☆・・・これまでの流れ(正確には時間は前後しています^^;)。
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[東日本大震災 (福島での私の思い・46 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(前編)」)]
[東日本大震災 (福島での私の思い・47 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(中編・情報公開の是非)」)]
[東日本大震災 (福島での私の思い・49 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(完結篇/その①)」)]
[東日本大震災 (福島での私の思い・50 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(完結篇 ② 真野ダム)」)]
[東日本大震災/福島での私の思い・52 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(完結篇③ 伝説のコンビニ)」]
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驚いた。
先のノルウェーの無差別虐殺テロの被害者の母親がこんなことを語っているのだそうだ(
森達也のブログより)。
《・・・ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用され る存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子供たちも含めて)すべての 国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。
ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。
・・・事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、そしてこの民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだと語ったとき(http://www.vg.no/#!id=42543, 2011年7月31日)、私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。・・・
・・・首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。被害者の母親の一人は、事件後にインタビューで、
「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」と語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。・・・》
ストルテンベルグ首相の主張は、背後関係は分からないがまっとうだと思うよ。
でも、それに「便乗」する被害者の母親の主張・「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」は常軌を逸しているね。
大事な肉親を無くし、可哀そうで申し訳ないが、その主張は狂っている。
「ラブ&ピース」の小野洋子でさえ、レノン殺害犯の仮釈放に反対していたのに。
トマス・モアの記した「ユートピア」の帰結は、日本において、「愚者を上に仰ぐ」と言う、鳩山総理や管総理を生み出したことに帰結しただけではなく、
ノルウェーにも仇花を咲かせたのだな・・・。
◇
昔、日曜名作劇場で「わたしのアンネット」と言うアニメ作品があって、
・・・この物語、かなり荒んでいた。
物語の序盤で、弟・エリック(名前を忘れたので仮名)の足を不自由にさせる原因を、幼馴染のペーター(名前を忘れたので仮名)が作ってしまうのだ。
そして、アンネットは、物語の全編、ペーターを許さず、憎み続けるのだった(和解するのは物語の終盤)。
アンネットは可愛い顔をしているので、当時の私は見ていて気にならなかったが、
このアルプスを舞台にしたキリスト教圏の物語をうがった目で見ていただろう創価学会の知り合いが、「あんな、ずーっと憎悪を抱き続けるアニメ作品の主人公はおかしい・・・」と指摘してきて、
私は、「ああ、それもそうだなぁ」と、ちょいと感心した。
確かに、物語の「さじ加減」がおかしかった。
それに輪をかけて、雑誌に、ある宗教家(神父)が、『わたしのアンネット』を評し、「アンネットがああまでペーターを憎むのは、それほどまでにエリックを愛しているからだ。それは素晴らしいことだ」とか書いていて、
私は、かなりゲンナリした^^;
◇
ただ、ノルウェーの被害者の母親のような言葉も、『アンネット』を評した宗教家のような言葉も、
別の状況においては、たまに、私の心を掴む。
フランク・マーシャル監督の『生きてこそ(1993)』の、そのラストシーンだ。
<(あらすじ)・・・1972年10月13日にウルグアイのステラ・マリス学園のラグビーチームを乗せた乗員乗客45名のウルグアイ空軍チャーター機がアンデス山脈に衝突・墜落し、厳寒の山脈で72日間の生存を果たし生還した16人の事実を元にしたドキュメンタリー映画。(「Wikipedia」より)>
生きるための「人肉食(アンデスの聖餐)」で有名な事件だが、作品は至って自然に流れる。
自分らの捜索が終了したことを遭難した機内のラジオで知った主人公らは、自力でアンデス山脈の踏破を決断し、
有志で、幾つもの峠越えと、ふもとの村への生還にチャレンジする。
さて、疲労困憊で、大きな峠を越えようとする主人公らの気持ちは、その向こうに広がっている村のイメージだ。
しかし、無情・・・、そこにはアンデスの峰々が途方もなく広がっていた・・・。
だが、主人公を演じたイーサン・ホークが、「これこそ、神の存在の証明だ^^」とか「この大自然の存在が、我々の生還を確かにしてくれている^^」とか前向きなことを言うのである。
私は、かなり感動した。
◇
・・・5月15日。
私は、南相馬市は原町区下渋佐の泥土の中にいた。
ここは、かつては、田園の中に、ポツポツと建物が点在していた土地だろう。
堤防の海岸線から、二キロほどの地域が、津波の影響で泥土と化していた。
荒地の廃墟を「眺めつつ」、車で、出来る限りの海岸線ギリギリまで進む。
これ以上まで進めないところまで車を走らせて、停車。
遠くに数メートルの高さの堤防のシルエットが見える。
私は、下車す。
安全靴に、泥土のネチョリとした感覚。
浜風は生暖かかった。
私は、ケレンなく、呼吸をする。
私は、この時、なぜか、色んなものに感謝した。
自分が、まさに「世界の中心」にいることが嬉しかったし、
ここで、呼吸し、生きていることが嬉しかった。
それが、せめてもの、今の私の出来る「行動」だった^^v
・・・私は、堤防の切れ目に、ズンズン進む。
前に進まなくちゃ、「敵」を殴れねえからな^^
歩きつつ、色々な生活の断片を泥土の中に見出す。
針金のハンガーや、折りたたみ机、額縁の外枠・・・。
マイケル・ジャクソン(アフロ時)のマグカップなんてのもあったよ^^
・・・そして、今回の旅の終着点へ。
他の被災場所に行くつもりはなかった。
いわゆる「放射能(幻想)」を浴びてみせるのが目的だ^^;
津波は、当然に堤防を乗り越えただろうが、塞き止められた水流は、この堤防の切れ目に最も集中しただろう。
写真の建造物、鉄棒が曲がっていますね・・・。
・・・さて、東京に帰るか・・・。
私は、踵を返した。
ふと、視線が、とあるモノを捉えた。
「おお」と、私は声を上げた。
「震災も放射能も関係ない。どっこい、タケノコは成長しまくりますよ^^」
私は、思わず、「アハハハ^^」と笑ってしまった・・・。
(福島篇終了 2011/08/30)