風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

青梅マラソンへの道(5)

2014-01-29 23:34:07 | スポーツ・芸能好き
 今日はマラソン・シューズ、つまりスポーツとテクノロジーにまつわる話をします。
 正月に、お年玉セールを利用して、新しいマラソン・シューズを購入しました。これまでは靴のスーパーみたいなところで7000円くらいで売られているごく普通のジョギング・シューズを、練習でもレースでも履き続け、昨シーズンに700キロ、今シーズンも既に半分近い340キロを走破して、600キロが靴の替え時の目安と言われますから、とうに寿命を迎えていました。そこで、マラソンでは先輩格の同僚にアドバイスを求め、定価16,250円(税込)・・・この値段ですと、もはや「ジョギング・シューズ」などという生易しいものではなく、「レーシング・シューズ」と銘打っていて、猫に小判かとも思いましたが、奮発しました。最近のマラソン大会を見ていると、カラフルなウェアで如何にも金をかけているなあと思わせる人が多くて、先ずは内実を伴ってからと考える貧乏性の私でも、そんなカタチから入る人たちに刺激を受けてしまったとも言えます。
 昨晩、帰宅後、筆おろしに10キロ走って見ました。靴自体が軽いだけでなく、実に軽快に走ることが出来て、せいぜい数千円の値段の差がこれほどのものとは思ってもみませんでした。いつもの7キロのコースで1分短縮しましたので、単純計算でハーフ・マラソンなら3分、フルなら6分もの短縮になります。何が違うかと言うと、これまでの「ジョギング・シューズ」は、走ると、ふわふわ浮遊感のような不確かなものがあったのに対し、新しい「レーシング・シューズ」は、足の裏がしっかり地面をつかまえるといったような確かな感覚があることです。この感覚は、高校の陸上部で中距離を走っていた頃、今の厚底の感覚からすればまるで地下足袋のような、でも当時大人気の「ハリマヤ・シューズ」を履いたときに感じたものに似ていて、実に30数年振りに身体が思い出した、逆に言うと30年以上も(その間、全く意識されたことはなかったにもかかわらず)身体がしっかり覚えていたことに驚かされました。
 もう少し科学的な装いを纏って、人間工学的な解説を試みます。通常、靴裏のクッションは柔らかいほどショックが吸収されて足に優しいように思われがちですが、足がグラついて、却って膝などを痛めやすいというのが、最近の定説のようです。適度に硬い方が良いのです。先ほど、これまでの「ジョギング・シューズ」で浮遊感があったというのは、靴裏のクッションが少し柔らか過ぎたのだろうと思います。そもそも人間の足裏は、原始時代には靴などなかったことを思い浮かべれば分かるように、走る際にごく自然にバネが利く構造になっています(足裏の前後左右にブリッジ構造があるとも説明されます)。新しい「レーシング・シューズ」は、靴のクッションが適度に硬いものですから、その人間の足のもつバネを自然に働かせることが出来る、あるいは最大限に働かせているのだろうと想像されます。地面から受ける反発を、靴裏のクッションが吸収することなく、そのまま推進力に変えることが出来るため、走っているときには軽快でスピードが出て地面をつかまえる感覚があるとともに、走り終わっても膝などへの負担が少ない効果があるのだと考えられます。
 かつてSpeedoの競泳水着が記録が出過ぎて問題になったことが記憶に新しいですが、まさにテクノロジーの進歩がスポーツに与える影響は相当なものであることが、この一事でも分かります。この恐るべき「レーシング・シューズ」とは、アシックスのターサー・ジャパン(正確に言うと、私が買ったのは2013年夏限定、WhitexGoldのLimited ColorのTARTHER JAPAN SP)というモデルです。是非、試してみてください。
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第一次大戦から100年

2014-01-28 00:29:45 | 時事放談
 世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が、1月22日から25日まで、スイスのダボスで開催されました。今回、安倍首相は、日本の首相として初めて基調講演を行ったのでしたが、そのことよりも、22日に行われた外国メディア関係者との意見交換で、悪化している現在の日・中関係を、第一次大戦で対決する前の英・独関係に譬えて説明したことが、話題をさらってしまいました。
 正確には、日中が軍事衝突に発展する可能性はないかと問われて、次のように答えたと報じられています(1/24付産経Web)。

(引用)今年は第一次大戦から100年を迎える年だ。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず、大戦に至った歴史的経緯があった。/ご質問のようなことが起きることは、日中双方にとって大きな損失であるのみならず、世界にとって大きな損失になる。そうならないようにしなくてはならない。中国の経済発展に伴って日中の経済関係が拡大する中で、問題があるときには相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要だ。(引用おわり)

 麻生発言と同じで、これだけ読むと何の問題もないように思います。ところが、首相が発言していない内容を通訳が伝えたことが原因で、英紙などが「日中関係について第一次大戦前の英国とドイツの関係と『類似性』があると発言した」と誤って伝えた、と言われます。実際に問題となっているBBCのRobert PestonというBusiness Editorのコラムを読んでみたところ、悪意すら感じさせる、やや挑発的な内容でした(http://www.bbc.co.uk/news/business-25847276)。そういうキャラを演じているのか、Wikipediaを見ると、自ら"culturally Jewish"と名乗っているそうなので、普段から歴史認識に関していろいろ個人的に思うところがあるのか、さらに直接的には、ダボス会議で安倍首相が靖国参拝について釈明したことが癇に障ったか、あるいは他に何か毒づかせる背景があったのか。
 こういった個別の事象はともかくとして、一般的に、国際政治の世界では、覇権国(国際システムの秩序提供者)と台頭する挑戦国がパワー・トランジションを経験する過程で、しばしば秩序の混乱や大戦争が生じて来たと論じられ、20世紀後半の秩序形成を担った米国と、21世紀に台頭する中国との本格的な対立は避けられないと結論づける見方があるのは周知の通りであり、現在の米・中関係を1914年当時の英・独関係に重ね合わせる歴史家も多いのは認識すべきであり、安倍首相はそれを知ってか知らでか、よりによってその譬えを日本に当てはめてしまったものですから、飛んで火にいる夏の虫、その発言が注目を集めたのは無理もないのかも知れません。
 ドイツ在住ジャーナリスト熊谷徹氏によると、ドイツの保守系の高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ」の昨年12月3日第一面に「極東を覆う暗雲」と題する社説が掲載されたそうです。外交・安全保障問題を担当するクラウス・ディーター・フランケンベルガー論説委員は、この記事の中で、オバマ政権の元官僚が語った「尖閣諸島が、21世紀のサラエボになることを危惧している」という言葉を引用し、次のように述べているそうです。

(引用)1914年のサラエボと今日の尖閣諸島を比べるのは、あまりにもセンセーショナルだと考える人もいるかもしれない。しかし安全保障を担当する米国政府の関係者がこのような比較を行うということは、東アジアが紛争の火種を数多く持っていることを意味している。(中略)東アジアの小さな島をきっかけとする対立が制御不能に陥り、地域的な紛争が不測の事態を契機に大国の衝突につながる危険はないのだろうか(引用おわり)

 更に続けて、同論説委員は、日本政府批判を展開していると言います。

(引用)中国、日本、韓国では国粋主義的な勢力がナショナリズムを煽っている。特に中国と韓国では、過去に日本に占領・支配された記憶が今なお人々の間に残り、傷をうずかせている。その理由の1つは、現在の日本政府が歴史的な責任を重視せず、過去との対決を疎かにしているからだ(引用おわり)

 これに関して、熊谷氏は、ドイツにとって中国はアジアで最大、全世界で第3位の貿易相手国であり、市場としての重要性は高まるばかりで、日・中対立に関するドイツメディアの姿勢も、しばしば中国寄りになることが背景にあると指摘されています。そして、熊谷氏は、「日本は過去と十分に対決していない」という論調は、ドイツでは20年以上前から頻繁に見られるものであり、特に珍しいものではないが、こうした外国のメディアの報道によって、日本のイメージがさらに悪化することを懸念されています。さらに、ドイツが過去半世紀の間、ナチス時代の歴史を糾弾し、若い世代に歴史的事実を伝える努力を続けて来たのはよく知られるところですが、熊谷氏は、ドイツが過去と対決してきたのは、道義的な理由だけではなく、10ヶ国と国境を接した貿易依存国が生き残るための「リスクマネジメント」でもあったとも指摘されています。
 このあたりの扱いはなかなか難しいところです。
 日本で歴史修正主義が出て来たと言っては批判されるように、戦後70年近く経ち、ドイツでも歴史修正主義の動きがあるという話を、別のドイツ在住の作家から聞いたことがあります。しかし、ドイツの場合は巧妙で、ナチスという絶対的な悪の存在があるせいでしょう、日本と違って、戦時中のドイツは悪くなかったとは決して言わないそうです。そうではなく、ドイツ人も被害者だったと主張するのだそうです。
 しかしドイツと日本とでは決定的に違うことがあります。第二次大戦後に国際軍事裁判所憲章で初めて規定され、ニュールンベルグ裁判が管轄する犯罪とされた、(A)平和に対する罪、(B)戦争犯罪、(C)人道に対する罪の三つの内、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)は衝撃的であり、(C)人道に対する罪が適用されました。他方、極東国際軍事裁判では、日本の戦争犯罪とされるものに対して(C)人道に対する罪は適用されませんでした。南京事件(いわゆる南京大虐殺)は、広島と長崎の原爆投下による被害を相対化するためのデッチアゲだと言われますが、連合国は、これすらも交戦法違反として問責したのであって、日本にはナチスのような民族や特定の集団に対する絶滅意図がなかったと判断し、人道に対する罪を適用しませんでした(以上、Wikipedia)。
 日本は、先の戦争をどう総括するのか。国内に閉じた話であれば自由にやって構いませんが、ネット社会で、日本だけに閉じることはあり得ず、むしろ世界に向けて積極的にメッセージを発信していくことが重要でしょう。経済的に重要性を増す中国の情報戦に対抗するためには是非とも必要なことです。しかし、過去に中・韓に対して行って来たように、ただ無条件に謝罪するだけでは、先人の意思決定を、ひいては日本民族の歴史を、冒涜することになりかねませんし、ただ自己正当化するだけでは旧・連合国の反発を招くのは必至です。戦略的な対応が望まれます。ダボス会議における「第一次大戦から100年」に関する一連の記事を見ながら、まさにNSCの最初で最大の仕事はこのあたりにあるのではないかと、つらつら思った次第でした。
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韓国の教科書問題

2014-01-21 22:03:13 | 日々の生活
 韓国の国内でも歴史認識問題があり、左と右の対立、否、むしろ保守派が左派に押されて(という構図はかつての日本と同じですね)、保守的な教科書採用が見送られる事態が続出しているという報道を見つけ、興味深く思いました。十日程前の産経Webにあったもので、保守派執筆陣による高校歴史教科書を、当初は20校以上が採択を予定していたところ、野党陣営や左翼系学者らがこぞって「歴史歪曲」「親日・親独裁の欠陥右翼教科書」と非難したものだから、1校を除き使用教科書を左派系に変更する事態となっているのだそうです。

(引用) 保守派の教科書は昨年検定に合格した。韓国の近現代に関する記述で、日本の「抑圧と搾取」への抵抗の歴史というこれまでの“暗黒史観”の構図を否定。日本統治下でも韓国人は自己啓発に努め、社会は発展したとする「植民地近代化論」の立場から、歴史の多面性を取り入れた編集方針を特徴としていた。ただ、保守派教科書の歴史認識に左派勢力が反発。独裁者とされていた初代の李承晩元大統領について、共産主義の侵略から自由主義体制を守った民族的指導者と記述したり、朴正煕元大統領による近代化や経済発展などのプラス面を強調したことが問題視された。(引用おわり)

 この最後のくだりを読むと、朴槿恵大統領の苦労がしのばれます。親の七光りと言うよりも、日本の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、創氏改名によって高木正雄を名乗り、終戦まで関東軍の中尉として活躍し、大統領となってからは日韓基本条約の締結を行い、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長へと導いた、親日家のお父ちゃん似とちょっとでも評されるのを徹底的に回避せざるを得ないわけです。ある日本の大学の韓国政治専門家が話していたことですが、確かに彼女の本心は親日との噂もあるにはあるが、彼女の自伝をじっくり読んだところ一切それらしいことには触れていないし、彼女は一生本心を明かさないであろうと。なにしろ、韓国では北朝鮮寄りで保守政権を激しく批判する左派勢力が教育現場に浸透しており、韓国紙(朝鮮日報)によると、全国1714の高校で使用される韓国史教科書のうち9割が左派系出版社版なのだそうです。
 そのお父ちゃんは、「福田赳夫が韓国を訪問した際、酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のある高官が過去の日本統治時代を批判する旨の発言を始めたところ、彼を宥めたうえでこう語っている」(Wikipedia)そうです。

(引用)日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。— 金完燮 日韓「禁断の歴史」p.212 小学館 2003年10月(引用おわり)

 しかし、ああいうお国柄ですから、自国民の発言であっても、信頼されないでしょう。それでは、韓国人でも日本人でもない、第三国の人は、日本の植民地統治をどう見るか。スタンフォード大学フーバー研究所のアメリカ人研究者マーク・ピーティー氏による「植民地―帝国50年の興亡(20世紀の日本)」(1996年 読売新聞社)が、一年ほど前、慈学社出版から復刻出版されましたし、昨年夏には、日系人が含まれるもののアメリカ人研究者ジョージ・アキタ氏とブランドン・パーマー氏による「『日本の朝鮮統治』を検証する 1910-1945」(草思社)という実証研究も出ていますが、手元にありません。古い孫引きになりますが、フランス人地理学者ジャーク・プズー=マサビュオー氏は「新朝鮮事情」(1985年 白水社 文庫クセジュ)で次のように述べています。

(引用)現代の朝鮮人の目に、日本植民地時代の悪い面が、伝統と独立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、他面においては、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤はこの時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。日本は、約40年程の間にきびしいやり方で、自然の脅威にさらされ、大きな工業設備をもたず、貧しかったこの農業国家を科学的な農業と様々な工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれた国へと変身させたのである。朝鮮がその独立の際、この経済能力のすべてを自国民の利益のために利用することによって、極東における最も恵まれた国の一つに、そして日本に次いで豊かな国になるであろうことは、すでに明らかだったのではなかろうか。(引用おわり)

 上記については、地理学者らしい視点とともに、地理学者ゆえの限界を指摘し、経済発展の前提条件として、識字能力や価値観・生き甲斐といった精神的要素、広い意味での教育問題に取り組んでいたことに触れられていないことを批判する人もいます。実際、日本が植民地統治する以前の朝鮮は、貴族(両班)の腐敗と民衆への搾取が横行し、恐ろしく不衛生で社会インフラも未整備、流通や貨幣経済が崩壊している悲惨な状況にあったのは、イザベラ・バードというイギリス貴婦人が1894年から1897年にかけて、4度にわたり朝鮮を旅したときの紀行である「朝鮮紀行~英国婦人の見た李朝末期」(講談社学術文庫)に詳しいそうです。
 などと、つらつら書いてきて、そう言えば5年前にも似たようなテーマで別のブログに書いていたことを思い出しました。今とは違って、中国や韓国に対する認識はまだ浅く、客観的に突き放して見ているのが、なんとも懐かしい。

(参考)韓国における歴史認識 http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20090326
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青梅マラソンへの道(4)

2014-01-19 23:58:15 | スポーツ・芸能好き
 今日、米軍・横田基地で開催された第33回フロストバイト・ロードレースのハーフの部に参加してきました。
 ハーフ、5キロ、2キロと三種類のレースがあり、ハーフの部は、滑走路を横目に、基地内をぐるりとほぼ一周し、折り返してスタート地点に戻る、フラットで走りやすいコースです。主催は横田基地と基地内のランニング・クラブ(Yokota Striders Running Club)で、場所は交通規制の必要なく(その代り、米軍基地内ですから、入場時にPhoto IDの呈示を求められ、金属探知機と目視による手荷物チェックも受けます)、高校の体育館を着替え用に、中学の体育館を荷物置場に、それぞれ利用出来るなど、施設面では恵まれていますが、途中のキロ表示板は目立たなかったり倒れていて気づかない場合もあり、給水所も人手不足で間に合わなくて混雑するところもあり、と、「全国ランニング大会100撰」に選ばれている割りには、運営はいまひとつでした。
 しかし何と言っても、雰囲気はアメリカン!です。基地内のスペースの取り方はもはや日本ではありません。無駄な(と言っては失礼ですが十分な)駐車スペースや、建物の間の十分過ぎる空間、そして、記念品のトレーナーもアメリカン・サイズ、通りの名前は勿論英語ですし、道路標識も日・英併記、荷物置場や給水所を運営する人の多くはアメリカ人ですし、ゴール後、ホットドッグやBBQの屋台を運営するのもアメリカ人、といった塩梅です。そのため、スタート地点では国歌斉唱(勿論、アメリカの国歌)でもあるのかと期待しましたが、そこは日本人向けの大会(一種の社会貢献、オープン・キャンパスみたいなものなのでしょう)に配慮して何もなく、さらにアナウンスすらなく、スタートエリアは予め申告した予想Finishタイムに応じてA~Fにブロック分けしておきながら場内整理がないので、てんでばらばら、いきなり号砲が鳴ってスタートを知るといういい加減さ・・・これもアメリカン!です(苦笑)。1万人前後が集まる比較的大規模な大会で、多くがハーフに参加(参加費5000円)していることを考えると、5千万円近くが集まって、ぼろ儲けやなあと、そちらの方に興味を覚えたほどでした。
 さて、私は2年目のサラリーマン・ジョガーとして、週一のジョギングでどこまで走れるかに挑戦しているわけですが、この日はグロスで2時間3分、スタート地点まで1~2分かかったとしても、ネットで目標の2時間を切ることが出来ませんでした(多分)。正月休みに、中三日で走ったところ、調子良く走ることが出来たので、つまり、一週間に一回のジョギングでは、走らない6日間に体力が落ちてしまって、戻すのがせいぜい、というのがやはり実態であることに気づいて、先々週、そして先週と、週半ばに帰宅後に10キロ走を入れるという「禁じ手」を使ったにも係らず、この結果にはちょっとショックでした。スタート後は暫く渋滞して前に出ることが出来ず、5キロに33分程かかってしまい、この最初の出遅れを、今の私の実力では挽回し切れませんでした。また、周回なので、追い風・向かい風、両方ありましたが、どちらかと言うと冷たくて強い向かい風の場面が多く、体力を消耗したような気がします。
 これで11月から三ヶ月続けてハーフのレースを走って来て、今シーズンは、ハーフは打ち止めです。来月の青梅(30キロ)に向けて、ようやく3時間が切れるかも・・・と、ちょっと手応えを掴めたのが、せめてもの慰めです。
 上の写真は、さすが米軍基地と思わせる給水シーン。

(追伸) 今日(2014-01-20)、公式サイトでネット記録が発表になり、スタート地点まで3分以上かかっていたため、なんとか2時間を切ることが出来ました。
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生存本能

2014-01-18 10:13:41 | 日々の生活
 数日前のことになりますが、都心でこの冬一番の寒さが更新されたとき、ちょっと外国で異文化に出会ったような驚きがありました。会社からの帰り道、近所のドラッグストアを通りかかったとき、ふと見ると、3~4歳の男の子が、自転車の荷台でお母さんを待っていた・・・否、待たされていた、もうちょっと悪い言い方をすると、寒空のもとに放置されていたのです。勿論、暖かい恰好はしていました。夜9時とは言え店先なので店内の煌々とした灯りに照らされてもいました。そして、親御さんは買い忘れがあって、ちょっと買い足しに店に戻っただけ、その一瞬をたまたま見てしまっただけで、見過ごしてしまえば何てことはないいつもの帰り道だったのかも知れません。
 極端な言い方をすると、最近、日本人は生存本能が衰えているのではないかと秘かに心配しているのですが、そこまで大袈裟に言わなくても、長い太平の世の末に、危機意識がちょっと薄れていることは間違いありません。ここがアメリカなら、さしずめ車の中に子供を置いたまま買い物をする光景に相当し、子供に不当な苦痛を強いる虐待ととられかねません。ここが中国なら、人さらいにあって、臓器を売りとばされてしまうかもしれない。まあ極端な譬えですね。それを見張るのもなんだか妙だと、早く親が戻らないかと何度か振り返りつつも、歩みを緩めることなく、その場を後にしましたが、問題と思いつつ関わりを避けようとする私も変? いやいや、ただの心配性に過ぎなくて、むしろ平和な日本を象徴する出来事だと言うべきか?
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成人式

2014-01-14 02:08:03 | 日々の生活
 今年の新成人は全国でおよそ121万人で、統計開始以来、最も少ない人数となった(読売新聞)そうです。因みに、総務省統計局の年齢別人口データ(2011年10月)を元にすると、5歳上の年代は131万人、10歳上は148万人、20歳上は昭和46~49年の第二次ベビーブームで唯一200万の大台を越える年代(203万人)で異常値としても、30歳上は160万人で、これ程の減り具合とは、あらためてちょっと衝撃的ではあります。さらに10年後は111万人レベルまで減り、期待されるべき第三次ベビーブームの影響は殆どなく、また反転の兆しもないのはご存じの通りです。
 そんな今年の新成人のうち、63%が自分の将来について「明るいと思う」と回答し、これは、昨年の同調査よりも12%ポイント高い数値だったそうです(マクロミルの調査による)。アベノミクスの成果は生活感覚として実感することはまだなくても、東京オリンピック招致に成功し、この将来の大きなイベントに向けて世の中が動き始めているのをはじめとして、世の中の雰囲気が明るくなりつつあり、ある意味で自信を取り戻しつつあることが、ここでも読み取れます。
 魯迅(1881~1936)本人の経験が元になっているとされる小編「故郷」(1921年5月発表)に次のようなくだりがあります。「希望というものはもともと、いわゆる有ともいえないし、いわゆる無ともいえないのだと。それはちょうど地上の路のようなものだ、実際は地上にはもともと、路というものはなかったのを、歩く人が多くなって、そこが路になったのである」(増田渉訳)。新成人に向けて、否、全ての人に向けて贈りたい言葉です。

(追伸)
 学生時代、ロシア政治思想史を専攻する教授は、ソ連の体制を蛇蝎の如く嫌っていた理由の一つとして、またソ連の共産主義体制が如何に不毛かを示す証左として、ソ連にはドストエフスキーがいないと、よく言われたものでした。今の中国にも魯迅がいないと、言えなくもない気がします。
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都知事選の空騒ぎ

2014-01-12 20:39:07 | 時事放談
 細川の殿様、と言うよりは、ご隠居様とでも言った方がよいくらいですが、ついご乱心と言いたくなってしまう、都知事選への出馬を決意されたようです。
 前回まで二度にわたって、「アジアの声」本編とおまけで、しらばっくれるメディアについて書きました。首相の靖国参拝に対して、中・韓(・ロ)の極めてローカルな反発がまるで世界中で巻き起こり、さも中・韓の言う通りに日本が世界で孤立しかねないお祭り騒ぎには、ちょっとうんざりしてしまいますし、欧米や東南アジアが、東アジアの緊張を懸念するのは事実ですが、その背後にある、世界中で中国への経済的な依存が強まる一方で警戒心も広がるアンビバレントな文脈が、意図的としか思えないのですが、捨象される現実には呆れてしまいます。一体、何の狙いがあるのか、安倍さんの首脳外交はなかなか文句のつけようがないと思うのですが、進歩的メディアとしては政権の良いところを褒めたくない一心からか、朝日新聞のように、第一次安倍内閣では、安倍おろしが社是だと(論説主幹が)公言しながら、それで発行部数が落ちたものだから、第二次安倍内閣では、安倍おろしの旗を降ろすと言いながら、やはり政権の保守的な性格に反発したくなる反体制リベラルの本領か。
 同じように、しらばっくれるのが目につくのが、都知事選をめぐる報道です。
 今朝の産経Webに、細川の殿様の出馬の背景が解説されていました。先に出馬の決意を固めた舛添さんが自・公の支援を得て圧勝する見通しに危機感を抱き、「今回の都知事選は東京だけでなく、国にとって重要だ。有権者に選択肢を示さなければならない」と思い立ったようなのです。それほど二大政党政治にこだわりがあるのであれば、1994年に簡単に政権を放り投げるべきではなかったですし、民主党結党を見届けた後の1998年に還暦を迎えたことを区切りとして衆議院議員を辞職すべきではなかったですし、今だって都知事選ではなく国政で野党再編に動けばいいと思いますが、何故、都知事選なのか、なお素朴に疑問に思います。
 政策として聞こえて来るのは「脱原発」だけで、安全保障的観点も含めたエネルギー戦略そのものや、現実的な廃炉への道筋を考えることなく、同じように能天気にワンフレーズを訴える小泉パパとの連携を模索しているようです。しかし、石破さんが批判する通り「原発政策は一義的に国政の課題」であり、私も都民の一人として、「脱原発」だけで都知事を選ぼうとは思いませんが、自民党は争点が脱原発に絞られることに警戒を隠さないようですし、民主党まで即時(原発)ゼロに流れると党内で反発が出る可能性があると心配する向きもあるのは、本末転倒と言うべきではないでしょうか。こうしたことを勿体をつけて報じて恥じない、しらばっくれたメディアって、一体、何なのでしょう。
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アジアの声・おまけ

2014-01-07 23:53:54 | 日々の生活
 前々回、中・韓・ロシアとの浅からぬ因縁と言いました。百数十年来、東アジアの対立の構図は変わらないことに慄然とさせられます。
 歴史を紐解けば・・・アヘン戦争以来、欧米による中国への植民地支配が強まったことに危機感を強めた日本は、明治維新という無血革命を成し遂げ、中央集権国家としてまとまり、富国強兵に邁進します。そして、日本列島のど真ん中を刃のように突き刺さり、日本へ侵略する際に通り道となる、朝鮮半島の安全確保に、頭を悩ませます。仮想敵国は、言わずと知れた超大国・ロシアです。そこで、中国の属国だった朝鮮を独立させ、朝鮮半島を一種の緩衝地帯にしようと画策しますが、日本の支援を受けた独立派の野望を挫いた朝鮮は、二大国である中国とロシアとの間をのらりくらりと行き交うばかりで、あの福沢諭吉さんでさえ見限るほど、頼りになりません。このあたり、現代の二大国である中国と米国の間で二股外交を続ける韓国を彷彿とさせます。今も昔も、所謂事大主義ですね。しかしそうは言っても今の韓国の方が、如何に経済的に中国に依存しようと、まがりなりにも独立国であって、まだマシでしょう。結果として、当時、朝鮮半島の解放と独立を巡って、日本は、中国とロシアと、二度にわたって正面衝突し、決死の覚悟で二度の戦争を戦うハメになったのですから。そして、今となっては余計な事だったとつくづく思いますが、当時の文脈ではやむを得なかったのでしょう、日本自らが朝鮮半島経営を引き受け、緩衝地帯を更に満州へと広げる内に、海洋国・日本はいつしか大陸経営という不慣れな森に彷徨って・・・。
 領土紛争を抱え、政権の正統性をかつての抗日の歴史に見出し、現在も愛国と裏腹の反日を政権の求心力として利用する中国や韓国とは、いまなお戦争状態が終わらないかのような錯覚に陥ります。少なくとも先の大戦をどう評価するのかという歴史認識の問題ではバトルが続いています。しかし、中国と日本は戦争状態にあったわけではありませんし、韓国が先の戦争の被害者だったというのも大いに疑問です。しかも、韓国(そして台湾)に対しては、欧米的な植民地支配か内地の延長かといった議論の末に、当時の国家財政の十数%とも20%とも言われる投資によって、学校や病院をはじめ、港湾、鉄道などのインフラを整備し、欧米は見捨てて見向きもしなかった朝鮮半島の近代化の礎を、日本が築いたのでした。勿論、きれいごとばかりではなく、控えめに見れば功罪相半ばしたことでしょう。しかし台湾は「功」に感謝しますが、韓国は「罪」しか見ようとしません。更には、戦後、日本のもとでかつて働いた韓国人官憲や教師などの公務員を永遠に追放するという(その成れの果てが慰安婦像で活躍する在米韓国人と言われます)、恩を仇で返す国柄です。
 そもそも当時、中国は統一国家としての実体がありませんでした。如何に今の中国が、北支事変あるいは支那事変を日中戦争と読み替えさせ、さも日本に対して宣戦布告したかのように、また日本の敗戦によって勝利したかのように装っても、日本は大陸の各地で起こる事変に対処していただけのことであって、国としての実体がなかった中国と、国対国の戦争にはなりようがありませんでしたし、戦って負けたという意識もありませんでした。むしろ個々の戦闘にはことごとく勝利していたくらいです。その間、中国共産党は何をしていたかと言うと、各地の国民党との闘争に敗れ、長征という名の逃亡の果ての崩壊寸前に、敵の目を日本に向けさせ、国共合作を隠れ蓑に、辛うじて自らを温存することで生き延びたのであって、そこから攻勢に転ずると言うより、蒋介石の国民党軍と日本軍を戦わせ、双方を疲弊させて、まんまと漁夫の利を得た、というのが抗日と建国神話の実態です。戦後、日本社会党の使節団が訪中して先の戦争を詫びたのに対し、毛沢東主席が、いやいや中国共産党が政権を獲ることが出来たのは日本軍のお陰だと、むしろ礼を述べたのは、その意味です。韓国に至っては、中国大陸でともに戦っていたのであり、被害者と自己規定するのは無理があります。こうした中国大陸を巡る泥沼の争いの背後に、中国さらには日本の赤化を目論む、革命後のソ連が暗躍していました。
 今、中国が語る歴史はプロパガンダであり、韓国が語る歴史はファンタジーだと揶揄されますが、それぞれ国内を酔わせる分には勝手ですが、歴史認識問題などと言って、当の日本を巻き込まないで欲しい。
 安全保障の文脈で日本が海洋国家を名乗るのはおこがましいのかも知れません。しかし、安全保障の文脈では、やはり海洋国家として、アメリカやオーストラリアやインドや海洋アジア(東南アジア・島嶼部)と連携するのが、自然のように思います。だからと言って、中・韓・ロシアと反目していいとは言いません。どうも国情は違う。かと言って、厭でも、引っ越すことは出来ない。そんな隣人として、中国や韓国が国家・社会として成熟するまで、粘り強く付き合って行くしかありません。だいたいインドネシアとマレーシア、マレーシアとシンガポール、ベトナムと中国、等々、仲が良くない隣人同士の例は枚挙に暇がないではありませんか。そのためには、経済をはじめとして、日本は強くあらねばならない。アメリカの国力が相対的に弱くなるのを補いつつ、あくまで平和国家として、奥床しくも隠然たるアジアの要となり、科学技術と文化の両面で先端を行く、凛とした存在でありたいものです。
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遠藤浩一氏の死を悼む

2014-01-07 01:44:57 | 日々の生活
 突然の訃報に接し、ただただ驚いています。
 長い正月休みの徒然に、実は、前回ブログの続編(オマケ)を殆ど書き終えていたのですが、急遽、追悼メッセージを差し込みます。
 故・遠藤浩一氏は、拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授で、近代日本政治史を専門とされていました。同大学日本文化研究所所長も務めておられた関係で、氏の講演をよく聴く機会があり、保守派の若手論客として期待されてきた通り、私も、バランス感覚に優れた穏健な、しかし文章は歴史的仮名遣で記述されると言われるほどに真性の、保守思想には、明晰な論理と巧みな弁舌も相俟って、敬服し、興味深く拝聴してきました。とりわけものごとを批判するときにこそ丁寧に言葉を選ぶ真摯さには、氏の人柄が表われ、的確であること比類ないものでしたし、話が脱線するときに垣間見させるクラシック音楽や演劇への造詣の深さは、氏の論説が情感の豊かさに裏打ちされているのを納得させるに十分で、すーっと心に沁みとおるほどの細やかさを備えたものでした。
 折しも、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が4、5両日に実施した合同世論調査で、「安倍政権が目指す憲法改正論議や安倍首相の靖国神社参拝などへの賛成・支持が20~30代に広がり、『安倍カラー』と呼ばれる保守的な課題が若者世代に受け入れられている実態が明らかになった」と言います。靖国神社参拝について、「評価しない」回答(53.0%)は「評価する」回答(38.1%)を15%ポイント近く上回りましたが、年齢別に見ていくと、20代では「評価する」(43.2%)が「評価しない」(41.6%)を若干上回り、30代では「評価する」(50.6%)が「評価しない」(41.4%)を10%ポイント近く上回ったそうです。特に30代の男性に限定すると「評価する」は64.3%に達したと言います。
 こうした若い世代の、親の世代や私の世代とも異なり、過去に囚われることなく現状を虚心に見る保守的な心情には、これからの日本の新たな胎動を感じさせ、氏には理論的支柱として益々活躍が期待されたところでした。つい年末にも氏の話を伺う機会があり、相も変わらぬ朴訥とした、しかし力強い言説を思い出すにつけ、年齢も近いことから、亡くなられたことが、俄かに信じられませんし、私としても氏とのいわば思想的な対話はこれからだっただけに、その早過ぎる突然の死が惜しまれます。そんな喪失感を、今となっては遺言となってしまった言葉の数々で埋め合わせることが出来ることに辛うじて感謝し、ご冥福をお祈りしつつ。合掌。
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アジアの声

2014-01-05 09:43:36 | 時事放談
 新年早々、中国や韓国は日本批判を繰り返しているようです。ご苦労なことです。もっとも彼らには旧暦の正月の方が大事でしょうから、この新年のメッセージは、まさに日本や欧米を意識したものなのでしょう。
 一昨日の産経Webによると、「中国共産党機関紙・人民日報は3日付の論評で、安倍首相の靖国神社参拝や、『強い日本を取り戻す戦いは始まったばかり』との年頭所感について、『拙劣な言動』『常軌を逸したパフォーマンス』と強烈に批判した」そうです。また、「論評は『安倍が首相に返り咲いて以来、日本はアジア、さらには世界のトラブルメーカーとなった』などと個人攻撃も展開」した上、「『強大な外圧なしに、意識が朦朧とした安倍が現実感を取り戻すことは不可能であり、出鱈目を止めることもあり得ない』と、国際社会が日本に“圧力”をかけることを求めた」のだそうです。中国にとっては、ちょっと元気が出て来た日本が、よほど気に食わないようです。そうかと言って、(かつて民主党政権時代のように)中国の顔色を窺い、あるいは(小沢氏のように)ご機嫌を窺い、気兼ねする日本に対しては、高圧的に振舞い、結局、友好的であろうとする気はさらさらなく、飽くまで東アジアの地に華夷秩序を確立し、精神的に優位に立ちたいだけのように映ります。
 一方、読売Webによると、「韓国の尹炳世外相は2日、外交省の仕事始めのあいさつで、安倍首相の靖国神社参拝について、『日本の政治指導者たちの歴史修正主義的な態度は自ら孤立を招くだけでなく、北東アジアの平和と協力の大きな障害物となっている』と改めて批判した」そうです。さて、本当に日本は「自ら孤立を招く」のか。産経Webには、東南アジア諸国では冷静な反応が目立つ、との記事もあり、正月休みの徒然に、記事を拾ってみました。

インドネシアで最も影響力のあるコンパス紙は、12月28日付の社説で安倍首相の参拝について、東シナ海の領土をめぐる日中の緊張が高まっているこの時期に行ったのは「適切なタイミングでなかった」としつつも、「(靖国問題で)自らを被害者と位置付ける中韓の主張は一面的な見解だ」とクギをさした。その上で、今回の参拝は戦死者の霊に祈りをささげ、日本国民が再び戦争の惨禍に苦しむことのないように取り組む決意を伝えたとする「安倍首相の見解」を紹介した。同紙はさらに、「靖国神社には、現在は戦争犯罪者と見なされている数百人だけでなく、戦争の犠牲となった(各国の)約250万人も祭られている」と指摘し、国に命をささげた人々のために参拝することは日本の指導者として当然だとする安倍首相の立場にも言及した。

シンガポールのストレーツ・タイムズ紙(12月27日付)は、安倍首相が参拝に踏み切ったのは、これまで摩擦を避けようと終戦記念日や春秋の例大祭で参拝を見送ったにもかかわらず中韓が強硬姿勢を崩さず、「冷え切った中韓との関係に改善の見込みは少ないと見切ったためだ」との分析記事を掲載。中韓の敵視政策が逆に参拝の呼び水となったとの見方を示した。(産経)

オーストラリアの有力紙オーストラリアンは28日付の社説で「日本のオウンゴール」との表現で、自ら招いた外交的失点と指摘した。同紙は安倍氏が憲法改正など安保戦略の抜本的見直しを進めていることについて「日本の軍国主義に苦しんだ(フィリピンなどの)国々からも支持を取り付けている」とする一方、他国の反発を招くような行動を続ければ「支持を失いかねない」と苦言を呈した。(共同)

 以上の三ヶ国は、いずれも大東亜戦争で多かれ少なかれ戦場となったところですが、所謂靖国問題そのものへの言及を避けているのは、内政干渉になりかねないことをわきまえているからでしょう。インドネシアは友好国らしく、日本の意図を正確に伝えようとしてくれています。まさにインドネシアの言うように、中・韓だけが被害者ではなく、日本人すらも被害者なのが当時の戦争というものであり、結果としてアジア諸国の解放と独立に繋がった側面も忘れていないということなのでしょう。華人社会・シンガポールの立場は冷静かつ見方も公正です。これを見ても、東南アジアにおける華人=華僑ではなく、飽くまで「華人」はそれぞれの居住国の国籍をもつ中華系住民であって、父祖の地である中国(あるいは中国大陸を支配した歴代王朝)よりも居住国との関係が深いことが分かります(因みに「華僑」とは中国籍をもつ海外移民とされます)。
 メディアではなく、政府の公式見解はどうでしょうか。

シンガポール外務省の報道官は29日、安倍晋三首相の靖国神社参拝を「遺憾だ」とする声明を出した。(中略)声明は、尖閣諸島や竹島をめぐる中韓との対立を念頭に「最近の一連の出来事によって、地域の緊張が高まっている」と指摘。こうした状況下での参拝は「さらなる反発感情を引き起こす可能性が高い」とした。(共同)

ベトナム外務省のルオン・タイン・ギ報道官は31日、安倍晋三首相の靖国神社参拝問題について「われわれは関心を持っており、日本側から説明を聞いた」とした上で、「日本が地域の平和と安定、協力のために、問題を適切に処理することを希望する」と述べた。(共同)

インド外務省のアクバルディン報道官は31日の記者会見で、安倍晋三首相の靖国神社参拝と中国や韓国の参拝への反発について問われ、「日本と他国が議論を深め、協力して問題を解決することを望む」と述べ、参拝自体については評価しなかった。(産経)

台湾の外交部(外務省に相当)は1日、新藤義孝総務相が同日、靖国神社に参拝したことを受け、「地域に不安を引き起こし、遺憾だ」とする声明を発表した。昨年12月26日の安倍晋三首相の参拝時と同様、「日本政府や政治家は史実を正視し、歴史の教訓をくみ取り、近隣の感情を傷つける行動をすべきではない」としている。(産経)

中国の王毅外相とロシアのラブロフ外相は30日、電話会談し、安倍晋三首相による靖国神社参拝を共に批判した上で、歴史問題で共闘する方針を確認した。中国外務省が31日までに明らかにした。王氏は「安倍(首相)の行為は、世界の全ての平和を愛する国家と人民の警戒心を高めた」と述べ、参拝を批判。その上で「(中露両国は)反ファシスト戦争の勝利国として共に国際正義と戦後の国際秩序を守るべきだ」と述べ、歴史問題で共闘するよう呼び掛けた。ラブロフ氏は「靖国神社の問題ではロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じ、日本に対し「誤った歴史観を正すよう促す」と主張した。(共同)

 こうして見ると、台湾・外交部の反応に一部、オヤ?と思うところはありますが(国民党政権だからなのか)、概ね地域の緊張を高めることを懸念し、遺憾とするコメントが多いことが分かります。産経新聞のような保守系メディアは、靖国参拝そのものを問題視するものと、地域的な緊張の高まりを懸念するものとを混同し、ひっくるめて日本の危機を煽るところがありますが、明確に区別するべきだろうと思います。敢えて彼らの反応を解釈するならば、中・韓が昂ぶって騒いでいるときに、わざわざ神経を逆なでしなくても・・・と傍観者のように突き放すとともに、日本の立場は理解するし、存在感が増すばかりの中国への歯止めとして日本に期待しつつも、自らも中国との関係は深まるばかりであり、中国にはそれなりに配慮せざるを得ず、日・中の余計な緊張関係には関わりたくない、事を荒立てたのは日本なのだから、日本が解決するべき、といったような、やはり突き放す思いがあり、触らぬカミに祟りなし、といったところではないでしょうか。
 結果として、アジア広しと言えども、中・韓・ロシアのみが(ロシアはアジアの内か?疑問はありますが)、日本に対し、誤った歴史観を正す!?よう促すことで共闘しようとしている構図になることが分かります。この三ヶ国との因縁は、浅くありませんね。
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