風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

安倍元首相の国葬を巡って

2022-07-23 12:22:27 | 時事放談

 あれから二週間になるが、安倍さんが亡くなったという現実を今なお受け止められないでいる。恐らく受け止められないまま時の流れとともに風化していくのだろう。

 昨日、国葬が閣議決定されたが、世間はその是非を巡って揺れている。天国の安倍さんは、何もそこまで・・・と苦笑いされていることだろう(笑)。私も、国葬でも国民葬でも内閣・自民党合同葬でもいずれでも構わなくて、国民として安倍さんを悼む気持ちに変わりはない。もちろん国葬に値する方だったとも思う。

 状況が人を作るところがある。知り合いの自衛隊の元幹部は、戦後日本の骨格を形づくった経済重視・軽武装の吉田ドクトリンを褒めそやし、吉田茂を殆ど神格化するような、元軍人さんなのに今なお専守防衛を旨とする稀有な方で、愛嬌があるのだが、それに対して私は、あの「状況」で(とは敗戦国の立場で、しかも焦土と化して、その日の暮らしにも困るような、財産・資産としてヒトたる国民しか残っていないような「状況」で、の意)アメリカを相手にケツをまくった度胸は大したものであるにしても、経済重視・軽武装の戦略自体は殆ど他に選択肢はなかっただろう(つまりは吉田さんご本人と言うより「状況」が作った戦略)と負け惜しみを申し上げている。吉田茂を戦後日本の偉大な創業者と捉えるならば、安倍さんは後の世で中興の祖と呼ばれるようになるのではないだろうか。その意味で、安倍さんは吉田茂に対してなされた国葬に値すると思う。「失われた20年」と言われた閉塞した「状況」で、日本の国際的地位を高め、経済的には不発のところがあったが、若者の就業機会を高め、前向きな空気を作った功績は大きい。何よりも「自由で開かれたインド太平洋」構想は、安倍さんの独創ではないし、構想自体は似たような形でいろいろな方が唱えてきたにしても、それを政治的に世界に向けて発信し、今や大国アメリカ独自の戦略構想であるかのように主張する地域秩序観にまで高め、伝統的に非同盟のインドをも巻き込むQuadが(道半ばにしても)動き出し、地理的に離れたイギリスやEUまでもが注目する「状況」を日本が作り出したというのは、これまでの歴史になかったことだ。そして、TPPからアメリカが離脱してなお、CPTPPを纏め上げ、具体的な形で自由な交易秩序を守り抜いた。中国が台頭する時代に、今後、こうした構想や枠組みは益々その重要性を増すだろう。また、その過程で、アメリカにトランプ氏という異形の大統領が就任した「状況」が、安倍さんの立場を高めることに作用した。世界中の首脳がトランプ氏の取り扱いに苦慮する中で、安倍さんはいち早く懐に飛び込んで信頼を勝ち取り、アメリカ政府高官から、トランプ氏に直接言いにくいことを安倍さんから言って欲しいと頼られるまでの存在だった。人たらしの安倍さんの面目である。アメリカが混迷する一方、洋の東西で、ドイツにメルケルあり、日本に安倍あり、という黄金時代を現出した(というのは褒め過ぎか 笑)。

 報道によると、国葬を巡って、公明、日本維新、国民民主は概ね理解を示すが、立憲民主、共産、社民、れいわ新選組は「説明が不十分」などと反対の声を上げているという。相も変らぬ、たとえば安保法制や特定秘密保護法で天地がひっくり返りかねないと大騒動になったときと同様の構図だ(それで、天地はひっくり返らなかったし、ついでに言うと、憲法改正を発議できる勢力分布でもある)。反対するのは、安保法制を「戦争ができる国」にするものと決めつけ、長年、国際政治学者が真摯に探究を重ねて来た「抑止」なるものを理解しようとしない人たちである。もはや理屈ではなく、生理的に反発しているとしか思えない。それとも、民主主義の基本である「話し合い」と「歩み寄り」ではなく、左翼の人たちが叫びがちな「闘争」や「勝ち負け」に拘っているのだろうか。「国葬」とする説明を尽くすことは大事だが、いくら説明しても理解を得られることはないだろう。橋本五郎さんが言われるように、「反対する人はどっちでも(国葬でも国民葬でも合同葬でも)反対する」ことだろう。なんだか情けない状況である。

 自民党内には、「保守層との対立を避けたい岸田首相の思いと、国葬で訪れた各国首脳と会談し、後継者は自分であると印象付けたい」と得意げに解説する声がある(J-CASTニュース)。そういう見立ては分からなくもないが、後継者に相応しいかどうかは周囲が決める。むしろ、国際社会の反応が思った以上に大きいことと、天皇皇后両陛下の思いに後押しされたのではないかと思われる。

 一つ目、国際社会の反応が予想以上にポジティブなのは、2年前に安倍さんが首相を辞任されたときと同様、国内でその功績を評価するにあたって賛否が割れたのとは対照的だった。国内的には民族主義者で、国際的にはリベラルな国際秩序を守る国際協調主義者であることが、安倍さんの中では矛盾なく共存しているが、こうした国内と海外とで映る姿が異なることが、異なる反応を呼んでいるのだろう。国内では大きく報じられることはなかったが、アメリカ上院は三日前、安倍さんをたたえる決議案を全会一致で採択し、「一流の政治家で民主主義の価値の擁護者」「日本の政治、経済、社会、そして世界の繁栄と安全保障に消し去ることのできない足跡を残した」と評価した(産経新聞)。それだけではなく、米国では10日の日没までの間、ホワイトハウスをはじめ全ての連邦政府庁舎や在外公館、国内外の米軍施設などで半旗を揚げた。これだけなら、アメリカにとって安倍さんがプラグマティックに都合の良い存在だったに過ぎないとの批判があるかも知れない。しかし、インドは事件の翌9日、一日中、国を挙げて喪に服した。ブラジルも8日から全土で3日間の服喪を行った。香港では、在英日本大使館に弔問の列ができた。台湾では11日、中国の傀儡と揶揄される国民党を含めて、当局機関や公立学校で半旗を掲揚した。各国首脳から届くメッセージは、飽くまでもプロトコルに沿った儀礼的なものであって、勿論、その中には真意が込められたものもあるだろうが、それよりも、実際の行動で個別に示されることの意義は大きい。

 二つ目、天皇皇后両陛下が首相経験者の葬儀に侍従を派遣することは滅多になく、昭和の岸信介氏、平成の小渕恵三氏に次ぐケースと言われる。通夜の日、宮内庁次長は定例会見で「天皇皇后両陛下は安倍元総理の突然の訃報に接し、大変残念に思い、心を痛めておられ、ご遺族の皆様の悲しみを案じていらっしゃるのではないかと拝察している」と、わざわざ述べられた。さらに両陛下は(一般の香典に当たる)祭粢料・供物・生花を贈られた。大物政治家などの著名人の葬儀の祭壇では、並べられた供花に数多くの名札が立つのが通例だが、安倍さんのご自宅ではたった1つ、「天皇皇后両陛下」の名札しか置かれていなかったそうだ(NEWSポストセブン)。勿論、多くの方から供花が贈られたことだろうし、余りに多くて捌き切れなかったのかもしれないし、両陛下の名札を一緒に並べるのは畏れ多いと判断されたのだろうが、安倍さんと両陛下との特別の関係を想像させる。実際、雅子さまの実父・小和田恆氏は福田元外相・元首相の知恵袋と言われるほど信頼され、その福田派の後継者と目されたのが安倍晋太郎氏で、つまり雅子さまと安倍さんは、お父ちゃん同士が福田政権を支える名コンビだったという浅からぬご縁があり、安倍さんは父上の秘書官としてたびたび小和田邸を訪れることがあったという(同紙)。

 いずれにしても、こうして日本の社会で見られる分断は、どうしたものかと、むしろそのメカニズムに興味を持つ。SNSという特異な環境が輪をかけている側面もあるが、基本的には戦後日本の社会のありようを究明することと同義のように感じている。そうして、稀有な政治家を亡くした喪失感と、その余りに野蛮で驚くほど簡便な手法(自衛隊の元幹部のおっちゃんは、その銃を鉄製の花火だと説明してくれた)に衝撃を受け、某宗教団体との関係等を追及するばかりの(あるいは容疑者に関する怪しげな精神分析を垂れ流すばかりの)メディア報道の不毛に呆れて、打ちのめされそうになりがちな気を紛らせるのである。

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安倍元首相 凶弾に倒れる

2022-07-10 10:29:28 | 時事放談

 安倍晋三元首相が、一昨日、近鉄・大和西大寺駅前で街頭演説中に銃弾を受けて絶命された。享年67。信じられないほどあっけない、唐突な出来事だった。

 その日の昼食時、会社の食堂にあるテレビ前の席がやたら混んでいたのは、私がいつもよりちょっと出遅れたせいではなく、皆、テレビを食い入るように見つめていたせいだった。

 ロシア・プーチン氏のウクライナでの無差別殺戮がとても21世紀的ではなく、19世紀的あるいは20世紀初頭的な野蛮さで、やり場のない怒りを募らせたように、安倍さんの殺害も、凡そ21世紀的ではない、戦前の政治家暗殺かテロを思わせて、やり場のない怒りに震えた。実際に、戦前を連想させて社会不安を煽る報道もあった(小沢一郎氏に至っては、自民党の長期政権のせいにしたのは、論外)。しかし、どうやら容疑者には政治的な動機が乏しいようで、テロや暗殺と呼ぶほどのものではなさそうだ。背後に組織(さらには外国勢力)の気配も感じられない。強いて言えば、一個の孤立した狂気に過ぎなくて、それだけに却って安倍さんという稀有な政治家を失う無念さが否応なしに増してしまう。

 日本の政治を褒めることは滅多にない私だが、職業政治家ばかりの(との意味するところは政局や選挙のことが頭の中の8割方を占める)世の中で、安倍さんには、二世(三世)政治家であっても、否、むしろそれ故にと言った方が適切かも知れない、選挙基盤が盤石だったことに助けられて、政治家の本懐とも言うべき「意志」を貫く姿勢が感じられて、好ましく思って来た。集団的自衛権が公明党に妥協して中途半端な限定行使になったのも、改憲が公明党に妥協して加憲などと中途半端なものになっているのも、また度重なる韓国の非道の上に慰安婦合意をまとめたのも、不満で物足りないところではあるが、安倍さんという保守政治家だからこそ、リベラル左派のみならず保守派の不満をも抑えて成し得たものだった。いずれも論争を惹き起こす難しいテーマで、避けたがる政治家が多いはずだ。

 そして、保守色が濃いだけに、毀誉褒貶も激しかった。一国の首相たる安倍さんがそこまで関わるものかと疑われるような些事に至るまで、野党とリベラル左派メディアの追及はねちっこく、結果としてグレー(アヤシイ)のままで残るという印象操作が公然と行われ、アベガーなる現象を惹き起こした。私は常日頃、ホリエモンの言動に賛同することは少ないが、此度の彼の(いつもより慎重な)呟きには賛成しないわけにはいかない。

「今回の件、全貌はつかめておりませんけど、殺意があって安倍さんを殺そうとしたと犯人は言っているということで、僕はSNSの影響とかで安倍さんが悪者である、正義の鉄槌を下さなければいけないみたいな考えなんじゃないのかなと考えるとですね、やはり安倍さんを悪者扱いしているようなSNS、マスコミの言動をあおってる人達、いわゆるアベガーという人たち、僕はその人達の影響が大きかったんじゃないかと断定はできないけれど、私はそういう風に予測しております」「SNSの影響力が今、ものすごく強くなっていること。これが、社会に与える影響。本当に昭和初期の高橋是清さんが暗殺されましたけどもそれ以来の首相経験者の銃撃ということで非常に由々しき事態だし、雰囲気悪くなってくると思うんですけど、これもSNSの作り出した闇なのかなと私は考えております」(*)

 海外の報道には、まるで安倍さんが社会の分断をもたらしたかのような解説もあったが、恐らくそれは国内リベラル左派メディアか左派学者の言い分を引用したものだろう。誰が、と言うのであれば、罵詈雑言を浴びせたリベラル左派の方であろうし、より建設的に言うならば、SNS社会が生み出すこうした「状況」をこそ憂うべきだろう。

 歴代最長政権を以てしてもなし得なかった課題を残したまま先立たれるのは、さぞ無念なことだろう。私は今も信じられないでいるのだが、その大き過ぎるほどの喪失感にこれから苛まれ続けることだろう。それは、安倍さんという政治家に期待し、頼り過ぎていたことを嫌と言うほど思い知らされることでもある。残された私たちの責任は重い。

 心の整理はつかないままながら、心よりご冥福をお祈り致します。

(*) https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/08/kiji/20220708s00041000547000c.html

 

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Gゼロの世界

2022-07-02 20:20:50 | 時事放談

 数日前の日経に秋田浩之氏のコラムが掲載された。題して「そして3極に割れた世界 協調嫌がる『中立パワー』台頭」(*)。

A SEAN諸国からは、かねて「親米か親中かの色分けをしないで欲しい」「同様に、日中のどちらを取るのかといった踏み絵を踏ませないで欲しい」「日中関係を安定させてほしい。できれば経済と政治を切り分けて運営して欲しい」という声が挙がっていたとは、船橋洋一氏の著書(2020年2月)からの引用である。似たような内容は、グレアム・アリソン教授がリー・クアンユー氏にインタビューした著書(2013年10月)の中でも触れられていた。何も今に始まったことではない。

 秋田氏が指摘される通り、オバマ大統領(当時)は、2012年8月、シリアのアサド政権に対して、化学兵器の使用は「レッドライン」だと警告しながら、翌13年、同兵器が使用されても軍事介入せず、同年に「世界の警察」を担わないとも宣言して、14年、ロシアによるクリミア併合を招いたのは間違いないところだ。更に続くトランプ大統領(当時)はアメリカ・ファーストを掲げ、同盟を蔑ろにすらした。

 秋田氏によれば、東南アジアにとってロシアは最大の兵器供給国であり、アジア外交筋によると、ロシアは東南アジアの国々に対し、西側のロシア非難に同調すれば、兵器部品の供給を止めると水面下で脅しているそうだ。確かに硬軟織り交ぜて発展途上国をたぶらかせるのは、ロシアだけではなく中国を含めた権威主義国がやりそうなことだ。

 こうして、秋田氏は、西側世界と権威主義世界との間で、どちらにも与しないインドや南アフリカ、インドネシア、トルコ、ブラジルといった「中立パワー」が台頭し、3つの異なる勢力がせめぎあう三極化の秩序を描かれる。しかし、だからと言って秋田氏が言われるような「無極化ではない」ことにはならないだろう。第三極の存在を許すこと自体、もはや二極のいずれにも統制出来ない「無極化」のあらわれでしかなく、イアン・ブレマー氏の主張が否定されることにはならない。秋田氏が言われる三極は無極の一類型でしかないと思う。

 私たちは既に、アラブの春でも、イラクでも、アフガニスタンでも、苦々しい経験とともに学んだはずだ。自由・民主主義の実践以前に、社会の安定が必要な社会があることを。自由・民主主義を成り立たせるものは、もとより統治者のリーダーシップではなく、主権者たる被統治者の同意であり負託である。敢えて言うが、そのような民度を熟成させるのは、歴史的な経験を措いて他にない。中国やロシアはもとより、日・米・欧を除く世界に、残念ながらそのような歴史的な経験はない。

 もっと俗な言い方をすれば、「衣食足りて礼節を知る」ということだ。西側は、そのような世界に対して、粘り強く対応して行かなければならない。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD22A350S2A620C2000000/

 

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