狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

罰の秩序

2014-08-09 19:33:05 | Weblog
さて生命倫理の上、霊倫理、そのさらに上を「喜の領域」とする。
通常の秩序論で言うならそこの住人は、役立たずである。
役立たずたちが最高位なのである。

宗教秩序の序列めいたものを書いてみるとしよう、例えばこうなる。
1. 神様を唯一の権威とする秩序
2. 神様を元とする権威による秩序
3. 神様の側に所属している事を権威とする秩序
4. 神様の名を唱えるものたちによる秩序
5. 神様と無関係な秩序
6. 神様を反とする秩序

命令で書くならば1は神様以外による命令に従う理由無しとするもの。
2は預言者や天使たちによる命令を正とするそれ。 3と4は一般の、
一神教系宗教社会秩序によく見られるもの。 5は多神教系であり
6は一般の無神論系宗教秩序、無神論もまた社会秩序を構築する分には
馬鹿を相手にせざるを得ない都合宗教色を持つ。
3以下が駄目だとするのが原理主義色(?)の強いとされる一神教宗教の
主張。 5以下が駄目だとするのが世俗型の一神教。

実は神様は命令自体を望んでいないとすると実は1以下全部駄目、と
なったりする。 ここに彼らの危険が有る、そう主張し続けている。
命令に、規則によるものではなく、「平和」としていいのかな、な
状況が成立した時点で、「罰」のルール、秩序に慣れ親しんでいる、
罰する側であることを当然とする誇りとする人、宗教、天使たちは
皆ゴミになるのだ。 だってただいらないというだけではなく、
他者を自身による秩序下き、罰される可能性に怯える立場に置く事が
正しいとしているモノたちなのだとなってしまうのだから。
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