風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ソチ・オリンピック集大成

2014-02-24 00:33:25 | スポーツ・芸能好き
 ソチ・オリンピックは、事前に懸念されたテロ騒動に見舞われることなく、今日23日、無事、閉会式を迎えました。放送が深夜になるため、ライブで見ることはありませんでしたが、この一瞬に賭ける選手の思いには大いに興奮し感動しました。
 「10代の挑戦」とタイトルした前々回ブログには、羽生結弦選手の快挙を追記しなければなりません。男子フィギュア・ショートプログラムで国際大会史上初の100点を超える演技を披露して首位に立ち、フリースケーティングではジャンプで転倒したものの、パトリック・チャンの敵失にも助けられて、逃げ切りに成功し、日本男子フィギュア界初の金メダルという偉業を達成しました。昨年までは、持病の喘息のせいかどうか知りませんが、最後まで体力が続かず、細い身体が痛々しいほどでした。ところが、今年は、依然、細身ながら、逞しさを加え、随分、余裕が出てきたように感じられました。なにより「チャンスを確実にものにすることができるメンタルの強さ」(荒川静香評)を持ち、12月に行われたグランプリ・ファイナルではようやくパトリック・チャンを抑えて優勝したことが大いに自信になったことでしょう。ロイター通信は、オリンピック前に、チャンが羽生のことを「悪魔」に譬えていたことを伝えていましたが、この時に既に勝負はついていたように感じたものでした。
 さて、今日のブログ・タイトル「集大成」は、言わずもがなの浅田真央選手のことをさします。
 女子フィギュア・ショートプログラムを終えた後、日本中が溜息をついたことでしょう。試合後のインタビューで涙を浮かべて「緊張して、身体が思うように動かなかった。まだ何も分からない」と話していたのが、痛々しい。心無い元首相の失言が飛び出しましたが、私たちだって多かれ少なかれ似たような思いを抱いていたのは事実です。だからこそそれを口にするのを心無いと呼ぶわけで、冷静に見ればそこが羽生選手の金メダルとの違いと言えなくもないのですが、しかし、そんな弱さも含めて、可憐な演技を、そしてより高い技術を求めて挑み続ける健気な姿勢を、日本人だけでなく世界中の多くの人が愛しているのです。
 翌日のフリースケーティングでは、別人のように完璧な演技を披露し、嬉し涙を流しました。終わりよければ全てよし。金メダルにはついに恵まれませんでしたが、「『自分にしかできない』とこだわり続けたトリプルアクセルを完璧に着氷」し、「4年前は入れることができなかった3回転ルッツは惜しくも踏み切り違反を取られ、トーループも回転不足に終わっ」て、「五輪の女子で初となる全6種類の3回転はあと一歩で逃し」(いずれも産経Web)たものの、最後まで諦めない、真央ちゃんらしい集大成だったと思います。
 真央ちゃんについては、10年にわたるキム・ヨナとのライバル対決を語らないではいられません。初の対決となった2004年の世界ジュニア選手権では、30点の大差をつけて真央ちゃんが優勝し、キム・ヨナは自叙伝に「どうして、よりによって、あの子が私と同じ時代に生まれたのか、そういう風にも思った」とこぼしたほどでした。ところが2009年の世界選手権あたりから地位が逆転します。このとき、キム・ヨナは世界新記録を打ち立てたのに続き、2010年のバンクーバーオリンピックで金メダルに輝いたのはご存じの通り。その後、二人は別々の道を歩み始めたのもご存じの通り。いったん引退したキム・ヨナに対し、真央ちゃんはジャンプの基礎からやり直し、トリプルアクセルを磨き続けました。
 21日(日本時間)、ソチのコリアハウスでインタビューに応じたキム・ヨナは、最も記憶に残るライバルを問われて「浅田真央選手。10年以上もライバルという状況の中で競技した。昨日、体をほぐしに出てきた時、浅田選手が涙を流しているのを見て、私もぐっときた」と答えました。オリンピック前には、ロイター通信とのインタビューで真央ちゃんは「キム・ヨナがいたから私は成長することができた。私のモチベーションになっていた」と明らかにし、キム・ヨナは出国前のインタビューで「私も浅田真央と同じ考えだ。ジュニア時代から絶えず比較されてきたし、ライバル意識を持っていた。浅田真央がいなかったら今の私もいなかった」「お互いに避けたいが、動機づけにもなり刺激にもなった」と応酬しました。
 不思議なもので、スポーツには記録を残す選手と記憶に残る選手がいるものですが、真央ちゃんは間違いなく記憶に残る選手です。22日付の日刊スポーツは「ロシアの地元紙記者が浅田選手について『サムライを見た』との記事を書いた」と報じました。「誰にもまねのできないトリプルアクセルに挑み続けたスピリットに、メダル競争とは別次元の尊さを見いだしたようだ。『サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ』と、手放しで喝采を送っていた」ということです。どれほど大きい記事だったか知りませんが、海外からも評価する声があがるのは、真央ちゃん本人だけでなく、全ての日本人にとっても晴れがましい。
 ほかにも、集大成という意味で、長年、男子フィギュア界を牽引した高橋大輔選手の男の色香を感じさせる(でも今回はちょっと元気が感じられなくて残念だった)“艶”技や、7度目のオリンピック出場となった今大会スキージャンプ男子個人ラージヒルで銀メダルを獲得し、男子団体ラージヒルでも銅メダルに導いた葛西紀明選手の“レジェンド”な活躍も忘れられませんが、長くなりますのでこの辺で。
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青梅マラソンへの道(6・終)

2014-02-15 10:37:09 | スポーツ・芸能好き
 記録的な大雪で、明日の青梅マラソンは中止になりました。積雪のため準備作業およびコースの除雪作業が不可能なため、と説明されています。実は、個人的な事情により、3日前の段階で、断念せざるを得なくなっていました。ほっとするわけでもなし、あっけない幕切れで、なんとはなしにぽっかりとした喪失感だけが残ります。
 今回は、走り込み不足で不安を抱えていました。私のようなサラリーマン・ジョガー、しかも週一回だけ真面目に練習に取り組むようなズボラな輩には、先週末の時ならぬ大雪によって、虎の子の直前の土・日の二日間とも巣篭り状態で全く練習出来なかったのは、辛い。さらに、自身の不摂生によって、その前の週末に腹をこわし、この土・日の二日間も寝込んで全く練習出来なかったので、致命的です。
 もっとも、年明けから、「週一ジョガー」の名前を返上し、週半ばにもう一回、帰宅後に10キロ走を入れるという禁じ手を使っていたため、辛うじて週一10キロ走だけは続けることが出来ました。しかし、週末の17キロ走を二度もスキップすると、体力はガクッと落ちてしまいます。やはり10キロ・レベルと20キロ・レベルは、身体への負担が違います。この直近の17キロ走を24キロ走に切り替えようとしていただけに、なおさらです。今週火曜日の祝日に、久しぶりの17キロを、ようやく走れる解放感と焦りから、珍しく走りたくてうずうずして、10キロ走のスピードで駆け抜けて、酷い筋肉痛に襲われてしまいました。膝も痛めてしまったことからすると、あの高級レーシング・シューズは、軽いために足への負担も大きいことが分かりますが、それは想定通り。それにしても、大会直前のこの体たらくは情けない。そんなこんなで、走らずに済んでやれやれという気持ちもあって、心境は複雑です。
 今シーズンは、トリを飾るフル・マラソンを来月予定していますが、ブログ・タイトルにあるように青梅30キロで3時間を切ることを目標に据えてやて来ただけに、この喪失感は小さくありません。暫くは失意の日々が続きます(ちょっと大袈裟かな)。
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ソチ・オリンピック10代の挑戦

2014-02-13 02:42:24 | スポーツ・芸能好き
 恐らくオリンピック前半戦のクライマックスと、日本人の誰もが思っていたことでしょう。ノルディックスキー女子ジャンプのノーマルヒル決勝で、イギリスのブックメーカーも、アメリカのSports Illustrated誌も、金メダル最有力候補と見ていた高梨沙羅ちゃんが4位に終わりました。
 何が起こったのか。長野オリンピック金メダリストの船木和喜さんは、先ずは敗因として「風」を挙げ、ゲート(スタート位置)を下げるかどうか判断が難しい状況だったと言い、次にテレマーク(着地の姿勢)を入れられなかったことにも触れた上で、「中途半端に安全に飛んで結果が出なかったより、攻めた結果の失敗」と慰めておられました。
 私も、沙羅ちゃんがいたからこそ理解が深まったのですが、ジャンプ競技は「飛距離点」「飛型点」「ウィンド・ファクター」「ゲート・ファクター」のポイント合計で競うものだそうです。「飛距離点」つまり遠くに飛んだ方が圧倒的に有利であるのは間違いなく、「飛型点」つまり飛行中の姿勢がダイナミックで美しいこともポイント加算されることまでは知っていましたが、「ウィンド・ファクター」つまり不利な追い風では加点され、有利な向かい風では減点されるといった微調整が行われることまでは知りませんでしたし、「ゲート・ファクター」に至っては、天候や選手の状況によって、スタート位置を規定よりも下げると(飛距離が落ちることから)加点され、逆に上げると減点される、そんな微調整が加えられることなど知る由もありませんでした。
 今回、彼女は不利な追い風のもと、二度のジャンプで合せて5.0点という、出場30選手中2番目に高い加点があったそうです。船木さんに言わせれば、それだけ悪い条件で、しかし高い技術を持つ彼女のジャンプ内容が良かったからこそ(そう、ジャンプ内容は決して悪くなかったのだそうです!)、100メートルも飛ぶことが出来たのだそうです。また船木さんによれば、風向きが刻一刻と変わり、強弱もあって、ゲートを下げるかどうか判断が難しい状況で、結果として2本目で100メートルに届かなかったので、敢えてゲートを下げなくて正解だったとも言います。ゲートを下げると加点されますが、飛距離が出なくなるために却ってポイントを落としていたのではないかと言うわけです。さらに、船木さんは、飛距離を抑えてテレマーク(着地姿勢)を入れると加算される中、入れなかったからこそ、悪条件の中でも100メートルを飛べたのだろうとも言います。こうしてジャンプは複雑な関数のようで、素人には何が良いのかいま一つピンと来ませんが、恐らく選手やコーチは瞬時にベストな組合せを判断しなければならず、一筋縄では行かない微妙なものであるようです。
 ワールドカップでは勝ち続け、最多勝を記録した彼女でも、オリンピックでは銅メダルにも手が届かない・・・長い練習の末にほんの短期間に持てる力を全て出し切らなければならないオリンピックには魔物が棲むのか、運に見放されたとしか言いようがないのか。
 幸い彼女は17歳、まだ次があるじゃないか・・・とか、オリンピックが全てではない・・・などと言ったところで、本人には慰めにならないでしょうが、多くの日本人がフィギュアに加えてジャンプにここまで注目するに至ったのは、ひとえに小柄な彼女の大きな存在感の為せるワザであり、彼女の評価はオリンピック前と後とで些かも変わるものではありません。
 同じ日、メディアは先ずは沙羅ちゃんがメダルを逃したことを報じた後、スノーボード男子ハーフパイプで、15歳の平野歩夢くんが銀メダル、18歳の平岡卓くんが銅メダルを獲得したことを報じました。彼らには気の毒な日程でしたが、沙羅ちゃんと同じように、(私にとっては子供と同世代という若い!)彼らの健闘を称えたいと思います。
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NHK籾井さん

2014-02-08 11:44:28 | 時事放談
 ブログ・タイトルで韻を踏んでみました。今日は、時ならぬ大雪で、興に乗って、ちょっと長めのブログです。
 かれこれ二週間前の話になりますが、籾井勝人氏のNHK会長就任記者会見(1/25)が物議を醸しました。従軍慰安婦問題については「どこの国にもあったこと」、尖閣諸島・竹島などの問題については国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然」「政府が右ということを左というわけにはいかない」などと発言するなど、「政治的中立性を疑われる発言を繰り返した」(朝日新聞)ことが問題視されました。なんだかデジャヴを見るようで・・・如何にも日本維新の会の橋下徹共同代表は「まさに正論。その通り」と、全面的支持を表明されましたが、NHKに寄せられた意見は2月3日夕方までに約1万2300件にのぼり、「政府寄り」といった批判的意見が約6割、「日本の立場をはっきり示した」など肯定的意見は約3割だったそうです。多くのマスコミは、自分たちのことは棚に置いて(と敢えて言います)、寄ってたかって「報道の中立」「公人の立場」を盾に、公共放送の会長としての適格性に疑義を呈しました。
 しかし、どう見ても私には、そそっかしい籾井さんに同情の余地があるとしか思えず、敢えてメディア側を批判したいと思います(今日も、かな)。たとえば、会見の場で、秘密保護法、領土問題、慰安婦問題という、日・中・韓で懸案となり、メディアの記者が飛びつきたくなるようなテーマに関して、記者は次のように畳みかけました(朝日新聞「NHK籾井会長会見の主なやりとり」から抜粋)。

 ――秘密保護法について、NHKスペシャルやクローズアップ現代で取り上げられていない。法律の是非について幅広い意見があり、問題点の追及が必要との指摘もあるが、NHKの伝え方についてどう考えるか
 (籾井)まあ通っちゃったんで、言ってもしょうがないのではと思いますが、僕なりに個人的な意見はないことはないのですが、これは差し控えさせていただければ。
 ――法律が通ったから、これ以上議論を蒸し返すことは必要ないということか
 (籾井)そういう意味ではないですが、一応決まったわけでしょう。それについて、ああだこうだ言ってもしょうがない、と言うわけではない。必要とあれば取り上げますよ。もし本当に世間がいろいろ心配しているようなことが政府の目的であれば大変なことですけど、そういうこともないでしょうし。
 国際問題等々も考えてこれが必要だとの政府の説明ですから、とりあえず受けて様子を見るしかないんじゃないでしょうか。あまり、かっかかっかすることはないと僕は思いますし。昔のような変なことが起こるとも考えにくいですね。

 ――国際放送を強化すると言うが、日本の立場を政府見解をそのまま伝えるのか
 (籾井)民主主義について、はっきりしていることは多数決。みんなのイメージやプロセスもあります。民主主義に対するイメージで放送していけば、政府と逆になるということはありえないのではないかと。議会民主主義からいっても、そういうことはありえないと思います。
 国際放送は多少国内とは違います。尖閣諸島、竹島という領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。時には政府の言うこと、そういうこともあります。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。国際放送については、そういうニュアンスもあると思います。外交も絡む問題ですし、我々がこう思うからと、勝手にあさってのことをいうわけにはいきません。領土問題については食い違いはない。
 コメントを出すとき、日本が他国のことを中傷したり、非難したりしたことはあんまりありませんよね。政府がそういう中傷のメッセージをだすはずもないですから。ただ、非難することはあるかもしれない。国連においても非難したりしているので。それをやってはいけないということはない。
 ――外国を非難するということ?
 (籾井)日本政府とかけ離れたようなものではあってはならない。日本国を代表する政府ですから。
 ――領土問題で、近隣諸国の考えも伝えることで、国のプロパガンダではない公共放送への理解が得られるのではないか。
 (籾井)それはそうです。外国の放送を見ていますか。それは、聞くに堪えない、見るに堪えない。そういうことをやろうといっているわけではないんです。尖閣が日本の領土であると、なぜ主張しているのかは、もう少し国際的に説明してもいいのではないか。 明治28年にどこの領土でもないと確認した上で、やった。某国は日清戦争で横取りしたというが、国際条約は、その時に作った条約が生きている。そういうことで世界が律さなければならないと思っています。

 ――政府との距離の問題について、2001年の番組改変問題があった。慰安婦を巡る問題についての考えは
 (籾井)コメントを控えたい。いわゆる、戦時慰安婦ですよね。戦時だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、このへんの問題はどこの国にもあったこと。違いますか。
(この後、放送センター建て替えやスポーツ報道をめぐる質問が続きますが、省略)
 ――先ほどの発言から、慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが
 (籾井)こっちから質問ですけど、韓国だけにあったことだとお思いですか。
 ――どこの国でも、というと、すべての国と取れる
 (籾井)戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。
 ――何か証拠があってのことなのか
 (籾井)この問題にこれ以上深入りすることはやめたいのですが、いいですか。慰安婦そのものが良いか悪いかと言われれば、今のモラルでは悪いんです。じゃあ、従軍慰安婦はどうだったかと言われると、これはそのときの現実としてあったということなんです。私は慰安婦は良いとは言っていない。ただ、ふたつに分けないと、話はややこしいですよ。従軍慰安婦が韓国だけにあって、他になかったという証拠がありますか?
 言葉尻をとらえてもだめですよ。あなた、行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。やっぱり従軍慰安婦の問題を色々うんぬんされると、これはちょっとおかしいんじゃないかという気がしますよ。私、良いといっていませんよ。しかしどう思いますか。日本だけがやっていたようなことを言われて。
 ――他の国にもあったということと、どこの国にもあったということは違う
 (籾井)戦争をしているどこの国にもあったでしょ、ということです。じゃあ、ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか? そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、なぜオランダに今ごろまだ飾り窓があるんですか? 議論するつもりはありませんが、私が「どこでもあった」と言ったのは、世界中くまなくどこでもあったと言っているのではなくて、戦争している所では大体そういうものは付きものだったわけですよ。証拠があるかと言われたけれども、逆に僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。
 僕が今韓国がやっていることで一番不満なのは、ここまで言うのは会長としては言い過ぎですから、会長の職はさておき、さておきですよ、これを忘れないで下さいよ。韓国が、日本だけが強制連行をしたみたいなことを言っているから、話がややこしいですよ。お金寄越せと言っているわけですよ、補償しろと言っているわけですよ。しかしそういうことは全て、日韓条約で国際的には解決しているわけですよ。それをなぜそれを蒸し返されるんですか。おかしいでしょう。そう思いますよ、僕は。

 この後、「『会長としての職はさておいて』というが、ここは会長会見の場だ」と記者に言われて、「失礼しました。じゃあ、全部取り消します」と答えると、「取り消せないですよ」と畳みかけられて、「しつこく質問されたから、答えなきゃいかんと思って答えましたが、会長としては答えられませんので。『会長はさておき』と言ったわけですよ。じゃあ、取り消しますよ。まともな会話ができなくなる。『それはノーコメントです』と、それで済んじゃうじゃないですか。それでよろしいんでしょうか」という、有名なシーンが続きます(長くなると思って省略しましたが、結局、書いてしまいました)。
 因みに上記引用は、朝日新聞の記事からかたまりで抜粋したものなので、やり取りは朝日新聞が報道している通りの内容です。さて、公共放送の会長としてTPOを弁えないという批判は脇に措いておいて、言い分として、どちらがまともでしょうか。記者とのやりとりで、失言に誘導するような悪意を感じないでしょうか(まあ、いつものこですが)。会見後の報道において、発言を部分的に取り上げる、例えば領土問題で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」というところだけを取りあげるのは、正確さ、公正さを欠きはしないでしょうか(これもまあ、いつものことですが)。
 先週末、TBS「サンデーモーニング」は(張本さんのスポーツ・コーナーが終わった後もいつものように漫然と見ていたのですが)、余程、琴線に触れるテーマだったのでしょう、「風を読む」のコーナーで、わざわざこの話題を取り上げ、他のメディアと足並みを揃え、「報道」のあるべき論というタテマエからの月並みな批判を繰り返していました。そもそも、この番組は、改憲をテーマにしたときには、国民の権利を守る側面ばかり主張する人権派弁護士の発言に多くの時間を割き、国のカタチを巡る議論を封じましたし、特定秘密保護法案をテーマにしたときには、わざわざメディア論の大学教授を登場させれば、国民の知る権利を主張するのは理の当然で、(他国から入手した)秘密情報を守るといった本来の狙いである安全保障上の考慮を意図的に閑却するなど、いずれも政府に批判的な姿勢を貫いて来ました。まるで野党の主張を代弁するかのようであり、とても「不偏不党」とは思えないのですが、この番組にとって「報道の中立・公正」とは、目指す意図はともかくとして、結果として体制批判を軸に偏向したもののようです。
 ことほど左様に、メディアによる籾井会長会見批判は、質問によって誘導しておきながら、ご本人がわざわざ「ノーコメント」では困るだろうからとサービス精神で「会長はさておき」「個人的見解」と断って開陳したやや保守的な(そのために政府寄りと思われた)考え方に不満であるというホンネを包み隠して、公共放送の会長という立場として不適切、政治的な中立性に疑義あり、といったタテマエで断罪するものでした。会見は、イジワルな見方をすれば、結局、本人の所信表明を詳らかにする場ではなく、初めから吊し上げるためのストーリーに合わせて質問をぶつけるもののようでした。そして、メディアは、このような会見を演出した上、その通りに正確に報道するならまだしも、意図的に部分だけを取り上げて歪めて報道するという二重の罪を犯し、それが海外のメディアに拾われて、明らかな誤解・曲解が、中・韓だけでなく世界に拡散して行く現状を憂えます。
 J-CASTニュースは次のように伝えています。

(前略)BBCでは、会長発言を伝える中で、「公的資金で運営される放送局として、NHKは政治的に中立であることになっている」とNHKの特徴を紹介した上で、東京特派員が、「新会長の一番最初の会見が非常に政治的な見解で始まったことはショック」とコメント。「NHKの内部では、『新会長人事は、NHKに安倍晋三政権の言うことを聞かせる狙いがある』と言っている」とも伝えた。(後略)

 このようにBBCには、日本の多くのメディアが意図する方向で取り上げられてしまいました。
 最後に公共性について。同じ公共放送として何かと比較の対象になるBBCについて、朝日新聞は以下のように伝えます。

(前略)BBCは受信料収入(年約36億ポンド=約6千億円)と、政府交付金(年約2億5千万ポンド)などで運営される。政権と距離を置いた報道姿勢が内外から支持を得ている。
 英国とアルゼンチンが戦った1982年のフォークランド紛争では、自国軍を「我が軍」ではなく「英軍」と呼び、当時のサッチャー首相を怒らせた。2003年にはイラク戦争の開戦理由をめぐって「英政府が脅威を誇張した」と報じ、当時のブレア政権と激しく対立した。
 この問題では独立調査委員会が「誤報」と断罪、会長と経営委員長の2トップが辞任に追い込まれた。だが、別の調査委が「政府情報にも欠陥があった」と結論づけて「痛み分け」に。メディア専門家の間では報道が公益にかなっていたとの評価が定着している。(後略)

 確かに、BBCには「国民のため」「(よりよき)社会・国家のため」という大義なり思想を背後に感じますが、「偏向した」という形容詞をつけて語られることが多くなった最近のNHKには感じられない場面が増えて来ました。因みに「偏向している」とよく語られる他のメディアも同様で(と、十把一絡げにしては失礼ですが)、いろいろな意見があっていいのですが、一つだけ指摘したいのは、歴史的事実に目を向けず、日本人に自虐的な歴史観を固定化しようと声を荒げる中・韓の主張に常に配慮するかのような姿勢は、日本の伝統・文化の担い手になると言うより、貶めようとしているとしか思えず、社会の絆を強めると言うよりは、むしろ分断しているようなところがあり、結果として日本国の足を引っ張っているのではないかと残念でなりません。日本の進歩的知識人に連なる系譜は、どうしていつもこうなのかと暗澹たる気持ちになるのですが、私の被害妄想でしょうか。そういう意味で、徹頭徹尾「放送法遵守」を主張された(というのは、見ようによっては自己保身の最たるものながら)籾井さんの良識に期待したいと思いますが、あらためて、振り返りのため、公共放送「3つの柱」(ヨーロッパメディア研究所より)を、Wkipediaから抜粋します。

・誰でも好きな番組を自由にみることができること(視聴者に番組をみる自由を提供)
・文化の担い手であって、そこに住む人々の心の絆を強めること
・視聴者との対話を進め、人々に指針を提供することにより、社会の重要な構成要素となること
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NHKごちそうさん

2014-02-04 23:16:13 | スポーツ・芸能好き
 前回のブログでも登場したNHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」にはまっています。
 NHK朝の連ドラは、ペナン滞在の三年間、日本との時差が1時間あったものですから、見終わってちょうど出勤の時間となる便利さで、よく見たものでした。今は、夜11時からBSの再放送を見ています。世間でも良く見られているらしく、視聴率は、4ヶ月の間、21%を超えているという報道がありました。
 連ドラ版サザエさんとも言うべき、主人公・め以子の、サザエさんほどあっけらかんとしているわけではありませんが、大正から昭和にかけての、成熟には程遠い荒削りな世相に、健気に前向きに生きる明るさがひときわ映えて、今となっては失われてしまったある種の懐かしさも感じさせて、朝、見るドラマとして心地良さを感じさせるのでしょう。そして、主婦の仕事の一つを取り上げ、美味しい食事を家族みんなで楽しむことにひたむきに取り組む姿勢をいかにも羨ましいと思わせ、美味しい食事が家族にとって実に幸せなことだとあらためて思わせた(思い出させたと言うべきか)功績も大きい。さらに拍車をかけたのが、嫁ぎ先の小姑・和枝の存在です。日本人にとって、姑や小姑の“いびり”や“いじめ”は永遠のテーマであり、この不幸は誰もが通る道、天命と受け止められ、悪循環を止められませんでした。ようやく高度成長期の民族大移動で、悪循環が断ち切られつつありますが、他人事であれば、これほど興味をそそられるテーマは今も昔もありません。和枝にいびり倒されつつ、健気に頑張るめ以子は天晴れと言うべきでしょう。
 今回の連ドラは、大河ドラマ風に、家族が成長し、異なるステージ毎に異なる楽しみが得られ、なかなか目が離せそうにありません。
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小保方さんの快挙

2014-02-01 11:17:37 | 日々の生活
 壁をピンク色に塗り替えた実験室で着るのは、白衣ではなく祖母からもらったかっぽう着で、研究室にはペットのスッポンがいて、机にはキャラクターが並んでいるのだそうです。「弱冠」という言葉は、中国・周の時代の制度に由来し、男子の20歳を「弱」と呼び、元服して冠を被ったことから、男子の20歳を「弱冠」と呼ぶのが本来の用法ですが、今では女性にも、また単に若いだけでなく、一般的に成し遂げられる年齢よりも若いという意味でも使われるそうですから、小保方晴子さんにも使ってよいのでしょう。弱冠30歳の快挙です。
 弱酸性の刺激を外から与えるだけの簡単な方法で万能細胞を作製することに、マウスを使った実験で成功し、新しい万能細胞として「刺激惹起性多能性獲得(STAP: Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency)細胞」と命名したそうです。その意味するところのインパクトが、私にはいまひとつ分かりませんが、同じ研究者の声を聞いてみると、その「すごさ」が分かります。

「2006年に山中先生の(iPS細胞の)論文を読んだときと同じくらいの衝撃を受けた。ちょっと想像できないすごい発見だ」(水口裕之・大阪大大学院教授(分子生物学))
「大変面白い成果で驚いた。従来の常識にとらわれない発想が生んだ成果」(中辻憲夫・京都大教授(幹細胞生物学))
「また日本人が万能細胞の作製法を書き換えた。山中伸弥氏は四つの遺伝子で人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作ったが、STAP細胞は一時的に酸性溶液に浸して培養するだけ。どれだけ簡単になるんだ」「最も単純でコストも安く、早い作製法だ。人の細胞でもできれば、オーダーメード医療の実現につながるだろう」(英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのクリス・メイソン教授)

 なにより少子化・日本で「女子力」に期待する安倍総理はさぞ喜んだことでしょう。高視聴率を維持するNHK「ごちそうさん」の長女・ふ久ちゃんも「理系女子」であり、タイムリーです。余りに常識破りなため、昨年春、英科学誌ネイチャーに投稿した際は、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」と酷評され、掲載を却下されたというエピソードつきで、伝説になる要素は十分です。
 もっとも、そもそもなぜSTAP細胞ができるのか、その仕組みは全く分かっていませんし、人の細胞ではまだ出来ておらず、本人は、STAP細胞の再生医療への応用について、「特定の一つの応用に限るのではなく、数十年後とか100年後の人類社会の貢献を意識して研究を進めたい」と将来を見据える壮大な(彼女は早大・院ですが)ものです。
 日本のこの分野での突出した研究成果は、日本人として実に晴れがましいですが、余りの報道の過熱ぶりに、研究活動に支障が出ているとする文書が、所属する「細胞リプログラミング研究ユニット」の公式サイトに掲載されました。どうも本人やその親族のプライバシーに関わる取材が過熱し、知人・友人をはじめ近隣に住む人にまで迷惑が及ぶというように、研究とは関係がないところへ取材が殺到することに当惑し、心苦しい思いをされているようです。余りにも「普通」や「常識」からかけ離れているものですから、その正体を探りたくなるのが人のサガであり、浮かれたい気持ちもやまやまですが、それこそが日本人の意識が遅れている証拠に他ならず、また、研究という性格上、ここはぐっと我慢して、野次馬は野次馬らしく外野でそっと見守ってあげるべきでしょう。
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