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シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

シドニーの風・最終回

2009-06-25 00:16:19 | シドニー生活
 私がブログを始めた理由はいくつかあって、基本的には日記代わりにその時々に思うことを書き留める記録であり、特にペナン(マレーシア)という馴染みのない、アメリカのように文明の層が厚く堆積するのではなく、極めて薄いベールのように軽く覆いかぶさるだけで、文化がそこかしこに透けて、時にほとんど露出している社会で生活することになって、大いに刺激を受けたという背景がありました。日々の驚きを綴っていたという感じが強い。シドニーに移ってからは、アメリカ的な文明社会に近く、ある意味で刺激に乏しいところではありますが、それでもアメリカやヨーロッパと違う辺境の視点が面白く、一種のミラーとしてそこに映して、日本のありようを外から眺める時間が多くなったような気がします。
 ブログを始めたもう一つの大きな理由は、インターネットというメディアを知ること、そしてインターネット・リテラシーをあげることでした。同じ趣旨から先ず始めたアマゾンのカスタマーレビューでは、取り上げる本、書く内容によって随分反応が異なり、インターネットはまさにマスを対象にしているのだということを実感したものでした。その後、砂漠に水を撒くのは止めて、ある一つの植木鉢を育てることにしたわけですが、書く過程で、間違いを避けるため、ウロ覚えの情報を確認したり、様々な疑問を調べるためにインターネットを使う内に、その世界の奥深さを実感しました。決して特別な世界ではなく、所詮は人間の社会がヴァーチャルに広がっているだけですが、膨大な情報に触れ得ることの凄さと、自分が「目利き」にならなければならない厳しさというのが、私にとってあらためてインターネット社会の現実認識となりました。既存のメディア(編集者)の目利きとしての役割・存在意義を再認識・再評価するきっかけにもなりました。
 これまで生活の一部としてインターネットに触れ合ってきましたが、シドニーの風を送ることも最後になりました。ネタ集めの視点で周囲を眺めることが日常となり、ネタに困って探し回るなんて本末転倒の時もありましたし(逆に使っていないネタがまだ残ってもいます)、特にこの半年ほど、仕事が苦しい時には、夜遅くまでムキになって書き続けたこともありました。初めの頃は、一般の方の目に触れることを意識して角が立たないよう多少は(かなり?)丸める努力をしつつ、それでも角が立つかも知れない曲げられない自分の「思い」は書いて来ました。最近は開き直って好き勝手に書いて、もしや気分を害されている方もいらっしゃるかも知れません、一介のサラリーマンの戯言とお許し下さい。こうして深夜にパソコンに向かってブログを書いていると、大抵はワインが入っていますので、いつの間にか誰かに問わず語りに語りかけるような、あるいは独りごちるような、不思議な感覚に囚われたものでした。それでも、それなりに自分に向き合える時間が持てたのは良かったかも知れません。ただ、こういう特殊な環境に身を置くからこそ、偉そうに「ペナンの風」だの「シドニーの風」などと言っていられるので、日本に戻れば、いつの間にか日本に染まってしまうのか・・・またいつかどこかで「風」を吹かせることが出来ればよいのですが。
 最後に、この一年間で、一番のお気に入りの写真をご紹介します。ウルルの朝日です。ムスリムは夜が一日の始まりですが、私たち日本人にはやはり朝日が眩しい。昇る太陽の恵みを受けて、皆様に幸多からんことをお祈りして、筆を置きます。

シドニーという街

2009-06-24 08:22:34 | シドニー生活
 先頃、英エコノミスト誌の調査機関「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」が発表した「2009年版住みやすい都市」によると、シドニーは9位に入ったようです。1位バンクーバー、2位ウィーン、3位メルボルン、4位トロント、5位パースとカルガリー、7位ヘルシンキ、8位ジュネーブ、そして同率9位にシドニーとチューリヒだったそうです。世界140主要都市を、治安、医療サービス、文化・環境、教育、社会インフラ基盤の5項目について調査し、0(耐え難い)~100点(理想的)で採点し、ランク付けするもので、調査主体は何と言っても英国「エコノミスト」系ですから、当然アジアの私たちの視線とは異なります。伝統的に美しい街と言われて来たウィーンやジュネーブやチューリヒなどに肩を並べて、カナダやオーストラリアといった比較的新しい都市が上位にランクされているのが目立ちます。オーストラリアでは、このほか11位アデレード、16位ブリスベン、またニュージーランドでは12位オークランド、23位ウェリントン、カナダでは17位モントリオールといった具合いです。しかし話はむしろ逆で、新しい都市は後進故の努力を重ねて振興著しいわけで、古い街がよく健闘していると讃えた方が良いのかも知れません。
 それにしても上位20にオーストラリアの州都5つがランク・インしているのは驚きです。アジアの都市では、13位大阪、19位東京、39位香港、54位シンガポール、58位ソウル、62位台北と中堅に位置しているところからも、その優位性(と、ある意味でこの調査の嗜好性)が分かります。確かにオーストラリアの諸都市は、移民も多い自由社会、先進国としてのインフラ整備、すっきりとした街づくりなど、都市としての住環境が整備されているのは事実です。だからこそ今なお多くの移民を惹きつけてやまないのでしょう。
 なお、ちょっと古いですが世界230都市の訪問者数を集計した世界人気渡航先ランキング2007(ユーロモニター・インターナショナル)によると、1位ロンドン、2位香港、3位バンコク、4位シンガポール、5位パリだったそうです。こちらの方は非常に分かりやすい統計ですね。
 シドニーは、私たち日本人にも住みやすい街だと思います。先進国としてのインフラが整い、アメリカよりも競争社会が抑えられ、ヨーロッパに近いコミュニティとしての共存意識がなんとはなしに感じられ、ちょっとのんびりした気風すら漂います。そしてアメリカ以上に文化の香りもします。気候も、四季があり、暑過ぎることもなければ寒過ぎることもなく、自然も豊かです。アジアや中近東の移民が多い気安さもあります。勿論、良いことばかりではなく、最近、インド人への襲撃が報じられたように、移民社会故の民族的な葛藤は避けて通れません。のんびりした気風と言いましたが、決して人が好いわけではなく、どちらかと言うとガラが良くない人も多い。勿論、私のごく限られた経験の中から言っているだけですが、そこはやはり移民社会です。
 こちらに到着したのが昨年の7月7日、1年足らずですが、サラリーマンの宿命で、事業をたたんで日本に帰ることになりました。子供たちはすっかり学校に馴染み、私もこれからもう少し地域に根差そうと思っていた矢先だっただけに、もう少しシドニーを、オーストラリアを見てみたかったという思いは残ります。明日は最終回・・・かな。

シドニー近郊の街(5)Chatswood

2009-06-23 00:08:20 | シドニー生活
 シティから電車で20分、あるいはハーバー・ブリッジを渡ってパシフィック・ハイウェイを北へ15分ほど車で走ると、俄かに高層ビル群が現れます。ビジネスの中心は勿論シティで、副都心がノース・シドニーだとすると、それに次ぐビジネス・エリアとして有名なのが、このChatswoodの街です。
 この街を歩いて驚くのは、中国・韓国系の店や人が多いことでしょう。週末に反中共(中国共産党)の怪しげな集会を見かけたりもします。この地が中国人で賑わうのは、風水で言うところの「龍の眼」に位置するから(山の稜線と稜線が交差するところ)という説があり、私には実のところよく分かりませんが、そう言われると、なるほどそうかも知れないと納得したくなるほど、中国人が多いのは事実です。「龍の眼」は磁場が高いと言われ、日本でも奈良~平安初期の寺院の多くは磁場が高いところを選んで建造されたそうで、縁起が良いとされ、ビジネスに好まれるというのがその理由です。その真偽のほどはさておき、シティの南に立派なチャイナ・タウンがありますが、ここもまたチャイナ・タウンと呼ばれます。
 この街の名前の由来は、この雑木林の地を開発したリチャード・ハーネットという人が、ペットの名前チャットから取って「チャットの木(雑木林)」と名付け、1879年に正式に採用されたと言われますが、当時の名残はもはや見られません。
 我が家は専ら週末の買物に利用させてもらっています。駅のそばにWestfieldとChatswood Chaseという2つの大きなショッピング・モールがあり、スーパーやデパート、多くの専門店や映画館まで取り揃えた一大ショッピング・センターを形成しているほか、ちょっと地味ながら中国・韓国系のシッピング・モール(Mandarin Centre、Lemon Grove)もあります。そして何故か目抜き通りVictoria AvenueからAnderson Streetに南に入ったところにある麺包王飯店というパン屋さんが、安い、美味いで、大のお気に入りなのです。
 シドニー着任前、Chatswoodのマンションを紹介されたことがありました。マンションから雨に濡れずに駅へ、更にショッピング・センターへ歩いて行けるというのが売りで、私もかなり心が揺れましたが、華人の街ペナンを離れて、折角、オーストラリアに来たのだからと、欧米人が多く住む街に身を隠すことを選んだものでした。それだけシドニーの中でも活気があるということであり、ちょっと騒々しいということでもあります。

シドニー近郊の街(4)Crows Nest

2009-06-22 00:20:17 | シドニー生活
 ハーバーブリッジを渡って、パシフィック・ハイウェイを北へ向かってものの5分で、Crows Nestの街に着きます。1819年に上陸したエドワード・ウールストンクラフト氏が広大な土地に建てたコテージのロケーションが小高い位置にあって見晴らしが良かったため、「クロウズ・ネスト(カラスの巣)」と名付けたのが始まりだそうで、今では洋の東西を問わず世界20ヶ国以上の料理を楽しむことが出来る、レストランが多い街として賑わいます。
 我が家はこの街を探索し始めて日が浅く、とても自信を以ってご紹介出来ませんが、早くも贔屓の店だけは出来てしまいました。和食「魚や」とラーメン屋「燦々」です。和食レストランの中では手頃な値段で寿司や刺身を食べられる「魚や」を知らないノース・シドニー在住の日本人はいないでしょう。実は私は10年前にシドニー駐在していた会社の先輩からその噂を聞いていたのですが、まさか10年経った今でもCrows Nestの和食として君臨しているとは思ってもいませんでした。それもそのはず、元々日本で、日本橋店、銀座店、新橋店、浜松町店と店舗を構え、しっかりした味付けは保証つきで、シドニーのシティなら立派な和食レストランがあって当然ですが(英誌「レストラン」による世界のベスト50レストラン・ランキングに8年連続で選ばれている和久田哲也氏が経営するジャパニーズ・フレンチ「tetsuya's(テツヤズ)」をはじめとして)、ハーバー・ブリッジを渡ったノース・シドニーでもそれに劣らない本格的和食が楽しめるのが嬉しい。時々予約で一杯になってしまうことからも人気のほどが知れます。それから日本人にとって無くてはならないのがラーメンです。「燦々」は、日本であれば十人並みかも知れませんが、海外ではなかなか美味いラーメンに出会えないと思い込んでいる我が家にとっては、ごく当たり前でも日本的なラーメンを食べさせてくれる有難いお店です。Crows Nest PlazaというWilloughby Roadの外れにありますが、日本人ばかりでなく現地人でも賑わっているのは、ボリュームがオージー・サイズだからでもあります。一杯10豪ドルの塩ラーメンと11豪ドルのピリ辛野菜ラーメンがお勧めです。因みにこのCrows Nest Plazaには、シンガポール・ラクサの店があり、所謂オージー向け回転Sushi屋があり、鉄板焼きがあり、インド料理がありと、アジアの独特の雰囲気に溢れるショッピング・プラザです。
 ラーメンと言えば、Crows Nestの外れ、Falcon Street沿いにある「亮亭」は、いつも行列をなしていて、会社の同僚によると燦々を越えるとの評判の高いお店ですが、面倒臭がりの我が家はまだ試したことがありません。そのほか、「La Grillade」は、必ずしも気取っているわけではありませんが一軒家の店構えがとてもお洒落なフレンチ&ステーキハウスです。中華では「海寶酒家(Sea Treasure Seafood Restaurant)」がなかなか美味い。「Pino’s」は昔からあるイタリアンで、期待して行って見ましたが、とりたてて特徴があるという感じではありませんでした。
 毎年10月には、Crows Nest Fiarと呼ばれるお祭りが開催され、Willoughby Road沿いに露店が出て、ショッピングや世界各地の食事を楽しむことが出来るそうです。移民大国オーストラリアらしい活気(食い気)に溢れる街です。

久しぶりに新型インフルエンザの話題(7)

2009-06-20 23:45:00 | シドニー生活
 昨日のニュースで、オーストラリアの新型インフルエンザの患者から初めての死者が出たことが報道されました。その患者さんは26歳の男性で、持病があったことが伝えられており、心臓血管・腎臓・呼吸器系の疾患や、喘息もちや妊婦には深刻なケースもあるが、大抵の場合は軽症であることを、あらためて保健省の大臣が説明しました。
 オーストラリアでは、5月28日に全国で感染者数が100人を越えたかと思うと、6月2日には500人を越え、数日のうちに1000人を突破するなど、真冬に向かうハンディを背負いながら、ビクトリア州を中心に新型インフルが猛威を振るいました。そしてそれが、WHOによるフェーズ6への引き上げの引金になったことは間違いありません。今日時点で2376の症例を数えます。
 こうして症例が急増していることを背景に、国内の警戒レベルを“protect”に引き上げるとともに、これまでの感染者に対する厳しい制約条件を緩める方向で動き出しています。ニュー・サウス・ウェルズ州政府(保健省)は、5月25日に、メキシコ、アメリカ、カナダ、日本、パナマに渡航した生徒に対して無条件に一週間登校を禁じると通達したのに続き、6月4日にはメルボルン地域(Greater Metro-Melbourne)を訪問した学生にも無条件に一週間の自宅謹慎を通達しましたが、18日にはこれらの通達が解除され、インフルエンザの症状が出ている場合のみ回復するまで自宅待機することという通達に変わりました。日本でも、厚生労働省が、医療・検疫・休校などに関する運用指針を改定したことと、ほぼ同期しています。
 大阪市信用金庫が取引先に実施したアンケートによると、大阪府内の中小企業の約8割は、新型インフルエンザの感染拡大で相次いだ学校の休校や企業活動の自粛などについて「過剰反応」だと考えていることが分かりました。先日のペナン出張の時にシドニー空港に向かうタクシーの中で、運転手が、新型インフルが取り立てて危険だと言うわけではなく、そもそも(季節性)インフルエンザ自体が危険で注意しなければならないのだと言っていたことが思い出されます。過剰反応は慎むべきですが、季節性インフルエンザ並みに(あるいは風邪だと私たちが軽く見る以上には)注意すべきだということでしょう。
 今回の過剰反応の中で、弱毒性で死亡率の低い新型インフルエンザでさえ、人権やプライバシーがないがしろにされた事態を見過ごすわけには行きません。もし強毒性であれば、感染者やその家族、関係者までもが「魔女狩り」に晒される危険があることが懸念されます。将来起こり得るより危険度の高いパンデミックに向けた教訓となれば良いのですが。

シドニー空港

2009-06-19 21:41:32 | シドニー生活
 シドニー空港に戻った時、通関で引っ掛かってしまいました。申告カードに申告の有無を記入しながら、ちょっと気にはなっていたのですが、一年前にペナンから移住した時の苦労を思い出しながら、申告なしで提出したところ、全ての入国者の全てのカバンがX線検査でチェックされ、お土産にもらった加工食品の持込が発覚したのです。てっきり持込可のものは申告不要とハナから疑っていなかったのが間違いのもとで、持込の可否に関わらず、とにかく食料品は全て申告しなければならないとのお達しです。今回は見過ごすけれども次回は罰金だと言い渡されてしまいました。多分ブラックリストに載ったのでしょう。あらためてオーストラリアの検疫・輸入通関の厳しさを思い知らされました。
 それはともかくとして、空港と言えば、アメリカにいた時もマレーシアにいた時も、住めば都で、いくら外国とは言え、(家族が住まう街に)ああ帰ってきたなあと、ある種の生活者の感慨を覚えたものですが、シドニーはまだ一年にしかならず、利用頻度もぐっと減って、いまひとつ愛着が湧きません。それ自体は私個人の印象に過ぎませんが、シドニー空港は、オージーにも人気がないようです。
 あるオーストラリアの機関(競争消費者委員会)が3月に発表した調査報告によると、シドニー空港は三年連続で国内主要5空港の中で最も人気がない不名誉に浴することになったようです。シドニー国際空港は、キングスフォード・スミス空港と呼ばれ、地名からMascotと俗称され、新しくて清潔な感じを受けます。また凡そ空港と言えばその国の「匂い」を感じさせるもので、台湾だとお香がそこはかとなくたち込めていたり、日本は醤油臭いと言う人もいますが、さすがに文明国オーストラリアのシドニーではとりたてて「匂い」がなく、それが益々、文明的と思わせます(もっとも、それはオーストラリア内ではどの都市でも同じことでしょう)。そんな中、オーストラリアで最も人気が高いのはブリスベンだそうで、次いでアデレード、パース、メルボルン、そしてシドニーとなるのだそうです。何がイケナイのか。報告書は、チェックインやセキュリティ・ゲートでの待ち時間や係員の対応の善し悪しなど利用者の満足度を評価しており、対象となるのは国際線と空港管理会社が管理している部分だけで、航空会社が管理している部分は含まれていないそうですが、各都市の国際線を利用したことがない私は比較出来る立場にありません。何とも言いようがありませんが、少なくともシティからシドニー空港へのアクセスに関しては、高速道路からいったん一般道に出なければならないところなどは、いまひとつどころか、いまみっつくらいに思うのは事実です。シティから6Kmと近いのは取り柄で、成田空港が比較対象になれば、間違いなく断トツの最下位になるだろうと自信を持って言えます。
 さて、その成田空港は、都心から離れていること、渋滞で時間がかかること、滑走路が少ないこと、夜間の離発着が出来ないこと、言い出すとキリがありませんが、世界に開かれた日本国の玄関口として、もうちょっと何とかならないものでしょうか。

移民パワー

2009-06-18 20:49:38 | シドニー生活
 ペナンへは直行便がないのでシンガポール経由などのフライトを利用することになりますが、シンガポールやペナンといった華僑が活躍する国・地域や、オーストラリアやアメリカといった移民の国を眺めていると、国の活力を維持するのに、移民が貢献する部分が少なからず(むしろかなり)あるのではないかと感じます。東南アジアにおける華僑や、ヨーロッパはじめ世界各地からアメリカやオーストラリアを目指す移民は、退路を断つとまでは言いませんが、一旗挙げようという意気込みや覚悟のほどには、相当のものがあるだろうと想像されますし、移民として差別されない国はなく、そうした立場が却って誇りを取り戻すべく人一倍努力することにもなるだろうと想像されるからです。今の日本の安定志向、安穏とした空気と比べると、その差は一目瞭然でしょう。
 かつての日本にも移民パワーと呼べるほどの活力が横溢した時期がありました。高度経済成長の頃、全国民の実に三分の一に相当する人口が所謂出稼ぎとして地方から都会に集まったと言われ、高度成長の原動力になりました。こうして見ると、必ずしも外国からの移民だけではなく、国内においても、国家的なビジョンを描き明確な目標を設定し仕組みを作って誘導すれば、活力を高めることが出来るのかも知れません。こうした仕組みを国のありようにしているのがアメリカと言えます。かつてアメリカにおいては、大陸を東から西に向かって開拓を続け、フロンティアが消えたと言われた後も、全国に鉄道網や道路網を建設したり、月面着陸を目指してアポロ計画を推進したり、現代においてはネット空間を構築するなど、アメリカという国は常にフロンティアを追い求めて止みません。
 個人においても、同じことが言えるのではないでしょうか。学生時代が懐かしかったり、青春時代を賛歌するのは、怖いもの知らずということもあり、夢を求めて攻め続けていたからに他なりません。攻め続ける限り、小さな問題は気にならず、夢に向かって邁進できる、そのありように生の充足を感じられたことでしょう。経済的な成長・豊かさを実感出来る限り、働きバチだとかウサギ小屋だと揶揄されても、苦にならなかったようなものです。ところがある程度達成して、あるいは背負うものが大きくて、いったん守りに入ってしまうと、ちょっとしたことでも現状から後退することに不満や不安が募ります。現代の日本の不寛容さは、そうしたところにも原因があるのかも知れません。
 攻撃は最大の防御と言いますが、国際社会で地盤沈下を続ける日本は、果たして日本人の気持ちを守りから攻めに転じさせることが出来るのでしょうか。そんなことを、ペナンから帰る夜行便の中で、つらつら考えていました。

久しぶりのペナン

2009-06-17 10:16:15 | シドニー生活
 ほぼ一年振りにペナンに出張しました。ペナン大橋は三車線目の拡幅工事がほぼ終わり、最終工程にあってまだ貫通はしていないものの、車は余裕を以って流れているように見えました。ただそれ以外に計画中だった大型開発プロジェクトは、昨年の総選挙で、ペナン州では39年振りに野党が政権を奪還して、連邦政府与党からイジメのような仕打ちを受けているのか、先行き不透明になっているものもあるという話を聞きました。しかし、ペナン国際空港という名前の割りには田舎のシケた空港の風情はそのままですし、また運転の荒さ(=元気さの証しですね)や街の薄汚れたところも相変わらずで、それがペナンらしさでもあり、ホッとします。
 昨年7月、ちょうど私と家族がペナンを離れる時、ペナン州ジョージタウンとマラッカが世界遺産に指定されました。どちらも似たような古い街並みが残っている歴史ある町ですが、大きな違いは、マラッカが観光地としてお化粧直しされているのに対して、ジョージタウンはくたびれた素肌のまま、シミや汚れが放置されているところです。さすがのペナンでも世界遺産の名に相応しく綺麗にお化粧しようという動きもあるようですが、進捗しているようには見えません。今でも開発が続いていて、世界遺産取り消しの噂も流れて政府側と開発側で揉めた話も聞きました。それもこれも、ペナンはマラッカと違って経済生活圏として今でも生きているからでしょう。ペナンに生きる人たち(多くは華人)は、現実的・機能的で、汚くても生活に支障がない限りはOK Lah!と言って気にしないでしぶとく生きて行くことでしょう。ペナンの場合は、そんなおっちゃん・おばちゃんたちと一緒に生活毎、世界遺産として残しておきたいものです。
 上の写真はマラッカ海峡に昇る朝日です。

オペラハウスとハーバーブリッジ(4・完結編)

2009-06-13 21:37:56 | シドニー生活
 今日も昨日までの続きで、最終回、オペラハウスとハーバーブリッジを一枚に収めた写真四番目のお気に入りは、Blues Pointです。Lavender Bayを挟んでMilsons Pointの西隣にある半島(このあたりはMcMahons Pointと呼ばれるSuburbです)の南の突端にあります。ここからの眺めで特徴的なのは、ハーバーブリッジの美しいアーチをほぼ真横から眺めることが出来ることで、New Years Eveの花火大会では絶好のロケーションとなることでも有名です。
 そしてこの傍には有名なBlues Point Towerという一般居住者用のマンションがあります。何故、有名かというと、1962年に竣工、高さ83mもあって、当時としては居住用マンションとしてオーストラリアで最もノッポであったことも含めて、周囲の建物や街の景観とそぐわないということで、地元民から目障りだと散々不評を買っているマンションだからです。このBlues Pointより更に西に行くと、このマンションが邪魔になってハーバーブリッジの全貌を拝めなくなります。

オペラハウスとハーバーブリッジ(3)

2009-06-12 20:42:32 | シドニー生活
 今日も昨日までの続きで、オペラハウスとハーバーブリッジが恰も夫婦のように仲良く一枚の写真に収まった中で、三番目のお気に入りは、オーソドックスにオペラハウス前の写真です。
 オペラハウス前は、結婚式の写真撮影もよく行なわれるところで、その独特のフォルムは、現代的で、何度見ても飽きさせない、弧を描きながら途切れてしまうある種の不安感が見る者を惹きつけます。一般にはヨットの帆をイメージしたものと言われ、設計者のヨーン・ウツソン氏によると、子供がオレンジを剥いているところからヒントを得たと言われますが、どう見ても、砂浜に突き出た真っ白な貝殻ですね。耳を近づけると遠い波の響きを懐かしむように、音楽や演劇の殿堂として、活躍しています。
 一方のハーバーブリッジは、シンプルで力強くて美しい。
 オペラハウスの不安定と、ハーバーブリッジの安定。芸術性と、シンプルな機能美。か細い線の行方と、無骨な骨組みの威容。白タイルの肌のきめ細かな輝きと、むき出しの鉄骨の素朴さ。長年連れ添った一組の夫婦のように好対照を成し、絵になります。

オペラハウスとハーバーブリッジ(2)

2009-06-11 20:57:50 | シドニー生活
 昨日に続いてオペラハウスとハーバーブリッジのツーショット写真特集第二弾、次点のMilsons Pointは、シティからハーバーブリッジを渡った北岸の橋のたもとにあります。
 バスや電車を利用するも良し、橋を歩いて渡るも良し、サーキュラーキーからフェリーを利用するも良し。1788年、ヨーロッパからの最初の移民が住み始めたあたりで、まだ無人だったところにJames Milsonが住みつき、与えられた土地という意味で、Milsons Pointと名付けられました。今ではオペラハウスを真正面から眺められる一等地で、東隣(写真で言うと左手)Kirribilliには、オーストラリア提督の家(Admiralty House)があり、その東隣(左手)にはオーストラリア首相のシドニー官邸(Kirribilli House)がある、贅沢な場所です。私も着任前、アパート探しで立ち寄りましたが、狭いのに高くて、とても手が出ませんでした。単身者やDINKsがこぢんまりと贅沢に住むには良いところかも知れません。

オペラハウスとハーバーブリッジ(1)

2009-06-10 21:37:49 | シドニー生活
 出張でシドニーに来始めてから一年半になります。その間、さまざまな角度から撮ったオペラハウスとハーバーブリッジの写真を紹介します。昨日のブログの続きで、ベスト5の先ずはトップです。
 一番のお気に入り(写真)は、Mrs. Mcquarie’s Point(Chairがあるところ)です。オペラハウスから更に東に海沿いを15分くらい散歩したあたりで、ちょうど西の空を望む位置にあり、夕日がきれいに見える場所です。Mrs. Mcquarieというのは、19世紀はじめにNSW州知事だったLachlan Mcquarie提督の奥方で、ここの岩の上に腰掛けてはイングランドから航行して来る船をよく眺めていたと伝えられます。私もMcquarie夫人に賛同しますが・・・当時はオペラハウスもハーバーブリッジもなかったので、マッコーリー夫人お気に入りの場所にオペラハウスもハーバーブリッジも引き寄せられたということでしょうか!?

シドニー湾の眺め

2009-06-09 23:51:06 | シドニー生活
 オペラハウスとハーバーブリッジを一緒に一枚の写真に収められる場所を探してきましたが、タロンガ動物園からの眺めは、個人的には間違いなくそのベスト5に入る美しさだと思います。とっておきの一枚を(なんて、ただの自己満足ですが)ご紹介します。

タロンガ動物園

2009-06-08 22:23:30 | シドニー生活
 今日はQueen’s Birthdayの祝日で、タロンガ動物園に出かけました。こちらでは真冬で、朝は冷え込みましたが、日中は日本の小春日和のような良い陽気となりました。
 シドニー湾に面してシティを対岸に臨む風光明媚な丘にあるタロンガ動物園(タロンガはアボリジニの言葉でBeautiful Viewの意)は、1916年創設の歴史ある動物園です。更に遡ること1884年、ニューサウスウェールズ州に最初の公営動物園がムーアパークにオープンしました。Selective Schoolで有名なSydney Boys/Girls High Schoolがある辺りです。その後、ハンブルグ動物園を見て感銘を受けた動物園の事務局長が、檻のない動物園を構想し、ムーアパークが手狭でもあったため、今のタロンガ動物園の場所に移設したのだそうです。更に、象乗りや猿のサーカスやメリーゴーラウンドといった遊びの要素に代えて、自然・動物保護をテーマに調査・教育施設を充実し、現在に至っています(http://en.wikipedia.org/wiki/Taronga_Zoo)。
 コアラ、カンガルー/ワラビー、ウォンバット、ハリモグラ、エミュー、さらにカモノハシといったオーストラリア特有の動物のほか、どこの動物園でもお馴染みアジア、アフリカの大物動物や、ペンギン、アシカ、ワニ、爬虫類など、2600以上もの動物が、生息地域ごとに、檻のない構造で自然の中に配置されて、間近に見ることが出来ます。園内は広く、絶滅が心配されるタスマニア・デビルは、保護・調査中なのか見ることが出来ませんでしたが、コアラと並んで写真撮影したり(ニューサウスウェルズ州では抱っこは禁止です)、アシカ・ショーや鳥のショーなどいくつかのショーもあり、丸一日楽しめそうな総合動物園です。動物を見続けて、時折ふと、シドニー湾の素晴らしい眺望が見渡せるのが、なんとも新鮮で美しい。
 我が家も楽しめたのは事実ですが、タスマニアでタスマニアデビルを見て、いくつかの動物公園でワラビーなどと戯れ、メルボルンでコアラと触れ合った後では、どれもこれもやや物足りない気がしたのは、贅沢と言うべきで、良い記憶とばかり比較するのは酷と言うものでしょう。毎日朝9時から夕方5時までオープン、大人41豪ドル、子供20豪ドル(15歳まで)、家族チケット(大人2、子供2)103.7豪ドルとちょっと高めですが、一覧できる総合性という意味ではとてもよく纏まった動物園だと思います。シティからアクセスする場合でも、サーキュラーキーからフェリーで12分と便利です。

天安門事件から20年(下)

2009-06-08 00:17:29 | あれこれ
 昨日はまるでリーダーズダイジェストの趣きでしたが、今日は、ちょっと古いですがジェームズ・マン氏の著書「危険な幻想」(PHP研究所、2007年)を借りながら、中国という存在について、あらためてつらつら考えてみたいと思います。
 冷戦崩壊後、今なお、中国がまがりなりにも共産党一党独裁体制を維持できているのは、経済的繁栄と愛国主義高揚という、所謂アメとムチで束の間のガス抜きと陰惨な抑圧を行ない表面を取り繕っているからに過ぎません。一体、政治的抑圧はいつまで続くのでしょうか。
 西洋の歴史を紐解けば、経済的な自由の末に政治的な自由を求めるのは自然な流れだと理解されて来ました。そういう意味で、アメリカをはじめとする諸外国が、経済的発展が続けば、いずれ中国は政治的な開放に進み民主化をもたらすはずだという楽観主義に支配されてきたのは故なしとしません。かつては人権問題や弾圧を声高に非難したものでしたが、二歩前進一歩後退というような言い方で、いつしか大きく取り上げることも少なくなったのは、アメリカの当局者によると、例えば政治犯の釈放を中国政府に求めるたびに、中国側はそれを取引材料に、代償として新たな譲歩を引き出そうとするといった事情があったと言います。いずれにせよその背景には、もはや中国が経済大国として存在感を増し、中国抜きにはビジネスも立ち行かなくなっているという現実があるのでしょう。
 これに対して、労働争議の頻発、農民の抗議運動、環境破壊に対する抗議、民族紛争など、内部矛盾はマグマのように力を蓄え、いずれ制御可能なレベルを越えて爆発するのではないかと見る向きもないわけではありません。その先にあるのは、軍部による政権奪取などの劇的な政変か、あるいは現体制が瓦解した末に国が分裂状態に陥るか、予想は分かれますが、いずれにしても悲観主義的なシナリオと言えます。
 更に以上の楽観・悲観のいずれでもない第三のシナリオもあるのではないかと主張したのが、「危険な幻想」で、中国の実情そのものを論じるのではなく、アメリカはじめ諸外国で中国像がどう理解されて来たのか、その中国観を論じたジェームズ・マン氏でした。将来の中国は、対外的には開放され、貿易や投資などの経済活動において世界と密接に繋がりながら、内政においては全く変わることなく一党独裁体制が続くかもしれない、その支配は中国共産党ではなくなるかも知れないが、それに代わる権力は依然民主的ではないかも知れないと言うわけです。原題はThe China Fantasyと実に秀逸で(日本語訳も優れてはいるものの、映画と同様、原題を越えないのが残念)、勿論、アメリカをはじめとする諸外国が抱く第一の楽観主義のシナリオを危険な幻想だと警告するわけです。
 もとより中国の将来を占うのが本稿の趣旨ではありません。
 マン氏の著作は2年前のものですが、年率二桁の軍事力増強を続け、何者にも(とりわけ世界帝国アメリカにも)影響されない大国への道を着々と歩む中国の姿を目の当たりにすると、またミャンマーやウズベキスタンやスーダンやジンバブエなどの非民主的体制に対する軍事的・経済的支援のみならず独裁体制を支持するイデオロギーまで提供する現実を見れば、この第三のシナリオは、少なくとも当面の中国のありようを説明するものとして説得力を持ち、我々も覚悟しなければならないのかも知れません。折りしも天安門事件20周年の少し前、アメリカのガイトナー財務長官が中国を訪問したのを、産経新聞は投資家向けIR活動と揶揄しましたが、日本を越えて世界最大の米国債保有国となった中国を抜きにアメリカ経済の再生もままならない現実を突きつけられると、果たしてアメリカの中国に対するエンゲージメント(関与)政策あるいはインテグレーション(統合)政策は、本当にアメリカをはじめとする世界の自由・民主主義体制が中国という独裁制をいずれ呑み込めるのかどうか疑問に思わざるを得ません。
 もう少し先の将来になると、私はここで言う少数派の悲観主義で、いずれ中国は、かつてのソ連がそうであったように瓦解すると思っています。共産主義という強烈なイデオロギーがあったればこそ、地理的にも膨大な多民族国家を束ね得たわけで、そうでない中国は強権政治でも守りきれるものではないだろうと。ただそうしたことは中国共産党自身が最も警戒するところでしょう。それだけに、伝統的な民主主義勢力に対して中国という異質な勢力の脅威が増す現実にどう対処するのかが、将来にわたる体制のありように影響を与える重要性を帯びることは間違いありません。