風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

お里が知れる:中国編

2021-03-25 23:21:13 | 時事放談
 中国の戦狼外交ぶりに磨きがかかって来た。カナダやオーストラリアなどの中堅国に対して情け容赦しないのに加え、フランスとも衝突を繰り返している。昨春、パリ駐在の中国大使館が、フランスでは介護施設で年金生活者が見捨てられたまま死んでいくと発言して、顰蹙を買ったものだった。最近も、中国大使館は、フランス上院議員団が台湾訪問を計画していることに「一つの中国に反する」として止めるよう要請したのに対して、「露骨な干渉」だとツイートしたフランス人の中国研究者のことを「ごろつき」「狂ったハイエナ」と批判した。
 中国のその筋の方々の発言は、最近、益々激しさを増し、北朝鮮に似て来た(笑)。北朝鮮の報道官のおばちゃんはお元気だろうか。三代目のボンがトランプさんと直接やり合うようになって、スポークスパーソンとしてすっかり影が薄くなった印象だが、大仰で紋切り型の田舎芝居のような長広舌が、なんだか懐かしい。中国も、芝居がかってはいるが、世界の大貧国として居直る北朝鮮と違って、余裕が感じられない。新彊ウイグル自治区での人権侵害の疑いを理由に、EUが中国に制裁を科すと、中国はすかさず対抗措置をとり、「断固とした反対と強い非難」を表明した上で、「人権教師面をするな」などと批判した。中国から制裁を科せられた内の一つ、ドイツの調査機関メルカトル中国問題研究所の理事は、「中国が愚かなことをしているのは極めて残念だ」と述べた上、中国は国の規模を見ているとして、「米国に対してはより慎重であり、カナダとオーストラリア、EUに対しては徹底反撃する」と語っている(ブルームバーグより)。
 このあたりは日本に対しても同様で、日米2プラス2(日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会)に関連して、中国外務省の副報道局長は日本に「アメリカの戦略的属国」とのレッテルを貼り、「中日関係を破壊した」と対日批判を強めた。
 「属国」とは手厳しい。こうした発言は、いかにも中国らしい発想から生まれたもので、実は中国自身の願望(=中国の属国としたい)を表しているのではないかと思われる。欧米では、帝国主義の時代があったとは言え、基本的に400年来、ウェストファリア体制が続いており、タテマエ上は国の大小を問わず主権平等の扱いだが、儒教社会の中華圏では古来、上下関係(序列)に基づく秩序観念(華夷秩序)が支配して来た。それは今も変わらず、2010年のアセアン地域フォーラム外相会議で、(先般のアラスカ会談で吠えまくった)楊潔篪氏は居並ぶ他国の外相を睨みつけ、「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実なのである」と言い放ったことが思い出される。
 こうした言わば感情にまかせた発言で、「お里が知れる」のである。
 以前にもこのブログで触れたことだが、あの「南京大虐殺」の被害者数は極東軍事裁判で、広島・長崎の被害者総数と同じ20万でチャラだと言わんばかりだったが、中国はその数をいつの間にか30万に積み増した。こうした城壁内での大量虐殺は、中国や中東や欧州のように異民族が攻防を繰り返す地では当たり前の発想だが、日本にはない(そもそも中国や欧州のように異民族から攻撃されたことがないので、街を守るための城壁構造はない)。従って慣れない旧・日本軍はそこまで残酷にならなかったであろうことが日本人には容易に想像され、被害実態は多く見積もっても一桁少ないレベルとするその後の研究の妥当性に納得するのである。こうした中国らしい発想で発言するから、「お里が知れる」のである(つまり中国のでっち上げと分かる)。
 新彊ウイグル自治区での人権侵害の話に戻ると、中国外務省の報道官は、23日の定例記者会見で、新疆ウイグル自治区は「成功を収めた人権の物語」だと強弁し、新たな対中制裁を科したEU、カナダ、米国を揃って非難した。だったら、さっさと国連の査察を受け入れて、「成功を収めた人権の物語」とやらをEU、カナダ、米国に学ばせてあげればよいのにと思う。
 中国は、アラスカ会談後、以前からの盟友である北朝鮮やロシアなどとの関係強化を目指す方針を表明した。デカップリングは、アメリカではなく、中国の側が仕掛けている。
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パンデミック宣言から一年

2021-03-24 01:44:42 | 日々の生活
 緊急事態宣言がようやく解除された。昨日、たまたま都心に出たら、大変な人出に驚いた。これが宣言解除のせいなのか、以前と比べてどうなのか、判然としない。私が目にする東京に限ると、これだけ人が密に活動していながら、欧米諸国に比べて、この程度の感染にとどまっているのは凄いことだと、あらためて感心する。
 政府筋からは、「延長しても打つ手がない」とか、「宣言を続けても、国民に頑張る体力や気力がなくなる」 「このまま続けて増えたら、緊急事態宣言の意味がなくなってしまう」といった諦めの声が漏れ聞こえて来る・・・などといった意地悪な報道がある。実際に、感染者数は下げ止まり、むしろリバウンドの気配を見せているので、この二週間の延長は一体何だったのかと思わないでもないが、やはり今回も、東京オリパラが影響していたと考えざるを得ない。25日から聖火リレーが始まるというのに、3月7日で解除して、その後、感染が拡大してしまったら歓迎ムードに水を差しかねない(忌避ムードが盛り上がりかねない?)ので、宣言解除を聖火リレー直前まで引き付けたのだろう。この春の桜の開花は、例年より早いことでもあるし。
 振り返れば、経済を無理矢理、元のカタチに戻す象徴とも言えた(最も疲弊した観光・運輸業を救済する)Go To トラベルは、政策の狙いとしては悪くなかったと思うが、結局、接触機会が増えて、自然体でいるよりは感染が拡大し、年末の忘年会シーズンを甘く見て、更なる拡大を招いて、二度目の緊急事態宣言発出が余儀なくされた。本来であれば、宣言をチラつかせながら国民の自制を促し、宣言を発出しないで所謂「ハンマー&ダンス」によってぎりぎりのところで泳ぐのが理想なのだろうが、宣言が発出されないことには、人々の行動変容を迫るのは難しいのだろうか。マスコミや野党はこの状況を政権批判に利用するので、残念ながら政府と国民が一体となって「有事」を乗り切る協調的な雰囲気からは程遠い。
 さらにもっと振り返れば、何かと物議を醸した、WHOのパンデミック宣言は昨年3月11日、私の会社が原則として在宅勤務に入ったのは3月27日のことで、あれから一年になる。誰もがオフィスに集まって、わいわい仕事するという感覚が、私の経験値としての30数年どころか日本の資本主義の開闢以来150年振りに、ひっくり返ってしまった。
 それにしてもゴールの見えない戦いは厳しい。マラソンというレース自体は言うに及ばず、日々の練習を積み重ねられるのもレース出場という目標(ゴール)があればこそ。今、ワクチン接種が始まったが、私たちはなおゴールの見えないレースに向き合っている。
 先日、一年振りの定期健康診断があって、コロナ太りどころか、逆に体重が5キロ以上も減って、看護士さんに心配されてしまった。一日中、座ったままの姿勢では身体が凝り固まってしまうので、昼食後、お日様を浴びに軽めの散歩をし、夕方、通勤並みの運動を課すために早歩きの散歩をするというルーチンを、感情を押し殺して続けている。家呑みは増えたが、酒を飲みながらガツガツ食うことはなく、夜遅くに食べることもなく、そもそも外食が少なく、間食もなく、年齢相応に小食を心掛けている。やせ我慢はそうそう続くものではないのだが・・・。
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ミャンマーの混迷

2021-03-17 23:25:33 | 時事放談
 ミャンマーで発生した軍事クーデターに反対する市民の抗議デモが広がり、軍・警察によるデモ弾圧によって、(人権監視団体によると)死者は180人以上、現在も身柄を拘束されている市民は2000人以上にのぼる(AFPによる)など、極めて憂慮される事態に立ち至っている。ヤンゴンなどの一部では戒厳令が発出された。軍・警察のことを治安部隊と称するメディアがあって、これではデモ参加者がまるで暴徒であるかのようだが、基本的には「不服従」運動の一環のようである。
 クーデターと言えば、日本人は二・二六事件を思い浮かべて過剰反応してしまいがちだ。私も10数年前、マレーシアに駐在していたときに、お隣のタイでクーデターがあって、テレビ報道は盛んにクーと呼び、新聞はCoupと書き立てて(フランス語のcoup d'Étatの略)、会社の現地人の同僚に、大丈夫か!?と心配して尋ねたら、いつものことだと平然と言い放たれて、へえ、そんなものかと驚いたものだった。そのため、今回もミャンマーでクーデターが発生した当初は、不覚にも、またやってるな、とか、こういう土地柄だしなあ、などと軽く受け流してしまった。
 数日前のウォールストリート・ジャーナル紙は、「選挙で選ばれた政府を復活させようとする運動で先頭に立っているのは、比較的開放的で民主的な移行期に大人になった若者たち」で、「こうした動きは、香港やタイ、ベラルーシ、ロシアの大規模なデモに続くもの」だと報じた。2011年にようやく民政移管を果たしたミャンマーでは、完全な民主化ではなかったにしても、2012年には国家の検閲が解除され、「何百万人もの若者がインターネットを通じて初めて世界とつながった」(同紙)らしい。「当局が武力行使を開始して以来、デモの最前線にいる若者は戦術を変更。香港の街頭デモに倣って流動的に行動し、暗号化されたメッセージアプリを使用している」(同紙)そうだ。
 僅か10年とは言え、民主化の経験は尊いものだと思う。
 たとえば中国には、歴史上、民主化の国民的経験がなく(そもそも西欧的な意味での“国民”国家とは言えず、今なお人民と呼ぶ)、天安門事件はこともなげに捻り潰されてしまった。中国共産党という革命政権(王朝)は、ネットを通して世界が繋がる時代に、グレート・ファイアーウォールを築いて外の世界から情報を遮断するなど、本来この地にあったはずの革命思想(天子=皇帝は、命を天に受けて主権者となり、天下を乱すと、天命によって主権者であることを改められる=革命)を否定し、反革命を抑えつけるべく、独裁体制を着々と強化している。また、中東地域は、部族制の特殊な社会にあって、アラブの春で盛り上がったものの、やはり民主化の国民的経験がなく、民主化どころか地域の安定を維持することにも苦労する始末だ。その点、ミャンマーの場合、アウンサンスーチーさんには政治力がないとか中国に阿っているなどの批判が軍部にあるようだが、国民からは絶大なる信頼を寄せられ、軍制に対する明確な反対意思が表明されている。この10年の国民的経験、とりわけその民主化の中で育った若者たちの経験は、重い。
 ここでも注目されるのは、一帯一路を通して勢力圏を拡げる中国の存在である。マラッカ海峡を通らずにインド洋に抜ける道としてミャンマーを地政学的要衝と見做す中国は、軍政時代には欧米が経済制裁を科す中で経済支援を通して軍部を取り込み、その後はアウンサンスーチーさんとも良好な関係を築いている(もっとも、いつものようにプラグマティックに内政不干渉を貫く中国は、却って軍政の後ろ盾と見られてミャンマー国民の反発が広がっていることに神経を尖らせている模様だが)。欧米では民主化弾圧を批判する声が高まるが、下手に制裁強化するとミャンマーを中国側に追いやりかねないとして、今のところ制裁するにしても抑制的だ。
 そんな中、日本の立ち位置が問われている。大東亜戦争ではミャンマー(当時ビルマ)独立を支援し、戦後も欧米とは一線を画して特別な関係を維持した歴史があって、おいそれと欧米の制裁に同調できない事情は理解できなくはない。それだけに、軍部と、アウンサンスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)政権と、両方にパイプがあると言われるのであれば、旗幟鮮明に、あくまでも民主的な価値への支持を表明しつつ、和解の舞台や条件を設定するなど双方の歩み寄りを促す日本独自の外交を発揮して貰いたいものだと切に思う。何よりミャンマーの若者たちが、香港の若者たちの二の舞(のよう)になるのを見るのは忍びない。
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フクシマとコロナ

2021-03-13 12:17:41 | 時事放談
 東日本大震災から10年の節目となり、当時を振り返る報道が相次いだ。今週のNewsweek日本版は嵐の櫻井翔さんが表紙を飾って、何事かと思ったら、彼は「news zero」キャスターとして被災地の取材を続けているそうだ。追悼のドキュメンタリーは、時折り、涙腺を緩ませる。
 日付まで記憶させるような出来事はそうそうあるものではないと、ジョン・ルイス・ギャディス教授は『アメリカ外交の大戦略』の中で述べておられた。その一つが9・11同時多発テロであり、また真珠湾攻撃でもある、と。私たち日本人には、そこに3・11東日本大震災が加わる。14時46分という時間まで記憶させているのだから、大したものである。
 あの日、私は都心のオフィス(36階)にいて、それまで経験したことがない長く続く大きな揺れに見舞われ、湾岸に目をやると石油基地から煙が立ち上るのが見えて、不謹慎にも『日本沈没』の文字を思い浮かべるほど、暗澹たる気持ちになった。健常者の私ですらそんな調子なので、隣席の難聴の女性の不安たるやいかばかりかと、館内放送のメッセージを紙に書いて示しては、「大丈夫」という表情を繕って、気丈に振舞おうとした。会社に備蓄された乾パンと水が配給されたが、たまたま外出していた同僚がマクドナルドのハンバーガーを差し入れてくれて、ハンバーガーとは言え暖かい食事が(冷えた心に)これほど有難いと思ったことはなかった。その日は、会議室で椅子を並べてコートにくるまって仮眠をとった。隣の部署がBCPを所掌する内部統制部門で、彼らが持つTVがその会議室に備えつけられ、一晩中、流れ続けるニュースを子守唄に・・・。翌日、JRが動き出して帰宅できたが、この東日本大震災は、地震の揺れよりも津波被害が甚大であることを知って愕然とし、さらに福島第一原発の危機に繋がって肝を冷やすことになる。漢字で書く福島ではない、所謂フクシマの問題である。
 もっとも上に述べたことは所詮は被災地から遠く離れた東京都民の感傷でしかない。今、新型コロナのパンデミックで日本中、いや世界中が被災し、ようやく被災者の思いを多少なりとも実感することになった。
 そのパンデミックから一年が経ち、少しは冷静さを取り戻して、国家としての危機管理の観点から、フクシマと共通する問題があるように感じる。ウイルスといい放射線といい、目に見えない敵との戦いであり、有事であって、パンデミックにしてもフクシマにしても自然災害に起因するが、本質は人災とも言うべきものだということだ。
 このパンデミックで、日本はまがりなりにも死亡者数や感染者数が抑えられ、国際社会から見れば成功している部類に入るとの海外報道があるが、その評価は政府の政策と国民の対応がごちゃ混ぜになっている。実態は、政府がやることはお世辞にも優れているとは言えなくて、国民が強制されなくても自制的な行動をとり、公衆の面前ではマスクをし、密を避け、帰宅すると靴を脱いでうがいをし、食前やトイレ後には手洗いをするという、日本人にはごく当たり前の衛生習慣に依存している(ファクターXは別にして)。すなわち、パンデミックにしてもフクシマにしても、国家の中枢は頼りにならないけれども、現場の国民が踏ん張っている。
 そもそも危機管理は日頃の訓練ができていない場合は対応が難しいものだと頭では分かっている(このパンデミックでも、上手く行っていない国は多い)が、それにしても日本政府には備えがなくて、危機管理体制が覚束ない。日本版NSCが出来たから、危機対応は少しはマシになるかと期待されたが、そうでもなさそうだ。有事における司令塔(その指揮命令系統)がうまく機能しているようには見えないし、政府と地方自治体との役割分担は不明瞭のようだし、政府と国民の関係はどこか対立的、よそよそしくて何かと誤魔化そうとするところが感じられて、生産的ではない。中でも、いったん起きてしまった危機=クライシスにおいて大事なのは情報共有やクライシス・コミュニケーションだと思うが、どうにもぎくしゃくしている。平時は国民の負託による政治を監視・牽制する(本来であれば)緊張した関係にあるが、今は有事である。それにも関わらず、共に戦うという気概が感じられない。
 このあたりは、日本が、大陸とは違って異民族による虐殺や略奪といった、国民一丸となって対応しなければならない悲惨な歴史的経験に乏しく(白村江の戦いで唐軍に備え、蒙古襲来に備えて以来、久しくない)、せいぜい地震・台風・洪水・火山噴火の災害列島で、有事と平時の境界が曖昧で、結局、平時の感覚が抜け切らないからだろうか。そのせいか国家として特段の有事への備えは出来ていなくても、国民レベルではいざ被災したときの覚悟がDNAに埋め込まれている。一種の諦観であって、東日本大震災における国民の整然とした規律ある行動は世界で評判になった。
 つまり反省が足りないのではないだろうか。SARSの事後検証報告の中で対策が提言されたものの、その後、活かされることはなかった。元を辿れば、大東亜戦争の後にも、個別には様々な立場で振り返りがなされたが、たとえば吉田茂の指示で外務省が検証した報告書は後年になるまで発表されず知られることはなかったように、国民は不幸なこととして一種のトラウマに囚われたまま感情的に忌避するだけで、国民レベルの冷静な総括が出来ていないように思う。そのため、日本国憲法ですらGHQ占領期に「仮」制定されてから手が付けられず、緊急事態条項が盛り込まれないまま、有事において政府が強い権限を行使して国民の犠牲を強いながら安全を守るという仕組みが根付いていない。それは国民から受け入れられないと、安倍総理(当時)自身も田原総一朗さんに語っている。フクシマの後も、原発をどう扱うべきか、感情的な反発があるのは理解できるが、政府のエネルギー政策は宙に浮いたままで、科学への信頼をよそに元総理5人衆が脱原発で無邪気に意気投合する姿を見ていると、絶望的になる。
 結果として、安全保障の観念が乏しい国家になり下がってしまった。政治のリーダーシップのせいにしてしまいがちで、そのため長年、先送りされて来たが、ここまで来れば国民性とも言うべきもので、私たち国民一人ひとりが自らのこととして考えなければならない問題だろう。
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台湾の自由パイナップル(続)

2021-03-09 01:05:17 | 時事放談
 台湾の週刊誌(『今周刊』)記事(東洋経済オンラインに転載)によると、中国による台湾産パイナップル輸入停止問題については、中国に対して厳しい目が向けられるだけでなく、蔡英文政権の対外貿易戦略を疑問視する声も上がっているのだそうだ。
 記事によると、2016年に総統就任以来、対外経済政策として「新南向政策」を打ち出し、経済面での中国依存度を低下させリスクを(ASEANや東アジアなどへ)分散させると表明したにもかかわらず、実際はいくつかの果物の輸出で中国への依存度は低下するどころか高くなっており、宣伝ばかりで実際の成果は大したことがないとして、農家から落胆の声が上がっているのだそうだ。まあ、普通に考えれば、ASEANよりも総じて所得水準が高い台湾の高品質・高価格なパイナップルなどの農産物がASEANでそう簡単に売れるとは思えない。
 それに、経済的に中国に依存させておいて、政治的な問題で気に食わないことがあったら、その圧倒的な経済力をテコに懲らしめるのが、中国の作戦である。以前にも本ブログで触れたが、習近平国家主席が4月10日に党中央財経委員会で行った演説(共産党理論誌「求是」に掲載)によると、「国際的なサプライチェーン(供給網)を我が国に依存させ、供給の断絶によって相手に報復や威嚇できる能力を身につけなければならない」(昨年11月16日付、日経)ということだ。蔡英文総統が「新南向政策」を言い出した途端、言葉巧みに中国依存を強めさせることなど、中国共産党ならやりかねない(笑)。
 他人事ではない。既に日本の企業は、最初は世界の工場として、次いで経済成長著しい有望市場としての中国から、恐らく言葉巧みに誘われて、のこのこ進出して、どっぷりと泥沼に足をとられている。挙句の果てに、技術情報を窃取され、真似されて中国での市場を失ったり、国内では中国製造をガッチリ組み込んで価格競争による消耗戦で疲弊し、結果として国民経済はデフレで苦しんだり、はたまた日本の強みだったはずの「ものづくり」が空洞化したり・・・世界第三位の日本経済と言えども、10倍を超える人口大国が隣にあって、その磁場に引き寄せられれば、歪められないはずはないだろうとは、私の被害妄想である(笑)。まあ、me-too製品の「ものづくり」が台湾や韓国や中国に流れるのは世の常で、それに代わる新・産業を興すことが出来なかっただけではないかと言われればそれまでのことで、企業人の一人としては恥じ入るばかり。げに恐ろしきはブラックホールの如く何でもかんでも呑み込んでしまう国家資本主義・中国である。WTO加盟から僅か20年で、これほど巨大化するまで、のさばらせてしまうとは、痛恨の極みながら、後の祭り。果たしてこの巨竜をコントロールできるのだろうか。
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台湾の自由パイナップル

2021-03-05 23:21:12 | 時事放談
 以前、「豪州産ワインを飲もう!」と題して、中国がエコノミック・ステイトクラフトの一環で、つまりは嫌がらせで、豪州産ワインに反ダンピング関税を適用する方針を決定したことを本ブログで批判したが、今回は台湾産パイナップルの話である。以前、台湾はその豪州の「自由ワイン」を支持する呼びかけに加わったそうで、今回、台湾は自らの「自由パイナップル」に同様の支援が欲しいと呼びかけた。中国は表向き、昨年来、台湾産農産物からさまざまな有害生物が発見されたために輸入を停止したと言ったらしいが、台湾は対処済みとして、反発している。台湾・民進党の支持基盤には農業従事者が多いため、嫌がらせをしているのだろうと言う。
 折しも数日前の日経に、The Economist誌の「中国の『いじめ』への対処法」という記事が掲載された。中国に前触れもなく輸入を禁じられて打撃を被った例としては豪州が有名で、ワインのほかにロブスター、石炭、大麦、砂糖、木材、銅鉱石がある(なお、鉄鉱石は中国の必需品として対象外・・・とは現金なものだ 笑)。また、スウェーデン(同国籍をもつ香港書店経営者が反中書籍を販売)、カナダ(華為副会長兼CFOで創業者娘を逮捕)、ノルウェー(チベットのダライ・ラマ14世にノーベル平和賞を授与)、韓国(THAAD配備)も挙げられている。いずれも中国に経済的に依存するという弱みをもつ中小国が対象になっている。この記事によれば、東南アジアのある政治家は、「中国は各国に、単に中国の利益を考慮するだけではなく、積極的に忖度して、それに従うことを求めている」と指摘し、「十分に従わない国は行動を『改める』までいじめ続ける」という。まるで古代以来の中華帝国のメンタリティであり行動パターンのようだ。こうした威圧外交で勝利した例として、この記事は意外なことに日本を取り上げている。尖閣海域での漁船・船長逮捕事件に絡めて、レアアース輸出を制限されたときのことで、記事は、「米国やEUを巻き込み(WTO:世界貿易機関に)共同提訴したことが、その後の中国の譲歩に繋がった大きな要因」と解説するが、ほかにも、そのとき日本企業は代替品を開発したため中国のレアアース企業に打撃を与えたことが知られている。いずれにしても、この記事は、豪シンクタンク研究者の言葉を引用して、「同じ立場の国が団結して中国の横暴に対抗していくこと」が重要だと指摘するとともに、「だが豪州政府と韓国政府は、少なくとも中国政府の機嫌をわざわざ損ねるようなことはまずしないはずだ。ましてや自国企業に突出した強みがなく、中国に制裁を下されたら対応しようがない小さな貧しい国々は、中国には忖度の度合いを深めざるをえない」とちょっと悲観的に結んでいる。
 なお、米中対立による経済安全保障の時代を生き抜くための日本の軸を提供するコンセプトとして、「戦略的不可欠性」が重要だと、村山裕三・同志社大学教授は主張される。これは、「日本が他国から見て決定的に重要な領域において代替困難なポジションを確保すべきとする考え方」(Voice2月号)で、技術分野に限らず、企業の存在が「米中両国から見て戦略的に不可欠ならば、その企業が成長できる道が開ける」(同)し、場合によっては「日本が外圧に抗する力を得ることにもなる」(同)と言う。自民党が12月に経済安全保障戦略策定を政府に提言したときには、この「戦略的不可欠性」とともに「戦略的自律性」をキーワードとして挙げていた。少なくとも、中国のような意地悪な国にサプライチェーンを依存し過ぎないことが重要であろう。ついでながら、「戦略的自律性(Strategic Autonomy)」は、EUが、トランプ政権の4年間でないがしろにされたがために、やむを得ず打ち出したコンセプトでもある。
 閑話休題。台湾の自由パイナップルに話を戻すと、一昨日のNewsweek電子版によれば、「台湾から輸出されるパイナップルのほぼすべてが中国向けで、台湾の年間産出量41~43万トンの約10%を占め」ており、「昨年は4万1000トン以上が中国に輸出された」そうだが、中国政府の通知(2/26付)から僅か4日間で、4万1687トンについて、日本を含め台湾内外で買い手がついたということだ。めでたし、めでたし。自由・民主主義諸国が連帯し、そんな意地悪をしても無駄やと中国に分からせることが重要だろう。
 台湾土産で私のお気に入りは、鳳梨酥(パイナップル・ケーキ)。日本でパイナップルが安くなるとよかったのだけど(なかなかそういうわけには行かんな・・・台湾産パイナップルはフィリピン産より甘くて高価格らしい)。
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最後のびわ湖毎日マラソン

2021-03-02 22:45:46 | スポーツ・芸能好き
 週末の第76回大会を以て琵琶湖沿いを走る滋賀県での開催は最後となり、来年からは大阪マラソンに統合される。中学生の頃から見守って来て、高校時代に陸上部・中長距離だった私の憧れではなかったとは言えない大会でもあって、一抹の寂しさがある。
 その最後の大会で、鈴木健吾選手が2時間4分56秒の日本新記録で優勝した。2時間5分の壁を破ったのは、日本人として初めてであるばかりでなく、アフリカ出身選手以外で初めてだそうだ。1キロ2分57秒65とは驚異的なペースだし、一番きつい35~40キロのラップはこの日最速の14分39秒だったというし、残り2.195キロを6分16秒で駆け抜けたというのも驚きだ。歴史上、男子100メートルで10秒を切った選手は145人いるのに対し、男子マラソンで2時間5分を切った選手は58人しかいないという話もある。心から祝福したい。
 今回は高速レースでもあって、2位(土方英和)、3位(細谷恭平)、4位(井上大仁)、5位(小椋裕介)まで2時間6分台でゴールし、これら上位5人は日本男子マラソン歴代10傑に名を連ねたそうだ。さらに6位から15位までの10選手も2時間7分台でゴールし、その中にはマラソン初挑戦の作田将希(2時間7分42秒、14位)や足羽純実(2時間7分54秒、15位)もいて、いずれも従来の初マラソン日本最高(2時間8分12秒)を18年振りに更新した(もう一人、山下一貴2時間8分10秒、18位も加えてあげなければ)。日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダー・瀬古利彦さんが手放しの喜びようだったのも十分に頷ける。
 それで、水を差すつもりはないのだが、記録的な大会をシューズの技術革新が支えているのは間違いない。勿論、同時期に開催されるはずだった別府大分マラソンや東京マラソンが延期され、国内トップクラスの選手が一堂に会した影響は大きいし、新型コロナ禍で海外から招待選手を呼ぶことができなかったことが却って幸いし、日本人選手に合わせたペースメーカーのタイム(キロ2分58秒)が決められたそうだし、日程が2週間前倒しとなった上、午後よりも風が穏やかとされる午前中スタートで、絶好のコンディションの巡り合わせとなるなど、幸運が重なった。そうは言いながら、やはり日本人も厚底シューズの利点を活かせるようになったことが大きいだろう。ある研究によると、ナイキの厚底シューズは、ソールにカーボン製プレートを入れることで高反発を実現し、他社の靴より滞空時間が長くなって、ストライドが伸びる結果、他社の靴よりも平均で4%タイムが上がるらしい。2時間の4%と言えば4~5分に相当する。
 その意味で、今回、注目すべきは、通算109回目のマラソンとなった川内優輝選手、33歳だった。2時間7分27秒と、念願の8分の壁を破り、自身の自己ベストを8年振りに更新したのは立派だった。これまで薄底シューズで走ってきたが、今回、ナイキではなくアシックスの厚底シューズを採用し、レース後、「こんなことを言うのはあれなんですが、厚底に変えたのが大きいのかなと思う」と正直に振り返っていた。勿論、結婚して(おめでとう!)食餌制限してくれた内助の功も忘れてはいけないのだが、テクノロジーの進化を実感する言葉として、印象に残る。
 私も、高校時代、電車を乗り継ぎ、憧れの「ハリマヤシューズ」を買い求めて(あの金栗四三さんと東京・大塚の足袋店ハリマヤの合作)、「最高」だと信じて愛用したものだったが、今思うと、地下足袋以外の何物でもない(笑)。他にも、栄養食の進化(私は25年前の初マラソンのときは、腰にバナナをぶら下げて走った 笑)や科学的トレーニングの成果もあるだろう。記録は破られるためにあるということに対して、こうして考えてみると、なかなか複雑な気持ちになるが、昔と今を比べるからそう思うだけで、今、同じ条件で競い合う選手たちに罪はない。
 ・・・などと、さんざん水を差しておいて何を今さらだが、恵まれた才能は羨ましいし、それを活かす努力は素晴らしい。やっぱりスポーツって、ホンマにええもんやなあと思う(テレビの映画番組で「いやぁ、映画って本当にいいものですね」と締めていた映画評論家の水野晴郎さんの口調をイメージして)。
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