風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

JALの新社長

2024-01-21 15:33:49 | ビジネスパーソンとして

 日本航空(JAL)が発表した4月1日付の新社長人事が話題だ。社長になるのは、女性、しかもCA出身者で初めてで、さらに2002年に経営統合した日本エアシステム(JAS)出身者としても初めてという、初めてづくしだそうだ。

 早速BBCは、日本政府は「2020年までに大手企業の女性役員比率を3割以上にする目標を掲げていたが、達成できず、期限を2030年に延長している」「2025年までに女性役員を最低1人選任するよう努めるべきだと提言している」、また、「日本の女性役員比率は2021年に13.2%と、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も低い。日本の女性役員の少なさについてOECDは2019年の時点から、『人材の致命的な配分ミス』があると指摘している」と書き添えた。毎度お馴染みの日本批判である。確かに、振り返れば画期的な出来事だが、今さらそんなに持て囃さないで欲しいという思いもある。

 新社長となる鳥取三津子さんは1985年の短大卒で、男女雇用機会均等法施行の前の年にあたる。当時、短大卒の女性は事務職として採用されると、男性社員の代わりにコピーを取ったり、当時はパワポなる便利なソフトがなかったものだから、OHPを使ったプレゼンのために透明材料のOHPシートに色付きセロファンを貼り付けたり、といった補助的な仕事をする、ある意味で(当時の世相に皮肉を込めて)優雅な、また、午前10時と午後3時に部員にお茶をいれて配る「お茶当番」をしたりという、今では考えられない長閑な時代だった。スチュワーデスと呼ばれたCAは、そんな中では女性らしさを発揮できるからだろうか、才色兼備の女性憧れの花形職業と見做されていた。TBSのドラマ『スチュワーデス物語』(1983年)や、古くは同じTBS系の『アテンション・プリーズ』(1970年)がスチュワーデス人気を無闇に盛り立てた側面もある。実際には立ちっ放しで時差ボケがあり我儘な乗客の御用聞きもする肉体労働者だと卑下する声もあったが、日本のフラッグシップとも言うべきJALのCAはプライドが高く、(あくまで相対的に)高齢化していたのに対して、全日空(ANA)のCAは若くて対応が良いと評判で、私の周囲で海外出張が多いFrequent FlyerはANA派に切り替えるというように、飛行機会社の人気を前線で支える存在だった。

 その意味でも、今回の人事発表は、なかなか変わらないニッポン(ガイジンから見ての日本という意味でカタカナ書きにした)が変わりつつある象徴と言えそうだ。当時の世相から想像するに、鳥取さんは優秀な女性だったに違いない。かつてなら、いくら優秀でもある年齢を過ぎれば肩叩きにあったことだろう。しかし、その後は普通に総合職としての女性採用が、また管理職への女性登用が進んできたことだろう。そのため、CAで初というような言われ方は、今後はもうなくなることだろう。

 その後、JALは、CAのプライドが高く、高齢化していたという噂と関係があるかどうか知らないが、2010年に経営破綻し、「経営の神様」稲盛和夫さんが経営に参画して改革に辣腕を振るわれ、再生した。その点からも、今回の人事は順当だと評する声がある。

 当時、JALの役員は東大出が多く、稲盛さん曰く、「私のような地方大出身のもともとは中小企業の社長のようなタイプとは全く違います。自分たちは最高の高等教育機関で経営学を学んだと自負していて、『人として何が大事か』というような私の哲学をすんなりとは受け入れません」(JAL再生過程における社内文書での言葉)という状況だったそうだ。稲盛さんが植え付けた経営スタイルは「現場主義」で、まず整備の現場を歩んできた大西賢氏を社長に指名し(自らは会長に就任)、その後任にパイロット出身の植木義晴氏、次いで現社長で整備畑出身の赤坂祐二氏、そして今回、CA出身の鳥取さんへと引き継がれる。

 逆に、経営企画や子会社経営の経験がないことを不安視する声もある。JAL関係者によれば、社長の有力候補としては他に、営業企画のエースでグループCFOの斎藤祐二取締役専務執行役員(59)と、総務本部長の青木紀将常務執行役員(59)がいたそうで、今後は、現社長の赤坂氏が会長として経営に目配りし、斎藤氏や青木氏が実務をサポートする体制を予想する声もある。今どき、創業者の社長でもない限り、経営の隅から隅まで知悉する者などいないだろう。そうした不安を慮ってか、赤坂現社長は、「これからの経営は、いろんな人達の力をいかに引き出せるか、にかかっているのではないかと思います。事業が多様化しているなかで、これからはチーム経営が重要だと思います。そういう意味では長年安全・サービスを担当していた鳥取さんはふさわしい人物だと考えています」と説明された。

 鳥取さんが入社した年には、JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落し、520人が死亡するという痛ましい事故があった。そして、今月2日には、JAL516便が羽田空港で海上保安庁の航空機と衝突し、海上保安庁側は搭乗者6人中5人が死亡したが、JAL側は乗客・乗員合わせて379人が全員、奇跡的に脱出する事故があった。JAL所属の機体が起こした全損事故はJAL123便以来のことで、何やら因縁めく。JAL516便のCAの対応が評価されているタイミングで鳥取さんの社長就任を公にするのは巧妙だと舌を巻く関係者の声もある。

 今なお大企業でも、同じ程度に優秀なら女性を引き上げろ、という不文律がある。それを逆差別だと受け止める男性もいるかも知れない。こうした不毛な「女性だから」という議論は、そろそろいい加減に止めにしたいものだ。だから、鳥取さんの次の発言は頼もしい。その自然体のご活躍を期待したい。

「安全運航は引き続き揺るがぬ信念をもって、取り組んでいきたいです。また、JALは社会の役にたっている、献身的で、楽しそうな会社だなと思ってもらえるように取り組んでまいります。心から働きたくなる、そして一人ひとりの能力が発揮できる場となれば、必ずお客様に選ばれるエアライングループになると思います。あまり女性だからとは思っておらず、自分らしくやっていきたいです」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永遠の舟歌

2024-01-12 03:01:12 | スポーツ・芸能好き

 演歌歌手の八代亜紀さんが急逝された。享年73。

 今日の日経新聞・春秋は、「特殊な声帯をお持ちです」との引用文で始まり、「喉を酷使してのガラガラ声ではない。生来ハスキーボイスになる声帯の形なのだという。医師にそう告げられ、驚いたと八代亜紀さんは自伝で語っている。」と続けた。経済新聞が一人の演歌歌手の死を惜しむのは異例である。そして、こうも書く。

(引用はじめ)

 「〽雨雨ふれふれ」ときたら「かあさんが」と続く。そんな常識を「もっとふれ」に塗りかえたといわれた大ヒットが「雨の慕情」だ。海鳴りのごとく響く「舟歌」も世代を超える人気曲に。

(引用おわり)

 会社の同僚の一人は、子供の頃、「おさけはぬるめのかんがいい~」「しみじみのめばしみじみと~」などと大声で歌っていたらしい。「舟歌」は1979年発売だから、計算すると3歳!?だったことになる(微笑)

 斯く言う私は、演歌に興味はないし、八代亜紀さんのファンでもない。そう意識したことはないし、子供心にNHK紅白歌合戦で見た(注目した)記憶もない。しかし、この若さで亡くなったという事実を突きつけられると、世代は違えど同時代を生きてきたご縁という言葉では片づけられないほどの喪失感がある。振り返ると、デビュー作はともかく、出世作の「なみだ恋」(1973年)、代表作の「舟歌」、日本レコード大賞受賞作の「雨の慕情」(1980年)くらいは、歌詞を見なくても一番だけなら歌える。それだけ1970年代は(演歌を含む)歌謡曲の全盛期で、テレビやラジオで流れる曲をいつの間にか口ずさめるほど、音楽が身近にあり、八代亜紀さんはその代表的な歌姫だったということだろう(ついでに言うと、すぐに覚えるほど子供は記憶力が良いということでもあるのだろう、今なら絶対無理だけど)。それもそのはず、Wikipediaによると「演歌歌手では珍しく全盛期の楽曲全てが連続ヒットし、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップ」だそうだ。また、「熊本県八代市出身。地元のバスガイドを経て、上京して銀座のクラブで歌ううち、スカウトされた」(1月9日付 朝日新聞)くらいのプロフィールなら私でも知っている。

 その銀座のクラブで歌うようになると、ホステスたちから「あきちゃんの歌には哀愁がある」と好評を得たそうだ(Wikipedia)。学生時代には、音楽の授業で教師から「そんな声出しちゃいけない」などと言われ、ハスキーな声にコンプレックスを感じていたそうだが、銀座のホステスや客たちから褒められたことで、「自分の声はいい声だったんだ」と気づき、自分の声を好きになったという(同)。確かに、いわゆる演歌歌手として、こぶしが回って歌がうまい、という感じではなく、ハスキーでドスが利いて、それでいて艶があるところが、トラック野郎を中心に受けていたのだろうと、今にして思う。演歌歌手とか演歌の歌姫と言うよりブルースの女王と呼ぶべきかもしれない。

 数ある作品の中で、私が一番好きなのは実は「ともしび」(1975年)である。これも一番だけならソラで歌える。・・・とまあ、結局、私も隠れファンだったのだろうか??? 

 所属事務所は公式サイトで発表した追悼文で、「代弁者として歌を歌い、表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中、常に大切にしていた言葉は『ありがとう』でした」と総括された。「代弁者」の意味は、デビュー当時から、「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めており、その理由は、「私は辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。歌入れの時はそういう人の表情になっているはずで、それを見られるのは恥ずかしいから」という本人の弁(Wikipediaより)に示される。「表現者」の意味は、画家志望だった父親の影響で、小学生の頃は将来画家になるつもりだったそうで、40歳頃に油絵の質感に惚れ込んで人に師事し、その後フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員)になるなど活躍された(同)ところに表れる。歌と絵について本人は、「歌うことも絵を描くこともエネルギーがいるけど、私の場合は歌という肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしている感じ」と評している(同)そうだ。最後に「ありがとう」については、優しく面倒見の良い両親の影響もあり、若い頃から色々とボランティア活動をしてきた(同)そうで、その一環として、長年、老人ホームや福祉施設、女子刑務所の慰問公演を続けていたり、2011年の東日本大震災や2016年の地元・熊本地震の後、何度も被災地を訪れて様々な支援活動を行っていたり、ということを踏まえると、スポニチが記事で「歌を愛し、人を愛し、常に感謝の思いを大切にしていた八代さん。最後まで周りのスタッフ、そして病院の関係者すべての人に『ありがとう』を伝えていた」と書いたこともよくわかる。結局、心に染み入る歌声と、そんな人柄が滲み出ていたことが、多くの人に愛され、惜しまれる所以だろう。

 感謝の気持ちをお返しに、心よりご冥福をお祈りしつつ、合掌。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年回顧・野球の神様

2024-01-06 02:53:10 | 時事放談

 冴えない世相でも、日米のプロ野球界には神風が吹いているようだった(日本人にとって)。WBC優勝に始まり、メジャー本塁打王、二度目のMVP、10年総額7億ドルでドジャース移籍と、大谷翔平に明け暮れた一年に吹き続けたのは、野球の神様が吹かせた神風であろうか。

 MLB公式YouTubeチャンネルが2023年に投稿した動画の中で、断トツの再生回数を誇るのはWBC決勝の日本-米国戦だそうだ。今、見ても涙がちょちょ切れる私のような日本人が多いのだろうか(笑)。振り返ると、その日、オフィスで打合せから自席に戻って、何気なくYahooスポーツの一球速報を覗いた私は、戦慄した。ほんまに野球の神様がいると思った。9回裏2アウト、ランナーなしで、大谷とトラウトの一騎打ち。WBCで大谷の投球を受けた甲斐拓也が「独特ですし、回転もちょっと違いますしね。低いところから高いところに吹き上がって、曲がってくる。普通であれば下に落ちていくと思うんですけど、下に落ちない。吹き上がってくるっていうのが一番の特徴かなと思います」と言うスイーパーが決め球となった。思わずオフィスで静かにガッツ・ポーズ。宮崎での強化合宿中、栗山監督は「WBC決勝戦。最終回のマウンドには“ある投手”がいて、ガッツポーズしているイメージがあるんだよね」と語っていたそうだが、夢が、これ以上は考えられない状況設定のもとで現実となった。

 勝負そのもので痺れるシーンが多かったのはもとより、本番前の楽屋裏で侍ジャパンのメンバーに与えたインパクトも鮮烈だったようで、そのエピソードも印象深かった。中でも大谷翔平のフリーバッティングが話題で、推定160メートルの衝撃の飛距離に、「言葉が出ない。初めて感じたことがいろいろありました」(村上宗隆)、「噂は聞いていたんですけど目の当たりにするとビックリしましたね」(岡本和真)、「ぶったまげたっすね。一言で言ったら」「飛距離もすごいですし速度もすごかったので『ヤベー』としかみんな言っていないですよ」(万波中正)と感嘆の声を上げたのは、素人ではなく同じプロの選手たちだ。ブルペン捕手としてチームに帯同した鶴岡慎也氏が、大谷と他の選手の差を評して、「プロの1軍と2軍ほど違う」と言うよりも、「プロ野球選手と高校球児ほど違う」との表現の方が妥当だと言うほどだった。ファンサービスと言うより、日本の球界を代表するスターたちに文字通りに見せつけ、良い意味で刺激を与えたかったのだろう。日本人でもパワーをつければここまでできる、と。

 お陰で、日本プロ野球史上最年少三冠王の村上ですら、ショックから打撃不振に陥ってしまった。自分の前(3番)を打つ打者(大谷)があんな打球を飛ばし、自分の状態が上がらなくて、前の打者が申告敬遠されるような経験は衝撃だったろう。焦燥が募ったに違いない。5番に下がった準決勝メキシコ戦、1点ビハインドの9回裏に走者一・二塁の好機で打順が回って来たときには、この日3三振の村上に代えて牧原大成を代打に送る(犠牲バントで進塁させる)作戦も考えられたようだが、ぎりぎりのところで、「ムネに任せるわ」との栗山監督のメッセージを打席に向かう村上にわざわざ伝えさせ、迷いが吹っ切れた彼から劇的なセンターオーバーの逆転サヨナラ弾を引き出した。栗山監督の人心の機微を捉えた采配も見事だった。

 他方、日本プロ野球界の締め括りは、阪神-オリックスという、1964年の阪神-南海(現ソフトバンク)以来、59年ぶり2回目の「関西ダービー」となった。大学卒業まで20年間、大阪に住んでいながら巨人ファンだった私には縁が遠く、阪神が38年ぶり2回目の「あれ」を手にしても上の空。悔し紛れに、カーネルサンダースの呪いはとっくの昔(2009年3月10日に救出)に解けているのに…と毒づく始末だった(苦笑)。当日午後10時現在、道頓堀川に7人が飛び込んで、いずれもケガはなかったそうだ。めでたし、めでたし。

 悔し紛れついでに、我らが岡本和真のエピソードにも触れておきたい。WBCからの帰国直後、「行く前は僕が試合に出るもんだとは誰も思わなかったでしょうし、そういう部分で自分が最後フィールドに立てて優勝、世界一を味わえたっていうのもありがたいことですし、野球って楽しいなって」「同時にもっとすごい人たちを見たので、レベルアップしないといけないなと思ったり、自分自身がちっぽけに思えるのはいいことだと思って、もっと頑張ろうって思いました」と殊勝に語ったそうだ。村上と違って何と牧歌的な、ムーミンのような大らかさは伊達ではないだろう(笑)。大谷の移籍を知ったときには、「あんな金額、1人が稼ぐ数字じゃないでしょ。企業やん。社員が何万人かいる大企業でしょ。えぐい。ヤバい。ホンマの企業ですよ、1000億って…」「そんな人と一緒に野球やったんだなって。すごいでしょ? すごくないすか?」と岡本節をぶちかましている。やや天然気味に微妙に外してくれるところがカワイイ。

 その大谷のLAドジャースへの移籍は、ア・リーグ本塁打王と自身2度目のMVPを引っ提げていたとは言え、右肘じん帯を修復する手術を受けて治療中の身でありながら、総額7億ドル(1015億円=入団合意時の為替レート)という破格の待遇になることが驚きを以って報じられた。これに絡めて、投手ができない間も打席に立ち続けられる・・・これこそ(野球好きの彼の)二刀流たる所以だと、栗山氏は納得されたものだ。しかもその契約内容は、実に97%の6億8千万ドル(994億円=同)が後払いで、それでも来季から2033年までの10年間の年俸が2百万ドル(約2億9000万円=同)に達するのも話題になった。入団記者会見では自身が、「自分が今受け取れる金額を我慢して、ペイロール(年俸の支払い)に柔軟性を持たせられるのであれば、僕は全然後払いでいいというのが始まり」と解説している。そして、勝つことの優先順位を問われて、「野球選手としてあとどれくらいできるか、誰にもわからない。勝つことが僕にとって一番大事なこと」と答えた。この後払いが山本由伸のドジャース入りを呼び込んだと言えなくもない。来年こそ、ワールドシリーズのマウンドを期待したい。

 この年末に、こうした喧噪を総括するかのように、WBCの裏側を収めた映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録」がテレビ朝日系列で地上波初放送された。タイトルはもちろん、決勝の試合前に大谷が語った名言に因んでいる(下記に採録)。この映画のラストシーンとなった大谷の最後のセリフ「俺のグローブどこ?」の「俺のグローブ」がXでトレンド入りしたらしい。決勝戦の9回裏、トラウトをスイーパーで空振り三振に仕留めて世界一を決め、帽子とグラブを放り投げて感情を爆発させた、あの場面である。ファンから、「どこまでかわいいの」「思いっきり投げてましたよ」「急にかわいいキャラになるのなんなん」「この名言は来世まで伝えていきたい」など様々な反応があった中で、大谷が全国の小学校にグローブを寄贈すると発表したことから「全国の小学校に散りました」という投稿もあったそうだ。確かに、あのグローブは形を変えて、「野球しようぜ!」という大谷の思いを乗せて全国の小学生のもとに届けられたのだろう。野球の神様も満足気に微笑んで、暖かく見守っておられることだろう。

 「憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センター見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、野球やっていれば誰しもが聞いたことがあるような選手がいると思うんですけど、きょう一日だけは憧れてしまったら超えられないんで、僕らはきょう超えるためにトップになるために来たので、きょう一日だけは彼らへの憧れを捨てて勝つことだけ考えていきましょう。さぁ行こう!」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年回顧・政治化する国際経済

2024-01-04 11:07:10 | 時事放談

 経済が政治化している。冷戦時代は政治も経済も交流が乏しく、自由主義陣営は政治的に緊張しながらも自由経済を謳歌していたが、新・冷戦と言われる昨今は、経済そのものは緊密に交流している中で、政治的な対立があると往々にして経済が政治化(政治の道具化)する。そして国際経済に組み込まれているほど、その影響は大きくなる(逆に、国際経済に組み込まれていない北朝鮮では影響は限られるし、ロシアでは一部の権威主義国との対面取引で凌いでいるようだ)。

 そもそも、経済を政治化する所謂エコノミック・ステイトクラフト(経済ツールを使って、相手国に何かを強制し、自国の安全保障の目的を実現すること、以下ES)を使うという意味では最近の米国が酷いと思われるかもしれないが、中国が先である。オバマ政権末期には、中国やロシアが多用し始めている経済外交、たとえば他国が自国の意向に反する政策をとった場合に見せしめとして輸入制限したり、一帯一路などで援助受入国を借金漬けにして自国の意向に沿わない政策を取り難くさせたりすることなどを、アメリカはESと定義し、これに対抗するES戦略を描くべきである、といった議論が安全保障専門家の間で高まった。2018年初めには戦略国際問題研究所(CSIS)が、米国は「中国の挑戦」に対抗するために、より洗練されたESを用いる必要があると提案したほか、他のシンクタンクも同様の具体案を構想し始めていた。

 日本でも馴染みの例を挙げれば以下の通りとなる(いずれも主語は中国である);

・2010年、尖閣海域で海上保安庁の公船を妨害した中国の漁船・船長を日本が拘束したことに対し、レアアースの対日輸出を一時停止し、日本製品の不買運動が勃発

・2010年、中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることに決まると、ノルウェー産サーモンを禁輸

・他にも嫌がらせの輸入制限として、フィリピン産バナナ(2012年)、台湾産パイナップル(2021年)など

・2017年、韓国がTHAAD配備を決定したことに対し、中国人の韓国観光を制限、韓国製品の不買運動、中国内ロッテ・マートの営業停止命令

・2020年、オーストラリアが新型コロナウイルスの発生源調査を求めたことに対し、大麦・ワインへのアンチダンピング関税、綿利用自粛要請、牛肉検疫措置、石炭の通関遅延など

・2021年、リトアニアが首都に台湾事務所を開設したことに対し、外交関係を格下げ

・2023年、米国への対抗措置ではあるが、マイクロン(米)をインフラ調達から排除

・2023年、これも対抗措置と考えられるが、レアメタル(ガリウム、ゲルマニウム関連)やレアアース製造技術などの輸出規制

 2010年代以降、日本人が気が付かないまま、米国では中国の防衛産業や情報・通信産業に対する警戒感が強まり、各種報告書が提出されて来た(古くは米国防総省報告書2011年、米中経済安全保障委員会報告書2011年、米下院情報特別委員会報告書2012年、FBIカウンターインテリジェンスレポート2015年など)。「新・冷戦宣言」とされるペンス副大統領の演説(2018年10月4日)の原型として、米中経済安全保障委員会報告書2015年、2016年などが挙げられる。さらに中国の技術覇権ひいては軍事覇権を求めるかのような「能力」構築としての「中国製造2025」(2015年)と、「意思」表示としての「国家情報法」(2017年)や各種「安全」(=安全保障)法制化が掛け合わさって、米国における対中脅威認識は決定的となり、「国家安全保障戦略」(2017年12月)と「国防戦略」(2018年1月)に結実した。翌2018年8月に、「国防権限法2019」として具体的に法制化され、トランプ政権下で緊張が高まったのは周知の通りだ。関税引上げなどの貿易戦争は、国際経済においても表面的な勝ち負けを気にするトランプ大統領(当時)の個人的な嗜好に過ぎない。本質は経済安全保障、すなわち経済の政治化だった。

 もとより中国の技術力はもはや侮れない。既に数年も前に、米国の研究所に勤める知人は、AIに関する学会で中国人研究者が半数を占めると淡々と語っていた。しかし中国の発展は規模拡大と集中によるものでもある。例えば世界で引用回数の多い特許を有する研究所のトップを中国が占めるのは、在籍する研究者の数が一桁多いからだ。国家として破格の14億の人口を擁する中国は、国家資本主義的性格とも相俟って、日米欧とは比べ物にならないほど組織規模が大きい(米国の“グローバル”企業も日欧からすれば規模が大きいが)。それから、計画経済・指令経済のもとで、AIだろうがEVだろうが、号令をかければ人もカネも殺到するからだ。こうした圧倒的な量の経済は、必然的に質も高まって脅威となるが、一点集中または領域限定であって、国民経済のレベルで見たエコな産業発展からは遠いように見える。その意味で、欧米や日本のように成熟した自由主義経済は、長い時間をかけて積み重ねられた科学や技術と、(日本はややイビツながらも)市場原理によって人(技術者)やカネが流動し「神の見えざる手」に導かれる発展の秩序(弱肉強食とも言えるが、多様な競争社会の中で優勝劣敗し、敗者復活もあり、市場性がある限り残存者利得もあって、裾野が広い)があるところに、一日の長がある。そのため、中国にあっては足りない技術は模倣し窃盗する例が絶えない。

 ある人に言わせると、現代の技術は大抵、「米国が革新し、中国が模倣し、欧州が規制する」構図になっているというが、言い得て妙だ(笑)。模倣する中国を米国は警戒し(脇が甘い日本は草刈り場になり)、規制する欧州を米・中は(それから日本も)警戒する。

 例えば環境問題も、経済と重なるところで政治化している。欧州の急進的なEV化(排ガス規制)の動きは、ハイブリッド技術でどうしても追いつけないトヨタ潰しにしか見えない、中国と同様の産業政策の側面がある。それは恰もスキーのジャンプ競技で日本人が活躍し始めると、日本人に不利なようにスキー板やウェアの基準が変更され、世界の柔道はいわゆる柔の道ではなくてスポーツか格闘技のJUDOであって、欧州が勝てなくなるとルールが変わって行くようだと、日本人は疑心暗鬼に駆られる(笑)が、欧州は構わずに、環境問題の規制=ルールメーキングという、歴史的な価値を体現してきた自負のもとに(さんざん悪いこともやって来たが)、一見、(更生した)公正な優等生の立場と見せかけながら、その実、自らに有利なように国際ルールに影響を与えようとしている。他方、中国のEV化は得意の規模と集中投資で、荒っぽいながらも急転回で負の影響など歯牙にもかけない、権威主義国だからこそ可能な猪突猛進は脅威である。そして欧州は、そんな中国のEVをダンピング(政府補助金付き)の疑いで調査し始めた。

 そもそも中国は2000年の歴史で常に政治が優位にあった。鄧小平以来、市場経済を取り入れたと言っても、所詮は国家資本主義という名の似て非なるものである。その経済規模が小さい内は大目に見てもらえるが、2008年のリーマン・ショックに襲われた世界経済を桁違いの投資で救済し、2010年に日本を超えて首位の米国経済に規模で迫りつつあると観念されると(具体的には米国経済の6割レベルを超えると、と言われる)、米国で、かつての日本叩きのような中国叩きが始まり、教科書的な自由主義経済だったはずの米国が、インフレ抑制法やCHIPS法のように、経済安全保障の名のもとに、なりふりかまわぬ産業政策を推進する。常にダントツでありたい米国の感情的とも言える過剰反応は困ったものだが、もとをただせば、政治が常に優位にあって異質の経済構造をもつ中国のせいである。

 2023年は、中国経済が(かつてバランスシート不況で苦悩した日本のように)日本化する、などと形容された。それでも国家資本主義の中国は、負の影響など歯牙にもかけず、国内不況で有り余ったEVは欧州のみならず東南アジア市場にも流れ出した。中国の国内市場が変調を来すと、その他の市場で仁義なき戦いが起こる気配がある。2024年は、“節度”や“秩序”を保つことがない巨“龍”経済がのたうち回る動きを大いに警戒すべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲辰の年明け

2024-01-01 21:21:36 | 日々の生活

 穏やかなお正月である。最近、年賀状は控えめにしているとは言え、貰いっ放しでは申し訳なくて投函しに戸外に出ると、澄み渡った青空にきーんと張り詰めたような空気が清新な感じがして心地よい。

 近所の神社に出向くと、午後の時間帯でも、人々が行列をなしているのに怖気づいて、心の中でお祈りだけして、そそくさと踵を返した。その足でヨーカドーに向かうと、元日から初売り、軒を借りるドトールまで満員御礼の大賑わいで、商魂逞しいのだが、初詣以外にさしたる行事も顧みなくなったいまどきの私たちには、ヨーカドーさまさまである。なにはともあれ、コロナ禍以前に戻ったような活気が嬉しい。

 今年は干支で言えば甲辰の年だ。その筋の方によると、「春の日差しが、あまねく成長を助く年」になるそうだ。「春の暖かい日差しが大地すべてのものに平等に降り注ぎ、急速な成長と変化を誘う年」になりそうで、「すべてのものに平等に降り注ぐということは、これまで陰になっていた部分にも日が当たり、報われ、大きな成長を遂げるといったことが期待できる。逆に、自分にとって隠しておきたい部分にも日が当たり、大きな変化が起きる可能性もある」ということだ。

 ある中国人の古老(但し日本在住)に言わせると、「前回の甲辰(1964年)は、『二つの地獄の合間』の一年だった」そうだ。1958年に始まる大躍進と、1966年に始まる文化大革命を、二つの地獄と譬えていらっしゃる。さて、今年の中国はどうだろう。年末に読んだ福島香織さんのコラムが思い出される。「中国が『世界の頭脳』なのは今だけ、習近平の『反知性主義』で凋落が始まる」という、ちょっとセンセーショナルな、しかし隣人の不幸を喜びたい日本人の心をくすぐるタイトルだが(笑)、よく読むと納得させられる。私は、かつて清朝皇帝が西洋の使者を前に「学ぶものは何もない」とつれない対応をした史実を思い出した。自由や民主主義や選挙制度のような西洋的価値観を大学で教えなくなり、習近平思想を呪文のように唱えさせる現代の中華帝国は、文化大革命に先祖返りしつつあるかのようだし、経済安全保障のために諸外国に頼らない内循環という名の内向き志向を強める経済は、体の良い現代版「海禁」政策のようでもある。こうした唯我独尊は中華帝国が繁栄を謳歌したときに陥りやすい宿痾のように思う。

 日本はというと、新暦以降で言うと、1904年に日露戦争が始まり、1964年に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された。前者は、『坂の上の雲』の登り龍とは言え、極東の小国(アジア人)が白人の文明大国に挑むという、なんとも無謀な、まさに秋山真之が言ったような「皇国の興廃この一戦にあり」の一大事であったし、後者は、それまでの苦節の時代を経た日本が成長を実感する象徴的な出来事であり、いずれも時代の画期と言えよう。今年の日本はどうだろうか。

 その筋の方の話に戻ると、陰陽五行で「甲」と「辰」の関係は、「『木の陽』が重なる『比和』と呼ばれる組み合せで、同じ気が重なると、その気は最も盛んになる。その結果が良い場合にはますます良く、悪い場合にはますます悪くなるという関係性である」ということだ。こういう話は、良いところは素直に受け止めて、前向きに、悪いところは頭の片隅にとどめて、ちょっと警戒するのがよい。「光が及ぶのは自身を中心とした身近な範囲に限られる。身の程を超えてしまうと光が届かないため、分不相応な野心を実らせるのは困難を極めそうである。春の日差しの中、自身を見つめなおし、足元をしっかりと踏み締めていくことで道が開き、それこそが後に大望を叶える鍵となることだろう」ともいう。確かに凡人は身の程をわきまえて一気に多くを望まないのが賢明なのだろう。中国で、辰(龍)は人々の暮らしを豊かにする水神として祀られるとともに、絶大な力を持つ龍は歴代の皇帝の(富や権力の)象徴とされ、「なんでも鑑定団」によると、5本の爪を持つ龍は皇帝の身の回りにのみ描かれることが許されていた。辰(龍)にあやかり、些かなりとも上昇の気運を願いたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする