風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大相撲における品格

2019-04-30 02:27:22 | スポーツ・芸能好き
 今日は(平成最後の)昭和の日だった。私が子供の頃は(昭和)天皇誕生日として親しまれた日だ。そう言えば、昭和天皇は大相撲が大層お好きだった。それだけに、白鵬がモンゴル国籍離脱申請をし、日本国籍取得に向けて動き出すや、そんな柄じゃないとばかりの白鵬バッシングが俄かに湧き起こり(便宜上、ここではそれを守旧派と呼ぶ)、いや、それこそ外国人排斥の頑迷固陋で、そんなことでは大相撲の将来はないと非難する声が対抗する(同じく、革新派と呼ぶ)場外戦には、草葉の陰でさぞ渋い顔をなさっていることだろう。
 双方の主張の間には、「品格」という問題が横たわる。
 「品格」の問題は実は古くない。革新派によれば、大鵬と柏戸が拳銃を不法所持していても、輪島が年寄株を抵当に入れて借金して廃業しても、双羽黒がおかみさんを突き飛ばして部屋を飛び出しても、いずれも日本人横綱であれば品格は問題にされなかったではないかとの剣幕だが、当時の横綱にそもそも「品格」の問題はありようがなかった。
 問題になるようになったのは、外国出身力士が活躍するようになってから、しかも単なる活躍ではない。例えば小錦(ハワイ出身)が1992年春場所までに13勝(優勝)、12勝、13勝(優勝)の成績で横綱に推挙されたが見送られた際、小錦自ら「横綱になれないのは人種差別があるからだ。もし自分が日本人だったらとっくに上がっているはずだ」と語ったという趣旨の記事がニューヨーク・タイムズ紙に掲載されて物議を醸し(後に、本人ではなく付き人のハワイ出身力士が本人に成り済まして語ったとされた)、作家の児島襄氏が月刊誌「文藝春秋」に「『外人横綱』は要らない」という論文を寄稿して、「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」と述べたあたりから、後に外国出身横綱が曙、武蔵丸、朝青龍・・・と誕生するようになる頃に、顕在化してきた問題であることが想像される。言わば文化摩擦である。
 しかし守旧派の気持ちも分からないではない。
 最近のことで言えば、2017年の九州場所11日目、立ち合いで先に嘉風の顔を張ったがそのまま嘉風に攻められ黒星を喫した取組みで、白鵬は立ち合いが合わず「あれは待っただ」と物言いをつけて土俵上で立ち尽くし、土俵下でも残って抗議を続けたことがあった。同じ場所の千秋楽表彰式では万歳三唱し、懲りずに今年の春場所千秋楽ではインタビューのときに「平成最後なので皆さんで三本で締めたいと思います」と観客に三本締めを強いた。こんなことは、これまでの横綱にはあり得ないことだ。
 こうした、何様!?と思わせるような傲慢な振る舞いだけでなく、以前はよく立ち合いで相手の顔を張り、強烈な「カチ上げ」をかまし(プロレスのエルボーのような威力で)、ときには「猫だまし」までし、また勝敗が決まった後も、ダメ押しで相手を土俵下につき飛ばすこともあり、その取り口は横綱としての「品格」に欠けると横審(横綱審議委員会)から「物言い」をつけられていた。私に言わせれば、懸賞金の受け取り方も勿体をつけており(笑)、三代目若乃花の花田虎上氏に言わせれば、白鵬の立ち合いは「ずるい」のだそうだ。本来、横綱の立ち合いと言えば「後の先」などと表現されるように、相手有利の呼吸で受けて立ち、それでも勝ってこそ横綱のはずだが、ただでさえ強い白鵬は相手と呼吸を合わせると言うより100%自分の呼吸で、つまり白鵬の左手がついた瞬間に立ち合い成立という暗黙の了解になっているとまで解説する人もいて、そんな自分本位の絶対優位の立ち合いでは、勝っても有難みがないではないか。
 そんなこんなで、白鵬が何らかの処分を受けた不祥事の数は、今回の三本締めを入れると23件と、暴行事件を起こして引退した元横綱・朝青龍の25件に次ぐそうだ。言うまでもないことだが、横綱推挙状の文面には「品格、力量抜群に付、横綱に推挙す」とあり、ただ強いだけでは横綱にはなれない。「力量」より先に「品格」が挙げられているように、勝ちっぷりにも負けっぷりにも横綱らしい「品格」が求められる。この点で、白鵬にしても朝青龍にしても、勝ちに拘るのは立派だが、それだけに大相撲を格闘技としてしか見ていないフシがあり、それは外国人(と差別するつもりはないのだが)には仕方ない面があるのかも知れない。なにしろ相撲は、元々は神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として奉納相撲が行われているように、礼儀作法が重視される言わば伝統芸能の一つと言うべきであって、純粋な意味でのスポーツでも格闘技でもないことは、日本人であれば感覚的に分かっていることだからだ。
 守旧派による白鵬バッシングが外国出身だからだとすれば気の毒だが、どうも多くの人の反応は、革新派がなじるように、日本の大相撲がモンゴル出身者(のような外国出身者)に牛耳られる、というような薄っぺらな警戒ではなく、大相撲が長年守ってきた風情が変わってしまうことへの哀惜であろうと思われる(というのは必ずしも明示的ではないかも知れないが)。もし巷間伝えられるように、白鵬が日本人横綱として2020年東京五輪開会式で土俵入りし、これまで4人しかいない「一代年寄」となって白鵬部屋を開き、ゆくゆくは理事長の椅子まで狙っているとすれば、「郷に入っては郷に従え」で、横綱の「品格」とやらを理解し、横綱らしい立ち居振る舞いを身につけてこそ、日本の伝統芸能を担う一員たり得るのだろうと思う。モンゴル出身力士が、長らく低迷する日本の伝統芸能を支えてくれたのは事実だが、だからと言って古来のしきたりや規則を(意味があるかどうかは別にして)曲げてまで、おもねる必要があるとは思わない。所謂ウィンブルドン現象そのものなのだが、グローバルなスポーツであるテニスと、日本古来の伝統芸能である大相撲との違いである。
 こうして見ると、19年ぶりの和製横綱となった稀勢の里が如何に歓迎されたかが昨日のことのように思い出されるし、今年初場所での引退は今さらのように惜しまれる。横綱在位12場所で皆勤は僅かに2場所にとどまり、横綱としての通算成績36勝36敗97休は実に不本意なもので、他にも金星献上や8連敗(不戦敗を除く)など、横綱としての不名誉な記録は数多あるが、白鵬のような横綱らしからぬ「明るさ」「軽さ」(と言っては失礼だが 笑)とは対極の、横綱らしい「孤高」のイメージが好まれ、それがそのまま「品格」を感じさせた。ケガのことを聞かれても多くを語らないような、勝負師としての厳しさがあったし、引退を決意したときの心境を問われて、「そうですね。横綱として、皆さまの期待に沿えられないということは、非常に悔いは残りますが、私の…土俵人生において一片の悔いもございません」と答える有名な一節の中で、横綱として「期待」に応えることの重大さに触れた。振り返れば、2年前の春場所で、左上腕などのケガを押して奇跡の逆転優勝を成し遂げ、表彰式の君が代斉唱で涙を流したのは感動的だったが、責任感の強さが却って仇になり、無理がたたって、横綱の寿命を縮めてしまったようなものだった。一つの悲劇ではあるが、これも守旧派にしてみれば、稀勢の里のようなやや思い入れの強い横綱の宿命として甘受すべきなのかも知れない。
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ノートルダム寺院の受難

2019-04-23 01:18:20 | 日々の生活
 改修中だったノートルダム大聖堂の高層部から出火があり、屋根の大半が炎上する大火災となり、高さ90mの尖塔は約1時間で無残にも焼け落ちてしまったという。あの惨劇からちょうど一週間になる。
 ゴシック建築の本家本元、その荘厳な佇まいには、年間1300万人が訪れると言われる。私も豪勢な新婚旅行のときと、その翌年の貧乏ツアーのとき、さらに出張で一度と、計三度、立ち寄った程度でも我がことのように衝撃的だったのだから、パリ市民、フランス国民には、さぞ辛い出来事だろう。日本で言えば、金閣寺が焼け落ちるほどの(と、三島由紀夫の小説を思い出して)、あるいは清水寺じゃないかと、知人は口々に言ったものだが、その宗教性…と言っても日本人には正確には理解し辛いだろうから、国を象徴する、精神的な拠り所であると言う意味で思いを巡らせれば、伊勢神宮が火災に遭うほどの衝撃ではなかろうか。
 YouTubeのチャンネルでも生中継され、アメリカでそのライブ動画を表示すると、その下に9・11同時多発テロについてのWikipediaが表示され、物議を醸したそうだ。YouTubeのアルゴリズムは、炎上する尖塔の映像が、あのときのツインタワーに類似していると認識してしまったようだが、実は不謹慎にも、私も、あのときの・・・あのとき私は西海岸に出張中で、朝、寝惚け眼でCNNを見て、まるで映画の1シーンのような現実感覚のなさに、しばし事態を認識できなかった、あの映像がダブって見えた。私たちの世代のトラウマだろう。ノートルダム大聖堂が火災に遭うという、あってはならない衝撃と、テロ攻撃であるかのような衝撃が重なって、恐怖心がいやがうえにも増幅された。
 1163年に着工され1345年に完成したというから、鎌倉時代がほぼすっぽり収まる時期だ。その後、さしたる火災に見舞われることなく、皇帝ナポレオンが戴冠式を行い、二度の戦火をくぐり抜け、1991年にユネスコの世界文化遺産に登録された。報道によると既に国内外から寄付金として総額10億ユーロ(約1200億円)が集まり、週末の「黄色いベスト」のデモでは、「国内の貧困にも目を向けろ」と(主に富裕層に対して)抗議する声があがったというが、残念ながら次元が違う話だ。世界中の人々を惹きつけてやまない、人類に共有されるべき歴史的・宗教的遺産だからこそ、安倍首相をはじめとする各国首脳だけでなく、天皇陛下までもがマクロン大統領あてに(海外の文化財破損に関して発出されるのは珍しいとされる)お見舞いのメッセージを送られた。日本では2020年の東京五輪に浮かれて、その先のことなど眼中にないが、2024年はパリ五輪である。専門家によれば修復に数十年かかると言われるところを、無理を承知で、願わくはそのときその雄姿を拝めんことを・・・
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モンキー・パンチ死す

2019-04-18 02:27:41 | スポーツ・芸能好き
 ノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちて、その追悼を書こうと思っていたら、モンキー・パンチさんが亡くなったとの報が流れて、ノートルダム寺院どころではなくなってしまった。ルパン三世が黄色のレトロな車(FIAT 500)を愛用していたご縁で、FIAT JAPANは公式ツイッターで原作者のモンキー・パンチさんへの哀悼の意を表したらしい。
 私事になってしまうが、中学・高校・大学受験・大学・独身寮時代と、それぞれに愛読した漫画がある。『いらかの波』(河あきら作)であり(『別冊マーガレット』に連載されたもので、もとより男の私は知り得ず、姉に紹介されて、二人で貪り読んだものだった)、『ルパン三世』であり(インベーダーゲーム全盛の当時、陸上部でストイックな高校生をしていた私は、インベーダーゲームには見向きもせず、なけなしの小遣いで20冊近く、他に『SFマガジン』を毎月購読していた)、『エリート狂走曲』(弓月光作)であり(ともすれば怠けがちの受験生に自ら喝を入れた 笑)、『タッチ』や『みゆき』(あだち充作)であり(大学付近まで出かけても講義には出ず、大学近所の洒落た喫茶店「ぱんぷきん」で、むさ苦しい男どもは毎週のようにコーヒー1杯で粘って漫画雑誌を回し読みした)、『コブラ』(寺沢武一作)である(その後、会社のリストラで独身寮がお取り潰しになり、近所の本屋や喫茶店やクリーニング屋は果たして商売が成り立っているのだろうか・・・)。
 それぞれに思い入れがあるが、『ルパン三世』はアメリカのコミックのような筆致で、中身もアメリカの大陸的な大らかさと感情を引き摺らないドライなドタバタが、子供心にはとても新鮮で、コミックだけではなくTVアニメまで含めると、『ルパン三世』は圧倒的な存在感を誇る。中学生の頃に憧れたのは狐狸庵先生(遠藤周作さんの仮の姿)のぐうたら生活という、年齢に似合わない枯れた性格だったが(苦笑)、高校生の頃に憧れたのは、世界を股にかける自由人のルパン三世で、なおまっとうさには欠けるがそれなりに子供らしい伸びやかさと躍動感を取り戻した(笑)。それから四半世紀の後、マレーシア・ペナン島に駐在した頃、いかがわしい場末のDVDショップで、まさか海賊版じゃあるまいと怪しまないことにして(笑)超格安DVDセットを購入し、日本語放送に飢えた親子二代で、週末のひとときを楽しんだ。海賊版じゃないと思い込んでいるDVDセットは、その後、南半球オーストラリアまでお供し、その後、子供のおもちゃに紛れて、無事、日本の地を踏んだ。
 さて、『ルパン三世』は、ジェームズ・ボンドの007シリーズの泥棒版で、「だから女好き。長髪にするはずが締め切りに迫られ描きやすい短髪にした」(モンキー・パンチさん)という。そしてボンドガールが峰不二子で、「毎回違う女性にするはずが面倒になって全部、不二子にしちゃった」(同)、「名前は目の前にあった富嶽三十六景のカレンダーに“霊峰不二”とあり、そこに“子”を付けた」(同)ということらしい。へええ。次元大介は、以前ブログにも書いたが、映画「荒野の七人」のジェームズ・コバーンがモデルで、石川五ェ門は司馬遼太郎原作のドラマ「燃えよ剣」の沖田総司がモデルだ。銭形警部がルパン三世を追いかける設定は「大好きなトムとジェリーを当てはめた」(同)という。まさに(笑)。こうした紋切型には安心感があり、しかもそれをマンネリ化させない、毎回異なる味付けが絶妙だった。そして、大人の鑑賞にも耐えうる『ルパン三世』は、うるさ型のオトナの国フランスやイタリアでも人気を博し、クールジャパンの先駆けになったと言われる。
 ルパン役の山田康雄さん(享年62)は既に1995年に鬼籍に入り、1971年のアニメ開始時から40年にわたって銭形警部を担当した納谷悟朗さん(享年83)は2013年に、初代の石川五ェ門を演じた大塚周夫さん(享年85)は2015年に、鬼籍に入った。私自身も含めて、お互いにそういう齢なのだと頭では分かっていても、心はすぐに高校生の頃に戻る。
 それにつけても、思い出すのは、『カリオストロの城』のラストシーンで、ルパンと一緒に旅をしたいと願うクラリスの元をルパンが立ち去った後、ルパンを追う銭形警部が「くそ~、一足遅かったかぁ! ルパンめ、まんまと盗みおって」、クラリス「いいえ、あの方は何も盗らなかったわ。私のために戦ってくれたのです」、銭形警部「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました」、一瞬間を置いて、「あなたの心です」・・・とっつぁんには似合わない、なんて粋なセリフだろう。まさにルパン三世は、同時代の子供たち、いいオトナのおっさん、おばさんの心を盗んでしまったのであった。そんな原作者のモンキー・パンチさんに感謝と哀悼の気持ちを込めて、合掌。
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タイガー復活

2019-04-16 00:10:11 | スポーツ・芸能好き
 この人は笑顔が、そしてグリーンジャケットが、よく似合う。ゴルフの祭典マスターズの勝者に贈られる栄光のジャケットだ。昨年のツアー最終戦(ツアー選手権)で5季ぶりの優勝を果たしていたタイガー・ウッズだったが、メジャー制覇は11年振り、マスターズに至っては2005年以来14年振り(5度目)、ついでに初優勝から22年ぶりで、43歳3ヶ月でのマスターズ制覇は、46歳2ヶ月で大会6勝目を挙げたニクラウスに次ぐ年長優勝だそうだ。
 誰がグリーンジャケットを羽織ったこの満面の笑顔を想像できただろう。膝の故障に始まり、私生活のトラブルを引き起こし、スポンサーを次々と失い、いったん第一線に復帰したものの、今度は腰痛に見舞われ、一時は歩くことすら出来ず、何度も手術を受けた。抗不安薬などの影響下で車を運転して、よろめきながら逮捕される姿を晒したのはほんの2年前のことだ。落ちぶれたかつてのスーパースターを誰もが憐れみ、メジャー通算18勝のジャック・ニクラウスの記録(タイガーはこのマスターズで歴代2位の15勝目)も、米ツアー通算82勝のサム・スニードの記録(タイガーは同81勝目)も、軽々と塗り替えるものと目されながら、ついに手が届かないだろうと諦められたものだった。
 マスターズという大舞台で華々しく復活したのは、しかし、かつての豪快なタイガーではない。パーオン率80・56%(72ホール中58ホールで成功)こそ全選手でトップながら、ドライバーショットの平均飛距離は294.5ヤードで44位と、飛ばし屋だったのがウソのようだ。「(最終日は)自分のゴルフに集中できたのが大きい。冷静さを保つことができたのが一番の理由」と語ったように、さながら獲物を狙う豹のような精悍さが戻ったように見えたのは見間違いではなかったが、人間的にはひと回りもふた回りも成長したのだろう。
 それにしてもゴルフの神様は、気紛れに劇的なことを演じなされるものだ。
 こうして思うのは、実は水泳の神様のことだったりする。池江璃花子さんに過酷な試練を与えて弱冠20歳にも満たない18歳の運命を弄び、それでも気紛れに微笑んで劇的なことを演じなされるだろうか、と。
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2分間の米韓首脳会談

2019-04-13 13:58:13 | 時事放談
 韓国・聯合ニュースによると、トランプ大統領と文在寅大統領の「2人きりの会談は29分間行われた。ただ、報道陣との質疑応答が27分間続き、実際の会談は2分程度となった。その後、閣僚らを交えた小規模の会合と拡大会合がそれぞれ28分間、59分間行われ、両首脳は計116分間、朝鮮半島の非核化問題を話し合った」(同、日本語版)ということだ。ホワイトハウスの広報文によれば、確かに質疑応答は12時19分に始まり12時45分に終ったとある。一体、その後の2分間で、通訳も入れて、何が話し合われたというのだろう。
 結局、トップ二人で話すことは何もないという、トランプ大統領の意思の表れなのだろう。4月11日という日程設定自体、文在寅大統領肝いりの大韓民国臨時政府発足100年記念式典当日にぶつけるくらいだから、北朝鮮も否定するような独立運動を祝う式典にかまけている場合じゃないだろうという、あるいは無理して来なくてもいいよという、トランプ大統領の突き放したメッセージのように受け取れる。そしてこの短期訪問にもかかわらず夫人同伴である。そうそうの掟破りには驚かなくなったトランプ大統領の仕打ちとしても異例の度が過ぎるように見えることには驚かされる。
 さて、その報道陣との質疑応答である。米韓関係はこれまでにないほど良い関係だと、おべんちゃらを言うのは、北朝鮮(金正恩委員長)や中国(習近平国家主席)に対してと同様で、トランプ・セールスマン大統領お得意の枕詞として(笑)、文在寅大統領が伝えたかったであろう要望は、その後の話し合いには及ばないとでも言わんばかりに、記者との質疑応答の中で、という間接的な形で、トランプ大統領からさっさと斬り捨てられた。
 曰く、南北協力のために北朝鮮制裁を緩和する余地があるのかと問われて、人道支援だったらいいと思うと答え、三度目の米朝首脳会談の可能性について問われると、あり得るだろうけどstep by stepで急がない、急いだらロクなディールにならないからと釘を刺し、米朝に韓も加えた三者会談は、金正恩委員長次第だと突き放し、南北経済協力をサポートするかと問われると、その時が来れば大いにサポートしたいけど、今はその時ではない、その時には日本も中国もロシアも多くの国がサポートするだろう、ディールがうまく行って(the right deal is made)、核兵器が廃絶された暁には、北朝鮮にはポテンシャルがあるし、中国やロシアや韓国に接する絶好のロケーションにあるから、ポテンシャルは測り知れないなどといつものヨイショをし、核廃棄までは制裁を続ける考えなのか、それとも対話を続けるために制裁緩和を検討する用意はあるのか問われると、制裁は続ける、制裁はいつだって格段に強化するオプションがあるが、金正恩委員長との関係を考慮すると、それはやりたくないし必要ない、今はフェアなレベルだと、(金正恩委員長にプレッシャーを与えつつ)しれっと答え、スモール・ディールをどう思うかと問われると、様々なスモール・ディールはあり得るだろうし、step by stepでやれないことはないが、今は核廃絶のビッグ・ディールを話し合っているところだと明快に斬り捨てた(以上、ホワイトハウスの広報文に沿って、ウィキリークスやロシア疑惑やゴルフ(マスターズ)の話題は省略した)。
 どうしてこういう順序(記者会見→二者会談)なのか、これもトランプ大統領の謀りごとなのかも知れないが、これじゃあこの後に二人だけで同じ話題を持ち出す意味はない。2分間というのはそういうことなのだろう。
 こうして見ると、はちゃめちゃなトランプ大統領とは言え、彼なりの野性の勘で事態を適切に捉え、金正恩委員長を相手に、と言うより、その置かれた環境や立場から時間がかかることは想定外だっただろうが、時間は自分に味方することを理解し、自分のペースでディールを進めようとしているのは、さすがだ。
 南北融和に走りたい文在寅大統領は、以前から米国政府筋の不信を買っていると噂されてきたが、トランプ大統領から報道陣を前に明確に釘を刺され、他方、北朝鮮からも、米国の同盟国であるため「プレイヤー」であって「仲介者」ではないとか、米国の制裁に追従する操り人形だと罵られ、揺さぶりをかけられて、経済などの内政でも結果を出せない彼の進退は窮まった。学生運動あがりの社会運動家に過ぎない(という意味では菅直人・元首相に似ている 笑)文在寅大統領の立場など気にしないが、早くもレームダック化したかのような彼の政権(いつの間にか学生運動あがりの社会運動家で占められているようだ)下で、日本への悪影響だけが心配だ。
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新元号

2019-04-09 01:39:25 | 日々の生活
 645年の「大化」から数えて248番目の元号は「令和」に決まった。一番びっくりしたのは、お笑いコンビ・メイプル超合金のカズレーザー(本名:金子和令=かずのり)のようで、新元号をひっくり返した名前なものだから、ファンからは「新時代をひっくり返す男」「時の人」など多くのコメントが寄せられたらしい(笑)。
 一週間も経つとさすがに落ち着いて来たが、大変なはしゃぎようだった(し、まだこれからのところもある 笑)。「昭和→平成」のときのような自粛ムードが今回はないせいでもあるだろう。日本コカ・コーラは、4月1日13時から新橋で「令和」ラベルのコカ・コーラ2000本を配布したらしいし、タカラトミーは同日14時から渋谷で「令和」ラベルを貼った「人生ゲーム」を100人に配布し、「人生ゲーム+令和版」を6月に発売することにしたらしいし、そごう・西武は、4月27~30日に「平成」、5月1~6日に「令和」の焼き印入りどら焼きを計5万個配布するらしい。他方、メルカリには早速、4月1日の号外や、「令和」の人生ゲームや、万葉集や、果ては自作らしき「令和」雑貨や「令和」自筆文字までが出品されたらしい。便乗商法にもいろいろあるものだ。さらに「元号が変わるとカードが使えなくなるので変えるように」といった手口で銀行口座やクレジットカードや携帯電話などに関連した詐欺が横行しているのもご存知の通り。俄かに元号で盛り上がる彼らは、普段、そんなに元号を使っているのか甚だ怪しいものだ(笑)。
 私も、かつてマレーシア・ペナン島に駐在したとき、日本の自動車運転免許証はそのまま現地の免許証に切り替えることが出来たので(これはひとえに日本の信用力のなせるわざだと思う)、警察署まで手続きに行ったところ、(免許証に記載されている)「昭和」「平成」とは何だ? 本当に有効な免許証なのか? と疑われた挙句、「西暦で書くべきじゃないのか」と助言までされてしまった。「まあ、そうね」と愛想笑いを浮かべたものの、心の中では、余計なお世話だ、あんたたちだって警察署で英語が通じるようにしてくれよ、と毒づいたものだ(というのは、マレーシアでは、ブミ・プトラ政策によって、役人はマレー人に限られ、マレー語しか通じないので、そのときは通訳を伴っていたのだ)。
 もう聞き飽きたことだが・・・専門家の話を聞いていると、「令和」は“表向き”概ね好感されているが、意外だとも受けとめられたようだ。先ず出典が漢籍ではなく、初めて和書(万葉集)からの引用だった。また、過去248の元号に使用された73の漢字の内、「和」は20回目だが、「令」は初出だった。実は大和言葉に「ら行」で始まる単語は存在しなかったらしく、漢語の「れい」から始まる元号は奈良時代の「霊亀(れいき)」以来となるため、「音の響きも新しく聞こえた」と言う学者先生がいた。さらに、万葉集にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮(はい)後の香を薫らす」という、730(天平2)年、太宰府の大伴旅人邸に山上憶良らが集まって詠んだ32首の梅の歌の序文から引いたもので、これまでの元号のように道徳や思想などが前面に出るのではなく、美しい春の宴で四季を愛でる心を表現した文章から引用された点が「面白い」「日本的で良い」と言う学者先生もいた。
 他方で、“表向き”じゃないところでは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかり、とりわけ安倍首相のことが嫌いで仕方ない左派の方々を中心に、有名どころでは東京大学史料編纂所の本郷和人教授など、ここぞとばかりに細かい(と私には思える)いちゃもんをつけた。先ず、「令」は「命令」の「令」のイメージだと、零細野党・社民党だけでなく、自民党の石破さんまで(最近はすっかり反体制づいて)指摘された。確かに「令」の構造は、ひざまずいている人に申しつけている形で、「命令」の意を含むため、「令和」を漢文調にすると「和たらしむ」とも読めて、「国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」(社民党の又市征治党首)との批判で、分からなくはないが、「令」についてのOne of Themの解釈だろう(因みに天邪鬼な私は、4月1日の昼休みに話題にした際、同僚には「大宝律令の令」と説明した 笑)。本郷教授はさらに「巧言令色鮮(すくな)し仁」という故事を引き、「口先がうまく、顔色がやわらげて、人を喜ばせ、媚びへつらうことは、仁の心に欠ける」という意味で、「仁」が儒教で最も大切な概念で、今でいう「愛」を意味するのに対し、一番遠いのが「巧言令色」だと言っているところが引っかかる、などともっともらしく指摘されたが、ここまで来ると屁理屈以外の何物でもない(苦笑)。探せばイメージが良くない四字熟語は(「平」「成」であっても「昭」「和」であっても)見つかるだろう。ここでの「令」は「令嬢」「令夫人」などの敬称にも転じているように、「良い」という意味であることには違いなく(中国文学専攻の専門家によれば、「令」は「吉」と通じ、めでたい意味があるとも言う)、わざわざネガティブな意味に使われる「巧言令色」なる四字熟語を引っ張って来ることもないだろうに、人が悪いなあ、と思ってしまう。さらに本郷教授は、「令旨」が皇太子殿下の命令という意味で、天皇の命令ではない、つまり、「令」という字は皇太子と密接な結びつきがあるもので、天皇と密接な関係があるのは「勅」「宣」などの字であって、(天皇の生前退位で定める)新元号とは少しズレている」とも指摘され、中世史を専門とされる本郷教授の本領発揮と言えるかも知れないが、中国から伝わった慣用の熟語としてそうであっても、私の手元の漢和辞典で「令」自体にそのような意味づけがなされているようには見えない。
 もう一つは、CNNテレビが日本在住の米国人大学教員の談話を引用しつつ、昭和と同じ「和」を用いたのは、首相が第二次大戦を「より肯定的」に語る取組みの一環だとし、「日本政治の右傾化を反映している」と評したのは(リベラルなCNNらしいが)極端にしても、新元号の引用元が中国の古典ではなく日本の古典だったことで“脱中国”が図られたことが驚きをもって伝えられ、ひいては安倍首相が保守派に阿ったと、まことしやかに解説される。しかし新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注では、「令月」について、『文選』に収められた張衡の「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」という使用例があることを紹介している通り、たとえ万葉集とは言え(和歌は所謂万葉仮名が初めて使われたとは言え)漢字文化圏から逃れられるものではないのは今さら言うまでもないだろう。思えば、山本五十六提督は、連合艦隊旗艦に他の書籍とともに万葉集を持ち込んだおられたのは、防人の歌があったからだとは思うが、ほんの80年ほど前まで万葉集は身近でかけがえのない存在だったことは事実のようであり、保守派には心に響くエピソードではあろうが。
 なにはともあれ、本家本元の中国で前漢の武帝の時代に誕生し清朝を最後に消滅した元号が、日本では今なお使用されるという、地域を超えて伝播する文化の妙を感じる。改元のとき故ではあるが、21世紀の現代にあっても、賛成も反対も、漢字一つの意味をああだこうだと議論するとは、なかなか奥床しい文化だとは言えないだろうか。美人書家として知られる安田舞さんは、「令和」という字をひと目見た時、字の並びがとても綺麗で、美しく洗練された元号だと感じたと語っており、私も同様に素直に喜びたい。
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プロフェッショナルの条件

2019-04-04 23:21:44 | ビジネスパーソンとして
 今週は寒の戻りで、花冷えの日が続いたせいか、桜は花びらを散らせることなく、咲き誇ったままだった。専門家によると、平均して満開から10日、気温が上がると一週間で散るが、気温が下がれば二週間ぐらい持つのだそうだ。週末まで花見を楽しめるだろうか。
 今日は前回ブログをちょっと補足したい。プロフェッショナルの条件について、である。
 子供の頃から個性や創造性を発揮することが重要だと、半ば脅迫観念を以て語られ、日本の学校制度ではそれらは育たない、むしろその芽を摘むような仕組みになっている、などと揶揄されたりもする。しかし有意なレベルの個性というものは、残念ながらそれほど多くないし、そんな個性だらけだと組織は却ってまとまらないし、イノベーションは既存のアイディアの組合せ(新結合)だと言われるように、ビジネスにあっては発明家や画家や小説家のような創造性が期待されているわけではない。その意味では「創造」より「想像」する力が大事と言うべきではないかと思う。
 もとより根拠のない「お花畑」を想像せよと言っているのではない(笑)。現実感覚に基づき相手(ビジネスパートナー)の立場を慮るということだ。例えば、上司の立場になって、部下の仕事のアウトプットに対する期待値はどれほどか想像してみる。お客様の立場になって、提供される製品やサービスに期待されるビジネス価値とは何か想像してみる。交渉相手の立場になって、譲れない一線としてのボトムラインを想像してみる。リスクを想像してみる・・・私たちは多かれ少なかれ無意識の内にビジネスの目標をこうして想像力によって設定していることに気が付く。同じ人間のことだから、決して難しいことではない。が、想像を逞しくするためには良質な多くの経験が必要不可欠となる。その場合、現実の事象をしっかり自分の目で観察し本質を洞察することが重要だし、足りない経験は話を聴いたり読書をするなど疑似体験によって補うことも必要になる。私の感覚で言えば、想像する力=感性であって、感性を磨くことが想像力や創造性を発揮することに繋がると思う。
 前回ブログでは、今の時代を美化し過ぎたので(笑)、ちょっと訂正しておく。現実の仕事現場では一見ツマラナイような仕事が8割(一見意味がありそうな仕事はせいぜい2割)と思った方がいい。しかし雑用や細かい仕事の中にこそ真理がある(所謂“神は細部に宿る”)のであって、細部とは言え手を抜かずに気を配りながらきっちりこなしていくことが肝要と思う。大きな仕事は小さな仕事の延長上に、あるいはその積み上げの上にあるものだからだ。
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旅立ちの春

2019-04-02 01:02:55 | 日々の生活
 肌寒い中にも健気に桜咲くこの季節は、日本人にとって心浮き立つ季節だ。とりわけ今日は、電車の中、駅、到る所に、スーツ姿が馴染まない(笑)フレッシュな若い人たちの姿が目に付いた。午前中、発表になった新・元号について話したいことはいろいろあるが、ぐっと我慢して、今日のところは、社会に出て行く若い人たちの新たな門出を祝福したい。
 ふと30数年前の自分を、つい昨日のことのように思い出す。およそ自分のサラリーマン姿など想像できなかった私は、それでも唯一、加瀬俊一(としかず)さんの回想録に感化されて、外交官だけは例外で、外交官試験(当時は他の国家公務員試験とは別系統だった)なるものを受けてみた。勿論、難しいことは分かっていたし、それでもさっぱり勉強しなかったので、受かるはずもなく、ただすんなり民間企業に就職する恰好にはしたくなかった私の最後の抵抗だったのかも知れない・・・面倒臭い男だ(笑)。結局、周囲に流されてなんとなく就職活動を始め、(大阪育ちの私は)東京に出てみたくて、東京に本社がある会社を探すことにする。バブル前の当時、文系に人気があったのは金融機関で、恐らく相対的に給料が高いと評判だったからだろうが、ここでも天邪鬼ぶりを発揮して、私には“虚業”としか思えなかった金融機関を避け、泥臭くも“ものづくり”こそ経済の基本だとナイーブに信じて、縁あって、製造業に就職先を決めた。
 あれから30数年、バブル崩壊とともに金融機関は淘汰の波にさらわれ、気の毒に思っていたら、冷戦が崩壊しグローバル化が進展して製造業も構造改革を迫られる変革の波にさらわれ、他人事ではなくなった(笑)。かつての日本の大企業は見る影もない。学生の考えが如何にいい加減か、と言うよりも、学生に社会のことが分からないのは道理であって、いい歳をした大人だって将来は読めないものであり、変化が激しい今の時代はなおさらである。
 そうすると大事なことは、どんな職業であれ、何が降りかかろうと、会社という枠にとらわれず、世間の誰からも評価されるような「プロフェッショナル」を目指すことだろうと思う。私自身、所属していた組織が解体され、次に携わった市場から撤退し、更に携わった事業を収束し、大いに不運をかこつも、そのたびごとに「プロ」たらんとすることで辛うじて踏みとどまった。
 私が就職した頃、既にリクルートの方に、君たちの世代は課長になれない人が大勢でてくると脅されたものだった。実際のところ、私の世代は、日本的な終身雇用の年功序列制度のもとで、若い頃は安い給料で働かされ、年とってからぐっと給料が上がるはずのところ、グローバル競争に揉まれて日本的な制度が崩壊し、年とっても給料があがらないという、割りを食った不幸な世代だ(笑)。あるいは昔も今も知る中途半端な世代だ(笑)。しかし今の若い人たちは少子化で金のタマゴである上、何でもありの世界で、若くてもチャンスを与えられ、力の発揮し甲斐がある。いつの世も、若い人こそ時代を転回する力だと、期待している。
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