常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

永き日

2013年04月27日 | 日記


朝方小雨、町内会の清掃の日。6時から一時間、道路脇の草を取る。昨日、ジャガイモの種を埋め、コリアンダー、ロケット、バジル、そば、アスパラ菜の種を蒔いたので恵みの雨というべきか。「好雨時節を知り 春に当たってすなわち発生す」と春の雨を喜んだのは、唐の詩人杜甫である。アスパラの株から一本の新芽が頭をもたげた。

「永き日」は実際には夏至が一番長いのだが、俳句では春の季語になっている。寒く、短い日中の陰気な冬から、待ち遠しい春をこの言葉にこめているような気がする。春の日ざしは畳の目ほどづつ日脚が伸び、日の暮れがびっくりするように遅くなっていく。

永き日やあくびうつして分かれ行く 夏目 漱石(明治29年)

いかにも漱石らしい、のんびりとしてユーモラスな春の日の光景が目に浮かぶ。この句は明治29年、熊本の第五高等学校の教師として赴任する送別句会で詠まれたものだ。「あくびをうつすと三日の親戚」という諺があるようだが、句会の仲間がそのように近い関係にあったことを窺わせる。句会は松風会といって、漱石に俳句の手ほどきをした正岡子規が主宰した。もう一句、こんな句もある。

恋猫や主人は心地例ならず     夏目 漱石(明治28年)

この季節、猫は積極的の路地に出て、相手を求めて鳴く。外はいつのまにか、温かいむずむずするような艶かしい春の夜である。これを聞く家の主人が独身であれば、とても平常心ではいられない。

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