蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せ病、重篤化を避けるために

2024-05-24 | わたし
不満に火が着いた。
江戸に仇を置いたまま、長崎まで来て、石垣島までやって来た。
(→「比喩表現です」といちいち書かなくてはならないのか、自問中。まだ自答には至らず)

破れているジーンズに「あ、破れてますよ」と親切に真面目に真摯に指摘する人がいる。
「ファッションです」とは言えず「ありがとうございます」と頭を下げる、、、
誰も悪くない。善人ばかり。
だが、高齢の場合、破れ穴あきズタボロ・ファッションはオススメしない。(お節介とは思うけれど)

わざとしていることなのに、気づかないでやっていると思われ、指摘されることがある。
(ズタボロが高齢の場合、周りはへんに気をまわして口に出さないことも)
言われた側は、説明するのがジャマくさい。
悪意はお互いにない。
こういうことは、よくある。
他人ならまあ笑い話。
職場やサークルの人なら、眉毛ピクピク。
家族なら、、、不快感を拭うトレーニングの積み重ね成果で、いちいち気に止めず、スルー。

スルーできない場合もある。
生理的に受け入れられないような、音だったり、癖だったり。
(精神、信念、生き方、ハート、頭脳などとは別次元)
その時は自分の神経を自分で切断する。
相手がわたしでなければ、そこまで悲鳴をあげて騒がないだろうし。
見ない聞かない、そこに不快なものは断じて無いと自己暗示をかける。

ちなみに、わたしは、何かを食べる時、ぺちゃぺちゃクチャクチャ音と、前上歯と前下歯が直接カタンカタンとぶつかる音、入れ歯がカチャカチャいう音が、大の苦手。
これは相手ではなく、勝手に感じるわたし側の事情。
父も他人の入れ歯音が大嫌いだったので、父からの嬉しくない負の遺伝。
耳が良すぎるのは自滅の元となる、、、が、そう遠からぬ日には確実に聞こえが悪くなるだろう。
これもシニアワールドからの、神様からのプレゼントの一つ。
プレゼントの日まで待てないなら、耳栓か、ワイヤレスホンで自己防御するとよい。


それとは別に、音ではなく、同じ仕草を別の人がしていても気にならないのに、特定の人物がその動作をしていると、とても不快になる類もある。
なぜなんだろう???
仕草そのものが嫌いなのではなく、仕草をしている当の本人が嫌いなのでは?
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
「亭主の好きな赤烏帽子」の正に逆。
なぜこんなことに、なってしまったのだろう。
おそらく、本人はそんなに憎まれるようなことはしていないはず。
ではなぜ、こんなに憎い?
なぜ?なぜ?なぜ?
鬱積、不満が積み重なり、もつれ、何がなんだかわからないが、何しろ憎い。
(隣人トラブル事件や、親戚事件などは、こういう種類のものかも知れない。
国家間になると壮絶悲惨、解決困難)
個人レベルなら、わたしが解脱する日には、すっかりわだかまりもなく、仲良しになっているとは思うが。

愛憎という言葉もあることだし、愛の裏返し?
余計に益々理解できない。
感謝しなければならないことばかり。
なのに、日常ではなぜこんなに嫌いなんだろう。
嫌いになってはならない。
なのに、嫌い。
なりたい自分と、現実の自分の間にはギャップがある。
自分に言い聞かせる、持つべきではない感情に蓋をする。
蓋をしても、蓋が内部からの得体の知れない魔物パワーで突き上げられ浮き上がる。
幸せ病の重篤パターンに陥っている。

気持ちを切り替える努力を色々試し実践し、リセットしよう。
必ず晴れる。
次の瞬間、きっといい日になる、いい日になる、いい日になるだろう。
同時に歌のメロディが、反響、重なる。
歌は、明日はきっといい日になる、だけど。
明日ではなく、今日、今。
明日まで待つことはない。