狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

朝日新聞の言行は彼らにとってのジャーナリズムの本質が「知らしむべからず」である事を示している

2014-08-13 13:08:09 | Weblog
私は朝日新聞の態度を「我々は庶民たちを正しい方向へと誘導しているよって
ジャーナリストとして正しい事をしてきたし今もしているのだ」と読み取る。
彼らの正しい方向とするものを私は第二次世界大戦後に後進地域を中心に
起きた「自由主義の理念」からの「リベラル」の乖離に見る。
説明しようまずそれ以前の秩序がどうなっていたか。
先進国が後進地域を分割統治する、これである。
この時当時の先進国は西欧、帝国主義本国の大学がこれに対しどのような役割
を担っていたか。
・後進地域有力者子弟の受け入れ
・後進地域間摩擦情報の収集
・知識層の後進地域土着文化からの引き離し

これ、つまり人質、水平融和機会の独占、垂直乖離への加担。 この構図、
戦後も続けられていてそしてそれこそが「正しさなのだ」とされてきた。
リベラルである。
何故こうなったのかは大学の財務体質と旧帝国主義本国国民らの欲求による面
が大きかったと見るつまり前者は学術関係者の旧植民地利権構造との癒着、
後者は心理的文化優越感の存続。
こうした構図を私は「分割統治政策終焉後に起きた統治無き分割利権継続の
ための旧統治否定」としている。 旧帝国主義の、統治の部分こそが悪かった
とする。 そうする事により後進国人たちのメンツは保たれ表面的な政治支配
状態は否定されるが先進国による後進諸国に対する文化支配、精神支配状態は
継続されるといったもの。

さてジャーナリズムに戻ろう。
ジャーナリズムは社会の修正者として機能しているのかどうか。
これを韓国の整形ブームで見てみよう。
「整形手術をしない人の心理」を考えてみる。
何故しないのか。 もちろんお金がかかるから、多少のリスクを伴う事を
嫌っているなどの理由もあろう、だが私は最大の理由は、「自分の顔を、
世間一般に欠点とされる箇所も含めて好きだから」と置く。
この逆が韓国の現状である。 こう置くとこれ実は、国家規模の精神病状態だ
となる。 この点についてジャーナリストたちは警鐘を発することが出来て
いただろうか。 私は逆と見る。
彼らは、ここ十年ほぼ常に、整形ブームを煽る側に居た。
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朝日がウソをゲロる時

2014-08-13 12:27:11 | Weblog
吉田証言の虚偽性がネットで話題になっている。 歴史に詳しい日本人たちの
間では昔から常識となっていたものではあるがいよいよこの事件主犯格相当、
朝日新聞がゲロッたというのがポイント。
私に言わせれば何故9年前にゲロらなかったのかだがこれに対する諸勢力の
反応に三年前、野田政権当時の民主党(日本)議員らのそれを思い起こす、
ようは「何故ゲロッた」「まだ騙せたのに」である。

さて当事者、朝日新聞の態度を見る。
どうやら朝日新聞は事の次第を英字版には載せていないようである。
また朝日新聞の主張もこう、「声の大きさに反応せざるを得なかったが
そもそもが些細な間違い、よって我々が正しい」となっていると。

キリスト教について少々確認してみた。
最近のローマ法王。 ヨハネ23世、パウロ6世、ヨハネ・パウロ1世、ヨハネ・
パウロ2世。 ヨハネ・パウロ1世の在任期間の短さに暗殺説があり、そして
ヨハネ・パウロ2世がユダヤ教のチーフラビと和解しているのだそうな。

都市天使。 私は出エジプト時の、「国家の守護天使」とも呼ばれている
天使たちをこう呼んでいる。 この数が70。 面白いと思っているのが
サンヘドリンが71人でキリスト教最古の写本とされている聖書が七十人訳で
ある点。 ここまではまだ点と線の「点」でしかない。

現在の朝日新聞に対する私の感想は「何故もっと早くゲロらなかったのか」
ではない。 「何故まだ続けようとしているのか」である。
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懲りない人たちを見たとしよう、どうつつくか

2014-08-12 14:19:59 | Weblog
ネットでとあるアラブ人が「死んで数字になりたくない」と言って
いるのが在った。 そこなんだよね。 死ぬと数字になる人たちと、
どこで誰に生まれ、どう育ち、どこでどう死んだかが記録される
人たちの、二種類の人間が地上に居るの。

キリスト教式原罪論は人類史上最大規模のオカルト現象なんだって
書いたっけ?
霊束同士の通信が一般に多重解になるのだとすると低位の異言状況
はむしろ日常茶飯事とすら言える。 これを「異」とするのは自身
の構成、英語だとconsist ofかな?が判っていない人だとなったり。

さて前回「朝鮮半島出身者たちは儒教倫理の下祖父たちの代の社会
悪を日本人に擦り付けといる」とした。 これを「彼らが彼らの
祖父たちの名誉を守ろうとしているのならば、ウソはいかんとして
も必ずしも間違った動機による行為とは言えない、よってウソに
ついても情状酌量の余地はあるのではないだろうか」とする人が
居るのではないかと思う。
そこなんだよ。 まさに。 「彼らが祖父たちの名誉を望んでいる
のならば」のところ。 彼らはそれを望んでいないんだな。
説明しよう、まず第一に何かを守ろうとする人たちは相手のそれに
気づく機会がある。 第二に、儒教には親からもらった体を傷付け
る事は避ける倫理基準が有るが彼らはそれよりも、自分たちの
「祖父たちと同じ顔」を嫌う事を優先している。 第三に、彼らは
日本からの反撃にあって日本人の貶めを続ければ続けるほど祖父
たちの名誉が損なわれる状況下にあってなお貶めを止めようとは
していない。

実態は単純、彼らはそういう人たちなだけなのだ。
前回の内容自体は確か一年位前に書いていたはず。
なんでまた書いたかだがこれ彼らと彼らの支持者らの条件が、
一回り悪くなっている状況を見て取っての事。
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いわゆる従軍慰安婦問題を勘違いしている外国人の皆様へ

2014-08-11 09:49:35 | Weblog
1. 日本では19世紀後半まで売春奴隷制度がおおやけに存在していたが、明治維新と
 言われる体制変更・身分制否定政策によって撤廃され、それによって売春婦たち
 は自由業者となった
2. 朝鮮半島では20世紀まで(南部では実質21世紀まで)身分制度が存続していた
3. 20世紀前半の日本は朝鮮半島に対しそうした後進国的文化の弾圧者としてあった
4. 朝鮮半島の奴隷制度は貧困状態、知的エリート層貧困層双方による階級差別意識、
 親が子を所有するのが正しいとする宗教倫理などが重なり合ったものだった
5. こうした状況に対しいわゆる従軍慰安婦制度は経済的宗教的奴隷状態から離脱
 する機会となっていた

これが前提条件。 これに対し
a. 何故当時の日本政府は経済的解決策ではなくそうした因習の前面撲滅に踏み切ら
 なかったのか
b. 何故当時の日本政府は当時朝鮮半島に居た奴隷身分者たちを保護対象者としな
 かったのか

などが問いとなるのだろう、前者は政治的、後者はもっぱら経済的理由によるもの。
今日の日本でもそうした問いは存在する要するに日本人は朝鮮半島に対し子供の
親からの引き離しを含む文化破壊政策を取るべきだったといった意見である。

次はこうした歴史的事実が戦後どう扱われることとなったか。
6. 朝鮮半島の20世紀中も続いていた後進性を朝鮮半島出身者たちは「宗教倫理上
 隠蔽すべき事実」とした
7. 自らを解放者であると規定したい大英帝国関係者及びその利権後継者らにとって
 そうした「歴史問題を巡る対立」は、戦前の日本を自分たちの善に対する格好の
 「悪魔役」とするものだった

これが今日まで続いてきた「ポリティカル・コレクトネス」であったりする。
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罰の秩序

2014-08-09 19:33:05 | Weblog
さて生命倫理の上、霊倫理、そのさらに上を「喜の領域」とする。
通常の秩序論で言うならそこの住人は、役立たずである。
役立たずたちが最高位なのである。

宗教秩序の序列めいたものを書いてみるとしよう、例えばこうなる。
1. 神様を唯一の権威とする秩序
2. 神様を元とする権威による秩序
3. 神様の側に所属している事を権威とする秩序
4. 神様の名を唱えるものたちによる秩序
5. 神様と無関係な秩序
6. 神様を反とする秩序

命令で書くならば1は神様以外による命令に従う理由無しとするもの。
2は預言者や天使たちによる命令を正とするそれ。 3と4は一般の、
一神教系宗教社会秩序によく見られるもの。 5は多神教系であり
6は一般の無神論系宗教秩序、無神論もまた社会秩序を構築する分には
馬鹿を相手にせざるを得ない都合宗教色を持つ。
3以下が駄目だとするのが原理主義色(?)の強いとされる一神教宗教の
主張。 5以下が駄目だとするのが世俗型の一神教。

実は神様は命令自体を望んでいないとすると実は1以下全部駄目、と
なったりする。 ここに彼らの危険が有る、そう主張し続けている。
命令に、規則によるものではなく、「平和」としていいのかな、な
状況が成立した時点で、「罰」のルール、秩序に慣れ親しんでいる、
罰する側であることを当然とする誇りとする人、宗教、天使たちは
皆ゴミになるのだ。 だってただいらないというだけではなく、
他者を自身による秩序下き、罰される可能性に怯える立場に置く事が
正しいとしているモノたちなのだとなってしまうのだから。
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ラハブ氏の補償

2014-08-08 14:20:37 | Weblog
実は生命倫理のさらに上位に、霊倫理のようなものがあるんだな。
これは今の私でも断片的にしか書けない部分で、食で書くなら
・食べる分以上は殺さない
・食べる時に感謝する
・食べたらそれを「良い」とする

などが挙げられる。 んで私にこれが実践できているかというと怪しい次第で
ある時突然神様現れて「お前は霊倫理が出来てないから今死ぬ」と言われたら
「死ぬ理由を教えていただき有難うございます」と応じるより他無いくらい。

さて出エジプト記に話を戻す。
出エジプト時の災厄の起点をヘブル人たちのレンガ焼きに見る、とした。
ファラオの命令でレンガを焼くためのわらを調達できなくなった彼らは国中で
木の根っこなどを掘り返して燃料とした。 これによって発生した災害が表土
流出でナイル川が血になったさらに根っこの煤煙で水が染まったと。 次に
発生したのがカエルが川から逃げ出した事で、カエルの死骸と水質汚染から
虫の大量発生と疫病とが起こったと。 ここで「神様実は何もしてないじゃん」
とするのは早計で、おそらくはそれ以前、エジプト人たちによる地の収奪
それに対する各種問題の発生を、神様が抑えていた。 問題の発生を一時的に
大きくし、そして順次抑制を止めたこれが真相ではないかと見る。 もっと
言うなら「地の怒り」と物理的社会環境的状況の関連性自体が、となるが
それはそれ。 ここで重要なのが「ヘブル人たちも同罪なのだ」という点。
彼らは歴史的にはエジプト人たちによる地の収奪に、積極加担してきた。
彼らが収奪される側となったのは出エジプト記一連の流れからしてごく最近の
事だったはず。 それ以前は地に対し、エジプト人たちと同罪だった。

ヘブル人たちは自分たちの罪を、一世代相当の収奪的奴隷状態でエジプト人
たちに擦り付けた。 これがラハブ氏視点の、エジプトの罪と罰。 こう置く。
しかもエジプトの守護者であったラハブ氏が手伝わされて、そうなった。
ヘブル人たちの無罪放免に抗議したラハブ氏はどうなったか。 神様に真っ
二つにされた。 何故こうなったのか。

私はこう見る。 ヘブル人たちの無罪放免は「罪と罰」ではないのだ。
そしてラハブ氏を殺した事によって神様に、ヘブル人たちを罪と罰の次元
つまり権威の水準以上にまで引き上げる義務が生じる結果となった。 もし
神様がそれを諦めてヘブル人たちを権威主義の水準以下に放置したらどうなる
か。 神様のラハブ殺しは神様自身にとってどういった位置づけになるか。
ただの「私怨の殺害」となってしまう。

神様がヘブル人たちを諦める。 これはどういう形で収拾がつくのだろうか。
簡単だ、ヘブル人たちをエジプトに戻しラハブ氏が正しかったとし、彼らの
処遇をラハブ氏に任せれば良いとなる。

さて神様の、出エジプト以降三千年以上に亘る悪戦苦闘の結果をどう見るか。
とりあえずアメリカの、「良い方」の半分は生命倫理の基準に達していると
私は見る。 もう半分はどうするかだが、私は反面教師として利用している
つまり、「大英帝国は人類のガン」であり「アメリカ民主党、国務省は統治
無き分割政策利権の継承者」であり「彼らの政策の礼賛者朝日新聞は奴隷
商人」なのだと。
良かったな。 私の役に立っているぞ。
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事実を尊重する姿勢の有無

2014-08-08 12:02:04 | Weblog
異言って何だ、の私の答えは、単一文言につき高位者による認識差多重解状態、
とでもしたものか、となる。 低位者による多重解ならば発言被発言双方経験
した事のある人が多数と思う、馬鹿の罵り自己紹介状態である。

「報い」とは何か、といった問いの答え。
ようは大食いがデブになる事であるつまり、必ずしも罰ではない。
これ生命倫理、秩序、権威、メンツなどの関係に関する誤認が係わっている
と見る。
生命倫理。 人が死ぬ状況がありこの直接の回避に伴う意志判断。
秩序。 生命倫理の判断から派生する、人が死ぬ状況が発生しにくい状態。
権威。 判断の預け先であり判断出来ない人、判断しない人たちにとっての
秩序の要になっているが、生命倫理と直接の関係性は短期には問われない。
メンツ。 権威を模った馬鹿騙し。 もっぱら生命倫理が無い、意識されない
状況下でこれによって秩序が構築されていたりする。
つまりだ。 「罰の習慣」というのは生命倫理の判断を教えない事を前提と
している場合が大半なのだと。
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オオカミ少年の死を願うかどうか

2014-08-07 12:59:58 | Weblog
国連弁務官、慰安婦問題で日本批判
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2014080600830

残念だ。 非常に、残念だ。

秩序、権威、栄光を帰す、こういった文言は実は天系のものだと見ている。
その先にあるのは報いであり裁きであり罰であり。

天ってのは人から見て父親の感覚に近い。 対する地が母親のそれ。
これ最初の人が天と二本の木からなる彼らが言う「我々」の形を模して創
られそれがそのまま男になったとすると「天が父親に似ている」のではなく
「父性の形が天を模しているというのが聖書の記述に見られる」が答えと
なる。 対する女は直接は模さなかった分より原材料である地に近くなった、
こうなる。

意志束である人間たちは雰囲気で出来ていて、その本質は割と嘘つきである。
嘘つきのまま権威を求める。 自身が求める権威の下他を批難する。
実はこの構図、天にも共通する。
私は人のそれを育成環境から「孟母の害」に原因が有るとしそして天のそれ
を顕な地の原罪に対する潜在的な「天の原罪」として書いた。

こういう構図が有る。
では何を願うのか、と。
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罪とかなんとか

2014-08-06 12:27:48 | Weblog
悪口に対する立ち位置から察するに、これ雰囲気と組織暴力、恫喝などが関係して
いるんだな。 ある集団の内部に他集団に対する悪口が有ったとしよう、この時その、
自分が所属する集団の雰囲気に応じて行動する人とそうではない人とが居ると。
そうした行動の結果に対し、個々の判断、もちろん自分にも適用される、とするか
あるいは周囲が悪い、社会が悪いとするかどうかの差がそのまま悪口を言う他人を
どう見るか、どこから犯罪として扱うかの差となっているのだと。

出エジプト記。
エジプト人たちの罰された理由を以下と仮定する。
弱者に対する愛、慈しみのようなものの無さこれが地の怒りの対象。 こうあるべき
という原則論、それに基づく取り決めに対する反逆、分別の無さ、これが天の怒りの
対象。 水はもっぱらまあ雰囲気だわな。 これら積もり積もったものに対する罰が
用意されていたのだとするのは今ある一般常識、宗教的な見方からそれほど離れては
いないと思う、ここまでは。 今回新たに指摘した(のではないかと私が見る部分)
はこれらの、一般に罪だとされるものが、一発でチャラになる機会が最初にあったの
ではないかという話。 大半の人はおそらく「なんだその滅茶苦茶な話は」と反応
するのではないかと思う。
これらの「一般に罪とされるもの」はおそらくメソポタミア周辺住民にも共通して
いた。 ここにラハブ氏真っ二つの意味があったのではないかとも見るわけで。

さて前回で、所謂パレスチナ問題に踏み込む予備行動を完了したような感じになって
いるのだがこれがどうも、サークリングする鮫のような気分なので踏み込むのを
止める次第。 とりあえず嘘、プロパガンダの訂正は進めておけ。 これまでそれに
用いていた側頼っていた側が自分たちで進めろ。 でないと手遅れになるぞ。
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殺鶏嚇猴

2014-08-05 19:03:27 | Weblog
出エジプト記の十の災い。
何故十なのか。 何故この種類の災いとなったのか。 疑問である。
改めて読んで、この起点をレンガ焼きに見た。
まず十の災いを分類してみる。
1. 水が血に変わる
2. 蛙が出てくる
3. ブヨが出る
4. アブが出る
5. 疫病
6. 腫れ物
7. 雹と雷
8. イナゴ
9. 暗闇
10 初子殺し

まず1~6は環境破壊関連災害だと見る事が可能。 エジプトのファラオにレンガ焼きの
ためのわらの供給を止められたヘブル人たちはエジプト中で木の根っこを掘り返して
燃料とした。 8のイナゴも余ったわらによって誘発されたものかもしれない、つまり
1~6と8は、実は地の災い。 実際疫病関連で神様が「手を伸ばして」とある。 神様
にとって災いをもたらしている状況が近かったら「手を伸ばす」という意識は無い
だろうよって、これに対してある程度「遠い」という認識があった、だからそういう
表現となったと読む。
7と9が天の災い、10が神様自身が起こしたものと見る。
ここで注目するのが十の災いの少し前のところ。 杖が蛇に変わる。 微笑ましい
場面である。 こここそが心温まる場面なのだと主張する。 もしここでエジプト人
たちが悔い改めていたとしたらどうなっていただろうか。 彼らは許された。 そう
したら、天と地と、ついでに水の憤りはどうなっていたか。 どうにも。
神様はそれらを一蹴していただろうおそらくは、鶏が増えていた。

チベット併合と朝鮮併合とを並べてみる。
チベット併合への流れ。
1. 第二次世界大戦中中華民国はアメリカ等連合国にチベット領有を追認させる
2. 国共内戦終結直後から中華人民共和国はチベット併合へ向け進駐
3. チベット併合

日本による朝鮮半島、大日本帝国による大韓帝国併合へと到る歴史を私は
以下の事件その時系列に見る。
1. シャーマン号事件
2. クーデター(高宗)
3. 江華島事件
4. クーデター(大院君)
5. 袁世凱氏によるクーデター鎮圧
6. クーデター(開化派)
7. 袁世凱氏によるクーデター鎮圧
8. 東学党の乱
9. 清王軍と日本軍の朝鮮半島駐留
10. 日清戦争
11. 李氏朝鮮の清からの独立
12. 乙未事変
13. 露館播遷
14. 日露戦争
15. ハーグ密使事件
16. 伊藤博文暗殺事件
17. 日韓併合

チベットの記述に併せるならば14の日露戦争以降に絞るのが妥当なのかもしれないが、
正直19世紀中盤の時点で李氏朝鮮政府の命脈は尽きていたと思わざるを得ない面も
ありなんとも。 とりあえずチベット人たちは併合前後共に不運だったな、としか。
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