常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

生きる

2019年03月16日 | 日記

寒さに馴れてきた体は、不思議なもので10℃を超えると暖かく感じる。まして、陽光のなか車に乗ると、暑すぎてエアコンを使いたくなる衝動にかられる。人に会うと、「日中は暖かくなりましたね」と言うのが挨拶がわりになっている。ころは3月、夜は9月、という言葉があるが、気持ちのよい日中は3月、夜は9月という意味である。春の日は、日に日に長くなっていく。「春の日と親類の金持ちはくれそうでくれない」は冗談のような話だだが、これが秋になると「秋の日と娘はくれないようでくれる」というそうだ。


齢を重ねると、人との交流が深いものになっていく。いつもは、エレベータの前で、朝夕の挨拶ぐらいだったものが、立ち止まって、健康のこと、趣味のことなど言葉を交わす人が多くなった。若いころは、挨拶すら面倒で、避けて通るような人見知りの性格であったが、人間も随分変わるものと感じるこのごろだ。


フランスの哲学者ルソーにこんな言葉がある。「もっとも長生きしたした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ」(エミール)テレビで、3.11の回想番組を見て、涙が出た。町役場に務めた娘が、役場の職員になるとき、「公務員は全体の奉仕者だ。そのためにには、時には命を捨てることも必要だ。その覚悟はあるか」と娘の父は娘に聞いた。「おやじ、分かっているよ。もちろんだよ」と娘は答えた。その役場は3.11の津波に飲まれ、娘も命を失った。娘には重すぎた言葉ではなかったかと、その父は今も庁舎に足を向ける。この春、津波のシンボルであった津波を被った役場の庁舎は、壊されてなくなる。

コメント
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