梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

除夜の鐘が煩いのは煩悩そのものなんだろうなとは素晴らしいコメントだ

2020-01-05 14:44:16 | 雑記
今日は正月5日、ほとんどの処が明日から仕事始めになる
徒然に雑文をかき散らかしているブログも10年を超えた、
年末”また愚痴で”終わったので新年開始くらいは明るく楽しいものでと思っていたがいや~そういう話が一向にない、
皆さんのブログを見ているとそんな景気の悪い話は上げて来ない、
自分もそう思うのだがなんとしてもそういう方向に筆が向かないのは能力の無さか、
はたまた性格が悪いのか
ネットをうろうろしていたら去年自分も書いた除夜の鐘が煩いと言う事に実に面白い名文があった、
「ご~ん」「煩い!(煩悩)」「ご~ん」「何回も煩い!(煩悩)」
これは笑った、明察である、除夜の鐘はこの年1年の煩悩を払い清浄な気持ちで新年を迎える儀式である、
その煩悩が清浄されるたびに「煩い!」と言う、それは煩いだろうな、払われる煩悩そのものでは
最後に「365日の最後、108回の鐘の音なんかは15分もあれば終わるだろう、その位の時間は自らの煩悩に向き合ってもいいんじゃないか、
と締めくくられていたらしい、
神代の昔から凡人は煩悩の塊である、しかしそれでも年に一度くらい煩悩を払って「さあ、来年こそは」と清浄な心になるくらいの事はあっても良いだろう、
煩悩は我本体だ、大きなお世話だと思うのは勝手だが「煩いから止めろ」と言うのは如何なものか、とは政治家の常套句だが本当に「それはどうかと思うよ」と言うのが大方の人が思う事ではないか、
同じところで「日本はそんなに貧しくはない、貧富の差はアメリカ、中国、ロシアなど強大国は日本より差が大きく、貧困率も高い」と言うのがあったが「上を見ればきりがない、下を見ればきりがない」と言う言葉もある様に、「彼らに比べればまだましだ」と言うような話はその上位の連中がごまかすのにあるいは慰撫するのに使う常套句だ、
底辺の生活者が自主的に言うならまだしも恵まれた生活をしている人間がそんなことを言っても何の説得力もない
非正規の就業者は保証のない不安定な状況にあり、雇用者はそれを逆手にとって「嫌ならやめろ」と言う、それは「優先的地位にあるもの」が行う行為でありこの状況を非であるとして指導しなければならないがそもそも「雇用する者」が契約を結ぶのに自分に都合の悪い契約を結ぶわけもない、法律には契約行為をもって是非を決めているが「公序良俗に反する契約は無効である」とも明記されている、
短期契約の労使契約が「公序良俗」にのっとっているとはとても思えない様な雇用契約もある
第一雇用契約に失効条件が付いているなんぞは下手をすれば江戸時代の丁稚奉公よりお粗末だ
と、またしても腹の立つ書き込みになってしまう、いい年にしたいもんだな、全く


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