関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者追悼行事に関して多くの自治体でその対応が分かれている
いや、分かれ始めていると言った方が良いのかもしれない
今まで毎年行われていた追悼を止める自治体、行ってもその首長が追悼文を出さない知事体とか中には追悼碑自体を撤去すると言う自治体もある
しかし、「無かった事に」する自治体は流石に出ていない、がこの流れから行くと「無かった」と言う輩も出てきかねない気がする
この事件が有ったと言う事は新聞各社が大きく報じていて今更無かった事にするのは出来ないだろう
「朝鮮人が井戸に毒を入れる」と言うごく一部の、それも誰かたった一人のデマが燎原の火の様に拡散し、官憲まで巻き込んだ事件となり根も葉もない流言で自警団が結成され、エスカレートし朝鮮人部落を襲撃し、殺害放火まで起きた、その事は報道されてそれが更に事件を大きくしていったが、朝鮮人たちが暴動を起こしたと言う記事は無い、更に「井戸に毒を」入れられたと言う報道は無かった
やがて事態が鎮静化されたのち起きた事を反省し犠牲となった人々に祈りを捧げ二度と愚かな過ちを起こさない様にと庶民レベルで追悼を続けて来た
しかし、最近の嫌韓の風潮からかこの行事を忌避する空気が膨らんできた、そしてそれは政治・官憲が明らかにその方向に舵を切っている
あの大変な状況の中でなぜ、「朝鮮人が日本人に危害を加える」と言う発想が起きたのか?
恐らく其れは言い出した者、すぐ同調した者たちの根底に「奴らは日本人を憎んでいる」と言う自覚が有ったのではないだろうか
平常の社会の中で恐らく底辺に近い庶民は生活レベルの不満を日本社会構造的に許された(歴史的社会)を虐げる事で自らのIDを維持していると言う事の理不尽さを重々自覚していたのではないだろうか
そしてその理不尽さは(彼らの怨念、実際にあったかは不明だが)を常日頃自覚していたのではないか、
平穏に社会が営まれている状況ではこの理不尽な階層は維持し続けられると思っていたが未曽有の天災は地位や階層を無視して裸の人間に等しく叩きつけた
そしてその時ふと(今、奴らが積年の恨みをと思ったら)と疑心暗鬼になって「井戸に毒を」となりそれが同じ思いの連中の恐怖の連鎖を産んだのだろう
しかし、冷静に考えれば殆どが焼け野原の時に自らの衣食住の確保すらままならない時に積年の恨みもあるわけは無い
自分の犯してきた罪の陰に怯えて作り上げた妄想が多くの罪のない人を英雄気取りで殺戮した事は同じ日本人として自らの内包するかも知れない弱さを見つめなければならない、
震災は天才だがこの事件は人災、自ら犯した罪に追悼と言う罰はずっと追わなければならないだろう