へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-10-26 08:23:53 | Weblog
そのシナリオにだって、仕掛け以外の外的要因で変更や書き換えも必要な場合も有って即座の対応が可能なのには、様々な経験と知識そして失敗が蓄積されていないと只の時間の経過になってしまう。将棋や囲碁等を趣味にしている方は、きっと巧みなシナリオ捌きだろう。戦国の武将達は必ず稽古をしていたそうだ。企業の年次計画や家庭での計画だって全てシナリオだ。但し、一年という長く短い期間には内外の様々な要因が降り掛るからナカナカにシナリオ通りには行かず、ドラマチックな展開になってしまう事も多多有り即時対応は難しいですな。

へんな洋食屋

2007-10-26 08:23:41 | Weblog
大体オイラなんかは、客商売だから二重人格である。見せかけの和顔施もする。つまり、ドラマやシナリオを仕掛けている訳だ。欲ですなっ!あぁやって、こぅやって、と想い巡らせるのは、シナリオ造りである。自分の希望を脚本化してドラマを組み立ててしまう。どうしても行き当たりバッタリの時間が不安であり、突然のドラマだって無いとは限らない。「成り行き」を重視出来るのは、かなりゆったりとした正しい心でないと困難だからシナリオ造りをする。結局、「淡き光」だって期待と希望に添えるべくシナリオを仕組んで仕掛けている訳だ。

へんな洋食屋

2007-10-25 08:38:56 | Weblog
「和顔施」の内には、その方の内面の美しさが人の最大の表現である顔にでますから、常日頃からの姿勢も行いも心の有り様もが自然と出される。決して造り笑顔では無く、積み重ねた微笑みである。人間、楽しい良い事ばかりなく、むしろ大変な事の方が多いからその中で和顔施を保てるのは相当のゆったりとした正しい心を築けなくては成らない。そのゆったりとした正しい心造りに家庭や仕事や趣味やスポーツの様々を取り挙げて日々の生活に役立てて行かなければならない。只単に毎日を何と無く過ごしていたら何も産まれない。和顔施は無理。

へんな洋食屋

2007-10-25 08:38:48 | Weblog
先日、「美の壺」なるテレビ番組で和ロウソクを撮り挙げていたが暖色系の灯で心和む。和むと言えば、以前に坊さんの説法で「和顔施」という言葉を聞き感銘した。和む顔で施せ、という意味である。「わがんせ」と読む。素晴らしい言葉だっ!淡き光で思い出した言葉だが、正にゆったりとした正しい心の持ち主の振る舞いや処作には「和顔施」が宿っている。有るべき姿である。そう有りたいっ!でも実際にそんな方居ます。お客さんでも何人か居て、少し来店の間が空くと「会いたい」という気分が持ち上がる。その和顔施がみたいのだっ!


へんな洋食屋

2007-10-24 09:53:22 | Weblog
おそらく、そう言った聖なる火ー光も最初は不安定な「淡き光」だったに相違無い。エジソンの電球・真空菅の仄かな光の温かさは、暖色系の光の性もあるが何か自然から頂いた光の様だから魅せられる方が多い。飲食店の照明なんかは、圧倒的に暖色系の電球が多い。自然の光線が料理の色合いを温かく見せるし、人の表情も自然に見せて陰影を造り豊かに表す。蛍光灯の味気無さは格別の雰囲気殺しですなっ!和紙の電気傘や提灯なんかも温かい。つれづれ草の様に成ってきたがモノや世の中の色気を最大に表現してくれる暖色系の光、探しましょう。

へんな洋食屋

2007-10-24 09:53:14 | Weblog
例えているんですが、結局は景気も徐々にとか段々とかと手渡しの回復が本物だと思う。徐々に・段々とは、個人にも言える。つまり、積み重ねであろう。そしてロウソクならば取り替えの時期もくるし、焚き火ならば常に薪をくべていないと消える。実際には、世の中の電気も常に発電している訳だがスイッチ一つで済ますから実感が沸かない。伝家の法燈というが比叡山の法燈は1200年も消えていない。始めは、誰かが興した火だろうが積み重ね続けている。聖火も、太陽から頂いた光から聖なる火となって世界を巡る。個人にも言える日々の継続だ。

へんな洋食屋

2007-10-23 08:16:01 | Weblog
その名曲「淡き光に」であるが、高校生の頃に初めて聞いた。しかしその時点でもうかなり昔の曲でタンゴ早期の作品である。良い曲だとは感じていたが、曲名を聞いてなんか夢が大きく膨らんだ。神ガミの神々しい光ではなく、華やかな燦々とした光でもない。薄暗い部屋のロウソクやランプ等でともされた細やかな灯り、しかもゆらゆらと不安定な感じです。何か、自信の無い灯りが徐々に周囲を明らかにし、その灯りは段々と拡がる。つまり、ロウソクの手渡しの如く拡がり全体を明らかにして安心を与える。なにしろ、パっ!とは明るく成らない。

へんな洋食屋

2007-10-23 08:15:54 | Weblog
大企業の業績が向上し景気は良いらしい。なんか実感が全く無いなっ!オイラの商売は、先に皆の生活が良くならないと回ってこない。外食なんて、行かなければならないという事も無いし家で作れば良い。ウルトラCなんて皆無、年に何度か様々な取材に恵まれるがそれでも一割か二割の向上だし勿論何時までも続く訳でも無い。食欲の秋だからか知らないが、それでも最近は少しお客さんが戻りつつある。少し光が射してきた。「淡き光に」である。良い響きの言葉である。古きアルゼンチンタンゴの名曲です。曲も、素晴らしいっ!ギター好みです。

へんな洋食屋

2007-10-22 08:23:19 | Weblog
音楽だって楽譜を買って弾くのは好みでなく、ラジオや街頭で流れるあの曲この曲を拾い採り自らの編曲で譜面にする。そうして250曲、これは目次になるし索引にも成る。でも、その数を年中弾けないから忘れないように行うのが四小節頭出弾きですなっ!四小節出れば大体全曲がインポーズで表れる。つまり、目次。思えば、産まれて50年。そろそろ様々な目次が表せる筈。自分史などと言う大袈裟なモンでなく只の「目次」。マァ、それには暫く様々の行いを熟成させてモノにしていないとなっ!そう考えたらこれからも沢山の目的を見い出せます。

へんな洋食屋

2007-10-22 08:23:12 | Weblog
それでもオイラは、見習い目次を造る様にしたい。目次というか予定に近いが、いづれ目次に成るだろう。叙情的古典派印画機械持込散歩術学や騎馬民族遠駆けには地図が必要、それも今流行りのナビは古典でないから地図調べをしこれから行くつもりの目次(予定)を造る。その目次には、地理だけでなく行き先の歴史や名物も人聞きする。ミソは、観光雑誌などで調べず「人聞き」で想いを膨らませる。幸い、関東圏なら様々な土地からのお客さんが居ますから困らない。言葉で聞いた土地の感触は、文献調べの比では無い位に想いが膨らんできます。