蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あら、このひと、大丈夫?

2024-05-01 | ブログ
昨日、頑張って家のハナミズキの花びら掃除をしたのに、今朝はまた、はらはら花びらが散っていた。(※トップ写真)
これなら昨日掃除せずに、ある程度、散り切るまで待って、まとめて一気にしたほうが能率が良い。
家の前の公道にも、派手に花びらが散らかり落ちている。
今まで、あまり気にしなかったのだが、公共の道路に、私邸に咲く木の花びらが散り落ちるとなると、迷惑かも、と気が気でない。
風が吹くと、どこかに吹き飛んで行くと思われるが。
花びらも、傍迷惑な個人ゴミか?
今まで気にならなかったのは、目が見開いていなかったのだろう。

ちなみに。
旅のほぼ準備は出来たが、激しいマリッジ・ブルーならぬジャーニー・ブルー。
いつも旅行の前は落ち込むが、今回は特別、元々、深く落ち込んでいるところに更に旅前ブルーが重なっている。
なぜ、こんなにブルーなんだろう。
バチが当たる。
まるで、手が込んだご馳走を前に、胸焼けや吐き気がして、一口も手をつけないかのごとく。
この心理は、自分でも分析できない。
まだ自然に満ちていない、万を期していないのに、押し出されるような感じか。

おそらく、満を持して準備オッケーとなった頃には、事情が許さず、旅に行けないことだろう。
だからといって、無理やりのような感じで行く。
贅沢者であり、愚か者である。
今、行かずに、後の行きたい時には行けないのは、もっと愚かかも知れないが。

制約、制限や障害物があってこそ、実現できない事態は、やりくりして努力してクリアさせると、やりたいことは光り輝くのだろう。

ところで。
他の方のブログ記事を読む。
やたら長く8000文字近かった。
わたしごときの頭脳では、集中力が続かない。
良いこと、役に立つことが書かれているのに、好奇心減退か。
また別の、お気に入り登録しているブログ。
更新されると、自動的に自分の編集画面の下半分に記事と写真が現れる。
尊敬してやまない人生の先輩、高齢の主婦の鑑の方なのだが、、、。
ものすごく仰々しいタイトルで、いったい、どんな一大事かと思うと、、、気が抜けるほど、どうってことのない、当たり前の、何を今更的な内容だった。
騙されるわけでも、悪意があるわけでも、損をするわけでもない。
だが、、、大丈夫??と、ふと首を傾げた。
これまでの内容からしてみると、明らかに、濃さや重大性が違う。
小さな小さなことに気づきを得て、幸福感を得るのはとても良いことだ。
むしろオススメ、絶賛。
わたしなども、その小さな小さな発見を長々しく仰々しく文字に並べて納得、感激、自己満足しているのだから、同類のようなものだ。
だが、、、わたしが深く尊敬申し上げるあの方が、、、あの内容の気づきかあ、、、と驚いた。
ではあるが、決して他人を傷つけるものではない。
各人、自分を幸福に導く要因は人それぞれ、千差万別。各人が持っている。
客観的に見て、誰もが羨むような光り輝く黄金の人生を歩んで来られた方が、不満ばかりをツラツラ書くのではないのだから、良いではないか。
とは言え、、、
(これは比喩表現ではあるが)まるでノーベル賞に輝いた人が、幼児のようなことで喜んでおられるのを読んで、、、うーーーん、、、複雑な心境になった。
大丈夫??
いえ、小さな幸せを感じる毎日を過ごせる努力は素晴らしい。
とは思うものの、わたしのブログもそうなんだろうなあ、、、と、我を振り返る客観的な目になった。
ブログを継続して読むと、その人の自己満足の推移がわかる。
何ごとも変わっていくということだ。

わたしも、そうなるのであれば、自分のブログは、キリの良いところでやめた方がよいかも。
自己満足にも美学がある。
なんて、どの口が言うのだ??
散り際が、肝心。
でもわたしは元々、小さい頃から、若い頃から、こういうキャラ。
最初から電源がオンになったりオフになったりコントロールできず壊れかけているので、ちゃんと動かないのが日常。
と、自己弁護、自己擁護してみた。

完璧主義の人も、いいかげんな人も、同じように変化していく。
それを「衰え」というのだろうか。
自分が終わりに向かう「遊行期」に移行するまで、あと7年ちょっと。
祖母や母、姑たちの歩んできた移り変わりをしみじみ感じるようになった。