雪国を出て、お隣の仙台近郊の山へ。山形自動車道の川崎で高速を降りる。そこは、さんさんと太陽が降り注ぐ、春の野山であった。大和町宮床。雪が消えた田を見ると、奥羽山脈を越えただけで、これほども違う光景に驚くばかりだ。距離にして60㌔ほどしか離れていない。七ツ森のひとつ松倉山の登山口は、信楽寺跡の駐車場だ。事前に現地の人に電話して情報を入れていたが、ここへ行くのに道を間違え、1時間ほどのロスとなる。
雪のない山そのものが新鮮である。松倉山は標高291m、山形の千歳山位の規模である。しかし登山道は直登気味につけられているので、結構登りでがある。すこし足を運んだだけで、汗ばんでくる。日かげの所々に雪が残っているが。今朝踏んだ足跡が見える。山中で二人の登山者。元気な中年の男性と若い女性。いずれも単独行であった。それぞれ独立した山が八つもあるので、登る人は行けるところまで。固定した目標を定めず、気軽に身体と相談しながら登るようだ。
葉の落ちた山はまだ眠りから覚めていない。青く見えるのは、植林したスギ林である。杉の花芽がふくらんで花粉をまき散らす季節も近い。林のなかに足を踏み入れると、まさに杉の美田だ。きれいに枝を払い、幹は天をついて真直ぐに伸びている。耳さとい人が小鳥の鳴き声を聞きつけた。バラの芽がふくらんだのを見つけて、春が進んでいることを知らせてくれる。どんなに小さな証しでも、春がくる知らせを見ればうれしくなる。
頂上につくと、木々の間から撫倉山が見えてくる。小1時間ほどで〆掛けコースの撫倉山の登り口につく。撫倉山は標高359m、七ツ森のうちで一番高い。急峻な山であるだけに、登山道は裾野を巻くように緩めにつけてある。しかし、急坂にかかるとジクザクな道が切られており、その上は太いロープが張られて、一気に頂上へ向かう。情報では雪は殆ど無いとのことであったが、意外に氷状の雪が残っていた。頂上には、薬師如来の石像が置かれ、周辺集落の信仰対象であったことを物語っている。
撫倉山から太平洋を望む
うららかな日差し、頂上に吹きわたる微風は汗ばんだ肌に心地よい。なんと言っても、この山行のご褒美は撫倉山頂上からの眺望だ。開発されたニュータウンの向こうに霞んでいるのは太平洋の広がりである。ちょうど7年前、東日本大震災のおりには海岸の街は全滅と言っていいほどの被害を受けた。復興途上ではあるが、この地域いっぱいに春の陽光が降り注いでいる。
寺田寅彦は随想に、「日本の春は太平洋から来る。」と書いている。日本付近に低気圧が生じると、そこへ向かって南からの温かい風が吹き込ん来る。海上に生じる雲は、夏を思わせる積雲である。反対に日本海がわでは、大陸からの冷たい風が吹き込んでくる。この季節、この2大勢力が争って三寒四温を繰り返す。
頂上で春を感じながらゆっくりと昼食。大倉山へ急坂を下山始める。鎖場とハシゴ附近で、雪が凍りつき、危険なためここらの下山を断念。登った道を下り、大倉山へ登り口境に向かう。ここで、遊歩道が長く時間が押してきたので、大倉山を断念して、遊歩道を登山口の駐車場に向かう。登山口到着3時。本日の参加者7名、内女性3名。反省点、情報収集の甘さ。登山口を正確に把握できず、余分な時間を費やしたこと。一番危険は鎖場などの、情報を役場で聞いたが詳しい人を紹介してもらったが、その人の話だけでは十分でなかった。春の陽光を受けた心地よい山歩きと頂上からの絶景に免じてもらい、反省を次の山行に生かしたい。