風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

食文化・続

2010-03-30 01:42:31 | 時事放談
 前回のワシントン条約締約国会議の話題の続きです。モナコ案否決の決め手となったアフリカ諸国の動向の裏には、資源外交などでアフリカに資金をばらまく中国が暗躍したらしいと書きましたが、実は中国はそれほど熱心ではなかったと言う声も聞かれます。実際に今回のワシントン条約締約国会議の委員会レベルでは、中国が関心を寄せるフカヒレの一部(ニシネズミザメ)の輸出規制案が可決されました(最終的に全体会合では否決されましたが)。
 JICAの知人によると、アフリカにおける中国の資源外交はエゲツナイらしい。中国のアフリカへの投資は、中国企業を採用することが条件という「ひも付き」の融資がほとんどで、地元企業へ利益が落ちない上、中国から建設現場労働者を大勢連れてくるケースも多く、地元の雇用に繋がらないため、地元との間にはさまざまな摩擦やあつれきが生じているのだそうです。最近、中国外相は、アフリカの資源を、鉄道・橋などのインフラ建設に変え、アフリカの経済発展に大いに貢献していると、ことさらに自画自賛しましたし、11月に開催された中国・アフリカ協力フォーラム・閣僚級会議で、温家宝首相はアフリカ向けに約100億ドルもの低利融資を実施する意向を表明し、アフリカ各国の教育・医療向上や雇用など、アフリカの人々の生活向上を重視する姿勢をアピールしました。しかしこれらは、欧米をはじめとする、なりふり構わぬ手段で資源獲得に走る中国への批判を、かわすためだったという見方が専らです。こうした批判の声はアフリカ内部からも上がっており、アフリカ連合・現議長国リビア外相は、さる雑誌とのインタビューで、中国の経済進出について、かつて英仏など列強に資源を奪われ、列強の製品の市場となったアフリカ大陸における過去の植民地主義を想起させるものだと痛烈に批判しました。
 まさに絵に描いたような資源確保に中国が成功した典型例がスーダンです。約200万人が死亡したと言われる内戦が2005年に終結した同国は、かつてイラクのフセイン旧政権と軍事協力を進めたほか、ウサマ・ビンラーディン容疑者もアフガニスタンに渡る前の91年から96年まで同国に庇護されていたこともあって、米国は今なおスーダンをテロ支援国家に指定し、経済制裁を科しています。こうしたテロ組織支援や人権抑圧を理由に国際社会が投資を続々と引き揚げたスキに、同国の石油利権を獲得したのが中国でした。実際、スーダンの2008年の石油輸出額は輸出全体の95%を占め、その75%を買い支えているのが中国なのだそうです。それとともに、マーケットにも自動車以外は中国製品だらけの状況で、スーダンの野党指導者からも、市場が1つの国家に支配されるのは好ましくないと警鐘を鳴らす始末です。次に資源を求めて膨張する中国の新たな標的がアフガニスタンだそうです。
 こうした問題国だけでなく、中国による資源外交攻勢は、中・南米ではチリ、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、キューバ、東南アジア・太平洋地域はオーストラリア、パプアニューギニア、インドネシア、ベトナム、北朝鮮、中央アジアではカザフスタン、モンゴルといったところにまで及びます。資源を確保するやり方は、どこもみな同じようなパターンだそうです。
 随分、横道に逸れてしまいました。初めの話題に戻ります。今回のワシントン条約締約国会議における中国の自制は、アフリカ諸国(とりわけ否決をリードしたリビア)や中南米諸国からの中国に対する風当たりが強いことと無関係ではなかったのかも知れないということを言いたかっただけです。中国だけでなく、かつての旧宗主国ヨーロッパと比べて情報網が乏しく、地理的に離れているハンディを抱える日本は、アフリカは遠い存在ですが、漁業というビジネスにおいては辛うじて繋がっているようです。
 あらためて、昨日からの繰り返しになりますが、食文化は最大限尊重されるべきですが、海洋資源を食い尽くすようなことがあるとすれば、行き過ぎと言うべきです。私が子供の頃には、今ほど回転寿司は一般的ではなく、マグロは赤身であってもそうそう子供が口に出来る食べ物ではなかったと思います。
 アカデミー賞を獲得した「The Cove」は、和歌山県太地町の伝統的なイルカ漁を隠し撮りし、動物虐待を訴えたものでしたが、全ての日本人がイルカを食しているかのような誤解を招くとしたら心外です。因みにイルカ肉には馴染みがありませんが、味は鯨に似ているらしい。その鯨についても、先日、調査捕鯨船に侵入したとしてシーシェパード船長が逮捕されたように、自然保護の考え方が先鋭化すると容易に文化摩擦に至りかねないことは理解しなければなりませんし、イルカや鯨への矛先がマグロにも向かいかねないことは警戒しなければならないと思います。
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食文化

2010-03-27 09:51:32 | 時事放談
 先週末のニュース解説番組では、ワシントン条約締約国会議で、大西洋・地中海産のクロマグロ(本マグロ)が資源として枯渇しつつあるというので絶滅危惧種に指定して国際取引を禁止することを求めたモナコ提案が、下馬評では圧倒的に有利とされていたにも係わらず否決され、半ば驚きをもって迎えられるとともに、クロマグロを食べ続けられることに安堵する街の声が目立ちました。寿司好きの日本人にはやれやれといったところでしたが、私にはちょっと違和感を禁じ得ませんでした。
 事実関係がいまひとつ正確に報道されていないもどかしさを感じますので、いま一度整理してみます。
 回遊魚と言われるマグロは、国際的な枠組みで資源管理されています。大西洋のクロマグロを管理するのがICCATであり、ミナミマグロを管理するのがCCSBTで、長年活動して来ましたが、マグロ減少に歯止めがかからないのは、これら国際機関の管理能力が低いということと裏腹の乱獲が原因とされます。そこで、漁業者に任せるのではなく、自然保護の枠組みで規制をすべきという主張が国際的に高まってきたのでした。
 今回、ターゲットとされた大西洋・地中海産クロマグロは、30年くらい前のピーク時に年間30万トンに達した漁獲量が、今では四分の一に激減しているそうです。科学者は1万5千トンの漁獲枠を勧告していますが、ICCATが設定した漁獲枠は3万トン、実際の漁獲量は漁獲枠を遙かに上回る6万トン前後と推定されています。密漁などの違法操業のほか、近年は小型魚のうちに捕獲して海中のいけすに移し、トロの部分が多くなるようエサを与えて太らせる「畜養」が、資源の枯渇に繋がるとして問題視されていると言われます。
 他方、日本で流通するマグロは年間約40万トン、このうちクロマグロは4万トン強で、大西洋産と太平洋産がそれぞれ半々を占めるそうです。もし国際取引が禁止されれば、太平洋産に頼らなければならないところでした。
 今回のモナコ案では、国際取引が禁止されても、EU域内での取引や漁獲は認められるため、資源の回復には繋がらないという問題も指摘されていましたが、世界のクロマグロ漁獲量の約8割を消費する日本が主張したのでは説得力がありません。もしモナコ案が採択された場合、日本政府は留保を申し立て、従わない方針を示していたので、今回、逆転否決されたのは、クロマグロを食べ続けられる安堵というよりも、日本が国際的に孤立する惧れがあったところを救ったという意味で、本当に良かったと思います。とりわけ静岡あたりの倉庫に1年分とも2年分とも言われる冷凍クロマグロが保存されている報道には驚かされました。仮にモナコ案が採択されても一年や二年は大丈夫と言われても、何故それほど大量の在庫を抱えているのか、私にはそちらの方が不思議でなりません。漁業関係者や商社や水産庁がからむキナ臭さを感じます。その水産庁のモナコ案切り崩し工作を評価する声も聞かれますが、モナコ案が否決されたからといって、クロマグロ資源の枯渇という事実には変わりありません。なにしろ、シーシェパードなどの自然保護団体の標的がマグロに移るのを避け(既にシーシェパードは次はマグロ漁船を攻撃すると公言していますが)、マグロ漁業を守るために、採算度外視で調査捕鯨を続けることに拘り続けているとされる水産庁のことです。否決をリードしたのがリビアだったというのは驚きですが(背後に隠然たる中国の存在がありますが措いておきます)、否決後、そのリビア代表と仲睦まじく談笑する水産庁審議官のしてやったりの姿は、如何にもクロマグロ乱獲の黒幕的な立場を想像させ、見ていて心地良いものではありませんでした。今回の結果は、モナコが言うように終わりの始まりに過ぎず、日本は資源管理という重責を負うことになったと考えるべきです。
 こうして見ると、食文化について考えさせられます。食文化は尊重されるべきですが、環境に優しい社会を目指すという謳い文句の一方で、海洋資源を食い尽くすのだとすれば、自己矛盾と言わざるを得ません。日本人の魚食量は、平成18年に肉食量を下回ったそうで、魚離れを憂えますが、その中でのマグロ偏重はなんだかイビツです。そうこうしている内に、世界では食料資源としての水産物の奪い合いが始まろうとしているという現実もあります。13億とも14億とも言われる人口を抱える中国の生活水準が上がる将来に不安があります。こうした現実を背景に、欧米を中心とするモナコ案肯定派と、カナダ・オーストラリアはともかく、中国を含むアジアやアフリカ諸国を中心とする反対派の対立は、G8とG20の勢力争いを彷彿とさせ、新たな南北問題を予感させ、難しい時代に立ち向かいつつあるのを感じます。日本の節度ある行動と行動の哲学が必要ではないでしょうか。
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ストレス

2010-03-22 13:10:03 | 日々の生活
 昨晩のあるテレビ番組で、ストレスがテーマになっていました。ストレスという言葉が生まれたのは20世紀になってからですが、現代の病というわけではなく、既に2500年前にお釈迦様が「苦」という言葉で表現し、生きている限りストレス(苦)はなくならないことに気がついていた・・・と言われると、ストンと腑に落ちます。研究者によると、ストレス(苦痛)には三つあると言います――身体的な苦痛、快適を得られない苦痛(答えが見つからない等)、他人から評価されない苦痛、の三つ。なんとなく感覚的に理解できますね。生きている限りストレスから逃れられないということは、社会的動物とされるヒトの持って生まれた悲しい宿命と言えそうです。ストレスによってイライラしたり、ジンマシンが出たりするだけでなく、屁が臭くなるというのには、思わず笑ってしまいましたが、人間という機関が化学反応の塊である所以です。
 ストレスがそうした類いのものである以上、ストレスに対処するには、それを感じる脳からストレスを消すことが大事だと、その研究者は言います。所謂ストレス解消です。その方法として、ホルモンの一つ、セロトニンを増やすことが有効だそうで、そのためには、朝、日光を浴びたり(欧州に多い冬季うつ病は、イタリアなどの南方で日光をたっぷりと浴びるだけで治癒するのだそうです、北欧人のバカンスの意味が分かりますね)、リズム運動をしたり(集中しさえすればガムを噛むことでも可なのだとか)、タッピング・タッチをしたりすること(軽く叩くように触れること)が良いのだそうです。
 因みに、私には耳慣れないセロトニンは、脳内の神経伝達物質のひとつで、必須アミノ酸であるトリプトファンの代謝過程で、脳の中にある「ほうせん核」で生成され、ほかの神経伝達物質であるドーパミン(喜び、快楽)、ノルアドレナリン(恐れ、驚き)などの情報をコントロールし、主に精神を安定させる働きをしてくれる物質だそうです。このセロトニンが不足すると感情にブレーキがかかりにくくなるため、ストレスを強く感じたり、うつ病になりやすく、また、代謝を経て、メラトニンという、一時期、時差ぼけに効くとされて有名になった、睡眠リズムに関係する物質にもなるので、いわば安らぎを与えてくれるホルモンと呼んでもよいそうです。
 もう一つ、ストレスを消す方法として有効なのは、感動の涙を流すことだそうで、脳内の血流量が増し、交感神経の緊張が緩み、脳がリラックスした状態になり、心拍数が落ちるのだそうです。私たちの普段の生活の中で、さんざん感涙にむせいだあと、スッキリしたように感じるのは、ただの気のせいではなく科学的にも裏付けられるわけです。
 この番組に登場していた脳科学者の茂木さんは、現代社会は便利で快適になっているために、却ってストレスに弱くなっているのではないかと分析し、現代人にとって日常がずっと続くことがストレスだから、たまに非日常を経験するのが良いのかもしれないと示唆されています。茂木さんのことですから、民俗学や文化人類学で言う「ハレ」と「ケ」、さらには社会学や政治学上の祭り(象徴的なものを含め)の効用などを踏まえての発言なのでしょうが、決して牽強付会ではなく、根っこのところで繋がっている本質的な話であるところが、なかなか味わいがあります。日本の社会は、伝統的に祭りや宴会などの非日常を用意して来ましたし、アメリカのように歴史が浅い国でも、さまざまな行事やパーティなどをごく自然に取り入れているように、都市化が進んでも、いろいろな形で非日常的な出来事に心惹かれ、ある種の気分の高揚を求めるのは、心(正確には脳)がバランスを取ろうとするヒトの本能のなせるわざなのだろうと思います。
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ひきこもり

2010-03-19 02:01:40 | 時事放談
 火曜日の日経・朝刊に、ハーバード大学の学長が、都内で行なわれた日本の大学関係者との懇談会で、今年の一年生の中に日本人は一人だけだと、日本人留学生の減少に懸念を表明されたとの記事が出ていました。昨今の経済状況を反映するかのように、中国人・韓国人留学生は増える一方で、日本人留学生の減少に、大学も注目していると言い、内向き志向からの転換を勧められたそうです。気候変動や感染症といった問題をはじめとして、世界に目を向けなければ答えは見つからないのだと。その後、学長は鳩山首相とも会談し、海外留学を増やす必要があると強調されたそうです。
 日本は他所様から心配されるほどに落ちぶれてしまったのですね。
 この新聞記事を思い出したのは、今宵のニュース番組で、大学生の生活費がここ10年でなんと30%も減っているという統計データが紹介されていたのを見たからでした。少子化で一人ひとりは豊かな生活をしているものとばかり思っていたので、意外に思いました。あるいは二極化が進んでいるのかも知れませんし、もう少し仔細に見てみないと何とも言えません。
 初めの話題に戻りますが、学長からの叱咤激励に、鳩山首相は果たしてどう応えたのでしょうか。よきにはからえとばかりに、子供手当てをばら撒いて、結果としてその6割を貯蓄に回される(と予想されている)より、ある思想のもとにあらまほしき方向に誘導してこそ、お金も生きると思います。もっとも、大企業を敵に回す労組を支持基盤にする民主党ですから、福祉や(内向きの)教育などの内需拡大を目指しこそすれ、輸出振興や海外進出には興味がなくて、適当に話を合わせて終わったのかも知れません。
 若い世代が国内に引きこもっている現状を憂えます。好んで引きこもっているのであれば、そういう若者を育てた大人の責任で、どうしようもありませんが、この失われた20年の間に、昔、流行った縮み志向に追いやられているとしたら、これほど不幸なことはありません。かつてのイケイケドンドンを知っている私たちはともかく、そういう引きこもりの環境が当たり前で育った若者が海外に向かう時のハードルは一段と高いであろうからです。企業も社会も、それを支える人の育成の観点から、失われた20年を取り返すのは容易ではありません。
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褒める

2010-03-17 00:33:25 | 日々の生活
 週末の番組で、妻が夫のことを、また親が子供のことを、褒めてヤル気を出させることが大事だと、専門家の意見として推奨されていました。日本人は概して褒めることが苦手で、その点では欧米人の方に一日の長があります。褒められれば誰しも嬉しくないはずはありませんし、豚もおだてりゃ木に登る、と言われます、ちょっとやって見るかと、思わぬヤル気を出してみたら、思わぬ成果も期待出来そうですし、気持ちが乗れば、乗らない時より格段に成果はあがりそうです。
 その番組で、脳科学者の茂木さんも、褒められることによって、自ら動くことの効能を力説されていました。逆に、自ら動こうとしないで他人のことばかりあげつらう批評家、評論家が増えてきたのは、褒められないことと関係があるのではないかという指摘はなかなか面白い。
 私たち自身も、小さい欠点には目をつぶって、単純に褒めることに対しては、抵抗を感じるところがあり、却ってあれこれ問題を指摘した方が高級なアドバイスのように思いがちです。経済が成熟すれば、教師や弁護士といった直接生産に携わらない人口が増えると言われますが、いろいろ原因はあるにせよ、一つには、経済が成熟して、誰もが十分な教育を受けるようになると、単純に褒めなくなる、褒められなくなって、口先ばかりの人間が増えてくるということにも求められるかも知れません。今の日本を見ていると、まんざら外れてもいない気がします。
 ここはひとつ山本五十六元帥の有名な語録を思い出すのも良いでしょう。「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
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なごり雪

2010-03-16 00:27:44 | スポーツ・芸能好き
 伊勢正三さん作詞・作曲の「なごり雪」は、私が最も好きな曲の一つです。もしかしたら日本のフォーク・ソングの中で一番気に入っているかもしれない。作詞を専門にしていた伊勢正三さんがプロになって初めて作曲した楽曲で、かれこれ36年前、1974年のことでした。折りしも、「神田川」のヒットを飛ばしたかぐや姫が次にシングルカットする曲として、南こうせつさんは「なごり雪」を選びたかったらしいのですが、「赤ちょうちん」と「妹」の映画化が決まっていたため、叶わなかったと言われます。結果として、かぐや姫の代表作となる所謂「四畳半三部作」が生まれ、「なごり雪」の方は、翌年、イルカがカバーして大ヒットしました。
 伊勢正三さんの曲づくりも、貧しくも哀しく美しい四畳半ソングの範疇に入りますが、南こうせつさんの、下駄と手ぬぐいの肌合いの、歌声そのままに温かみのある素朴な曲づくりに比べると、伊勢正三さんの場合は、ちょっとクールに気取った男のロマンが漂います。続いて出した「22才の別れ」もヒットし、本人によると、「なごり雪」は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品、「22才の別れ」はヒットを意識して作った作品だそうですが、いずれにしても、長い人生のこの短い期間に、伊勢正三さんの代表作が相次いで生まれたことになり、感性の働きにも天の時というものがあるのが不思議にも看取されます。本人の言によると、「20歳から21歳になりかけのときに作った作品だけど、今、50歳を過ぎて知識も増えたけれど、ことばで負けている」ということです。
 さて、随分、前置きが長くなりました。「なごり雪」の歌詞に歌われている舞台は東京の駅ですが、モチーフになったのは、実は伊勢正三さんの出身地・大分県津久見市の津久見駅なのだそうです。この週末、そのJR津久見駅構内に、「なごり雪」の記念碑が建てれらたというニュースが報道されました。記念碑といえば、桜島にある林芙美子の歌碑「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」をつい思い出してしまう鹿児島人の私ですが、「なごり雪」も、時代こそ違え、名曲の一つに数えられるようになったとの感慨を深くします。

 汽車を待つ君の横で
 ぼくは時計を気にしてる
 季節はずれの雪が降ってる
 「東京で見る雪はこれが最後ね」と
 さみしそうに 君がつぶやく
 なごり雪も 降る時(とき)を知り
 ふざけすぎた 季節のあとで
 今 春が来て 君はきれいになった
 去年よりずっと きれいになった

 動き始めた汽車の窓に 顔をつけて
 君は何か 言おうとしている
 君の口びるが「さようなら」と動くことが
 こわくて 下を向いてた
 時が行けば 幼い君も
 大人になると 気づかないまま
 今 春が来て 君はきれいになった
 去年よりずっと きれいになった

 君が去った ホームに残り
 落ちてはとける 雪を見ていた
 今 春が来て 君はきれいになった
 去年よりずっと きれいになった
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東京タワー

2010-03-15 02:11:39 | 日々の生活
 今日、更新したパスポートを受け取るために新宿に出たついでに、都庁ビルに登りました。春霞でくっきり見えないながらも、日本一の山・富士山にはハッと胸を打たれますし、東京の新タワー・東京スカイツリーも、どこまで出来上がったかと、つい目で追ってしまいますが、東京の街並みを眺めていて、どうしても気になってしまう存在は、私にとっては、高度成長の象徴的存在でもある、永遠の東京タワーです。
 就職で大阪から東京に出てきて、最初の週末に先ず訪れたのが東京タワーでした。黄昏時に見た東京の街は、宝石を散りばめた様に美しかった。大阪とはスケールが違う東京の街の大きさにも驚かされたものでした。
 ところが都庁から見やる東京タワーは、飛びぬけて高いわけではなく、むしろ他の高層ビルに囲まれて、もはや目立たない存在であることに、些か驚かされました。上の写真で、目立つのは右端の六本木ヒルズ、そして中央の何のビルだか分からない傍で、東京タワーはひっそりと佇んでいます。これほど高層ビルが乱立しているとは思いませんでした。東京の街は今もどんどん変わっているのですね。そしていずれ放送施設としての役割を終える東京タワーの運命が、気になります。
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密約

2010-03-12 02:59:43 | 時事放談
 米軍の核持ち込みなどを巡る日米の所謂「密約」問題に関して、外務省の有識者委員会の報告書が公表されました。調査対象とされた4件の内、明確に合意文書があった「狭義の密約」は1件だけでしたが、文書がなくても暗黙の合意や了解があったという意味で3件まで「広義の密約」が認められ、やっぱりそんなものなのだろうなあと納得します。政治は国民の負託を受けて行われる以上、「密約」の有無にとどまらず、広く政策決定過程や判断の内容を明らかにすべきであり、そういう意味で、外交文書は30年で公開するというルールがあるにもかかわらず有名無実化している現状をあらためる必要があります。
 勿論、外交や安全保障には秘密がつきもので、「英国機密ファイルの昭和天皇」(徳本栄一郎著、新潮文庫)を読むと、民主主義の本家・イギリスでも、情報公開の原則のもとに、フォルダーあるいは文書番号があっても文書が見当たらない、公開の例外が見られるようです。それでも、今回の報告書で、当然あるべき文書が見つからず、見つかった文書に不自然な欠落が見られたというように、闇から闇に葬られる秘密主義より、原則公開としながら公開できないごく一部の例外をルールとして認めるのが健全な民主主義のあり方でしょう。いずれ公開されるという緊張感をもちながら政策運営に当たることを担保する仕組みが日本にも必要です。
 それにしても今回の調査で気になるのは、文書管理改革を進めることが趣旨だったのか、日米関係に疑義を差し挟むことを狙ったものか、あるいは自民党政権の過去のアラ探しをしたかっただけなのか、あるいはいずれともなのか、民主党政権の狙いが必ずしもはっきりしないことでした。というのも、過去の検証もさることながら、より重要なことは、明らかにされた事実を今後にどう生かすかということだろうと思うのですが、鳩山さんも岡田さんも「非核三原則を見直す考えはない」と何の躊躇もなく即座に明言したからです。この地球上で最大の軍事的緊張が続く北東アジアに位置する現実を直視せず、対等の日米関係と言いながら、中国におもねて緊密度を増すことによってしか日米の距離感を見直す考えがない民主党政権には、核政策や集団安全保障といった本質的な安全保障論議を仕掛ける気配はなく、結局、日本を背負って立つ気概も感じられません。
 こうして、事業仕分けと同じく、自民党政権のアラ探しのパフォーマンスで終わるとすれば、極めて残念なことです。野党根性が抜けない与党(民主党)と、野党になりきれない元与党(自民党)という構図に変化の兆しは見えないものでしょうか。
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学習院初等科のできごと

2010-03-10 00:47:56 | 時事放談
 皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが学習院初等科に2日連続して登校されたということが、二日続けてニュースになっています。犬が人に噛み付いてもニュースにはならないが、人が犬に噛み付くとニュースになる、などと言われますが、一体、二日続けて登校されたことのどこにニュース・バリューがあるのか、よく分かりません。
 宮内庁から、愛子さまが、学校で同学年の複数の男児から乱暴な振る舞いを受け、強い不安感や腹痛を訴えて、3日からずっと登校出来ずにいると発表があったのは、5日のことでした。学習院側では、愛子さまを直接対象にした暴力行為はなかったと説明し、証言に食い違いが見られ、真相は謎のままです。さらに学習院側は、小学生のすることで他愛ないことだと前置きした上で、昨年、数人の男子児童によって、鞄を投げる、廊下を凄い勢いで走る、大声を出す、授業中に教室で縄跳びの縄を振り回す、などの迷惑行為があったため、担任の教員に補助をつけて監視し、その後、11月頃には沈静化したと説明しました。これを学級崩壊と呼ぶネット上の掲示板も見かけましたが、普通の小学校であれば、小学生のすることで他愛無いことだろうと思います。そこは、戦前は宮内庁所轄の官立学校で、戦後も、慶応幼稚舎、青山学院初等部と並んで「御三家お受験小学校」と称される学習院初等科だというところに、意外な驚きがあるのでしょうか。宮内庁がわざわざ不登校といった不名誉を臆面もなく世間に公表したのは、素直に考えれば、妙な噂が立つ前に世間に向かって明らかにしたということでしょうが、別のメッセージが隠されているのか、つい勘繰りたくなりますし、秋篠宮家の長女・真子さまは国際基督教大学に、長男・悠仁さまはお茶の水女子大付属幼稚園に、4月から通う予定で、皇室の「学習院離れ」が進んでいることと何か関係があるのかと、これまた勘繰りたくなります。
 かつて中国の一人っ子政策で甘やかされて育って我がまま放題の子供は「小皇帝」と批判的に呼ばれたものでした。日本の学校で見られる崩壊現象は、少子化で似たような過保護な環境で育ったモンスター・チルドレンによるものなのか、あるいは学校や教員に敬意を持たず、理不尽で身勝手な要求やクレームを振りかざすモンスター・ペアレントを子供が見ているせいなのか、よく分かりませんが、あちらこちらで多かれ少なかれ自制が利かなくなっていることだけは確実に感じます。モンスターと冠する親子だけでなく、もしかしたら雅子さまも我慢が足りないのかも知れませんし、宮内庁もそうなのかも知れません。皇室批判が趣旨ではなく(ご存知の通り私は皇室を衷心から敬っています)、鳩山政権だって大衆に迎合せんとする節操のないバラ撒きに見えますし、どこか自制・自助・自立・自律の精神がふやけてしまって安逸に流れがちな世相を思うのです。
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休日分散化

2010-03-08 00:21:32 | 時事放談
 週末のニュース解説番組を見ていると、先日、政府の観光立国推進本部・分科会で提示された休日の分散化案が話題になっていました。全国を5つの地域に分け、春・秋の連休の日程をずらして、旅行需要を喚起するのが狙いだそうです。全く、余計なお世話です。
 連休をずらすと、高速道路や鉄道の混雑が緩和されるため、連休割増料金もなく、宿などの予約も取りやすく、結果として、観光地では集客が続くため雇用の創出や安定化に繋がることが期待されるというわけです。勿論、良いことばかりではなく、全国展開の企業では日程調整が面倒だとか、帰省しても地域が違う旧友とは休みが合わないとか、カレンダー業者は5種類もカレンダーを作成しなければならないといった冗談のような話まで出ていますが、概ねプラスの影響が大きいような論調です。
 ドイツでも実施しているといいますが、ドイツでは、子供たちの休みが分散化されているもので、大人はそれに合わせて有給休暇を取るという、有給休暇30日付与で消化率100%のドイツならではの制度になっており、有休消化率が50%を切るレベルの日本とはちょっと前提が違います。
 日本では有休消化率が低いことが問題ですが、だからこそ政府が祝日を徒に増やしたり、連休をずらしたりして休暇を取るように仕向けるというような問題ではないはずです。お上にそこまで指図されたくありませんねえ。国交相はカネがかからないで景気浮揚を図れると胸を張っているようですが、もっと他に考えることはないのかと、ちょっと情けなくなります。
コメント (2)
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