梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

最近台風はすくなくなったのかな

2011-07-31 11:12:32 | 雑記
新潟から福島にかけて大雨になった、大変な被害が出ている様だが台風では無く前線の活発な活動の結果の様だが思い返してみると自分の小さな頃はもっと頻々と台風が来ていたような気がする。室戸台風とか狩野川台風とかかなりの被害が出たが自分には伊勢湾台風が一番印象に深い、鍋田干拓と言う所が完全に水没し大変な被害が出た、
台風は毎年30号台まで発生し其の内数個が日本に影響を与える、16号、17号、18号、21号、23号、28号と言う台風が大きかったが伊勢湾は確か21号だったような気がする、
わが村は南北に長い谷あいの村落で川幅が30m程度の川沿いに水田が切れ切れに営まれている典型的な農村だが水稲の割合は少なく殆ど自家消費分だけだった、山肌を削って畑が有って其れも殆どは自家消費で主な産業はお茶とミカン、其れに当時は炭焼き位の寒村だった、
私の記憶にある限りでもその水田が完全冠水した事は数回ある、その度に河原の位置と大きさが大きく変わり川底が段々浅くなっていった。
我が家の有る位置は水田耕作の最上流部でそこから先は河原も無い峡谷にとなる、小さな温泉宿が峡谷の出口に3軒ほどありその辺りから水田が始まる、川は山裾に沿って南下し地形の関係で西側と東側を交互に流れ、蛇行した洲に当たる所が水田になる、道路は最短を通るので蛇行する川を串刺しにするように作られているので幾つもの橋が掛っているが当時はコンクリートの橋は殆ど無く丸太の橋桁に材木を渡し板を引いた上に河原から上げた砂利を敷いてあった、
それでも小さな路線バスが通っていたが問題は無かった様だ、しかし木製の橋は川が氾濫すると直ぐに浮き上がり簡単に流れてしまう、上流ほど川幅が狭いので橋も小さいので先に流れ始める、此れが流れ下ると下流の端に引っ掛かって片側が水流に巻き込まれ丁度板で水をせき止める形になるので一溜まりもない、こうして村の橋は次々と流失してしまうのだがやはり毎年同じ様な橋を造っていた、コンクリートの橋に替わり始めたのは自分が村を出た昭和38年の少し前の昭和35~36年位だったろう。家は大抵山裾を少し上がった所に有ったが何件か川縁にあって毎回床上まで浸水していたが心得たもので台風が来ると畳を上げてしまい小屋の2階にある藁部屋に退避していた、そう言えば市部の方はあまり被害が出なかったか地形にせいかもしれないが停電は本当にしょっちゅうあったな。


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