『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[東日本大震災 (福島での私の思い・46 「二本松・川俣・浪江・飯舘・南相馬(前編)」)]

2011-05-15 23:59:31 | 保守の一考
☆私が幼女のことばかり書いているときは危険だ。

 何か、他に企んでいることを意味する。

 かくして、昨日(4/14)、仕事を終え、帰宅し、誰もいないのをいい事にオナニーし、帰宅した母親が作った夕食(サバのミリン漬け焼き・切干大根・春雨炒め)を食い、東北に旅立った(PM 07:50)。

 翌日(今日)の午後3時には帰宅し、やはり家に誰もいなかったのをいいことにオナニーをしといたわけだが、

 私が言いたいのは、何てことない、気軽に福島には行けるんだぜ! ってことだ。

 その気軽さと言うのは、重大な精神的な決意も、深刻な物理的な状況もなく、被災していない我々は、被災した方々のささやかなる助けになれることを意味する。

 私の考える、その「助け」とは、<被災していない者の目で現場を報告すること>である。

 そのアプローチの仕方は色々あるだろうが、私は、あえて「気軽」に赴くのだった。

 そう、しゃっちょこばって、被害者のお話を聞いてしんみりすることはない。

 生半可な用意でボランティアすることもない。

 無色透明に「行きて帰りし」物語を紡ぐのみ・・・。

 ・・・ただね、現地入りは、私の切なる希望だったので、念願がかなって、感無量である。

   ◇

 この日のうちに福島入りするつもりで、車を飛ばした。

 PM 23:15には、東北道の阿武隈PAに至り、仮眠をとることにした。

      

 ・・・AM 04:00、そろそろと起きて、「現場」に向かう。

 私が目的とする「現場」とは、事故後当初、福島第一原発30キロ圏内で唯一開店していたと言うコンビニ<セブン・イレブン 原町西町店>だ。

 その男気はリスペクトに値しよう!

 阿武隈PAを過ぎた辺りから、高速の舗装は所々でアスファルトの修繕のあとが見られた。

 震災関連の記事で、この高速の修復が短期間で終えられたことを賞賛する文章をよく読むのだが、私はかつて、短期間だが、道路舗装の責任者をやっていたので、アスファルトの張り直しが割りと短時間で可能なことを知っている。

 あくまでも、道路舗装の問題に過ぎないんだけどね。

   ◇

 私は、二本松ICで東北道から降りる。

 私が一昨年に、福島第一原発の北30キロ圏ライン周辺を旅したことは書いた。

   [『ダム・ファッカー(みちのく西松建設ダム巡り)⑤<二本松から抜け出たい>』](クリック!)

   [『ダム・ファッカー(みちのく西松建設ダム巡り)⑥<福島の勝負どころ>』](クリック!)

 二本松ICを出ると、毎度お馴染みの<ヨークベニマル>があった^^;



 やっぱり、<イトーヨーカドー>に親しんでいる私たち首都圏の者は、一色違いの<ヨークベニマル>のロゴはキモイ^^;

  

 ちなみに、<伝説のコンビニ>のある南相馬の原町にも<ヨークベニマル>があるが、開店しているかは不明だ。

 原町のマクドナルドはやっていなかったが、モスバーガーは開店時間が短いが再開したと店頭に記されていた。

   ◇

 さて、話を二本松に戻し、私は、国道4号線から、すぐに国道459線に入り、東に向かう。

 前回の道行きはダム巡りを基本にしていたので、道を迷いまくったが、今回は幹線道路を進むのでスムーズに進めた。

   

 

 もちろん、桜の季節は終わったけど、震災間もない頃、ささやかな息抜きを得る為に、満開のこの<しだれ桜>を見に、近隣の住民が訪れていたと言うニュースをNHKで見た。

 とある家族がクローズアップされていたんだけど、その2歳くらいの娘が可愛かったので覚えている^^v

 道の脇の菜の花も爽やかだ。



 だが、徐々に震災の傷跡が垣間見られた。

     

 しかし、緑は深く、朝焼けに照らされて美しい・・・。



   ◇

 川俣町に入る。



 ここも、本日、ニュースになっていた。

   <「悔しい」何度もつぶやき=計画避難、住民に不安-川俣町 (時事 2011/05/15)>

 《「計画的避難」が始まった福島県川俣町の山木屋地区。「戻れないのか」「子供が心配」。地元公民館で15日、古川道郎町長から避難先の住宅の鍵を受け取った住民らは悔しさをにじませ、寂しげな表情を見せた。
 同地区では、計画的避難区域の外にある町営住宅などに移転を予定。この日は乳幼児や小中学生のいる8世帯49人が避難を始めた。・・・》

 この山木屋地区がどの辺か、地図を見ても拾えないのだが、私は戻るときに、川俣町の県道117号線を西に進んだのだが、田植えとかやっていて、その中に5歳くらいの子供も混じっていたんだよなぁ。

 子供は、マスクなんてしてないで、畦で遊んでいたよ^^

 だが、地震の影響は激しさを増していた。

   

 目の前には、犬がいた。

 思わず車を停めると、横に来て、運転席の扉に縋りつき、餌をねだってくる。

 明らかに飼い犬だったと思われる。

 やや毛並みが荒れているが、上品にお座りしている。



 一時避難の時に、とりあえず解き放たれ、しかし、飼い主が当初の予定から大幅に帰宅が遅れ、半野生化しているのだ。

 私は、うかつに窓を開けると、そこから飛び入ってきそうなので、持っていた<かっぱえびせん>を助手席の方からばら撒いてやった。

 車を出し、バックミラーで見ると、犬は嬉しそうに食らっていた^^

 この後も、何匹も<元ペット半野生犬>を見た。

 みんな、人懐こくて可愛いのだ^^

 私は、何故か、<流れ星 銀>を思い出した。

 少し進むと、浪江町に入り、お馴染みの「熊、注意!」の看板を見た。



 <流れ星 銀>からの連想で、凶暴な熊<赤カブト>を思い出した。

   ◇

 ・・・ここからである。

 浪江町は、その町域の半分ほどが避難指定区域だ。

 私は、このまま、国道459号線から国道114号線を東に向かって入り、頃合で北上し南相馬に行くつもりだった。

 果たして、そのルートは進めるのか?

 横を見ると、当然のようにマスクをしていないおじさんが犬の散歩をしていた。

「行ける!」と思った。

 ここを進んで、大柿ダム・鉄山ダム・横川ダムを再訪しようと思った。

 ・・・が、ちょいとカーブを曲がり、見通しが開けたら、100メートルほど向こうに検問が見えた。

 警察官の動きは早かった。

 私が気付くと同時に、彼らは待機車の両サイドを開いて降りはじめていた。

 私は、「うへっ・・・」と思いつつ、100メートルをゆっくり進んだ。

 説教されると分かっているのに行かなくてはならない子供の気持ちだ・・・。

 窓を開けると、警察官が言ってきた。

「ここからは、福島原発20キロ圏内の危険指定区域です。許可証がなくては入れません」

 ・・・20キロまで近づいていたのかよ・・・。

「へぇ、へぇ^^; では、原町に行くには、先ず、北上しなくてはならないのですね?」

 私は、動揺を隠し、害意がないことを伝えたくて、近隣の原町に用があることを伝えた。

 しかし・・・。

「・・・? ・・・?」

 二人の警察官は、反射板の黄色いベストを着ていたのだが、それには「北海道警察」と記されていた。

 北海道から借り出されたので、ここの地理に詳しくないのだ。

                                                    (続く 2011/05/15)

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2 コメント

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警察は (sakurai)
2011-05-16 17:02:23
他県の方々がほとんどでしたね。
4月すえに、山形でいつも県縦断駅伝大会が開催されるのですが、その開催に必要なのが、自衛隊と警察組織。
なもんで、今年は中止となりました。
続きを待っております。
sakuraiさんへ♪ (ミッドナイト・蘭)
2011-05-16 21:51:42
私は成田空港で働いていたときもあったのですが、あそこの検問の警察官も他県からの派遣でしたね。

地方の警察官って、なんか職務質問とかも、おっかなびっくりなんですよね。

続きはすぐに書きます^^

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