風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史は繰り返す(上)

2010-05-13 02:28:08 | 時事放談
 舌の根が乾かない内に、再び、政界談義・・・に見えるかも知れません。
 「首相のあまりにも軽い発言が、国民の政治に対する信頼を失わせることを憂慮している。一国の首相が、政策もよく分からないで国民を狼狽させるような発言を繰り返してしまう」「何か本質的な間違いというか、本質的な考え方がどうも違う。それが結果として表面的な失言につながっているのではないか」
 鳩山首相の軽はずみな言動、その言動がブレ続けるのを的確に批判したもののように見えますが、実はこれらはいずれも、一年半前、当時の麻生首相に向けられたもので、発言の主は、当時の民主党幹事長・鳩山さんだと言いますから、恐れ入ります。
 政治献金問題を巡っても、同じようなことがありました。「政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば『あれは秘書のやったこと』と嘯いて、自らの責任を逃れようとするが、とんでもない」「政治家と秘書は同罪」「秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべき」などと、自民党や社民党など、ライバル政党の政治家の秘書の不正が発覚するたびに、野党時代の鳩山さんは手厳しい批判を繰り返して来ました。「もし鳩山由紀夫の秘書が同じことを行っていたとすれば、すぐに国会議員のバッジを外す」とまで言い放っています。
国民の民主党政権への支持率低下は、政治とカネの問題に集約されるようですが、普天間基地移設問題も含めて、かつての政権与党に浴びせられた批判が、政権交代が実現した今の政権与党にも浴びせられるという、歴史は繰り返されることへの、やるせなさが根本にあります。所詮、政治家は自民党だろうが民主党だろうが、政権与党になれば皆同じ穴の狢だという、政治そのものへの不信が、人々の心の奥底に、深く、暗く、広がります。
 「軸がぶれる」という言葉に似て、ネガティブなイメージを持つ言葉に「朝令暮改」がありますが、非なるものです。「朝令暮改」と言えば、「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。朝改暮変。」(広辞苑)とされ、経営者はしばしば「朝令暮改」をよしとするのは、前提条件や環境の変化に応じて方針や対応は変えても、背後にある基本的な考え方・理念や信念といった背骨の部分が変わるわけではないからです。これに対して、「軸がぶれる」と言う場合、自らの立場が変われば逆のことを言ったりやたりしても平気で、背骨の部分が全く定まらない印象です。立場ある人の「軸がぶれる」のは見っともないですし、「朝令暮改」と混同するべきではありませんね。
コメント
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