風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

L'OCCITANE

2012-04-29 21:45:42 | ビジネスパーソンとして
 アメリカ出張の落穂拾いが続きます。
 表題は「ロクシタン」と読むそうです。これまでさして気に留めて来なかったのですが、今回、サンフランシスコ空港のDuty Free Shopで大々的に販売されているのを見かけ、JAL機内販売でも見かけたということは、最近人気の化粧品ブランドなのでしょう。
 Wikipediaによると、南フランスのプロヴァンス地方におけるライフスタイルを取り入れた自然派のコスメティックブランドとして、1976年にオリビエ・ボーサンによって創業されたのだそうです。植物原料を主原料に化粧品(スキンケア、ボディケア、バスケア)、芳香剤(フレグランス)などを製造・販売ならびにカフェ運営しており、1998年に日本に上陸、2008年5月には、世界1000店目であり日本で最大店舗である旗艦店「テラス・ド・プロヴァンス渋谷」が渋谷駅前交差点にオープンしました。とあるサイトを見ると、ロクシタンの信念として5つのポイントを挙げています。
(1) 植物療法やアロマセラピーの考え方によって作られている。生産者や環境に対する尊敬の念を持って原料を選んでいる。
(2) 商品の製造工程で、動物性原料、副産物を使用しない。動物実験もしない。
(3) 環境保護のために、汚染物質を出さない工場作りを進めているほか、環境にやさしいパッケージを選択し、必要のない包装を行わない。
(4) 伝統的な製造方法を支援し、仕入においてはその品質と、地元の生産者を最優先する。またシアバターの生産地であるブルキナファソへの継続的な支援を行う。いかなる製品も児童労働によって生産されたものではないことを保証する。
(5) 視力障害のある方にも私たちの商品を自由に選ぶ喜びをもって頂くために、ほとんどの製品にはパッケージに点字で製品名を記載している。
 これを読んでいると、ボディショップ(The Body Shop)を思い出しました。このブランドを知ったのは初めてロンドンを旅行した時で、かれこれ20年前のことです。こちらも天然原料をベースとしたオリジナル化粧品を製造・販売する企業として、偶然にもロクシタンと同じ1976年に、アニータ・ロディックによって設立されました。同じ時期に同じようなコンセプトで南フランスとロンドンという違う場所で創業されるという、歴史に時々見られる同時性で、面白いですね。日本に上陸したのは一足早い1990年で、神宮前の「表参道店」、今では世界50ケ国以上、2000店舗以上を展開しているそうです。企業の社会的責任を果たすために、企業理念として5つの価値を掲げているのも似ています(Wikipedia)。
(1) Against Animal Testing (化粧品の動物実験に反対)
(2) Support Community Trade (公正な取引により、地域社会を支える)
(3) Activate Self Esteem (自分らしい生き方を大切にする)
(4) Defend Human Rights (ひとりひとりの人権を大切にする)
(5) Protect Our Planet (私たちを取り巻く環境の保護に努める)
 ところが、ボディショップは、2006年3月、化粧品大手のロレアル社に買収され、俄かに取り巻く環境が変わって来ました。ロレアルは、ボディショップが中心的な価値として否定している動物実験を依然続けているため議論を呼び、世界中で顧客や小売業者からボイコットを受けたのだそうです(最近どういう状況なのかは分かりません)。
 化粧品の世界でも、自然派の流れは止められないということなのでしょうね。
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アメリカ(下)落穂拾い

2012-04-28 17:10:39 | 永遠の旅人
 先週土曜日には帰国していたのですが、出張中に溜まった仕事を休み前に片付けようと、せわしない中、二日続けてホイホイ飲みにも行ったりして、あっという間に一週間が経ちました。
 金曜日の夕方に出発・・・と言っても、サンフランシスコまでの道のりもあるし、仕事も一段落していたので、同僚の現地人と、サンフランシスコのチャイナタウンで昼飯でも食おうと、9時頃、のんびりサクラメントを出発しました。ところがダウンタウンを過ぎたあたりで、サクラメントとサンフランシスコを結ぶ大動脈のInter-state HighwayのRoute 80が閉鎖されているのにぶつかりました。片側三車線が閉鎖されるということは、ただの事故ではありません。同僚は、化学物質が漏れ出たのではないかと言っていましたが、よくわからないまま、Route 5も使いながら、迂回して再びRoute 80に戻っても、膨れ上がった交通量はなかなか掃けないまま、結局、通常の三倍近い時間がかかる長旅になって、チャイナタウンは吹き飛んでしまいました。残念。
 もっともアメリカを旅すると、だいたいスムーズに行かないことの方が多いものです。ダラスからサンフランシスコに行くフライトも一時間近く遅れたのですが、それはまだかわいいもの。一年前にダラスからニューヨークに向かうフライトはキャンセルされて、急遽、シカゴ経由にルート変更したものでしたが、それもごく当たり前の日常です。朝の山手線は3~5分おきに運行されていますが、日本人ならではの几帳面さで、アメリカ人にはとても人間業とは思えないでしょう。こうしてスムーズに行かない上に、ヌケやモレが多くて穴だらけなのも、アメリカです。行きの成田~ダラス便では、食事前の飲み物を飛ばされて、客室乗務員をわざわざ呼びつけなければなりませんでした。JALとアメリカンの共同運航便とは言えアメリカンに丸投げで、サービスレベルもアメリカン。ホテルでも、タオルが補充されていないことはザラにありました。そんなアメリカに製造業を呼び戻そうというオバマ大統領の気が知れません。
 いくつか総括コメントです。
 ダラス行きフライトが混むのは、南米へのゲートウェイになっているからではないかと言う意見がありました。昔なら、ロスかNY経由だったように思いますが、最近はマイアミやダラス経由で南米に行く人が多いようです。
 ダラスの空港で、さんざん歩き回って、ようやくダルビッシュの背番号が入ったTシャツを見つけました。土産物屋はどんな品揃えになっていて、あるいはどんな土産物が手に入りやすいかを見れば、フットボールのダラス・カウボーイズの方が、ベースボールのテキサス・レンジャーズよりも人気があるであろうことの想像がつきます。フットボールとベースボールは(バスケットボールを加えて)アメリカの三大スポーツですが、一般には、どちらが人気があるかは都市によるようです。ボストン、NY、シカゴ、ロサンゼルス、アトランタあたりは、ベースボールの方が人気があるように思います。特にNY、シカゴ、ロスにはベースボールチームが2チームもあることからも明らかでしょう。ところが、自宅に戻って、蓋を開けたら、サイズを選んでいる内にダルビッシュの背番号が入っていないTシャツを掴んでいたようです。残念。
 本場アメリカでのスタバの躍進振りには目を見張りました。マクドナルド並みと言っても過言ではないほど、たいていのショッピング・モールにスタバを見つけることが出来ます。しかも、軽い昼食で立ち寄ったバーガーキングのセットは6ドル50セントもするのに、スタバはTallサイズ(日本では中位ですが、アメリカでは最小サイズ)で僅かに1.65ドル(空港では1.85ドル)。この10年の変化を見ると、ガソリンは1ガロン1ドル前後から4ドルにまで跳ね上がったのは極端にしても、バーガーキングの値段まで正確に覚えていませんが感覚的に5ドル前後?あたりから6~7ドルといったところと比べると、スタバは1.49→1.65ドルとなかなか健闘しています(インフレ率3%で10年後には2.00ドルのはず・・・ということは、バーガーキングは普通に値上がりしているだけのこと?)。そしてスタバの日本での異常なまでのプレミアム感には、やや抵抗を感じます。
 もうひとつ、ホテルなどでの韓国製品の躍進にも目を見張りました。ホテルに備え付けのテレビに、もはや日本製は見られず、LGとかSamsungが多いし、ニッサン好きの同僚も、レンタカーはKIAでした。もちろん、経費削減の折から、私たちが泊まるホテルの格も、使うレンタカーの格も、ずんずん落ちていますから、そういったセグメントで韓国製を見るのはある意味で当然かも知れません。
 それにしても、ここ三年続けて年一回のペースでアメリカに出張していますが、年々、アメリカ人と一緒に行く肉食料理が胃のもたれや胸焼けをもたらすのは、年のせいかも知れないと、忌々しく思っています。
 上の写真は、背番号の入っていないレンジャーズ・Tシャツ。
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アメリカ(中)サクラメント点描

2012-04-21 00:05:12 | 永遠の旅人
 ダラスからサンフランシスコ経由で帰国することにして、サクラメント・オフィスに立ち寄り、一泊しました。
 サクラメントには、14年前に1年間だけ家族と滞在したことがあります。サンフランシスコからは、山らしい山がない、なだらかな丘が続くフリーウェイをひたすら東に飛ばして約1時間半、彼方に望むネバダ州境の街リノやレイク・タホあたりの山並みや、やがてぽっこり立ち現れるサクラメント・ダウンタウンの高層ビル群の眺め、フリーウェイを降りて走り抜ける住宅街の静かな街並みやショッピング・モールの佇まいなど、当時のまま、余り変わらないように感じて、つい当時のクセでK Martに立ち寄って、Baseball Cardを買ったりなんぞしてしまいました。もともと行政と米軍基地の街で(今も州都がある点では変わりません)、それほどダイナミックに動くようなタイプの街ではない、所謂アメリカのゆったりとした田舎の大都会です。それだけに、この14年の年月を一瞬で飛び越えたような錯覚に陥って、懐かしさも一入でした。
 晩飯は、「鮨正」という、14年前に家族で毎週のように通った日本食レストランに行きました。同行していたプエルトリカンの同僚に聞くと、鮨は余り食べないがテンプラは好きだと。それではと、事前にGoogleで調べると、いくつかのブログで紹介されていたので、オーナーの正木さんは健在かと、久しぶりに会うのを楽しみにしていたのですが、「鮨正」の看板の横に大きく「YUI MARLU」の文字が入あって、訝しく思いながら入ってみると、日本人のおばさん(実はオーナー)が出迎えてくれて、聞くところによるとオーナーは二年半ほど前に変わったとのこと。味は前オーナーの時と同様に良かったし、当時、よく食べた「スパイシー・ツナ・ロール」もあって(辛さが足りないですがゴマ油の味付けは当時と変わらなくて)安心しましたが、当時に戻ったつもりの私は、ちょっぴり冷や水を浴びせられたような、あらためて14年という年月の流れを感じさせられて、一抹の寂しさを覚えました。
 上の写真は、サンフランシスコ空港に向かう車内から撮ったゴールデンゲートブリッジ(は、これでは見えづらいです)。
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アメリカ(上)ダラス点描

2012-04-17 12:50:29 | 永遠の旅人
 日曜日から出張でダラスに来ています。ちょうど一年ぶり。道中、徒然なるままに思いつくことを記します。
 久しぶりの成田空港は、ゴールデンウィークにはまだ日がありますが、随分、賑わっているように見えました。日本人の年配のツアー客もさることながら、やたら中国人が目立つのは、日本人のおじさま、おばさまが概して大人しいのに対し、中国人はところ構わず大声を張り上げるせいでしょうか。それにしても昨年4月や6月は、ここまで賑わっていなかったことからすると、大震災と原発問題は遠のいたことに加え、景気も持ち直しているのかも知れません。あるいは選別消費が進んでいるのか。景気という意味では、ダラス行きフライトは満席でしたし、ダラスの空港もホテルも人が一杯だったことからすると、一年前と比べ、アメリカの景気が持ち直しているのは間違いありません。
 ダラスには、予定通り夕方到着しましたが、朝はStorm(大雨?)でフライト遅延が生じていたようです。今日は、嵐の後の静けさと言うべきでしょうか、抜けるような青空で、空が広い。さえぎる山も高層ビルもないからで、アメリカという国の広さと豊かさを思い知らされます。
 昨晩は、一人だったのと、どうせ翌日から食べ過ぎることになるだろうからと、晩飯は軽めのルームサービスにして、ついでにワインを一本頼みました。Canyon Roadという銘柄のCabernet Sauvignonで、ネットで調べたらせいぜい10ドルなのに、28ドルもチャージされて憤慨したのも束の間、コクがあって思った以上に美味くて、値段のことは水に流すことにしました。当地で10ドルなら、日本では倍はするでしょうから、単純計算で2000円・・・普段、日本で飲んでいる1000円のワインが如何に酷いか、あらためて思い知らされました。
 今宵は現地の人と食事に行きました。Ranchという名の、テキサスらしい牧場の山小屋風レストランで、つい懐かしくなってメキシカンのFajitaをオーダーしたら(昔、食べたのはカリフォルニアでしたが、ここテキサスも、土地柄、メキシカンに近い)、ゆうに二人前はあって、分かっているのに、やはり閉口してしまいます。ここは勇気をふるって食べ残しましたが、控え目なのは私だけで、向かいのお兄ちゃんは18オンス(500g)のステーキをぺろりと平らげ、隣のおばちゃんは、シーザーサラダに、同じFajitaを食べた上に、やはり二人前はあるデザートのケーキを美味しそうに頬張ります。そうかと言えば、斜め前のお姉ちゃんはこの2年で50ポンド(20Kg強)減量に成功したと言って、ニンジンとか青菜ばかりつついています。腰まわりが私の倍あるとまでは言いませんが、甘いケーキやアイスティーやコークをがぶ飲みするような体格が良い人もいれば、むきむきに引き締まった、あるいはスリムな人もいて、この国は二極化していて、ちょっと異様ではあります。それから、ここテキサスではチリ(唐辛子)が名物で、人差し指と中指を合わせた位の大きなチリが添えられていたので、マレーシア生活を思い出しながら、どうせここはアメリカだから辛さも大味だろうと、かぶりつくと(因みにマレーシアではこれほど大きいものはなくて、微塵切りです)、辛さもそのまま大きくなっていて、往生しました。見くびってはいけない。
 昨年の出張では、運良くレンジャーズ戦を観戦出来ましたが、残念ながら今週は遠征中で、ダルビッシュを見るチャンスには恵まれませんでした。テキサスの人だけでなく、ワシントンから来た同僚も、(日系企業に関わっているという意味で当然と言えますが)関心が高いようです。ダルビッシュ本人が言っていたように、日本の野球の底力を見せて名誉挽回して欲しいものです。
 とりとめもなく書いてきました。確実に体重が増えるだろうことを憂いつつ、とりあえず筆を措きます。
 なお、上の写真はホテルから望むダラス・フォートワース空港(別に燃えているわけではありません)。
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2012-04-07 23:29:16 | 日々の生活
 今日は肌寒い一日でしたが、桜がとてもきれいでした。近所の小学校では、サッカーに興じる子供たちの歓声が響く中、満を持したかのように、桜が咲き誇っていました。
 桜と言えば、日本人が最も愛する花木です。子供の頃は何とも思わなかったのに、この歳になってそう思います。それは、熱帯地方の花と違って、咲き誇ってなお控えめな色の淡さと、散り際の潔さが、日本人の心に響くからでしょう。
 思い出されるのは、「戦艦大和の最期」(吉田満著)で、本土を離れる大和が、遥か彼方に桜を臨む場面です。乗組員が先を争って双眼鏡を手に取り、桜を瞼に焼きつけようとするのが、なんとも健気でいじらしい。二度と祖国の土を踏むことはないであろう彼らの目に、桜はどのように映ったでしょうか。運命を恨むべきところ、桜に自分たちの人生を重ねあわせ、美学に殉じることを納得させたのではなかったでしょうか。それが日本人にとって、桜の桜たる所以だと思うのです。
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春の嵐

2012-04-04 01:13:17 | 日々の生活
 今日は、台風並み「爆弾低気圧」が発達して、早退する事態に追い込まれました。
 気象庁によると、日本付近で、寒気が大陸から入り込む一方、南から流入する暖気とぶつかり合って、上昇気流が発生し、低気圧が短時間に急速に発達したものだそうで、中学生の頃に習った言葉の羅列が懐かしい。中心気圧が24時間で24ヘクトパスカル以上低下するものを「爆弾低気圧」と呼ぶ場合があるのは知りませんでしたが、今回は、昨晩9時に1006ヘクトパスカルだった中心気圧が、今宵9時には968ヘクトパスカルにまで低下するものと見られていたようです。9月に台風が首都圏を直撃した時の記憶が蘇って、帰宅に7時間もかかったり、私も帰宅困難者としてオフィスに籠城して嵐をやり過ごしたような二の舞は避けようと、今回は、早々に退社宣言する人が続出しました。
 ボストン郊外に住んでいた頃、大雪(Storm)のためにオフィスを3時くらいに閉鎖することがひと冬に何度かあって、自分で運転しなければならない彼の地では、身の安全を守るため、何のためらいもありませんでした。東京は過密都市で、公共交通機関を利用しなければならないので、混雑や列車の運行状況まで気にしなければならず、判断の遅れが致命傷を招くことにもなりかねなくて、別の難しさがあります。会社からは「注意喚起」があっても、明確な「帰宅指示」に至らないのはいつも不満ですが、仕事の性格から職場毎の判断を尊重することに加え、各社一斉帰宅による大混雑を抑制する配慮もあるのかも知れません。
 気象庁によると、低気圧通過後には寒気が流入して冬型の気圧配置になり、北日本を中心に寒さが戻るそうで、春先は三寒四温とは言われますが、体調管理がなかなか難しいですね。
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