風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

体操ニッポン復活の世代論

2015-10-31 00:29:41 | スポーツ・芸能好き
 日経一面にスポーツ記事が掲載されることは滅多にない。昨日の夕刊にやや下の方の囲み記事ながら写真入りで「37年ぶり『金』」の文字が、同スポーツ欄には「体操ニッポン復活」の大きな文字が躍った。体操の世界選手権・男子団体での優勝である。今朝の日経スポーツ欄には「エース内村 実った執念」とあった。世界選手権に、オリンピックを含めても、2004年のアテネ五輪での優勝を最後に、常に中国の後塵を拝して、2位以下に甘んじてきて、内村航平をして「団体の金メダルしか見ていない」とまで言わしめた、悲願の優勝だった。
 昨年の同大会では最後の最後に中国に抜かれ、0.1点差で敗れた。今年は、最後の最後に、内村は鉄棒の演技中、地元英国の最終演技者の得点が出て、割れんばかりの大歓声が会場を包み込んだところで、手元が微妙に狂ったのか、カッシーナでバーを掴み損ねて落下するアクシデントがあり、気を揉んだようだ。
 注目したのは、演技後、「冨田さんみたいに決めたかった」と内村が答えたことだった。彼なりのこだわりには違いないが、昨日の日経夕刊では、11年前(15歳の内村少年は)冨田洋之が伸身の新月面で締めたアテネ五輪金メダルを見て団体優勝に憧れた、と解説されていた。内村の一学年下の田中佑典もまた、競技を続けるかどうかで悩んでいて、アテネ五輪の金に触発されて続行を決意したらしいし、萱和磨に至っては、当時7歳で、本格的に体操を始めたらしい。11年の時を経て、体操少年たちが「夢よもう一度」を現実のものにしたという因縁と言うべきなのか、その世代論を興味深く思う。
 因みに私の記憶の中でオリンピックと言えば、似たような年代の頃に見たミュンヘン五輪が最初であり、やはり印象に残っている。田口信教や青木まゆみの水泳陣や男子バレーの活躍とともに、体操男子は、史上最強メンバーと言われた加藤沢男、中山彰規、監物永三、塚原光男、笠松茂らを擁し、ライバル・ソ連に大差をつけてオリンピック団体4連覇を果たしたのだった。このとき、団体に加えて、個人総合(加藤)、平行棒(加藤)、鉄棒(月面宙返りの塚原)、つり輪(中山)で計5個の金メダルを獲得したほか、個人総合(加藤・監物・中山)、平行棒(加藤・笠松・監物)、鉄棒(塚原・加藤・笠松)では金・銀・銅を独占するなど、体操だけで実に計16個ものメダルを獲得し、体操ニッポンの黄金時代を築き上げた。この雄姿を見た私は体操を始めようとは思わなかったが。
 そうは言っても刷り込みがあるので、内村航平の目覚ましい活躍には心躍るものがあったし、この団体総合優勝によって、いよいよ黄金時代に近づきつつあるとの感慨がある。残るは個人総合で内村の6連覇を期待したい。
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日・中・韓首脳会談

2015-10-28 00:05:03 | 時事放談
 日・中・韓首脳会談が11月1日にソウルで開催される見通しと伝えられる。それに合わせて、韓国は、聯合ニュースによれば前日の31日に中・韓首脳会談を開催するようであり、また翌2日に日・韓首脳会談を開催するよう日本政府に提案しているとの報道がある(但し韓国を訪問中の石兼公博アジア大洋州局長は否定)。その際、韓国側は相変わらず安倍首相に慰安婦問題で謝罪姿勢を表明するよう要請しており、前提条件のない首脳会談実現を求める日本政府との間で、調整が難航しているようだ。それほど言うなら、この際、欧米主体の第三者委員会でも入れて、当時の日本が日韓併合時代に、欧米諸国が植民地にする気にならずに見捨てたほどの、どうしようもない朝鮮半島にどれだけ投資し、戦後、資産を残したまま引き揚げたかをもう一度算定して貰えばいいと思う(実は50年前の国交正常化の際にも議論されたことなのだが)。慰安婦のみならず日系企業による強制労働に対する補償なども吹っ飛んでしまうだろう。それは極端な話にしても、日・中・韓という隣国同士は仲良くやって行かなければならないし、日・中および日・韓それぞれの首脳会談が開かれないのは不自然でオカシイと思っている日本人は意外に多いようなので、先ずは目出度い動きと言えよう。
 しかし、このブログでは何度も言ってきたように、隣国だからと言って仲良くしなければならない法はないし、仲良くない隣国同士が多いのが世の常である。そもそも隣人同士というのは、隣の芝生がちょっとでも青いと羨むどころか妬むものだし、最近建てた倉の壁が境界線に近過ぎてやれ圧迫するだの、枯れ葉がこちらの庭に落ちて来てやれ困るだの、せり出した柿の枝から柿の実を取ったとか、いや実が勝手に落ちて来ただけだとか、言い争いの種には困らないものである。
 韓国については忘れられない思い出がある。かれこれ10年くらい前になるが、マレーシア・ペナンのインターナショナル・スクールで期せずして仲良くなった韓国人のお母さんは、感慨深げにこう言い放ったのである。「日本人は野蛮で残酷な国民だと教えられたが、全くそんなことはない」。貴女に言われるまでもないと言いたいところだったが、そのお母さんが悪いのではなく、誤った教育を施した国が悪い。噂に聞く(また呉善花さんの言う)反日教育は本当だったのである。そんな反日教育を今もなお堂々とやる隣国と、どんな顔をして仲良くしろと言うのであろうか。反日プロパガンダという点では、中国も同罪で、最近は中国共産党の国策・反日ドラマを見る中国人がどれだけいるか知らないが、そんな反日プロパガンダを今もなお堂々と流す隣国と、どんな顔をして仲良くしろと言うのであろうか。そういう意味で、日本は中・韓両国と政治的には付かず離れずの形式的な関係を維持しながら、経済面でお互いに実質的な利を取るのがいい。それが戦略的互恵関係というものではなかったか。
 韓国については最近は良くないニュースだらけである。朴槿恵大統領の支持率は、これまで外遊するたびに好感度が上がってきたのに、今月の訪米では動きがなかったばかりか、中・高の歴史教科書の国定化方針に対して反発が広がり、支持離れが起きているようである。ウォン高に伴う輸出競争力の低下に加え、中国経済の失速で中国向け輸出に依存する韓国経済は大打撃を受け、舌の根も乾かぬ内に日・韓通貨スワップの再開を言い始めているらしい。ことほど左様に都合が悪くなると日本に擦り寄ろうとするのはどうしたことか。結局、華夷秩序をタテに、甘えの構造が厳としてあって、それが日本人にはもはや我慢ならない。日本人ビジネスマンの世界でも、その8割は既にビジネス関係で韓国を必要としないと回答しているらしい。韓国政府は、内心、大いに焦っていることであろうが、ファンタジーに酔っていることにとっとと目覚めて欲しいものだ。
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中国とイギリス・後日談

2015-10-25 00:10:20 | 時事放談
 習近平国家主席による英国訪問について、産経Webあたりは何とか粗を探したいらしい。
 もてなした側のイギリスでは、早速、巨額契約締結後に行われた両首脳の共同記者会見で、英BBC放送の女性記者が「習主席、英国民は、民主主義がなく、不透明で人権に大きな問題を抱えた国とのビジネスが拡大することを、なぜ喜ばなければならないのでしょうか」と不躾な質問をぶつけたことに、キャメロン首相は苦り切って「人権か、ビジネスかという質問の前提にはまったく賛成できない。5年、首相を務めて思うのは、両方が重要だということだ。経済関係が強固になれば、双方の関係も深まり、それ以外の問題でも率直な議論ができるようになる」と反論し、隣の習主席の方を見ながら、同じ内容の発言を繰り返したものの、習主席は「われわれは現実に即した人権発展の道を見つけた。人権は大切であるが、世界を見渡せば、すべての国で改善が必要な状況にある」と、はぐらかしたという。なんだか今回の両者の関係を象徴するようなやりとりではないだろうか。別の英国人記者は「(記者会見の)時間が限られているとはいえ、あまりにひどい内容だ。英国民の不安だけが高まった会見だと思う。おカネが欲しいあまりに、我々は早くも中国化してしまったのか」と皮肉たっぷりに語ったという。こちらはまさにイギリスの一般的な見方を代表しているような気がする。
 そんな一般的な見方を証明するかのように、イギリスの報道では、習主席の公式晩餐会や金融センター・シティなどでの演説を称賛するものは見当たらないと、産経Webはなんだか得意気に言う。むしろ演説中に出席者が居眠りをしているかのような写真が掲載され、「無様な瞬間だ」「強さをひけらかした」など、辛口の論評が目立ったらしい。議会演説について、英紙フィナンシャル・タイムズは「議会制が誕生した揺りかごでみせた習氏のぶざまな瞬間」と、以下の通り紹介したらしい(産経Web)。

(引用)
 習氏は演説で「英国は最も古い議会制国家だが、中国は2000年も前から法治の重要性を語ってきた」と述べ、民主主義に関係した中国批判は受け付けないとの姿勢を暗に示した。
 同紙はこれに対し、「法の支配」の理念を生み、近代民主憲法の礎石となったマグナカルタ(大憲章)制定800年を迎え、中国で巡回展示を行う予定が急遽、当局に中止させられたことを紹介。「中国に法治と民主主義を強調する資格があるのか」「自分たちに有利な歴史だけ言及した」などと批判する議員たちの声を報じた。
(引用おわり)

 こうした批判的な見方は、実は中国側でも同様で、中国各紙が(政府意向を受けて?)「中英の蜜月関係を築いた旅」「中英の黄金時代はこれから始まる」などと成果を高く評価した一方、北京の外交関係者の間では「(原子力発電所や高速鉄道の建設協力など総額400億ポンド(約7兆4千億円)に及ぶ)多額な投資を約束するなど英国に多くの実利を与えたが、中国には見返りが少ない」といった冷ややかな声が出たり、ネットでは「ばらまき外交しかできないのか」「体面を守るためにばらまく金があるのなら国内の景気浮上に使ってほしい」「人道上の理由でアフリカなどの貧困国に投資するのなら理解できるが、先進国の英国を私たちはなぜ助けるのか、納得がいかない」といった批判の声が上がったり、と、意外に冷静な中国内の状況を報じている。また、バッキンガム宮殿で主催する公式歓迎晩餐会に招待されたことを中国メディアが「異例の手厚いもてなし」などと絶賛したのに対し、ネット上では「われわれの血税を何百億ポンド分も使ってバッキンガム食堂の食券を買った」とからかう書き込みもあったらしい。ネット空間は、日本でもそうだが、過激ながらも的を射た発言があるものだ。
 政治は、国民に不人気なことでもやらなければならないことがあるのは事実だ。キャメロン首相は、2012年、中国政府が敵視するチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会ったことで、中国との関係が悪化するという痛い思いをして以来、中国の人権問題に関する批判を封印し実利外交に転換していると言われる。実際に、香港の雨傘革命を人権の観点から香港(ひいては中国)当局を牽制する形で援護することはなかったし、AIIBでも西側で真っ先に参加表明した。ドイツも堂々と中国をアジアで一番重要なパートナーと称している。安全保障上の脅威から距離を置いていれば、これが国際政治の現実だと割り切るべきなのだろう。あの大英帝国が、ほんまにこれでええんかいなと釈然としない思いは残るが。
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中国とイギリス

2015-10-21 23:12:35 | 時事放談
 日本では犬も食わないとされる夫婦喧嘩で、自らの正当性を街頭に出て聴衆に訴えるのが中国や韓国流である。それを聞かされたイギリスはどんな思いだったであろうか。習近平国家主席は、イギリス議会での演説に続き、公式晩餐会の挨拶でも、第二次世界大戦における「日本の残虐性」に言及したらしい。イギリスと中国は、正義のために助け合い、日本の侵略に抗してともに戦った、というわけだ。
 中国シフトを強めるキャメロン政権に対して、「中国との原子力協力はイギリスの安全保障を脅かす」「中国に仕事を奪われる」「人権侵害や強権体制に目を向けるべきだ」といった声が上がり、実際に鉄鋼会社の1200人が失業し中国製鉄鋼のダンピングに批判が集中しようが、習氏夫妻が滞在する宮殿周辺で人権団体が中国当局によるチベット族弾圧を批判し、逮捕されている人権派弁護士たちの釈放を求めて抗議活動を行おうが、さらに中国の人権問題に批判的なチャールズ皇太子が公式晩餐会を欠席しようが、そういった末節には目をつぶるほど、中国の経済力は魅力に映るようだ。一説では、中国の対英投資は、今後10年間でエネルギーや運輸などの分野を中心に総額1440億ポンド(約26兆円)に上るという。習氏夫妻はエリザベス英女王の国賓としてバッキンガム宮殿に宿泊し、ウィリアム王子による先の訪中に同行しなかったキャサリン妃も習氏を歓迎する晩餐会に出席したという。かつて7つの海を支配したと言われる大英帝国も、中華帝国の軍門に下ったかのような歓待ぶりである。
 中国では、こうした英国の対応が余程嬉しいらしい。中国共産党機関紙人民日報系の環球時報は、16日、習近平国家主席の訪英に関連した社説で「欧州に対する中国の影響力は上昇し続けており、中欧関係に変化が生じている」と分析し、英国を含む欧州各国が中国の人権問題に対する批判を抑えていることを評価したという。産経Webの記事の続きを引用する。

(引用)
 社説は、2012年にキャメロン英首相がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世とロンドンで会談したのを受けて「中国は英国を冷遇して懲らしめた」と指摘。その後、英国の対中批判が薄まった上、中国が主導して設立するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に「欧州で率先して参加を申請した」と対中姿勢の変化を歓迎した。
 また「英国は落ちぶれているが、米国をはじめとした西側社会への影響力はなお大きい」と指摘。習氏の訪英を、西側社会に中国の価値観を植え付ける機会にするべきだと主張した。
(引用おわり)

 さらに、習近平国家主席は、18日に配信されたロイター通信との書面インタビューで、英国が中国と経済関係を強化しているのは「先見性のある戦略的な選択だ」と称賛し、他国も見習うべきとの考えを示したという。英国議会演説では「人民のための政治や法による統治という概念は、古代中国で誕生した」とも述べ、議会制民主主義発祥の英国の議会演説で、大した自信であるが、さすがに英紙は「習氏は、英国による民主主義の講義を受けるつもりはないとの強い姿勢を示した」と(イヤミっぽく?)伝えたという(いずれも産経Webによる)。
 中国の面白いところは、その伝統的な革命思想に照らして、とにかく自らの統治の正統性を訴えたいものらしい。日本では実証的であるべきと考える歴史も、中国ではただのプロパガンダになる。抗日70年の軍事パレードで習近平国家主席が眠たげで冴えない表情をしていたのは、暗殺を恐れて前夜一睡も出来なかったからではないかと揶揄されていたが、そうであればこそ、かつての大英帝国にこれ以上のないおもてなしを受け、まさにわが世の春のはしゃぎようは、なんともカワイイ。イギリスの老獪な現実主義はともかくとして、中国の対外政策は果たして戦略的なのかどうか。実に不思議な国である。
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今年の巨人

2015-10-19 00:32:22 | スポーツ・芸能好き
 巨人は、CSファイナル・ステージでヤクルトに3連敗し、惰性であれ長年巨人ファンを続けている私にとっても欲求不満のまま今シーズンが終った。
 今年の巨人は、昨年にも増して打てなかった。これほど打てなかったシーズンは、さすがに私の記憶にはない(6連覇の新聞切り抜きを持っていたくらいだから、1970年以来、実に45年間で最低ではないか)。チーム打率はリーグ最下位の0.243、昨年はチーム打率が悪いなりにも「調子が良い選手をとっかえひっかえ使いまわしながら、なんとか勝ちを拾って行く采配の違い、あるいはそのベースとなる選手層の厚さの違いがあった」とブログに書いたものだが、今年はそのあたりの原マジック効果もないまま沈んで行った感じだ。今年も規定打席に達した3割バッターが出ず、トップ24に入ったのは僅かに16位の坂本(0.269)と22位の長野(0.255)の2人のみ。セ・リーグ優勝のヤクルトは個人1、2位をはじめ5人、3位の阪神も5人だったのとは対照的で、これはもう重症だ。CSシリーズ・ファイナルSはそれを象徴するように、4試合のチーム打率はレギュラーシーズンを下回る0.230、とりわけ得点圏で30打数4安打、打率0.133、初戦の7回から4戦目の4回まで25イニング連続無得点は、ポスト・シーズンでは1958年の日本シリーズで巨人が西鉄に喫した26イニング連続無得点に次ぐワーストとなった。
 他方、投手陣は、内海や杉内ら主軸の故障があったものの、菅野やマイコラスを中心に、チーム防御率はリーグでダントツ1位の2.78(優勝のヤクルトは3.31)と踏ん張ったが、打線の援護が得られなかった。それを象徴するのが、CSシリーズ・ファイナルS第二戦でマイコラスが完封負け、第三戦で菅野が完封負けしたところで、今シーズンの二人の活躍からすれば、巨人の命運は尽きたと言える。
 ある対談で、松本匡史氏が、「山倉の時は、現役晩年だった堀内恒夫さんが教育係になった。山倉のリードで堀内さんが打たれると、打たれた原因を徹底的に突き詰めた。それによって山倉は配球を覚えて成長していった。今の巨人でいえば杉内や内海といったベテランがその役割を担うべきだと思うんです。その意味でも彼らの戦線離脱は痛かった」と語っていたように、ベテランが抜けると、その抜けた穴だけでなく、波及効果にも制約がある。
 同じ対談で新浦壽夫氏が、「(正捕手と考えられていた)相川の離脱は、打線においても原監督の構想を大きく狂わせたね。捕手に戻った阿部は昨年同様、守備の負担を負うことになった。打撃不振の原因が全てそこにあるとは言えないけど、結果として4番を務めきることができなかった」と指摘し、角盈男氏も「阿部をコンバートして4番打者として打撃に専念させるというのが開幕前の構想だった。それを少々打てないからといって5番や6番に下げてしまったら、相手チームから『阿部はそんなに調子が悪いのか。巨人打線はそんなに困っているのか』と見下ろされる。試合以前に勝負がついてしまうんですよ」「4番打者が不調でどうしようもない時は打順を下げるのではなく、思い切って休ませたほうがいい」と同調している。昨年に続き今年も打線の主軸が定まらなかった上に流動的だったのは、相手チームのみならず、阿部や村田など4番を担うべき本人たちの士気にも関わったことだろう。
 そんなこんなで、昨年こそチームとしての勝負強さを発揮してリーグ三連覇を果たした巨人だったが、短期決戦のCSシリーズ・ファイナルSで敗退し、今年に至ってはリーグ優勝にも届かなかった。一昨年の悔しい日本シリーズ敗退から始まる三年続けての退潮は、もはやとどめようがない。早速、原監督勇退のニュースが流れているが、二年、否、三年続けてチーム力が低下する事態は、常識的に考えれば構造的と言うべきで、何等かの抜本対策が必要なのだろう。
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歴史の総括

2015-10-17 19:28:09 | 時事放談
 ある雑誌に、英エコノミスト誌の記事が紹介されていた。タイトル“The uses of history”(歴史の効用(と言うより利用))、サブ・タイトル“Asian views of Japan’s 20th-century expansionism are not all negative”つまり日本の20世紀の拡張主義に対するアジアの見方は必ずしも全てがネガティブというわけではない、と言うので、一ヶ月以上も前のもの(8/29付)だったが、あらためて原文に当たって読んでみた。
 親日で知られる李登輝氏(元・台湾総統)が、馬英九氏(現総統)が日本の敗戦70周年を記念するのを、「日本に嫌がらせし、中国のご機嫌をとる(harass Japan and curry favour with China)」ものと批判し、台湾の若者は日本に対して戦ったのではなく、日本のために戦ったのだと述べたことに対し、馬英九総統は逆に李登輝氏に対し批判の声をあげ、中国のメディアも「馬鹿げた発言」と罵声を浴びせたが、エコノミスト紙は、歴史的に見て李登輝氏こそ的を射ていると述べる。そして李登輝氏の見解は台湾では普通であり、アジア全体で見ても、日本の植民地の歴史について(一方的に断罪するのではない)両義的(アンビバレント)な感情がごく普通に見られるとする。そして、東南アジアで、日本の罪の意識や反省が(中・韓ほど)問題にならないのは、日本の侵略が過酷であっても、歴史的には西洋の植民地時代と独立までの短い間合いで起こったからであり、更に日本は援助国、貿易相手国、投資国であり、最近は台頭する中国に対する潜在的な同盟国でもあるからで、仲良くしない手はないと言う。対照的に、中国共産党は、対日闘争を、自らの統治の正統性を主張するのに利用し、かつて階級闘争が演じた役割をナショナリズムに担わせているし、韓国のナショナリズムも反日を基礎に形成されていると言う。
 同誌は、日本の戦争を(恐らく、西欧の植民地主義を終わらせた恨み辛みで以て)断罪する論調を一貫して掲げて来たとされるが、たまには公平な見方をすることもあるようだ。こうした歴史認識についての冷静な記事を読み、またこの夏の70年談話や安保法制を巡る一連の喧騒を振り返るにつけ、日本人自身が先の戦争を総括して来なかったツケを、今、払わされているのだとつくづく思う。
 一部の識者が言ったように、本来、東西冷戦が終わったときにこそ、その軛から放たれた日本は自ら先の戦争を総括し、PKOを通した世界の平和や地域の安定への貢献も含めて、日本の安全保障のありようを議論し、その結果として法整備を(ひいては憲法改正を)検討すべきだったのだと、今さらながら思う。実際、東西冷戦が終結して、ソ連の脅威に代わって俄かに日本がアメリカにとって最大の脅威になったと回顧するアメリカ人戦略家がいる。そしてそのとき日米安保の必要性があらためて議論の俎上に載ったというのである。それが、今頃になって、つまりソ連崩壊から四半世紀が経ち、また21世紀も15年が経ち、中国が韜光養晦という伝統的な外交方針をかなぐり捨てて経済的のみならず政治的にも台頭し、韓国も力をつけるにつれて妙な自信もつけ、彼らの中で華夷秩序が復権し、日本との関係がぎくしゃくするようになって、あらためて国内ですら憲法9条違反との批判が巻き起こるほどの集団的自衛権論争でこれら近隣国との間に余計な波風を立て、日米ガイドライン改訂とそれを実現するための安保関連法整備にやおら着手したのは、明らかに時機を逸したものだったと思う。間が悪いったらありゃしない。
 先日、開戦時と終戦時の外務大臣(東郷茂徳氏)を祖父にもつ元外交官の東郷和彦氏の講演を聞いた。この夏の70年談話を巡る議論では「侵略性」がひとしきり話題になったが、日本を「侵略者」と決めつけるのは正しくない、正確には、日本はアジアでは侵略者だが、英・米・蘭との間では帝国主義同士で対等であり、ソ連との間では被害者である、と分けて分析されて、なるほどと唸らされた。私なりにアジアの部分を言い換えあるいは付け加えるならば、アジアの中でも、満州事変では侵略者呼ばわりされ(英・米の策動や国際共産主義が暗躍したことは事実であろう)、シナ事変には巻き込まれ、(誤解を恐れずに言うなら)東南アジアを戦場とした(だから、先のエコノミスト誌記事でも、植民地支配の宗主国が英・蘭・仏から日に変わっただけのようなニュアンスで書かれた)というのが実態ではなかったかと思う。今からでも遅くないので、国民をあげて大いに議論すべきだと思う。
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ノーベル賞の季節

2015-10-15 00:23:28 | 日々の生活
 アジアに出張している間に、相次ぐ日本人のノーベル賞受賞で日本は湧いたようだ。私は機内のWall Street Journalで知ったのだが、スマホがあればもっと情報が早かったであろうか・・・(などと言っていると、スマホを持たないことがバレてしまう・・・)。
 折しも、英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションは、つい二ヶ月ほど前、科学・経済分野のノーベル賞受賞者に関して過去15年の集計をまとめ、出生国別の得点で日本を米・英に次ぐ3位に格付けしたと発表したことが報じられた。平和賞と文学賞を除く2000年以降のノーベル賞の受賞者について集計したところ、出生国別人数で、米国71人、日本13人、英国12人の順となったらしい。他方、受賞時の所属大学別で得点を比べた場合、1位は米スタンフォード大、2位は米コロンビア大、3位は米カリフォルニア大バークリー校となり、上位10校中8校を米国の大学が独占、残りはイスラエルとドイツが1校ずつで、日本を含むアジアの大学は圏外だったという。移民大国の後塵を拝するのはある意味で仕方ないにしても、英国の次というのは、ちょっと悔しい。他方、日本の教育・研究施設や制度(使用言語を含む)にいろいろ課題があるであろうことは分からないでもない。
 日本人ノーベル賞受賞者は、米国籍を取得した方を含めて累計24名、その内、21世紀になってから16名と、加速している。ノーベル賞受賞とは、つまるところ粘り強い研究の積み重ねであり、かつ実用化され評価されるに至るまでタイムラグがあるとすれば、今世紀の目覚ましい成果は、20世紀後半(戦後)の地道な、しかし探究心旺盛で(黒船のペリー御一行様が驚いたように)また名誉欲よりも匠であることに誇りをもつ日本人の本領発揮といったところだろうか。世界で評価されるのは、やはり晴れがましい。
 だからと言って、毎度、コップの中の戦争のように、お互いに狭い世界で比べっこするのは何とも狭量で褒められたものではないのだが、日本の躍進に切歯扼腕している国がある。言わずと知れたお隣の大国やその属国(歴史的に、の意)である。その中国は、今回、華人(つまり中国という祖国を捨てた人)以外で初めての受賞となった。その中国は「中国製造2025」を掲げ、2025年までにモノづくり強国(大国)の仲間入りを目指す中で、弱みは基礎素材、基礎部品、基礎工程、基盤技術といった基礎研究にあり、革新へ根気よく投入し続けることが不充分で、また革新により発展を引率する理念が弱かった、製品の品質は引き続き改善しなければならない等々、冷静かつ謙虚に分析しているらしい。一方の韓国は、GDP(国内総生産)に占める研究・開発(R&D)投資の割合は世界第1位なのに成果に結びついていないと、早速、自己批判が飛び出した。朝鮮日報は、自動車や機械などの実用化技術に偏していると言い訳し、中央日報は、科学者を尊重しながらチャレンジ精神を持てるように励ます社会的風土も切実だとする社説を掲載したらしい。まあ、「科学」などと大上段に振りかざさなくとも、身近な職人や職人技を蔑ろにするのが伝統の儒教国では、余り成果は望めないかも知れない(とは以前もブログに書いた)。あるいは、先ほどの伝で、一足先に改革開放に舵を切った中国でノーベル賞受賞第一号が出たように、韓国の民主化が1980年代後半だとすれば、そのうち出て来るかも知れないし、中国人や韓国人は手っ取り早い(つまりカネになる)成果や目先のことに囚われがちなので、国柄としてそぐわない、つまり、それほどしゃかりきになっても縁がないような気もするが、どうであろうか。
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アジア再び(4・完)点描

2015-10-13 20:42:22 | 永遠の旅人
 最後に訪問国の印象を点描する。
 メルボルンは遠い。シンガポールまで7時間半、更に7時間半、待ち時間を挟んで16時間以上の長旅である。日本からの直行便がないのも一つの理由だが、そもそもオーストラリアという国が東の最果て、南の最果てなのである。イギリスが流刑の地としたのも故なしとしないが、そんなところにポツリと白人社会が出来たのだから不思議である。皮膚癌を気にしなければならないほどの陽光と、農業と資源で食って行けるほどの豊かな自然の恵みを受けて、どこか大らかな余裕を感じさせ、それが昔も今もなお人々を惹きつけるのであろう。シドニー駐在の頃、国の歴史にまつわる本を読んだところ、オーストラリアでは先祖のことを尋ねてはいけないとあった。勿論、今なお移民一世が増え続ける中では、もはやそんなことはあるまいが、アメリカが移民の国として所謂サラダボールと言われ、さまざまでありながらも、なおアメリカという国のアイデンティティを色濃く確立しつつあるのに対し、オーストラリアはサラダボールの素材がむき出しのままだ。その分、美味いイタリア料理やシーフードや、美味い珈琲に出会うことが出来る(アメリカでは素材が薄まってしまって、何もかも味が薄い)。
 シンガポールは、この季節、ヘイズ(Haze)で曇っていた。越境汚染として問題となっている「煙霧」で、PM2.5も含まれる。主にスマトラ島(インドネシア)のプランテーションでの野焼きや森林火災が原因で、発生した煙がモンスーンの風に乗って渡ってくる。私も、ペナン島(マレーシア)に住んでいた三年間(2005~08年)で一度だけ、朝、煙に気付いて目が覚め、火事でも起こったのかと不安になったことがあった。実際にヘイズ自体は毎年のことなのだが、Wikipediaによると、「2006年と2013年に大規模な煙霧が越境汚染を引き起こした」とあるので、まさにこの2006年のことだったのだろう。周辺国のシンガポールやマレーシアとしては文句を言いたいところだが、近年、需要が急増するパーム油のために熱帯雨林が伐採され、焼き払われてパームヤシに植え替えられるのを、実はシンガポール資本やマレーシア資本が主導しているという話もあって、ややこしい。隣近所はとかく仲が良くないのは、東南アジアにしても同じことで、日本も気にすることはない。
 ニューデリーは、まだまだ混沌としている。そのため、出張すると現地の人は(現地の水準からすれば)高級ホテルを予約してくれるのだが、そのホテルが植民地支配の時代の名残りか、大英帝国趣味を彷彿とさせて、余り気分が良いものではない。しかし、貧富の差がありながらも社会がそれほど混乱することなく、まがりなりにも民主的な政治が行われているのは、身分社会ゆえの安定性のお陰だろう。そう思うと、社会というのはそれぞれで、「アラブの春」で犯したアメリカの浅はかさを思う。
 上の写真は、シンガポールのホテルからマリナ・ベイ方面を望む。朝の爽やかなはずの空も、ご覧の通り曇っている。
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アジア再び(3)機内にて続々

2015-10-12 19:44:31 | 永遠の旅人
 アジアとは関係がない話が続く。
 エコノミークラスの狭い機内で隣り合わせに座る人は、当然のことながら余り大きくない方がいい。そして何より図々しくない人に限る(私の経験則だからアテにならないが、お隣の大国やその属国(歴史的に、の意)のおじさんやおばさんはなるべく敬遠したいもの)。そんな中、多少図々しくても許せる人がいる。欧米系の白人のおばあちゃんである。今回も、シンガポールからメルボルンに向かう機内で、隣に座ったおばあちゃんは、多少肘を張り出して来ようが、照明がつかないとか、現地時間ではいま何時かなどと、何かと絡んで来ようが、一向に気にならず、優しく受け止めることが出来る。
 つらつら考えるに、一種の刷り込みのせいであろう。
 アメリカ駐在の頃、オフィスの身近なところに二人の白人のオバサンがいた。一人はローズマリー(Rosemary)という、今の私くらい(50前後)の年齢だったかもしれない、社長秘書をしており、もう一人はパット(Patricia)という、やはり同じような年齢で、部門長秘書をしていた。30そこそこだった私にとって、いずれも親の世代に近く、二人は仲良くやっているのだが、見た目や性格は対照的だった。ローズマリーは社長秘書らしく、若かった頃はさぞ美人だったろうと想像させる痩身で気品ある顔立ちで、いつもすました落ち着いた雰囲気を醸し出していたのに対して、パットは小太りでちょこまかとよく動き、いつもニコニコ、何くれとなく私の世話を焼いてくれる、気の好いオバサンだった。ではローズマリーはお高く止まっていたのかと言うと、それは見た目だけで、私がメールや会話の中に一所懸命ひねったジョークを仕込むと、からからと笑ってくれたし、立食パーティで一緒に写真に納まる時はふざけて、別れの時には濃厚に後で拭わなけければならないほど、頬にキスをしてくれた。そんなお茶目なところが大好きだったのだが、アメリカ東海岸は余りに遠いし、20年もの年月が流れてしまった。
 当時のローズマリーやパットのことをおばあちゃんと呼ぶと怒られるに違いないが、私より20ほど離れた白人系のおばさま方・・・今の私の年齢からすればおばあちゃんになってしまうのだが・・・の、年老いてなお楚々として、つまりは可愛らしい天然系のわがままは、俄然、許せてしまうのである。なんたる偏見であろうか。
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アジア再び(2)機内にて続

2015-10-11 22:13:03 | たまに文学・歴史・芸術も
 今回の出張で移動に時間がかかることは分かっていたので、機内では不貞寝を決め込み、シンガポール~メルボルン間では昼間からアルコールをたっぷり仕込んで、子守唄代わりに映画を観始めたところ、つい惹き込まれて最後まで観切ってしまった。
 「駆込み女と駆出し男」という、今年5月に封切られた邦画だ(余談だが、最近、機内の食事は日本食を好むと昨日書いたが、映画も日本語が面倒臭くなくていい)。駆込み寺というテーマ性から、登場人物はワケありで、その人生模様が映画に深みを与えるのだが、さすがに井上ひさし氏の時代小説「東慶寺花だより」が原作とあって、実に面白い。さらに配役も素晴らしい。主演の大泉洋は、とぼけた味が売りだが、その笑いにはペーソスがあって心和ませる。寺に駆込む女性で、じょご役の戸田恵梨香は街娘の役を好演し、お吟役の満島ひかりには凄みがある。井上ひさし氏のセリフ回しの長さも感じさせないテンポの良さと、時に静寂があり、さらに映像が美しく仕上がって、是非、劇場で見たかったと思う。143分という長さを感じさせなかったが、さすがに機内で座り続けて10時間を越えるとお尻は痛い。
 観終わって、あらためてタイトルもお茶らけて見えるが秀逸と思った。以前、宣伝のPV等を見ると、如何にもドタバタ喜劇に思われたものだが、必ずしもそうではない。「夫側からの離縁状交付にのみ限定されていた江戸時代の離婚制度において」(Wikipedia、以下同)、縁切寺では「夫との離縁を望む妻が駆け込み、寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する」という。実際のところ、「1866年(慶応2年)東慶寺では月に4件弱の駆込が行われ」、「大部分は寺の調停で内諾離婚になり寺入りせずに済」み、「寺入りする女は年に数件」だったという。この映画では、そんな寺入りする数少ないややこしい事案が取り上げられるわけだが、登場する女性たちは、勿論、無数の泣き寝入りする女性もいたであろう時代背景の中で、憐れむべき存在とは必ずしも捉えられず、苦悩を抱えつつも逞しく、そして美しい。主人公の信次郎は、女たちの聞き取り調査を行う御用宿・柏屋に居候する戯作者志望の医者見習いで、弱気の彼を奮い立たせるのも、やはり女性である。映画からも、そして原作者・井上ひさし氏からも、女性に対する暖かい眼差しを感じるのである。
コメント (2)
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