「教室」とは教師の独裁が認められている空間であり、親が教師に子どもの自由弾圧を依頼する制度である。 これが現代の学校教育。
左翼が自由を口にしながら同時に自分たちが弾圧する側となる事を求め続け、味方である場合に異を唱えないのもこの「教室教師」経験をメンバー共通の根拠としているから。
私が求める言論統制にはこれに近いものがある。 第一にモラル、場合によっては知能で切り分けが為され、発言が制限されるというもの。 モラルのない人間が影響力を行使する事が禁止されていて、モラルのある人間は発言に関して無制限自由とされる社会。
私の基準だと左翼の問題は個々のモラルの無さにある、となる。 教師の問題も同様で、モラルと見識の狭さが。 モラルがあり見識の広い人物は大勢の教師となるべきか。 これは是だろう。 他者の発言に優先されるべきか。 是とする、ただし救急を除くと。
逆に言うと悪人と馬鹿は病気、大怪我以外での発言は許されないとなる。 それが良い社会かと問われると、秩序立ってはいて多くのものが守られる場であろう。 バカッターやインスタバエの逆の理想。