昼の暑さは、ヨーカドーに食材を買い出しに行って外に出るとまるでサウナに入るかのようで、殺人的だが、夜には虫の声が心地よく、秋が近いことを予感させる。今年は9月以降も残暑が長引くと予想されているが、まだ暑い今の内に、思いつきながら夏の歌の思い出を・・・と言ったところで、サザンオールスターズかTUBEか、という昭和・平成の古い世代に属する。そうは言いながら、彼らと同時代の空気を吸いながら彼らの音楽を聴いたことを幸せに思う。サザンが「勝手にシンドバッド」(1978年)をひっさげて「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」にジョギング・パンツ姿で登場するのを目撃したときには衝撃を受けて、ただのコミックバンドかと思っていたら、次に「いとしのエリー」(1979年)がリリースされたことに二度目の衝撃を受けて、見事に裏切られて名誉挽回され、その後、「真夏の果実」(1990年)や「TSUNAMI」(2000年)などの夏の名曲が生まれたのを愛しんだ。TUBEは「シーズン・イン・ザ・サン」(1986年)や「あー夏休み」(1990年)といった、いかにも「らしい」賑々しいものが先ず浮かぶが、それよりも「夏を抱きしめて」(1994年)のバラード調の方が雰囲気があってよい。
前置きはこのくらいにして、私にとって夏のイメージは、何故か南仏とアメリカ西海岸が原風景としてある。
南仏の夏のイメージは、テレビの●曜ロードショー(●は失念)で観た、アラン・ドロン主演の映画「太陽がいっぱい」(1960年)の圧巻のラスト・シーンである。富豪の友人を殺害し、彼の財産と彼女を奪う完全犯罪に成功したと思いこんでビーチチェアに寝そべり、太陽をいっぱいに浴びて束の間の幸福に浸るところだ。映画のタイトルはこの最後の数分を描写したものであり、情緒的でなんと秀逸なことだろう(因みに原題は「Plein Soleil」、Google翻訳すると「完全な太陽」で、なんと哲学的なことだろう…フランスと日本の違いだろうか)。そしてアラン・ドロンの二枚目には陰があって、この役柄に似つかわしい。それで、このビーチは長らく南仏と思い込んでいたのだが、何十年もの後、アラン・ドロンが亡くなったときに、実はナポリ湾の西に浮かぶイスキア島で、そもそもこの映画の全編がイタリアを舞台としたものだったことを知って愕然としたが、もはやその違いなどどうでもよい。このラスト・シーンに流れる憂いのこもったテーマ曲の作曲家ニーノ・ロータもイタリア人だが、それもどうでもよい。そして何故かこのシーンに、私の中では矢沢永吉の「時間よ止まれ」が妙に重なり合うのは、曲想というよりも曲のタイトルがハマるせいだろう(微笑)。
もう一つ、必ずしも南仏(あるいはイタリア)ではないが、サーカスの「Mr.サマータイム」もフランス的な夏の音楽として忘れられない。Michel Fugain (music)とPierre Delanoë (lyrics)というフランス人コンビで1972年にリリースされた「Une Belle Histoire」(Google翻訳すると「美しい物語」)に邦訳詞をつけてカバーしたもので、Fugainはアメリカのロスとシカゴを結ぶRoute 66をイメージして曲を作ったそうだが、Delanoëはフランスの物語にしたそうだ。いかにもフランス的なアニュイな感じがよい。
そう、サザンやTUBEは本命として、矢沢永吉の「時間よ止まれ」やサーカスの「Mr.サマータイム」も大穴として好きなのだ。
他方、アメリカ西海岸の夏のイメージは、渡辺貞夫の「California Shower」(1978年)・・・そのものと言うより、この曲をBGMにして、アメリカとのハーフ・モデルの草刈正雄が出演した資生堂のシャワーコロン「BRAVAS」のCMのイメージだろう。話は逸れるが、アメリカ駐在時の1990年代半ば、アンティーク・ショップ巡りを趣味にしていた私は、ボストンの片田舎で、渡辺貞夫さんの絵を見つけたことがあった。恐らくアフリカ音楽に傾倒した頃のものであろう、アフリカの絵画っぽくて、誰が描いたものか確認したら、Sadao Watanabeとあって驚いたのだった。買おうか買うまいか一瞬、迷ったことを懐かしく思い出す。いずれにしても、南仏(あるいはイタリア)の陰のあるイメージとは対照的に、異文化にもオープンで、お祭りのように底抜けに明るいところが、いかにもアメリカ西海岸らしいと思う。
もう一つ、Herb Alpertの「Route 101」という曲も忘れられない。アメリカ駐在時に勤務していた現地会社・社長秘書に教えて貰った。アメリカ西海岸に沿ってワシントン州からオレゴン州を経てカリフォルニア州に至る南北を縦断する国道(interstate highway)を曲のタイトルにしている。当時、カリフォルニア州都サクラメントに住んでいて、この道をサンフランシスコから南下してロスのディズニー・ランドまで家族旅行したことがある。プライベート・ビーチが多いアメリカでは珍しく、海を臨む風光明媚な国道で、南仏(またはイタリア)の陰がある明るさとは対照的に、ひたすら明るいだけのイメージがある。
以上のほか、夏と言えば松田聖子「青い珊瑚礁」(1980年)や、大瀧詠一「君は天然色」(1981年)、井上陽水「少年時代」(1990年)などが思い浮かぶが、最後に、福山雅治「Squall」(1999年)を外すわけには行かない。
20年ほど前、高校の同窓会で二次会にカラオケに行って、かつてクラスのマドンナ的存在だった女の子が(当時は既に普通のオバサンになっていたが)「Squall」をしっとり歌ったのを聴いて衝撃を受け、別に誰のために歌ったわけでもないだろうに、不覚にも忘れられない曲になってしまったのだ。やれやれ。