風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

代々木ゼミナール

2014-08-30 21:29:48 | 日々の生活
 代々木ゼミナールが全国27校の7割超に当たる20校を、来春にも閉鎖する方針を明らかにしたという報道には驚かされました。少子化による受験生減少などが背景にあると報道されています。確かに、少子化の傾向ほどには大学の淘汰が進まず、定員割れの私立大学が、今朝のウェークアッププラスによると50%近くにも達するほどだそうですし、過去20年は失われた20年でもあり、経済上の理由から現役志向が強まり、少子化とも相俟って、浪人生が三分の一ほどにまで減っているそうです。
 私が受験生の頃・・・などと比べても仕方ないのですが、かれこれ30年以上前に遡ると、私の周囲では半分くらいの友人が浪人していました。私のように、クラブ活動にうつつをぬかし、勉強が足りなかったと自覚する生徒は、仕方なくもう一年鍛え直して、自分なりに満足のいく大学を目指すのが、ごく当たり前の光景であり、実際に私が進んだ大学でも、現役・浪人はほぼ半々でした。長閑な時代です。ところが今では(かつ東京においては)、公立の学校でも中・高一貫があるくらいで、中・高一貫校から冒険しないで推薦入学を選ぶ子供が多くなったと、子供の高校の進路指導の先生はぼやいていました。また、もう何年か前の話になりますが、お年頃の子供のために、受験事情をいろいろ調べていて、AO入試なる耳慣れない言葉に出くわして戸惑ったものでした。塾や予備校にとっては、少子化に加えて、こうした制度の多様化をもたらす有識者の意識の変化やそれに伴う受験生の意識の変化は、好ましからざる傾向だったことでしょう。さらに、こうした環境の変化の中で、予備校間の競争が厳しくなっている現実もあります。子供の予備校選びに首を突っ込んでいて、東進ハイスクールのように、Web視聴のスタイルが広がっていることもある種の衝撃であり、私の頃には当たり前だったマンモス予備校は、もはや流行らないのかもしれないとも思ったものでした。
 私自身、若気の至りもあり、意思に反して押し付けられる受験勉強が厭でしょうがなく、学歴主義にも大いに反発しましたが、負け犬の遠吠えになってはいけないと、日本の教育制度に対する不満はいったん封印して、受験に没頭したものでした。ところが、受験が終わった途端、呑気なもので、のど元を過ぎれば熱さを忘れる良い例で、受験なんてどうてもよくなってしまい、自ら家庭教師という受験産業の末端で稼がせて頂いては、文句の言えようはずもありません。私の中で再び教育問題への関心が高まるのは、マレーシア(ペナン)やシドニーで子供たちの学校を選ぶとき、そして何よりも日本に戻ってから半年で臨んだ高校(への帰国子女)受験や、その後の予備校選びなどの大学受験への備えのときまで待たなければなりませんでした。さすがに選抜の手段としての受験制度を全否定するほど若くはありませんし、今となっては学歴はさほど関係がない(受験で測られない素養も大事だし、その後のありようによって克服し得る)と自信をもって言えますが、それでも、一生の友達を選ぶ母集団をどこに置くかという選択の問題のことを考えると、努力するに越したことはなく、子供たちが過ごした海外の学校の伸び伸びとした教育環境と日本の環境とでは、彼我の差が余りにも大きく、苦労する子供たちには本当に同情を禁じ得ませんでしたが、尻を叩かないわけには行きませんでした。
 私自身は大阪にいて、代々木ゼミナールとの接点は、せいぜい発表された共通一次試験の全国平均点を参考にしたぐらいかもしれませんが、自分と子供の二世代の間で、受験戦争という言葉こそ使われなくなっても、それほど変化したとは思えない競争環境の中で、しかし確実に少子化と意識の変化が進み、三大予備校の一角がリストラに追い込まれたのは、時代の流れとして、感慨深いものがあります。長らく変わらないと思われていた(しかし変わるべきとも思われていた)社会制度が揺らぐ・・・これも日本らしさかもしれませんが、案外、人々の意識が先行して、その後から組織や体制の変化は続くのかも知れないと思います。そういう意味では、ただの感傷にしか過ぎない。ただ、世の中が緩くなるのではなく、緊張感をもって、別の競争環境へと変化するものであって欲しいとは思います。
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花子とアン

2014-08-26 23:41:15 | スポーツ・芸能好き
 NHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」がクランクアップしたそうです。
 「ごちそうさん」ほど欠かさず見たわけではありませんが、オープニングでプリンスエドワード島と思われる美しい風景が映し出されるのが、なんとも懐かしく、時々、見ました。後に「赤毛のアン」などの翻訳を手掛ける、明治から昭和の動乱期を生きた村岡花子の半生をもとにしたフィクション・ストーリーです。
 ところで、このドラマのお陰で、プリンスエドワード島への日本人観光客が急増し、「現地メディアは予期せぬ嬉しい悲鳴と報じた」(Wikipedia)そうです。
 同島は、カナダの北東にある、「赤毛のアン」シリーズを書いたL・M・モンゴメリが住んでいた島として有名で、いわば「赤毛のアン」のふるさとと言っても良いのでしょう。実はカナダが独立する際、カナダ建国会議が開かれたという由緒ある歴史の島でもあります。私が訪れたのは17年前のことで、ボストンから北へ、往復2000キロを超える長いドライブになるほどの最果ての島にもかかわらず、結婚式をやっていたので、珍しくて覗いてみたら、日本人の新婚さんだったという、物好きな日本人には・・・なんて言ったら怒られそうですね、聖地のような場所です。そのときは生憎の天気だったのですが、波打つような畑と赤土が美しく映えた、実に長閑な島でした。
 話をドラマに戻すと、吉高由里子さんは、「ガリレオ」シリーズに出たときは騒々しいだけで今一つでしたが、このドラマでは、家内に言わせれば田舎臭い顔立ちが、と手厳しいのですが、素朴な感じがよく似合っていたと思います。しかし何よりもこのドラマの隠れた白眉は、ナレーションの美輪明宏さんだったのではないでしょうか。語りの締めの言葉である「ごきげんよう」を使い慣れているということで白羽の矢が立ったようですが、声の妖艶さには何とも形容しがたいものがありました。配役の妙と言うべきか。
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69回目の夏・点描4

2014-08-25 23:42:46 | 日々の生活
 インドネシアに残留した最後の日本兵が亡くなったというニュースが流れました。小野盛さんという94歳の方で、終戦後もインドネシアに残留し、約1000人の元日本兵の仲間とともにオランダ独立戦争に参加し、独立後もインドネシアにとどまり、現地の女性と結婚して農業を営んでいたそうです。従軍された方にも、その多くは飢餓や疫病で亡くなったと言われるほど悲惨な戦争でしたが、戦闘で惜しくも命を失った方もあり、九死に一生ならぬ十死零生の特別攻撃で亡くなられた方もあり、勿論、生き恥を晒してと本人は戸惑いつつ生還された方もあり、いろいろな人生があるものだと思います。
 ちょっと前の話になりますが、戦没者遺族や復員者の支援を行ってきた厚労省は、海軍の軍人約219万人、軍属約150万人分の人事記録「軍人履歴原表」を今なお保管しており、「祖父の軍歴を知りたい」という問い合わせが増えているという話が報じられました。終戦から時間が経つにつれて漸減傾向でしたが、昨年は前年度比3割増になったのだそうです。その背景には、「永遠の0(ゼロ)」や日本海軍などの軍艦を擬人化したゲームのヒットがあるとされました。
 ついでに、遅ればせながら、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を今年の夏休みの課題図書の一つにして、読了しました。
 かねてから、戦争の記憶は大事だけれども、その多くは戦争経験者の個別・具体的な「経験」や戦争観に過ぎず、銃後と戦場で、内地と外地で、前線と大本営で、また戦場によってもそれぞれ一様ではなく、決して一般化できるものではないし、その単なる寄せ集めが戦争の「歴史」に昇華出来るものでもない、私たちは戦争のもつ諸相を理解し、さらに日本人は伝統的に国内問題にばかり目を向けて来ましたが、国際関係の中に位置づけるなど、客観的な全体像を掴む努力をし、国民としての「戦争観」を醸成する必要があるのではないか、と思って来ました。日本人は先の戦争を、悲惨なものとして忌避するばかりで、きっちり「総括」したとは言えないと思うからです。
 その意味で、本書は、主人公の祖父・宮部少尉の戦友に、宮部少尉の記憶を語らせながら、零戦の歴史とともに、それぞれの太平洋戦史を(史実に忠実に)辿らせる構成のもと、戦後に分かったことだが・・・といったエピソードも挿入しながら、個々人の戦争観を超えて、太平洋戦争そのものを総括する野心的な取り組みになっており、小説の技法を使えばこそ、個と総体がバランスよく織りなされているものだと感心させられました。戦争を総括するところでは、零戦の設計思想の違いや人命の扱い方についての日米の彼我の差を論じるものや、軍上層部の官僚主義や判断の過ちを、また戦争を煽ったマスコミを手厳しく批判するものなど、決して目新しいものとは言えませんが、これまでいろいろなところで論じられたものの穏当な集大成として読める安心感があります。文庫にして570頁を超える大著は、意外に字が大きくて、何より戦闘場面の臨場感にはつい惹きこまれ(仮にそれが実戦経験者がものしたもののリライトであったとしても)、一気に読み通せます。そして不覚にも何度も涙しました。
 平和は尊いからこそ、当時の人たちに思いを致し、平和を真剣に見つめ直す涙が、一年に一度はあってよいのではないかと、真剣に思いました。
 かつて大東亜戦争をテーマに短期集中して読書し、「65回目の夏」シリーズとして、ブログに書いたことがありました。その時に読んだ本の一つ「日本のいちばん長い夏」(半藤一利編)に、ある対談が収録されていて、大東亜戦争を論じるときに、時々、思い出されます。戦争の、なんとも言えないやり切れなさと、ある意味での気安さと、最後の最後に人間の人間たる所以を垣間見せて、希望を感じさせるところあり、ほかにもいろいろ感じるところもあって、再録します。
 池部良「もともと兵隊には敵愾心なんかありませんものね。条件反射としてはありましょうけど。」
 岡部冬彦「ありませんでしたね。」
 村上兵衛「ただ眼の前で仲間がやられると、敵愾心が起こる、とある友人が言っていましたが。」
 会田雄次「それは起こります。僕も経験しました。」
 有馬頼義「空襲だってアメリカがやっている気がしない、天災みたいな気がしてね。」
 扇谷正造「兵隊に敵愾心など、いつの戦争でもないのではないですかね。」
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69回目の夏・点描3

2014-08-22 02:09:48 | 日々の生活
 朝日や岩波などの所謂(かつての)「進歩的知識人」(は死語?)は贖罪意識で以て先の戦争を総括し、日本人の記憶に留めようと働きかけの手を緩めない一方で、TV報道を見ていると、若者を中心とする日本人全般にとって、先の戦争は益々遠いものになりつつある現実が垣間見えます。
 今や日本人の8割は戦後生まれなのだそうで、原爆被害をはじめ戦争を知る世代が鬼籍に入る一方なので、戦争の生の記憶が風化していくのはやむを得ないとしても、如何にその記憶を語り継ぐかが課題だと、NHKはじめさまざまなTV番組が取り上げていました。先週、NHKは街頭インタビューを紹介し、実に52%の若者が8月15日が何の日か答えられなかったと嘆いていたのは、街頭のそれがそのまま全国平均にはならないであろうにしても衝撃的な数字でした。69年前に終わった戦争で、一体、どこの国と戦っていたのか分からない、更に勝ったか負けたかすらも分からない・・・などという若者も少なくないことには、さすがに驚かされました。そのためにこそ、8月6日や9日の原爆記念日があり、15日の終戦記念日があったはずですが、平和ボケも極まれり、と言うべきか。かつての平和ボケは、念仏を唱えれば成仏できるのと同じように、たとえ備えがなくとも平和を唱えれば平和は守ることが出来る、言わば軍事力がなければ他国が攻めて来ないと(憲法前文のように)信じることが出来る観念的平和主義のおめでたさが、現実を知らない「呆け」だと言われていたわけですが、今の平和ボケは、ほんの70年前の戦争の歴史を知らない「呆け」とは・・・。
 ピケティを待つまでもなく経済格差が社会を二極化しつつあるように、戦争の意識も二極化しつつあるのでしょうか。健全な厚い中間層が日本の社会の強みでしたが、その中間層の崩壊が進んでいるようで、先が思いやられます。
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69回目の夏・点描2

2014-08-21 00:04:25 | 日々の生活
 15日の戦没者追悼式典で、安倍首相が「歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や『不戦の誓い』には、昨年に続き触れなかった」(毎日新聞)ことが、まるで枕詞のように各紙やテレビのニュース番組で報じられていました。慰安婦報道で叩かれている朝日新聞(「昨年に続きアジア諸国への加害責任には言及がなかった」)はもとより、日経新聞(「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について昨年に続いて明言せず、『不戦の誓い』との文言も使わなかった」)、保守系の読売新聞(「多くの首相が言及してきたアジア諸国への加害責任については、昨年に続き、今年も触れなかった」)や産経新聞(「近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする『反省』を昨年に続いて踏襲しなかった」)まで、揃い踏みです。産経Webが「加害責任」という言葉を使わないで表現を工夫しているのがある意思を感じさせて目を引きますが、それ以外の各紙は、表現は同じながら、明らかに非難していると見えるところから、年中行事から外れた事実を淡々と、さらにはやや好意的に伝えていると見えるところまで、その間にあってそれぞれの思いを行間に秘めていることを想像すると、なかなか興味深く思います。こうして好意にせよ悪意にせよ揃いもそろって報道されると、一体、日本はいつまで贖罪を意識し続けなければならないのか、あらためて不思議な状況に思いを致します。
 ドイツ人は、明白な「人道に対する罪」を犯したが故に、ナチスという一部の特殊集団の責に帰することが出来て、心置きなく謝罪してしまえます。それに対し、日本は、南京事件に対してすら諸説ある規模の大小に関わらず「人道に対する罪」は適用されないほどであり、単なる「平和に対する罪」を、ニュールンベルグ裁判に倣って東京裁判において軍国主義者という一部の集団の責に帰したのが実態です。戦後のGHQによる日本占領管理政策の一環として行われたWar Guilt Information Programでも、実際には日本と米国ひいては連合国との間で戦われた大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替える底意が秘められていたと、江藤淳氏は分析しました。日本人も、それに乗っかってしまえば気が楽なものを、まがりなりにも国会は戦時中も機能しており、軍人さんに対する敬意もあって、心情としてなかなか一筋縄には行かない、そして戦後のある時期には一億総懺悔ということも言われて(天皇陛下の戦争責任を回避する意図があったにせよ)、日本人として、内心、忸怩たる思いがあるのは事実です。
 しかし、そもそもの受け止める側の諸外国はどうなのか。20年前、村山元首相の謝罪外交に対し、マレーシアのマハティール首相(当時)はこう述べたと伝えられます。「50年前に起きたことを日本が謝り続けることは理解できない。過去は教訓とすべきだが、現在からさらに将来に向かって歩むべきだ。(略)アジアの平和と安全のために、すべての役割を担ってほしい」 ルック・イースト政策で日本の高度成長を見習った親日家のマハティールさんならでは・・・というわけでもなく、シンガポールやフィリピンやインドネシアやベトナムにしても、また太平洋の島々にしても、日本を非難する声を寡聞にして耳にしたことがありません。ことほど左様に、大東亜戦争のときに日本が戦場とした地域広しと言えども、今なお戦争を心理的に終わらせることが出来ないでいるのは、中国と韓国(及び北朝鮮)だけです。中国に至っては、戦争に勝ったわけでもないのに国連安保理常任理事国の席にちゃっかりおさまり、自分のことはさておいて「戦後秩序に挑戦する日本」などとあらぬ嫌疑をかけて、世界中で反日宣伝を繰り広げているのは周知の通りです。台湾と韓国に対する日本のかつての植民地政策がそれほど異なるわけではないのに、片や功に目を向け感謝し、片や罪に目を向け非難すると、以前、このブログで触れたことがありました。誠に不幸で不自然な状況と言わざるを得ません。
 幸い、第二次世界大戦終結以来、地域的な紛争以外に世界規模の戦争がなく、また日本自身も戦争に関与して来なかったために、残念ながら、日本は、対欧米、対中韓の文脈では、見通せる将来にわたって敗戦国の地位から脱却出来ない運命にあります。国連憲章の敵国条項も削除されるに至っていません。国際関係のある専門家は、日本が敗戦国の地位を克服するためには、アメリカともう一度戦争をして勝利するか、アメリカと共に戦争するしかない、などと冗談交じりに話したことがありました。一体、いつになったら日本は名誉を回復することが出来るのか。
 せめて、国連改革の一つのテーマである敵国条項を削除し、また、中国と韓国が共闘する歴史認識問題で、欧米との共同研究などにより欧米を味方につけて分断し、中国と韓国を逆に孤立させることが出来ないものかと思います。
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69回目の夏・点描1

2014-08-19 00:07:17 | 日々の生活
 15日の日経夕刊によると、大東亜戦争中の本土以外の戦没者は約240万人(厚生労働省による)、この内、日本に送還された遺骨は約127万柱にとどまり、今もなお半数近い約113万柱が海外で眠ったままなのだそうです。この数字にはあらためて驚かされました。祖国に戻れない無念さは如何ばかりかと察するに余りあります。因みに2013年度に本土以外で収集された遺骨は僅か2521柱で、それでも前年度比倍増となったのはビスマーク・ソロモン諸島で集中的に収拾が行われたためで、現地の住民の記憶が薄れ、遺骨に関する情報収集は年々難しさを増しているのが実態だそうです。多くの戦没者にとってもその遺族にとっても、戦争は終わらない。
 因みにアメリカには、国防長官の直属組織で、国防総省が管轄する軍人軍属で捕虜や行方不明になった人々の捜索、遺骨回収、身元解明に関する事務全般を管理する部局があり、法医人類学、考古学、語学専門家、人命救助、爆発物処理、埋葬専門技師(シビリアン専門家・軍人)などの専門家を抱えて組織的に活動しているそうです。自由・民主主義の国らしい。日本でも、靖国参拝にあれほど拘るのであれば、祖国に帰れないまま外地に眠る遺骨の帰還を叶えるべく、アメリカ同様の取り組みを、手遅れにならない内に、是非、行って欲しいと思います(安倍さんは戦没者追悼式の式辞で触れられていたようですが)。
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朝日新聞の弁明(補遺)

2014-08-12 13:55:30 | 時事放談
 日本維新の会の橋下さんは、朝日新聞の慰安婦報道の検証記事をめぐり、「朝日が本気なら、赤字覚悟で(検証記事の)国際版を毎日刷り、『強制連行はなかった』『性奴隷はやめて』と世界各国に配信するしかない」などと、ここぞとばかりに吠えまくっていますが、あれほど朝日新聞を筆頭に叩かれた身としては、ほれ言わんこっちゃないと言いたい気持ちは分かります。今さら朝日新聞ばかり責めても仕方ないのですが、もう一つ、産経Webに正論8月号の「日本を貶めて満足か! 朝日新聞へのレッドカード」と題した特集について触れていましたので引用します。

(引用) 彼らは東日本大震災の際、事態収拾に奔走した福島第1原発の東電職員の9割が「所長命令に違反」して「原発から退避」していたと報じている。独自に入手した政府事故調の「吉田調書」でそれが明らかになった-というのだ。この報道はニューヨーク・タイムズなどによって直ちに世界中を駆け抜けた。それまで日本人の勇気をたたえた外国メディアは次々と手のひらを返した。
 現場で指揮を執った吉田昌郎所長(故人)らの戦いを『死の淵を見た男』にまとめたジャーナリスト、門田隆将氏は「所長命令に違反して退避した人間など1人もいなかった」と断じる。彼らが報道の根拠にした報告書からも「所長命令に違反した」とは読み取れない。実際、吉田氏は退避命令を出しており、朝日は、そもそも大前提で間違っているのだが、門田氏は日本人を貶める彼らの目的は何か、「それがどうしてもわからない」といぶかるのだ。これは第2の「慰安婦報道」だろう。(引用おわり)

 日本を貶める朝日を貶めるのが趣旨ではなく、私たち一人ひとりが思っていることとは別に、メデァイが報道することが世界に拡散し、それが日本人が言っていることや考えていることだと理解され、日本のイメージが形成されることの危うさを思うからです。中国では、都会の人を中心に、メディアの報道は官製プロパガンダだと割り切ってネットを見る人の方が多くなっているのかも知れませんが、田舎ではそこまではないでしょうし、生真面目な、そしてまがりなりにも自由・民主制国家と見なされる韓国では、仮にファンタジーであってもメディア報道を信じる人は少なくないように思います。言語を異にする国民間では、相互のメディアが相互の国民間のコミュニケーションの重要な仲介役を担います。
 日本国内でも問題があり得ます。最近でこそ、ネットを中心に保守的な論説も含めて様々な意見が出るようになりましたが、もともとリベラルな思想が受け入れられやすい土壌に、戦後、GHQ史観が植えつけられ、進歩的知識人がオピニオン・リーダーとしてもてはやされ、進歩的であることこそ知的だとする雰囲気が長らく論壇を支配してきて、私の父のように、自民党支持のくせにテレビはNHK、新聞は朝日、書籍は岩波、というような家庭が多かったと思いますし、今なお(ネットは見ないで)朝日新聞しか読まない年配の方も多いだろうと想像されます。それで、国民の堅実な生活実感なり良識が反映されているのであれば問題ありません。しかし、そうではなく、イデオロギーにからめ捕られたリベラルなメディアが、現実の事象をありのままに見るというよりも、ある種のシナリオに沿って事実を検証することなく取り上げ、シナリオの上にさらに虚偽の事実を塗り重ねる作為に、人々がからめ捕られて、現実感覚を見失っているような気がしてなりません。朝日新聞は、国会招致までちらつかされて、さすがに逃げ切れないと思ったのか、今回の検証記事に応じざるを得なかったのでしょうが、古色蒼然としたイメージは拭いようがありません。
 「安倍叩き」は(三宅久之氏との会話の中で)「朝日の社是」と言ってのけた若宮啓文氏のような方もいました。氏が朝日新聞主筆を退任したのは2013年1月のことで、部数を落とした朝日新聞が「安倍叩き」はやめると公言したのもその頃でしたが、その後、氏は韓国・東西大学「碩座教授」、更に国立ソウル大学日本研究所「客員研究員」として招請されたのは有名な話で、ファンタジーの韓国、そしてプロパガンダの中国にも共通するのは、先ずシナリオありき、の奇妙な非現実的な性向です。
 今般の検証記事は、朝日新聞にしては快挙だと見る向きもあります。が、誤解を恐れずに言うと、これまで日本は、そもそも外交下手で争いごとが苦手な上に、日本の経済的優位を背景に精神的優位に立つからこそ、戦前の侵略戦争に対する贖罪意識のもとに、中・韓に対して遠慮し、下手に(時に卑屈に)出て、まともに付き合って来なかったのではないか、しかし中・韓が経済成長し、日本の相対的優位が失われるにつれて、中・韓が日本に対して自信をもつとともに、日本にも余裕がなくなり、衝突が未然に回避されず先鋭化せざるを得ない、それとともにリベラルも退潮を余儀なくされる、今般の朝日新聞の検証記事には、そんな社会の気分の変わり目を感じさせます。日・中・韓がまともに向き合って本格的に付き合って行くのはこれから、とも言えますが、他方で、外交は内政の延長で、中国にしても韓国にしても統治の正統性が揺らぐ中で、対外的に強硬になる傾向を強めていて、ここを凌げば将来的には良くなるのではないかと思わせるところもあって、諸相が交錯して、なかなか悩ましいところではあります。
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朝日新聞の弁明

2014-08-08 23:45:45 | 時事放談
 朝日新聞が5~6両日にわたって朝刊で慰安婦問題の特集を組み、かつて報道の一部に誤報があったことを認めたそうです。そのことを教えてくれた知人は、さすがに朝日だ、Webからはすぐに消したよ、とぼやいていて、確かに目立つところにはもはや見当たりませんでしたので、検索してひと通り読んでみました。
 朝鮮人女性を強制連行したと証言した自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長・吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言を「虚偽」として取り消したこと、また、(約20万の朝鮮人女性が労務動員されたとされる)「女子勤労挺身隊」と「慰安婦」(秦郁彦氏は2万人前後と推計)を混同していたことを「誤用」と認めたことはわかりましたが、どうも言い訳がましい。おまけに「他紙の報道は」という一節を設けて、国立国会図書館に所蔵されているマイクロフィルムや記事を検索できる各社のデータベースなどを参考にして(などと、大変な労力ですが、ある意味で朝日新聞の執念を感じさせます)、他紙(毎日、読売、産経の各紙)も、かつては吉田証言を取り上げたり、慰安婦と挺身隊を混同したりした例もみられたなどと、ご丁寧にも指摘していて、お互いさま、あるいは同罪だと言わんばかりの口ぶりです。そして最後に、肝心の「日韓関係なぜこじれたか」と題する一節では、主に政府間交渉の事実関係を淡々と記すのみで、火を付け、火に油を注ぎ続けた自らの関与を詫びる言葉はひとつもありませんでした。
 これによって「“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは『戦地にも遊郭があった』という単純な事実だけである」(藤岡信勝氏)ということになります(そうは言っても、当時としては単純な事実であっても、人権意識が高まった昨今、単純とは言い切れませんが、次元が異なる事象となることは間違いありません)。しかし、それでもなお朝日新聞は、この特集記事で、杉浦信之編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論説を掲載し、「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と結びました。いやはや懲りない面々といったところでしょうか。
 この朝日新聞の弁明に対する韓国の反応が気になるところですが、「おわび」や「訂正」の見出しひとつなく自己正当化に終始した朝日新聞に呼応するかのように、韓国各紙は、「朝日新聞が誤りを認めた部分を引用して報道しつつも、誤報そのものは問題視せず、むしろ、『朝日新聞、安倍(首相)に反撃』(朝鮮日報)などと、一連の釈明や主張を代弁したり肯定的に評価したりする報道が目立った」(産経Web)そうです。朝鮮日報に至っては、「安倍首相と産経新聞など極右メディアは朝日新聞を標的にし、『慰安婦=朝日新聞の捏造説』まで公然と流布させている」とし、「朝日が誤報をした事実よりも、誤報を追及し続けてきた産経新聞などを逆に批判した」(産経Web)そうです。日頃から朝日新聞を日本の良識と持ち上げる韓国だけのことはあります。
 疑問が指摘されながら20年以上にわたって放置してきた朝日新聞の責任はやはり重いと言わざるを得ません。新聞の誤報が外交問題に発展したのは、別にこれが始めてのことではなく、私が学生の頃にも、第一次教科書問題で、事実でもないのに、日本軍が華北に「侵略」ではなく「進出」に書換えられたと報道され、時の宮沢官房長官が中国に謝罪したことがありました。私はたまたま今は亡き保守系雑誌「諸君!」の渡部昇一論文を読んで事の次第を知り、朝日新聞への不信はまさにここに始まりました。そうは言っても、朝日新聞に勤める人は個人的には素晴らしい人が多いと思っており、中央官庁にしても朝日新聞にしても、個人としては良いのに組織になると途端にダメになるのはどうしたことだろうと不思議に思います。実際に、子供の頃、「天声人語」を担当し、「日本のマスコミ史上、最高の知性派の一人と言われた」(Wikipedia)深代惇郎氏がいましたし(しかし急逝)、学生時代には、「週刊文春」誌上にペンネーム「風」で書評を連載していた百目鬼恭三郎氏のような方もいて、敬愛していました。博覧強記と毒舌をもって恐れられ、敵も多かったようで、実は「半ば喧嘩のような形での退社」で「百目鬼の立ち位置は朝日新聞社における傍流であり異端だったと言える」とWikipediaは伝えていますが。最近でも、船橋洋一氏は朝日新聞主筆まで務められました。
 最後に、新聞報道の影響力という意味で、産経新聞政治部編集委員の阿比留瑠比氏が、「それにしても慰安婦問題を考えるとき、吉田証言に食いつき、これを利用して日本たたきを展開した識者の多さに気が遠くなる」と指摘された記事の該当部分を引用しておきます。

(引用)吉田氏は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話作成時には政府のヒアリング(聞き取り)対象となったし、国連人権委員会(当時)に提出され、慰安婦を「性奴隷」と認定した8年の「クマラスワミ報告」でも引用されている。
 日本に批判的なオーストラリア人ジャーナリスト、ジョージ・ヒックスの事実誤認の多い著書「慰安婦」でも、参考文献として吉田氏の本が記載されている。4年7月の日本弁護士連合会人権部会報告でも吉田氏の著書が引用された。
 韓国政府も、同年7月の「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で吉田氏の著書を強制連行の証拠として採用しているのである。
 社民党の福島瑞穂前党首らとともに、韓国で対日賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し、代理人を務めた高木健一弁護士に至ってはこれとは別の裁判で吉田氏を2回、証人として招いて証言させた。
 民主党の仙谷由人元官房長官の大学時代からの友人でもある高木氏は著書「従軍慰安婦と戦後補償」(4年7月刊)で、吉田氏の法廷証言を26ページにわたって紹介している。その中で高木氏は、こう吉田証言を称賛している。
 「その証言は歴史的にも非常に大きな意義がある」
 「戦時における日本の社会全体がいかに正義と不正義の分別さえ全くできなくなっていたか、その異常な状況を証明して余りある」
 朝日をはじめ、当時の言論空間がいかに事実と虚構の分別さえ全くできなくなっていたかが分かる。
 当の吉田氏は8年の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューでこう開き直っていた。
 「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」
 吉田氏は自身の創作話に裏付けもとらずに飛びつき、論調が合うからと恣意的に垂れ流した新聞報道などのあり方を、実は冷めた目で見ていたのかもしれない。(引用おわり) 
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マラソン・シーズンに向けて

2014-08-02 21:07:36 | スポーツ・芸能好き
 今日も猛暑日の、「夏」真っ盛りですが、来年2月22日に開催される東京マラソンの受付が昨日から始まりました(8/1~31)。記録を狙うというより、お祭りに参加する、言わばオリンピックと同じで「参加することに意義がある」大会ですので、私も例年通り機械的に申し込みました。当選したら、さて、どんな仮装で参加しようか・・・胸が膨らみます。
 因みに9~10月に行われる大会はだいたい締め切られ、11月以降の大会も徐々に締め切られつつあるような状況で、私も三度目のシーズンに向けて、11月末と12月末にハーフ・マラソン大会を一つずつ申し込みを済ませました。今年は、なんと言っても横浜マラソン(第一回、3月15日)が目玉でしょうが、参加料1万5千円は破格です。普通の大会の3倍、東京マラソンですら1万円に押さえているところですから、ちょっと主催者の意図を測りかねます(と言いつつ、初モノなのでダメ元で申し込みましたが、来年以降は再考を要します)。
 ところで、旧聞に属しますが、月刊ランナーズ7月号が全日本マラソン・ランキングを発表しました。2013年度のフル・マラソン完走者は合計28万6395人(但し、全日本マラソン・ランキング対象大会)で、男性は22万5559人と8割近くを占め、平均タイムは4:37:32、女性は6万836人で平均タイム5:07:56だったそうです。興味深いのは、男性の年齢別の平均タイムで、20歳代4:44:59、30歳代4:44:37、40歳代4:33:36、50歳代4:29:45、60歳4:44:18と、僅かずつではありますが20代よりも30代、30代よりも40代、40代よりも50代と、平均タイムが良くなるという事実です。通常、スポーツ科学の世界では30代がピークに達すると言われるのですが、「体力」は衰えても「意欲」がある50代こそピークを維持するところが、市民マラソンたる所以でしょう。私も、何故走るのかと自問自答して、「そこに山があるからだ」なんて野暮なことは言いません、アンチ・エイジングには違いないですが、30代の自分(30代のときの記録)に挑戦するというのが、私なりのこだわりです。
 だからと言って、この暑さでは、ジムにでも通わない限り練習もままなりません。走りたくてむずむずしながらも、こう暑くちゃ仕方ないなあと、ズボラな自分が顔を出す、まさにマラソンは、練習にしても大会にしても、自我との戦いです。人間って、そんなに強くないからなあ・・・と、この歳になると割り切りたくもなりますね。
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