洞爺湖は約11万年前の火山活動によって誕生した巨大なカルデラ湖で、支笏湖と並び最北の不凍湖としても知られている。湖の中心付近には「中島」が浮かび、四季を通じて、また昼夜を通して美しく姿を変える。 第34回主要国首脳会議G8 Summitは、2008年7月7日から7月9日までザ・ウィンザー ホテル洞爺リゾート&スパを会場にして行われた。
洞爺湖は初日は快晴のために景観が見事であった。翌日は遊覧船にでも乗るかと楽しみにしていたが、二日目は朝から曇り空で、湖面は濃い霧で覆われ、湖上からの景観を楽しむことは諦めた。
代わりに、まず洞爺湖サミット記念館を訪問した。
ここは期間中日本政府現地本部に使われた建物で、世界の首脳たちが意見を戦わせた会議場がそのまま再現され、各首脳の等身大のパネルが雰囲気を高めている。当時は福田首相であった。首相はサミットをつつがなく進めたが、間も無く突然辞意を表明した。辞任記者会見での「あなたとは違うんです」の名セリフだけが一人歩きしたことが思い出される。辞任の真相は深いとされ、首相の業績は再評価されている。
(訪問者はわれわれだけであった。貴重な記録が数多く展示されていた)
ついでバスにて有珠山・昭和新山を訪問した。
昭和新山は全体的イメージに大差はなかったが、1960年の中学3年時の修学旅行の時は新山は丸裸で、麓からすぐに登れたが、今回は5合目ほどまで樹木で覆われ、簡単には登ることは出来なかった。当時、山全体が熱を帯びていたように記憶している。
(有珠山中腹から見た昭和新山)
昭和新山は戦時中の昭和19年に爆発隆起してできたが、戦時中であったので報道管制が敷かれ国民には知らされていなかった。敗戦が濃厚になった時に天変地異が生じ、国民の戦意が衰えることが危惧されたからであった。
この間、地元の郵便局職員であった三松正夫氏が詳細な記録を残し、国際火山学会でも高い評価を受けている。
氏は荒廃から守るため昭和21年に私財を投じて昭和新山を土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めた。昭和新山は現在、三松家の私有地であり、世界でも珍しい“私有地にある火山”となっている。昭和26年国の「天然記念物」に指定され、昭和32年には「特別天然記念物」に指定された。
三松正夫記念館は昭和新山の駐車場のすぐ脇にある。火山に魅せられ、火山に一生を託した三松正夫氏が克明に書き綴った昭和新山生成の記録をはじめ、書画の才能あふれる巧みなデザインや書簡などの貴重な資料が展示しされている。
(客は私どものほか一組だけで、娘婿の現館長とゆっくり歓談できた。80歳とのこと。)
昭和新山自体にはアジア型の観光客が目白押しであるが、記念館を訪れることは稀だ、と玄関長は寂しそうに話していた。
昭和新山に関する資料を3種購入し、今新山について勉強中である。
洞爺湖は初日は快晴のために景観が見事であった。翌日は遊覧船にでも乗るかと楽しみにしていたが、二日目は朝から曇り空で、湖面は濃い霧で覆われ、湖上からの景観を楽しむことは諦めた。
代わりに、まず洞爺湖サミット記念館を訪問した。
ここは期間中日本政府現地本部に使われた建物で、世界の首脳たちが意見を戦わせた会議場がそのまま再現され、各首脳の等身大のパネルが雰囲気を高めている。当時は福田首相であった。首相はサミットをつつがなく進めたが、間も無く突然辞意を表明した。辞任記者会見での「あなたとは違うんです」の名セリフだけが一人歩きしたことが思い出される。辞任の真相は深いとされ、首相の業績は再評価されている。
(訪問者はわれわれだけであった。貴重な記録が数多く展示されていた)
ついでバスにて有珠山・昭和新山を訪問した。
昭和新山は全体的イメージに大差はなかったが、1960年の中学3年時の修学旅行の時は新山は丸裸で、麓からすぐに登れたが、今回は5合目ほどまで樹木で覆われ、簡単には登ることは出来なかった。当時、山全体が熱を帯びていたように記憶している。
(有珠山中腹から見た昭和新山)
昭和新山は戦時中の昭和19年に爆発隆起してできたが、戦時中であったので報道管制が敷かれ国民には知らされていなかった。敗戦が濃厚になった時に天変地異が生じ、国民の戦意が衰えることが危惧されたからであった。
この間、地元の郵便局職員であった三松正夫氏が詳細な記録を残し、国際火山学会でも高い評価を受けている。
氏は荒廃から守るため昭和21年に私財を投じて昭和新山を土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めた。昭和新山は現在、三松家の私有地であり、世界でも珍しい“私有地にある火山”となっている。昭和26年国の「天然記念物」に指定され、昭和32年には「特別天然記念物」に指定された。
三松正夫記念館は昭和新山の駐車場のすぐ脇にある。火山に魅せられ、火山に一生を託した三松正夫氏が克明に書き綴った昭和新山生成の記録をはじめ、書画の才能あふれる巧みなデザインや書簡などの貴重な資料が展示しされている。
(客は私どものほか一組だけで、娘婿の現館長とゆっくり歓談できた。80歳とのこと。)
昭和新山自体にはアジア型の観光客が目白押しであるが、記念館を訪れることは稀だ、と玄関長は寂しそうに話していた。
昭和新山に関する資料を3種購入し、今新山について勉強中である。
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