風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

カジノあれこれ

2011-11-30 23:08:06 | 時事放談
 カジノには興味があります。かれこれ20年前、友人と、まだポルトガル領だったマカオに遊びに行った時、タキシードにナイト・ドレスの紳士・淑女ばかりかと身構えたら、つっかけに短パン姿のチャイニーズのおっさんたちがたむろしていて、夢破れたような喪失感を覚えて拍子抜けしたものでしたが、それはひとえに私の勝手な思い込みによるものでした。続いて、かれこれ10年ちょっと前、家族と共にラスベガスに遊びに行った時には、砂漠のど真ん中に広がる不夜城に度胆を抜かれましたが、ファミリー向けに変貌を遂げ、テーマパーク化しつつある、ある種の健全さにがっかりしたのも、ひとえに私の勝手な思い込みによるものでした。さらに5年くらい前、敬虔なイスラム社会のマレーシアにもカジノがあると聞き、日本では信じられないほど急勾配の山道を車で駆け登って、山のてっぺんの雲の上に浮かぶお伽の国のようなゲンティンハイランドを訪れた時には、遊園地の様相を呈していても、もはや驚きませんでした。
 しかしカジノにはどうにも苦手意識があります。金を単純に目的化できない、ある種のプチブル的な道徳観に毒されていて、心から楽しむことが出来ないようなのです。決して嫌いではない証拠に、これまで株式投資はほとんどしたことあがりませんが数少ない転換社債はうまく売り抜けましたし、アメリカやマレーシアに生活することになって、生活資金の現地通貨を、帰任してからは円に、あるいは転勤先の豪ドルに、うまく切替えもしました。それでも、カジノあるいはギャンブル全般にハマることに対しては健全な自制心・・・と言うよりもむしろ強烈な抑制心理、防御本能が働くようです。
 しかし世の中にはそうでもない人種がいるようです。
 とりわけ、大王製紙前会長の特別背任事件は、私のような庶民には別世界のような出来事で、些か驚かされました。連結子会社やファミリー企業からの借入金は、約90億円を中国・マカオのカジノに、数十億円をシンガポールのカジノに注ぎ込んで、総額百数十億円に上ることが判明したそうで、いくら創業家の御曹司とは言え、よくこれだけの金を、自ら歯止めをかけることなく、使い込んだものだと感心するとともに、いくらバカ殿と呼ばれようと、まがりなりにも会社組織にあって、外部からも歯止めがかからなかったのかと呆れてしまいます。後者は、最近、立て続けに起こった、読売巨人軍の清武氏の告発や、オリンパス損失隠しのような、コンプライアンスの問題ですが、興味深いのは、やはりカジノにまつわる問題のあれこれです。
 かつてハマコーは、ラスベガスで一晩に4億5千万円をすって、後に議員辞職に追い込まれました。 最近でも、宇多田ヒカルのお母ちゃん・藤圭子(私の世代には宇多田ヒカルよりも藤圭子の方がよほど馴染みがあります)が、ニューヨークの空港で、カジノで使うためと称して現金42万ドルを差し押さえられるトラブルがあったのは記憶に新しいところです。大王製紙前会長の場合は、1年半弱にわたるこの金額に対して、カジノ関係者の中には「前会長のような金払いのいい上客は、ずっとお金を使い続けてもらうためカモにならないはずなのに」と、「大負け」に首をかしげる人がいるようです。私たち庶民とは違って、恐らく至れり尽くせりのVIPルームで優雅な気分に浸って、ちょっと勘違いしてしまったのでしょうか。
 ギャンブル依存症というのは、Wikipediaによると「ギャンブルによって得られる精神的高揚に強く囚われ、自らの意思でやめることができなくなった状態を指し、強迫的にギャンブルを繰り返す精神疾患」で、摂食障害やアルコール依存症と同じく、立派な病気としてWHOからも認定されているそうです。病気と考えないことには理解不能なのでしょう。
 カジノといえば、最近、沖縄で、カジノ解禁の「特別区」に指定してもらうことで、観光業の起爆剤にしようと、県民の間で盛り上がったことがありました。東京や大阪でもカジノ構想が聞こえたことがありました。しかしギャンブル依存症への不安と、どうしても治安が悪くなるリスクがあって、踏み出せていません。そのため、昨年、開業したシンガポールでは、国外からの観光客は入場無料ですが、シンガポール人には100ドルを課しているほどです。
 再び大王製紙前会長の話に戻ると、マカオやシンガポールに進出する前には、国内の違法カジノに(当然のことながら)のめり込んだとされ、交友関係も派手で、戦々恐々としている芸能人や政・財界人も多いと噂されています。これから警察はどういう動きを見せるのか、思わぬ展開を見せるかも知れなくて、ちょっと目が離せません。
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postmortem

2011-11-26 12:17:31 | 時事放談
 余り馴染みがないと思われるこの英単語は、a postmortem examinationという組合せで「検死(解剖)」の意味で使われるようです。コンピュータ用語辞典では「ポストモーテム、事後分析」、つまり実行中のコンピュータが何らかの原因で停止状態に陥ったときに、不良プログラム部分や状態の分析を行う意らしい。ビジネスの世界では、あるプロジェクトが終わった時などに、どこが良くてどこが悪かったか、次にやる時にはどこをどう変えたら良くなるか、といったことを検証する反省会のことです。カイゼンが通常業務の中で行われるものとすれば、こちらはカイゼンのプロジェクト版と言えるかもしれない。別に会議を開く必要はなくて、メール・ベースでやりとりしながら誰かがとり纏めればよいわけで、個人ベースで見れば、誰もが多かれ少なかれほとんど無意識に心がけることですが、それを会社や部門というように組織で動くところで知として見える化し情報共有し誰にでも活かせるように習慣化し実行することは、それほど生易しいことではありません。私は、この英単語を、マレーシア・ペナン駐在時に勤務していた子会社に社長として迎えられたインテル出身者から教えてもらいました。インテルでは当たり前のカルチャーだったのでしょう。優良企業たる所以です。
 福島第一原発のような大事故で、数十年という単位での国の政策をも変えかねないほどのインパクトがある場合には、しっかり事後検証して教訓を将来に活かすべきですが、日本の政治シーンでは簡単なことではないらしい。こうした事後検証なく、やすやすと国策を反対に舵を切ろうとする性急さには心理的な抵抗を覚えますが、政治家やそこを取り巻く人々はそうした感受性に乏しく、むしろここぞとばかりにムードを利用するような露骨ないかがわしさを感じます。
 最初に「事故調査・検証委員会」が出来たのは、5月24日、菅内閣のもとで閣議決定されたものでした。委員長には「失敗学」で知られる畑村洋太郎・東大名誉教授が起用されると聞いて、ちょっと感心し期待したものです。ところが、その後、どう進捗しているのか見えなくなりました。当初、野党が懸念したように、内閣官房に置かれ、首相や関係閣僚、東電役職員らに出席を求めることができるといっても、強制力を伴う調査権限がない上、当時の菅首相の初動対応のまずさも含め政策決定過程をも俎上に載せるときに、調査委員会の人選は国会承認を必要とせず、首相の任命がそのまま通るのだとすれば、中立性が保たれるかどうかは大いに疑問であり、首相の諮問機関といった位置付けでお手盛りの答申に堕しかねません。結局、これも「私自身も含めて被告だ」と啖呵を切った菅首相のパフォーマンスに過ぎなかったのか。
 そこで、政府から独立して国会内に設置し、国政調査権に基づいて、中立的な立場で、強制力のある解明作業を行うべきだとして、自民、公明、たちあがれ日本の野党三党が、関連法案を共同提出したのは8月のことでした。難色を示した民主党も、平成23年度第三次補正予算編成の与野党協議を進めるために歩み寄って、9月末には可決されました。民間委員による調査機関を国会に置くのは憲政史上初めて(朝日新聞)との触れ込みで、証人喚問など国政調査権に基づいた調査も可能で、政府へのチェック機能も厳正なはずであり、原則公開の会議を重ね、半年ほどで報告をまとめるとされていました。
 ここ数日来の報道によれば、政府の調査委員会の方は、12月26日にようやく中間報告を出す予定だそうです。半年以上経ってなお「中間」というスピード感には驚かされますが、これまで当時の菅首相や枝野官房長官らへの聴取は行われていないと言いますから、唖然とします。もはや真剣に検証する気はなさそうに見えます。それから、国会の調査委員会の方は、法案成立後二ヶ月近く経ってようやく委員長に元日本学術会議会長の黒川清氏が就任することが決まり、来年5月末には報告書をまとめる予定だそうです。この委員長にも期待させますが、委員を推薦するための衆参両院議院運営委員会合同協議会の構成は、民主、自民、公明、みんな、共産、社民の各党から30人、各党の勢力によって割り振られており、この設置法成立前に、与野党は「調査委を政治的に利用し、これに政治的影響を与えてはならない」とわざわざ書面で申し合わせたように、政争に晒されないか不安が残ります。
 こうした政治を尻目に、民間で独自の動きが出ており、科学技術振興機構前理事長の北沢宏一氏を委員長に、元検事総長の但木敬一氏ら7委員で構成する「福島原発事故独立検証委員会」が発足したそうです。民間企業の支援で運営され、黒川清氏も委員の一人で、震災1周年の来年3月11日までに報告書を公表する方針だそうです(産経新聞)。
 また、SAPIO12月7日号には、大前研一氏が、7月に細野原発相に提案し合意されたのを受けて、ボランティアで事故原因を分析して再発防止策をまとめる「セカンド・オピニオン」が紹介されていました。次の3ヶ月でIAEAに説明し、電力業界に必要な改善策を実行させ、更に次の3ヶ月で地元住民の理解を得て再稼働できる原子炉は再稼働させる、つまり9ヶ月あれば、全原発が止まるという事態は回避できる見込み、というわけです。こうした動きがどこまで公式のものなのか、私は不案内ですが、外部のコンサルタントが調査・分析し、あるいはアメリカのシンクタンクのように政策を提言するような場がもっとあっていいと思っていますので、もっと声高に公表されても良いように思います。さて、大前氏がとったアプローチは、福島第一原発1~4号機と同じ津波に襲われながら、福島第一原発5・6号機、福島第二原発、女川原発、東海第二原発では事故に至らなかったのは何故か、どのような違いがあったのかという視点から調査・分析するという、至極まっとうなものでした。むしろ平凡過ぎるもので、私も7月11日のブログを書く前にネット検索した時に、既にいくつか報道がヒットしたほどでした。勿論、大前氏の報告は裏付けも確かで精度も格段に高いものだと思いますが、結論は同じで、福島第一原発事故は大地震・大津波による「天災」ではなく、誤った設計思想による「人災」だというものでした。このあたりは、私が8月5日のブログで紹介した武田邦彦さんの著書「原発大崩壊!」でも触れられており、大前氏からも同じ結論が出たことの意義は大きく、大いに勇気づけられますが、新興国のコンサルをされるほどの方なので、もっと大きな役割を与えられても良かったのではないかと思います。否、役割は大きいけれども、政府内での喧伝の仕方が足りないのか。
 因みに、1979年に起きたアメリカのスリーマイル島原発事故では、2週間後に調査委員会が発足し、半年後に報告書が出たそうです。
 大前氏が、調査・分析の結果わかったこととして挙げているポイントが面白い。必要なデータはほとんどがすぐに入手可能だったことと、それにもかかわらず政府が説明していることや今やろうとしていることには真実のかけらもないこと、なのだそうです。政府内での喧伝の仕方が足りないというのは、このあたりの真実のもつ迫力に気圧されるからではないでしょうか。政治の中で、自浄作用を求めるような事後検証をそもそも期待するべきではないのでしょう。それは政治に任せていては既得権益にかかわる選挙制度改革がいつまで経ってもまともに実行できないのと同じことです。欧米ではごく当たり前の、政治を監視する仕組みを機能させなければならない、そこに難しさがあるとすれば、それは私たちの心のありよう、社会のありようそのものに根差す問題です。
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新ウルトラライトダウン

2011-11-25 02:30:37 | ビジネスパーソンとして
 ご存じ、東レとの共同開発によるユニクロのダウン・ジャケットで、「想像を超える軽さ 199グラム」のコピーでTVコマーシャルでもお馴染みです。昨年の「ウルトラライトダウン」は発売後三ヶ月で完売となる人気商品となったため、今年は2.5倍の数量を用意してシーズンに備えているそうです。
 近所のイトーヨーカドーに入っているユニクロでは、先週末、5990円のジャケットが3990円の特売になり、色気づいた上の子が欲しいというので、混雑覚悟で付き添って、実際にレジ待ちに30分以上並びました。実に軽い。とにかく軽い。小さな袋がついていて、ダウンジャケットのくせに、その中に納まるほどの軽さです。こんなんでほんまに保温性があるのかと疑問に思うほど貧相に見えますが、最新テクノロジーを侮ってはいけないようです。私が学生時代に出始めたばかりのダウン・ジャケットは、ボンレスハムのようにもこもこで、お世辞にもカッコ良いとは言えなくて、私などはとても買う気になりませんでしたが、それでも多くの若者の人気を博したものでした。あれから30年、もこもこのボンレスハムはすっかりスリムになり、技術革新は、私たちの時代をout of dateとしてもはや手が届かないくらい遠くに流し去るほどに、残酷です。
 待ち時間に、ぶらぶら調べてみると、この「新ウルトラライトダウン」をはじめ殆どの衣類は中国製で、中にはベトナム製があり、ジーンズはバングラディシュ製でした。かつて高品質を誇ったmade in Japanも、今では、円高とも相俟って、中国製といいベトナム製といいバングラディシュ製といい、made by Japanに置き換わり、日本のデフレを先導します。
 貿易において、輸出は日本の輸出産業を、雇用の点から支えるという意味で貢献するのに対し、輸入は私たち消費者にそのままメリットをもたらすものであることも分かります。
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ラーメンに目覚める

2011-11-23 11:43:45 | グルメとして
 日本人はラーメンが好きですね。海外で紹介される代表的な日本食は、寿司と天ぷらですが、それは外国人にも理解されやすい典型的な日本としてのフジヤマとサムライとゲイシャの類いで、フジヤマはともかく、いまどきサムライもゲイシャもないでしょう。日本人が好む日本食、いわば国民食と言ってもよいのは、ラーメンが一番ではないかと思います。麺のシャキシャキ感もさることながら、スープへのこだわりは並々ならぬものがあります。中華料理に端を発しながら、中華料理の範疇を越えて日本独自の進化をとげて立派な日本食の地位を獲得したという意味は、この「スープだし」へのこだわりにあり、「ダシが命」の和食の系列で発展を遂げているからに他なりません。もっとも寿司も、回転ずしという業態に託けて、高級品を庶民の口に引き摺りおろしたので、今や国民食は寿司とラーメンと言うべきかも知れません。
 さて表題で「ラーメンに目覚める」と言ったのは、何も今頃ラーメンが好きになったという意味ではなく、私もラーメンが好きなことでは人後に落ちるものではありません。むしろ味へのこだわりには人一倍とも思っています。ただ、食べ方が間違っていたのではないか・・・と、恥ずかしながら、今さらのように気が付いたのです。きっかけは、土曜日夕方の「所さんの目がテン!」というTV番組で、半ばアホらしいと(関西人のニュアンスでは、関東の人が「馬鹿馬鹿しい」と言うほどの重さはありませんし、何より愛情がこもっています、為念)思いつつ、実証主義へのこだわりが好ましく、好きでよく見ます。ある時の実験で、フランス人は熱いラーメンを食べることが出来ないという、単純な、しかし重要な事実に気づかされました。そもそも西洋料理のスープはそれほど熱くないので、すました顔で音も立てずにさらりと飲むことが出来るのですが、彼らが熱々のラーメンを食べるには、麺に空気を当てて冷ませながら食べるしかないので、やたらと時間がかかる。日本人なら、ずるずるとかけ込んであっという間に食べ切ってしまうところですが、実はこの「ずるずる」には、空気も一緒にかけ込むことによってスープが直に舌に接触するのを抑え、熱さを緩和する意味合いがあったようなのです。フランス人は、そして実は私も、西洋料理でスープを飲む時に、ソバやラーメンを啜る時のように「ずるずると音を立てるのは下品」だと言われて育って、フランス人には「ずるずる」の食べ方がそもそも出来ないようですし、私も、猫舌も手伝って、汁っ気を減らして、味が薄くなった麺をさらさらっとかけ込んで来ました。それこそ半世紀近くにもわたって・・・(年齢に直結する話なので曖昧に・・・)。ところが最近、この番組のことを思い出して、箸でつかんだ麺をそのまま(ふうふう冷ましながら汁を減らすことなく)汁ごと「ずるずる」っとやってみると、汁の味がしみて、これまでにも増して美味いではありませんか。考えてみれば当たり前のことですが、なんたる不覚。この半世紀という長い年月を味気なく費やしてきたことの悔恨・・・。
 思い出したのは「郷に入っては郷に従え」の格言です。日本で日本のソバやラーメンを食べるなら、妙な西洋かぶれは捨てて、思い切り「ずるずる」を楽しむがよろし。猫舌も恐れるに足らず。これに気づいたのは、周囲の目を気にしなくなった年齢のせいでもありますが。
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ケビン・メアの弁明(後編)

2011-11-22 00:08:28 | たまに文学・歴史・芸術も
 「決断できない日本」(文春文庫)ごとき本でよくも引っ張るものだと思われるかも知れませんが、福島原発問題への対応をアメリカがどう見ていたかといったところの記述はなかなか興味深いものがありましたので、印象に残ったところを拾ってみます。
 メア氏が震災対応のタスクフォースに身を投じて早々の震災翌日午後、東京電力から在日米国大使館に「在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか」と問い合わせがあったそうです。これを聞いたメア氏は、その時点では原発の状況に関する確たる情報が入っていなかったので、原子炉の冷却系装置が壊れたことを察知して、戦慄したといいます。しかもこれは、原子炉を傷め最終的に廃炉を余儀なくすることになる海水注入を躊躇っていることを意味し、拙劣な初動対応で貴重な時間を空費した疑いがあることにまで言及しています。本書ではこれ以上触れていませんが、私はこの部分の記述を読んで、施策として稚拙だったかどうかは別にして、在日米国大使館に問い合わせたのが日本国政府ではなく東京電力だったことに衝撃を受けました。政府は機能していなかったのか、敢えて東京電力に責任を押し付けていたのか。
 事故発生から数日間、情報が不足し、アメリカ政府は強いフラストレーションに苛まれ、菅政権は何か重大な情報を隠しているのではないかという疑念は、世界にも広がったと、メア氏は言いますが、それは私たち日本人も同様でした。メア氏は、当初から、日本政府は情報を隠しているのではなく、確かな情報を持っていないのではないかと睨んでいたそうですが、それは、日本では、原発で何らかの事故が発生した場合、直ちに運転を停止するという厳しい基準が設けられており、却って情報隠しが横行する温床になっているという見立てです。確かに、東電と経産省の関係もさることながら、以前、河野太郎氏が、東電の資料が“伏字”だらけだったことに不満を述べておられたのを読んだことがあり、東電の体質として特異なものがあることからも、さもありなんと私も思います。
 情報不足へのフラストレーションが頂点に達しつつあった16日の段階で、米軍無人偵察機グローバルホークを福島第一原発上空に飛ばして観測した結果、原子炉の温度が異常に高くなっている事実を把握し、原子炉燃料が既に溶融していると判断していたため、米国政府としては、なんと東京在住の米国民9万人を避難させることまで検討していたといいます。これに対し、メア氏は同盟国として一斉避難命令を思い留まるよう提言したことを自負し、結果として、福島第一原発周辺50マイルからの退避勧告程度で済んだことが、日米安保にとって不幸中の幸いだったと強調しています。
 とりわけ、アメリカ政府が危機感を一気に高めるきっかけになったのが、天皇陛下のテレビ・メッセージだったというのは、なかなか興味深い指摘です。しかし、私たち日本人には、危機感を強めるよりも、頼りない政府に代わって、戦後最大の国難ともいえる危機的状況に直面した日本国民が一致団結してことにあたるよう、日本国の元首が直接発した激励のメッセージと受け止めたのではなかったでしょうか。
 その結果、アメリカ政府は、米国時間16日、藤崎駐米大使を国務省に呼び、You need an all of government approach.といった強い調子で、日本政府が総力を挙げて原発事故に対処するよう異例の注文を付けたそうです。これを読んで、2年前のクリスマス休暇前の出来事をデジャヴのように思い出しました。あの時、当時の鳩山総理は、COP15の晩餐会で隣に座ったクリントン長官に、普天間基地移設の現行計画に代わる新たな選択肢を検討する方針を説明し、結論を暫く待ってもらうよう要請し、基本的に理解してもらえたと記者団に語ったのが、実は独りよがりで、雪の日、クリントン長官はわざわざ駐米大使を呼びつけ、普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設という日米合意の早期履行を求め、誤解を正したのでした。政府が頼りないばかりに、駐米大使もたまったものではありません。
 そんなアメリカにとって、菅政権が危機打開へ何ら有効な対策を打ち出せていないことは承知していたものの、翌17日にようやく自衛隊のヘリ一機が三号機に散水したのを見て、日本のメディアが「自衛隊の英雄的な放水作戦」と褒めそやしたのに反し、あの日本政府が成し得たことはこの程度かと、アメリカ側は絶望的な気分を味わったといいます。そして、海水投下作戦は、その効果のほどはともかく、何かをやっていることを誇示せんとする、政治主導の象徴的な作戦、いわば菅総理の政治的パフォーマンスにしか見えなかったと振り返ります。あの段階で執りうる選択肢にはどういうものがあったのか、早く検証結果を聞いてみたいものですが、私たち日本人も、この程度で大丈夫かと、半ば焦燥感に駆られていたのは事実でしたが、情報不足から、とにかく頑張ってほしいという思いが強かったのも事実でした。アメリカ側は飽くまで冷静に事態を注視していたことが分かります。
 そしてメア氏は、国務省タスクフォースでの勤務中にも出会った役所的対応を暴露します。原発事故後、米国が日本に支援出来る品目リストを送ったところ、日本からはどの支援品目が必要だといった回答ではなく、支援リストに記載された無人ヘリの性能や特徴に関する事細かな質問だったり、放射能で汚染された場合の補償はどうなるのかといった質問などのやりとりで、およそ二週間が空費され、平時のお役所仕事がまかり通って、およそ緊迫感がなかったと述べています。
 日本の危機対応の弱さは、リーダーシップ論としてつとに指摘されて来て、今回はそれに輪をかけて、民主党という政治に不慣れな政権党が、政治主導の美名のもとに、官僚組織を自民党寄りと警戒して信用しないばかりにその力を活かし切れず、さらに個人の力量としても指導力に問題があることで定評のある元・市民運動家の総理大臣を頂いていた不幸がありました。今となっては詮無いことですが。
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ケビン・メアの弁明(中編)

2011-11-20 16:39:30 | たまに文学・歴史・芸術も
 「決断できない日本」(文春文庫)は、日本人論の系譜にあると見る書評もあるようですが、沖縄問題を含む安全保障の分野で、主権国家としての日本(とりわけ民主党政権)の対応を批判しているだけで、詰まるところ、ケビン・メア氏の弁明の書に過ぎません。
 さてその核心部分で、「沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人(master of manipulation)」などと誤解されるもとになった話は、補助金システムにまつわるもので、日本政府は、沖縄の米軍基地再編計画を実行するためには地元のコンセンサスが必要と言い、地元の政治家はコンセンサス社会であることを逆手にとって、日本政府と交渉して毎年百億円になんなんとする補助金(名護市を含む北部振興策)を引出し、その補助金を手放したくないがために基地移転に反対し、事態が進捗しない手詰まり状況に、メア氏の苛立ちが表現されたもののようです。また、「沖縄は怠惰でゴーヤーも栽培出来ない」と報じられるもとになった話は、沖縄にマンゴーやパパイヤなどの亜熱帯産の果物がなく、地元名産のはずのゴーヤーですらも時に宮崎などから取り寄せており、台湾や東南アジア産に比べて価格競争力がないサトウキビが相変わらず栽培されているのは、ひとえにサトウキビ栽培に補助金が出ているからだと断じるのが趣旨だったようです。日本人なら、そういうこともあるだろうと頷けるような内容で、日本滞在19年のメア氏にとっても目新しいものではなかったでしょうに、ここに来て何故、舌禍からとはいえ嵌められて、国務省東アジア・太平洋局日本部長を辞任するまでに至ったのでしょうか。
 産経新聞を検索していたら、メア氏への5年前のインタビュー記事が目に留まりました。当時、米軍普天間基地移設問題で名護市に建設する代替施設について、沖合に移動させるかどうかが焦点になっており、メア氏からは、安全性向上と騒音軽減に向け、地元・沖縄への配慮を真摯に訴える姿が伝わってきます。ところが、最近はその沖縄との関係もこじれ、ある政府高官からは、日本部長に就任した09年以後のメア氏は「日米協議で嫌みなことばかり言う」と露骨に敬遠されていたと言われており、この5年間で、随分、メア氏を取り巻く環境が変わったことがうかがえます。本書では「由々しき危機に際して、日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」と断じるなど、そのフラストレーションは、自らのありようよりも、日本側の対応へと責任転嫁しているように見えます。
 この5年間で風向きが変わったことが、本書でも簡単に触れられています。2006年5月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、ようやく10年越しの「米軍再編実施のための日米のロードマップ」が策定され、普天間基地の代替施設が14年の完成を目標とし、キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路二本をV字型に設置することが盛り込まれました。ところが、同年11月に初当選した仲井眞沖縄県知事は「普天間基地の閉鎖状態」を公約し、翌07年1月、名護市はV字型滑走路の沖合移動を要求し、08年7月、沖縄県議会はシュワブ移設反対決議を可決するというように、国家の専権事項たるべき安全保障政策が、地方政治によって反故にされるかのような動きが続き、ついには翌09年9月に鳩山首相自らが普天間基地の県外移設を唱えてパンドラの箱を開けるに至ったのは周知の通りです。この2006年から09年までの5年間は、メア氏が沖縄駐在の総領事だった時期に重なります。
 そして本書では、この間の、地元とメア氏との確執の模様が、多くはメア氏に不利な内容で報じられたことが取り上げられています。
 例えば2006年7月、まさに総領事として着任する日に、嘉手納基地に初めて弾道迎撃ミサイル・パトリオット(PAC3)が配備されることが発表され、数か月後に弾頭部分が基地に運び込まれる作業が、デモ隊によって妨害されるという事件が起こります。しかし地元警察は全く動こうとしなかったため、沖縄防衛局(防衛省の出先機関)に問い合わせたところ、総領事から、直接、県警に要請した方が良いと言う。仕方なく地位協定に基づく権利を行使する要請書を県警にFAXで送って、ようやく妨害行為が排除されたのですが、マスコミはこの結果だけを見て、メア氏が県警に命令書を送り付け、占領軍の司令官のように振舞ったと報じたそうです。メア氏は、これを、責任をとりたくない日本の役所の体質があぶり出された例として挙げています。
 また、08年7月には、普天間基地を抱える宜野湾市長が、同基地は米軍の安全基準にも違反していると指摘したのに対して、メア氏が「基地外の建設を制御する安全基準で、逆に滑走路の近くの基地外に何故、宜野湾市が建設を許可しているのかという疑問がある」と反論し、物議を醸したそうです。米国には、当然、基地の外側に建築規制を設けて安全性の向上を図る仕組みがありますが、実際に普天間基地の近くの航路上に高層マンションが建設された時、日本政府は、民間空港の周辺の建築を規制する法律はあるが、在日米軍の基地を対象にした安全基準としては適用されるものではないと解釈し回答したそうです。そのため、飛行ルートに高いアンテナを建てたのが、強制撤去できないことを知っていた暴力団関係者で、結局、防衛局が買い取るハメになったという話まであるそうです。こうして基地周辺の土地は利権化し、日本政府の借地料のついた土地が売買の対象になって取引されるだけでなく、基地の底地に対しても、日本政府から3万9千人の地主に支払われる借地料は918億円(11年度)にのぼり、沖縄では地価が下がっても借地料は年々値上がりし続けていると言います。
 そのほか、湾岸戦争の時に創設された物資協力基金の使い道を巡って、武器輸出三原則の制約のある日本当局との根回しや、官僚機構とのうんざりするようなやり取りにつき合わされて、ついにはThe Japanese bureaucracy is the only bureaucracy that I know can give you 11 billion dollars and piss you off.(110億ドルもの巨額資金をプレゼントしておきながら、相手をカンカンに怒らせるような役所は日本の役所だけ)などと同僚にぼやく話も出てきます。
 弁明の書だと揶揄しつつも、事例まで取り上げて詳しく紹介して来たのは、今の日本が、所謂お役所仕事や、政治主導と言いながら政局に明け暮れて、国家としての大局を見誤りはしないかという、メア氏の憂慮を、私も共有するからです。
 これも本書の中に出てくる話ですが、同時多発テロ事件後、米国は原発に対するテロ攻撃の脅威を真剣に受け止めて対策に乗り出し、日本政府当局者と意見交換した際、原発警備のため、銃で武装した警備要員を配置する必要性を力説したところ、「日本で銃の所持は法律違反」だからと、必要性を否定されたそうです。米国は常にどこかで戦争をしていて、平和ボケの日本とは、危機に対する発想が根本的に異なるのだとメア氏は言います。アメリカでは原発防御は対テロ戦の重要な項目になっており、過激派に乗っ取られた航空機が原子炉に突入し、原発が全電源を喪失した事態を想定するシミュレーション訓練も(確かに話には聞きますが)定期的に実施されているそうです。その意味で、日本が平安時代の貞観津波の例を引いて、想定外と嘯いたのは、想像力が足りないというわけです。
 次回は、メア氏が、国務省東アジア・太平洋局日本部長を解任されたあと、その東日本大震災に見舞われた日本を支援する「トモダチ作戦」のために国務省タスクフォースのコーディネーターに起用され、ホワイトハウス、国防総省、在日米軍、在日本大使館、それに福島第一原発事故に対応する必要から、エネルギー省、原子力規制委員会などとの調整を行う中で、彼が目にした日本の震災対応の内幕について、取り上げたいと思います。
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ブータン国王来日・続

2011-11-18 02:48:34 | 時事放談
 国賓として来日中のブータン国王が、今日、衆院本会議場で演説を行いました。先ずは、東日本大震災について「大混乱と悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民は最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さをもって対処された」「日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直った」と日本を称え、「大勢のブータン人が寺院や僧院で供養のための灯明をささげた。不幸から立ち上がる国があるとすれば、日本と日本国民だと確信している」と激励されたそうです。国賓として招かれ、その国を誉めそやしているだけとはいえ、国と国の関係はかくあるべしというような、なんとも和やかな出来事でした。
 また、今年で国交樹立25周年を迎えた両国関係について、「公式の関係を超えた特別な愛着を抱いている」と述べられ、日本の国連安全保障理事会・常任理事国入りへの支持も表明されるとともに、「国民総幸福量(GNH)」という概念に基づき、国づくりを実践するブータンにとって、日本の経済的支援は不可欠との認識を示され、親日振りをアピールされたそうです。国と国の関係ですから、綺麗ごとばかりではないとは言え、日本として、大事にしていきたい関係ではあります。
 ところが、前の晩に開かれた国王夫妻歓迎の宮中晩餐会に、民主党の閣僚である川端総務相、細野原発相、一川防衛相、山岡国家公安委員長が揃って欠席していたことが明らかになりました。中でも一川防衛相は、その時間、民主党議員の政治資金パーティーに出席し、「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、こちらの方が大事だと思って来た」などとぬけぬけと挨拶していたことが明らかになり、藤村官房長官から首相官邸に呼びつけられ、宮中行事を軽視するかの発言は軽率だとして、厳重注意を受けたそうです。一川氏と言えば、防衛相就任に際して記者団に「私は安全保障に関して素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」などと頓珍漢な発言をして批判されたのが記憶に新しいですが、ほかにも、産経新聞によると、10月15日に地元・石川県の民主党県連パーティーで「防衛省、自衛隊の仕事は私より前原誠司政調会長の方が詳しい」などと防衛相として無責任な発言を繰り返した上、10月25日には衆院安全保障委員会で平成23年版防衛白書について「正直言ってまだ全部目を通していない」などと語り、正直者なのかも知れませんが、素人ぶりはエスカレートするばかりです。11月12日には、年内に提出予定の普天間飛行場移設に関わる環境影響評価書について「無理に提出するものではない」と言い放ったそうで、もはや政治家としてと言うよりも、ごく普通の社会人としての見識を疑いたくなります。
 先の晩餐会については、出席者から複数の閣僚が携帯電話を使用していたとの指摘もあったため、藤村官房長官は全閣僚に対して「行事進行上支障を生じることのないように」と注意を呼びかけたそうです。まるで小学生並み・・・なんて言うと小学生に失礼かも知れない。民主党議員は、国民の代表たる政治家として、何故かくも劣化したかと嘆く以前に、ごく普通の社会人としての適格性に欠けるのではないかと疑いたくなります。イジワルな私は、これが中国の国家主席や、韓国の大統領だったら、民主党議員たるもの、這いつくばってでも列席し、かつて小沢さんが何百人もの民主党議員を引き連れて中国詣でした時のように、喜び勇んで握手を求めただろうと思うと、なんだかやり切れなくなります。
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ブータン国王来日

2011-11-15 23:52:19 | 時事放談
 ブータンは、前国王が提唱した国民総生産に代わる「国民総幸福量(GNH)」という概念で有名になり、「世界一幸せな国」として知られますが、今日、国交25周年を記念して来日された国王夫妻のニュースを見ていると、日本並びに日本の皇室と縁が深いことも分かりました。
 Wikipediaを見ると、気候・植生が日本とよく似ている上、仏教文化の背景も持ち合わせ、日本人の郷愁を誘う場合も多いとあります。ニュースでは、1964年に農業技術者として派遣されて以来、1992年に没するまでブータン農業の改善に尽力し、ブータンで最も有名な日本人と言われる西岡京治さんの話、昭和天皇崩御のときには、国王が国民に向かって喪に服するよう呼びかけたという話、東日本大震災の翌日には、国王主催の「供養祭」が挙行され、義援金100万ドルが贈られた話などが紹介され、大の親日国として知られ、その為、国際機関での選挙・決議等において常に日本を支持する重要な支援国でもある(Wikipedia)と聞くと、良くも悪くも大国・アメリカに左右され、また新興の大国・中国にも右往左往させられるのとは全く違った意味での、なんとも爽やかな強い結びつきを感じます。
 九州くらいの国土(日本の約10分の1)に、人口約70万人の9割は農業に従事していると言われ、一人当たりGDPは僅かに5千ドル強、それでも若い国王の穏やかな笑顔を見ていると、幸せとはなんだろうと、つい考えさせられます。経済問題が全てと言わんばかりにTPPで今なお揺れる我が国の、なんとも浅薄なことでしょうか。日本は、ブータンのように、良い意味で唯我独尊で、小さくてもキラリと光る、徹底した技術と高品質で尊敬される国でありたいと切に思います。
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TPPの茶番

2011-11-14 01:27:12 | 時事放談
 10日に予定されていた会見を、勿体をつけて一日遅らせた金曜の夜、野田総理はTPPについて「交渉参加に向け関係国との協議に入る」と、結局、初心を貫きました。
 些か驚かされたのは、慎重派の急先鋒・山田元農相の反応です。「本当にありがたい」と、歓迎の意を示したのはなんとも異様でした。「『交渉参加』でなく『事前協議』にとどまってくれた」からだそうですが、ひとえに離党問題を回避し(もとより離党する覚悟はなかったでしょうが)、かつ農業関係者らからの批判をかわすためなのでしょう。そもそも、各国との協議を経て9ヶ国の合意を得ないと交渉参加にならない(外務省)という意味では、総理の発言は慎重派に配慮したものではなく、事態を正確に表現したものに過ぎません。現に、世間の受け止め方は、昨日朝の「ウェークアップ」で辛坊さんが紹介した主要各紙一面トップが判で押したように「TPP参加表明」と報じた通りでした。
 もっとも、民主党内で反対派を自称せずに慎重派と呼び続けた人たちのことです。その彼らにプレッシャーを与えていた、国会前に座り込みを続けていた人たちは、一体何者だったのでしょう。農業を生業にする人たちはそれどころではないでしょうし、時間に多少余裕がありそうな農業経営者は、高関税や補助金で市場を混乱させる保護行政を迷惑千万と思っているに違いありません。そうすると農協関係者か、農水省の下部組織で、濡れ雑巾の農政の利権に巣食っている人たちでしょうか。結局、資源が乏しく、伝統的に(それこそ江戸時代から)供給過剰なニッポンとしては、通商国家として世界に開かれた国のありようを選ぶほかなく、TPPはやむなしと観念しつつ、農林票を気にして、農家を保護するポーズを取って来たに過ぎないというところなのでしょう。
 その証拠に、もともと小沢さんが代表として臨んだ2007年の参院選マニフェストは、「農産物の国内生産の維持・拡大と、世界貿易機関(WTO)における貿易自由化協議及び各国との自由貿易協定(FTA)締結の促進を両立させます。そのため、国民生活に必要な食料を生産し、なおかつ農村環境を維持しながら農業経営が成り立つよう、『戸別所得補償制度』を創設します」と明記していました。そして、2009年8月の衆院選に向けたマニフェストでも、発表時には日米FTAについて「締結」と明記していたのですが、その後、鳩山代表と菅代表代行は、農業団体などの猛反対にあって「促進」へと後退した経緯があります。
 日本が、世界に類を見ない所得格差の少ない平等な社会を築きあげたのは、高度成長で皆が豊かになる中で、公共投資や農業保護の名目で、産業界が稼いでおさめた税金を地方に還流する、社会主義的な所得再分配政策を進めたお蔭でした。ところが冷戦が崩壊し、東ヨーロッパや、中国をはじめとする新興国が台頭するのに歩調を合わせるかのように、新たな技術的なブレークスルーが乏しくなり、技術が成熟しつつあるがために、日本の相対優位が弱まってきたことに加え、日本の社会自体が成熟して少子高齢化が進展したため、経済成長力も弱まり、失われた10年が20年に延びるような長い停滞期に入りました。それでも政治が変われないのは、かつての所得再分配を支えた選挙制度、とりわけ一票の格差問題が解消していないためです。政治家の関心の第一は、所詮は選挙で勝つことであって、二年前に民主党が政権交代を遂げたのは、選挙を知り尽くした小沢さんが自民党の伝統的な支持基盤を切り崩したのが主因であることを、民主党だけでなく自民党も忘れられないのでしょう。そんな足元ばかりが見えたTPPの空騒ぎでした。
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11年11月11日

2011-11-12 15:06:40 | 日々の生活
 昨日は「1」が6つも並ぶ日とあって、鉄道切符に人気が集まると思うのは、いまどき年寄の証拠なのでしょう。上の子は、高校で英語の授業中だったそうですが、先生から3分だけ自習!とお許しを貰って、11時11分(実に「1」が10も並ぶ!)に、買い込んだポッキーを手に取って、皆で食べたらしい。話の分かる先生がいたものです。
 11月11日が言わずと知れたポッキー&プリッツの日であるのは薄々知っていましたが、テレビCMでこの日を宣伝していたとは知りませんでした。江崎グリコのサイトを見ると、日本記念日協会の認定を受けている、とあります。折しも“1”が6つ並んだ平成11年11月11日が始まりだったとか。
 それにしても日本記念日協会なるものがあるとは知りませんでした。同協会のサイトによると協会趣意として「記念日については、今まで総合的に扱う機関・団体がなく、情報が誤って伝えられたり、せっかく記念日を設けても広く一般に浸透しないなどのケースが少なくありませんでした・・・(中略)・・・1991年4月1日に日本記念日協会として正式に発足・・・(中略)・・・記念日についての情報の総合窓口として、マスメディアの方々にはもちろん、各企業、業界、団体、自治体、個人の方々にとっても、必ずや意義のある存在となることを目指して・・・(後略)・・・」とあり、記念日登録料1件7万3500円(税込み)、記念日登録証が必要な場合は別途1件1枚につき3万1500円(ガラス面の額入り、税込み、送料込み)を徴収しています。所在地は長野県佐久市とあり、こんな田舎でけったいなことを考え付く人がいたものです。
 因みに同サイトの検索画面によると、11月11日は、8月8日に次いで記念日が多く、22件も登録されているそうです。ポッキーと同じ発想で、鉛筆(ペン)が並んだように見えることから制定された「コピーライターの日」、たんぽ串がイロリに立って焼かれている姿が1111と似ているところから「きりたんぽの日」、豚饅の発祥の地・神戸の豚饅をPRしようと、豚の鼻の形が11に見えるからというので「豚饅の日」、11と11の形が人が集って立ち飲みをしている様に似ていることから、「東京居酒屋名店三昧」の著書がある作家・藤原法仁氏と浜田信郎氏が制定した「立ち飲みの日」、数字の1が並ぶこの日は細く長いめんのイメージにぴったりと、全国製麺協同組合連合会がポッキーと同じ平成11年に制定した「めんの日」、1を正方形のおりがみの1辺と見立て、全部で4辺を表すことから、株式会社日本折紙協会が制定した「おりがみの日」、日本ネイリスト協会は、爪の英語表記であるNAILの中に縦線が4本あり、1111と同じように見えることから「ネイルの日」、11と11は左右対称であり、漢字で裏返しても同じになる鏡文字との理由から、全日本鏡連合会が制定した「鏡の日」、最近はテレビCMを見なくなりましたがピップエレキバンで有名なピップフジモト株式会社が、磁気治療について正しい理解を深めてもらうことを目的に、磁石のN極(+)とS極(-)を重ねた日(+-・+一)に因んだ「磁気の日」、「鮭」のつくりの部分を分解すると十一十一となるところから、大阪市中央卸売り市場内の「鮭の日委員会」が制定した「鮭の日」、イレブン対イレブンの戦いを日付けに置き換えたものとして「サッカーの日」・・・・・・そろそろ止めましょう。コマーシャリズムもいいところ、ですね。
 私の車のカーナビは、エンジンをかけると、「今日はxxxxの日です」と教えてくれるのですが、22個も言われたら堪りません。
 上の写真は、マレーシアで売られているポッキー。イスラム教でタブーとされる豚肉「Pork」を連想させるために「Rocky」という名前で販売されています。
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