の認識を確認し合い、「競争が衝突に転じることがないよう、常識的なガードレールが必要との認識を伝えた」(JETROビジネス短信)とのことだが、危なっかしい状況だと、私が心配するまでもなく、当のバイデン大統領は気を揉んでいることだろう。強がる中国は何とも厄介だ。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM231HJ0T21C21A1000000/
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政治とスポーツ

2021-12-11 11:52:14 | 時事放談
 巷では、来年2月に行われる北京オリンピックを、日本政府が外交ボイコットするかどうかが注目されている。
 既にアメリカに続いて、イギリス、カナダ、オーストラリアが、中国政府の(ウイグル、香港、女子テニス選手に係わる)人権問題を理由に外交的ボイコットに踏み切ることを表明した。ニュージーランドはパンデミックを主な理由に、政府関係者の派遣を見送ることを表明した。ここまではファイブ・アイズで、大陸ヨーロッパの動向が注目されるところ、先ずは2024年にパリ夏季オリンピックを控えるフランスは、外交的ボイコットのような対応は「効果が小さく、象徴的でしかない」と言い訳して一線を画し、2026年に次の冬季オリンピックを控えるイタリアはあっさりボイコットする予定はないと言った。いつもの興味深い地政学的色分けである。一方の中国は、人権侵害は事実ではないとして「根拠のない言い掛かり」に反発し、「スポーツの政治問題化」だと非難し、「間違った行動の代償を払うことになる」と報復を示唆して牽制する。これもまた判で押したような戦狼外交的反応で、オリンピックを成功裏に開催して(中国人民に対して)威信を示し、習近平氏三期目の足掛かりにしようと、むしろ自分たちこそが政治利用を企む中国だからこそ、口をついて出る言葉だろう。
 今朝の読売新聞オンラインなどの一部メディアは、日本政府の動向について、「閣僚など政府高官の派遣を見送る(東京オリパラ大会組織委員会の橋本聖子会長らの出席にとどめる)方向で調整に入った」と伝えた。人権重視の姿勢を示す岸田首相は、米中緊張下で、日本は尖閣問題を抱えて、来年の早い段階での訪米を検討中で、民主主義サミットがあったばかりで、アメリカなどと足並みを揃えないわけにはいかないだろう。東大の阿古智子教授は外交的ボイコットについて「日本が欧米に追随する必要はない。独自の考え方で政策を出していくべきだ」と言われたということは、反対なのかも知れないが、いずれにも理はあるにせよ、独自の判断で足並みを揃えればいい。さっさと表明すればいいのに、ぐずぐず頃合いを見計らっているものだから、来年、日中国交正常化50周年を控える重要な隣国の中国から、「中国が東京オリンピックを全力で支持したのだから、今度は日本が信義を示す番だ」などと情に訴えるレトリック(そのどこが全力で支持したのか不明だが 笑)で牽制される隙を与える始末となる。外交的に難しい判断だと思うが、第二次冷戦とまで言われる厳しい環境下で戦略正面にあたる日本は、かつての全方位外交の呪縛を逃れて是々非々で意思表示するドライな関係に持っていく方がよいのではないかと思う。
 振返れば、米ソ冷戦たけなわのモスクワ五輪(1980年)で、旧・ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、西側諸国は選手団を派遣しない全面ボイコットを実施した。
 折しも、先週・日曜日に開催された福岡国際マラソンは、今回を限りに幕を閉じたが、その長い歴史の中で、1979年大会はモスクワ五輪代表選考を兼ねた、特別に記憶に残る大会だった。私は子供の頃から何故かマラソンに惹かれ、小・中学生の分際で君原健二さんや宇佐美彰朗さんの自伝をむさぼり読むような酔狂ぶりで、彼らに続く瀬古利彦さんをテレビにかじりついて応援したものだ。その瀬古さんが、最も印象に残る大会としてこの1979年大会を挙げたのは当然であろう。私も今でもありありと思い出すが、マラソンでは異例とも言えるほどの、ゴールの競技場までもつれ込む宗兄弟とのデッドヒートは、語り草となっている。当時の瀬古さんは圧倒的な強さを誇り、金メダルは間違いなかったと思うが、ボイコットで泡と消えた。既に峠を過ぎた次のロサンゼルス五輪でもメダルの可能性がないわけではなかったが、モスクワの雪辱への思いが強過ぎたばかりに、無理を重ねて自滅した。柔道の山下泰裕さんも一つ年下の言わば同じボイコット世代で、同じような悔しさを味わったが、ロス五輪では劇的な金メダルを獲得したから、五輪ボイコットの悲劇のヒーローの第一は瀬古さんということになる。
 五輪の全面ボイコットなど、政治利用の最たるもので、まだ刺々しい時代のことではある。スポーツはおろか経済にしても、最近喧しい経済安全保障を引くまでもなく、「神の見えざる手」を唱えたアダム・スミスですら経済より安全(保障、つまり政治)が優先すると説いたほどの、生々しいホンネの世界だ。その後、人類は本当に賢明になったのかどうか分からないが、表面上は、まがりなりにも(クラウゼヴィッツが政治の延長と言った)戦争すら違法化の歴史を重ね、その先に現れた最近の優しい時代のポリティカル・コレクトネスの装いは、ここでも影響しているようだ。外交的ボイコットは象徴的な意味合いしかない妥協の産物だが、間違いなく一つの知恵である。再び米中の第二次冷戦とも言われる刺々しい時代に入り、それでも良い時代になったと、瀬古さんが一番感じていることだろう。
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チグハグな中国

2021-12-08 00:12:31 | 時事放談
 アメリカが北京五輪を外交ボイコットすることを発表した。東京五輪では次回開催国フランスを別にして首脳級の参加が近年では最少(15人程?)と言われていたことを思えば、このパンデミックのご時世に首脳級が参加しないこと自体は大した問題ではないはずだが、わざわざボイコットを発表するのは、中国のメンツを潰すことになる。かねて中国は報復を示唆して牽制してきたが、アメリカには効かなかった。在米中国大使館の報道官は「この人たちが来るかどうかは誰も気にしないし、北京冬季五輪の成功には全く影響しない」と強がり、環球時報は「正直なところ、中国人はこのニュースを聞いて安心している。米国の役人が少なくなればなるほど、持ち込まれるウイルスも少なくなる」とせいせいしたかのような言い草だった(それにしても、なんと品のないモノの言いであろう)。その割りに、中国のSNSランキング・トップに躍り出ていたこのボイコットの話題が、ほどなくランキング一覧から消えてしまった。分かり易い国だ。
 バイデン政権発足に当たっては、長男坊の中国コネクションから、中国に対して宥和的になりかねないと懸念されたものだが、党派を超えて中国に強硬な議会を背景にしているとは言え、今のところ協力・競争・対立の関係そのままに、とりあえずはメリハリをつけた対応をしている。この点、資源小国で貿易立国の日本は、今も昔も、敗戦の負い目もあって、八方美人の外交(かつて全方位外交と呼ばれた)しか出来ないのが、日本らしくもあり、また物足りなくもある。
 他方、中国は大国として台頭するに従い、大国らしく横柄に振舞い、大国らしく扱われたいのに、そうならない苛立たしさを抑えかねて、対外的にトゲトゲしく対応する様子が「戦狼外交」と揶揄されるようになった。西欧的な(ウェストファリア体制下の)価値観に従えば、原則として外交に大国も小国もない。ところが東アジアに伝統的な華夷秩序観に従えば、中国は中華として天下を治める唯一の権威的存在であり、大国は大国らしく、小国は小国らしく、中華文明になびかないものは(例えば日本が典型例だが)野蛮な夷狄として蔑むのが習いである。これら東西の秩序観はお互いに相容れることはない。
 それでも、習近平国家主席は5月末の共産党の会議で、対外情報発信の強化を図るように訴えた。時事通信によれば、習氏は「自信を示すだけでなく謙虚で、信頼され、愛され、尊敬される中国のイメージづくりに努力しなければいけない」と語り、党が組織的に取り組み、予算を増やし、「知中的、親中的な国際世論の拡大」を実現するように求めたという。珍しくも殊勝な心掛けだ(が、わざわざ言うところが中国らしい)。ところがその後の中国のやることなすこと裏目に出て、世界中で敵をつくるばかりに見える。ちぐはぐである。人民に対して共産党の威信を示したいばかりに、対外関係を顧慮する余裕がないのだろう。
 この9~10日に開催される民主主義サミットに対する反応も同様だった。
 バイデン大統領の呼びかけによる民主主義サミットに参加する110ヶ国・地域が公表され、NATO加盟30ヶ国の内のトルコとハンガリー以外が、またASEAN加盟10ヶ国ではフィリピン、インドネシア、マレーシアの3ヶ国が、そして何より台湾が含まれ、中国とロシアは外されたことが分かると、中国は4日に『中国の民主』と題する報告書を発表し、「中国式」民主主義を完成したことを誇示する一方、翌5日に『米国民主主義の状況』と題する報告書を発表し、米国内の人種差別や新型コロナウイルスの蔓延などを根拠に「米国は民主主義の優等生ではなく、自省する必要がある」などとアメリカの民主主義をこきおろした。
 ここで中国が言う民主主義は、彼らの言う法治主義などと同様、西欧諸国が理解するものと定義が異なるようだ。形ばかりの多党制は、実質的には共産党一党独裁であり、主権が存する「国民」ではなく支配層たる共産党と乖離した「人民」という古来の存在のままで、公正な選挙制度によって自らの代表を選ぶ権利がなく、政治参加の機会が与えられない。仮に古代中国の思想そのままに徳治を行う賢帝(現代で言えば共産党の書記長または総書記)がいれば、それもアリだと思うが、それは飽くまで理念上のことであって、現実の中国がその逆を行くことの反動に過ぎない。Wikipediaによると、民主主義の対義語には「神権政治」「貴族政治」「寡頭制」「独裁制」「専制政治」「全体主義」「権威主義」などが並び、「神権政治」かどうかは別にして、それ以外の言葉は全て中国に当てはまる。それでも「中国式」民主主義などと強弁する。
 ことほどさように中国の言うことは理解不能で、やることはチグハグで、何かというと突っかかって強硬である。そんな中国に関する記事を二つ紹介したい。
 折しも昨日の日経に、秋田浩之さんの『中国、やはり目を離せない 衰退期も変わらぬ強硬路線』と題する記事が出た(*1)。中国はこのまま台頭を続けるのか、それとも、人口減少、エネルギー・食糧の輸入依存の高まり、環境汚染など、さまざまな足枷によって成長率が落ち、衰退期に入りつつあるのか、どちらが正しいのか? と問いかける。「中国共産党リーダーは、強い自信と不安を同時に抱いているのが特徴だ」というシンガポールの論客の声を紹介しながら、台頭期には自信過剰が、衰退期には焦りや不安が、危うい行動を招きかねないとして、いずれにしても強硬な路線は変わらない(このうち、後者の行動パターンのほうが予想が難しく、より厄介)、と結論づける(引用された図表には、短・中期は対等継続説、長期では衰退期突入説が妥当と記するが、タイトルからすれば後者、すなわち衰退期に入りつつあると見ているようだ)。
 もう一つ、一昨日のサーチナによると、中国メディアの網易が、「中国が最も警戒すべき国は、米国やベトナムではない」「最も恐ろしいのは日本であり、日本を強く警戒すべき」と主張する記事を掲載したらしい(*2)。米国は今でも「世界のボス」と言えるが、国内に多くの問題を抱え、安易に中国にちょっかいを出すことはできないはずだから、「中国にとってはすでに恐るに足らない存在」と主張する一方、日本は敗戦後は軍隊を持てないはずなのに自衛隊を作り、今では実質的に「相当な規模の軍隊」と変わらなくなっており、先進的な武器も保有し、「日本はこっそりと核兵器を研究開発している」などと根も葉もない主張をするばかりでなく、「日本は自分の本分を守ることをしない国であり、国土面積が小さく、いつ沈没してしまうかもわからない島国なので、日本人は自分たちの将来について考えざるを得なくなっている。以前の過ちを徹底的に改めることのない日本は、いつか必ず再起してくるはずだ」と警戒し、中国は「後ろから刃物で刺されないよう」十分に注意し、歴史を忘れるべきではないと結んでいるという。(アメリカに対しては)自信満々で、さんざん日本をも手玉に取りながら、この不安感は(中国の全てがそうだとは言わないが)一種のパラノイアであろうか。
 戦後76年の(あるいは過去1500年の内の大部分の)平和な歩みより、古来の野蛮な夷狄(!?)のイメージそのままに受け止められている日本は、北京五輪ボイコットに関してどのような結論を出すだろうか。それに対して自信と不安を抱えた巨大な混沌とも言える中国はどんな反応を示すだろうか。考えるだに憂鬱であり、優柔不断に見える岸田首相の心中は察するに余りある(願わくば、多数のボイコット同調国が出て、その中に紛れんことを 笑)。

(*1) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD026G00S1A201C2000000/
(*2) http://news.searchina.net/id/1703991?page=1
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