大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

上市 大岩山の磨崖仏

2020-11-20 | 


富山では駅に一番近いホテルに泊まった。ホテルの一階が富山地方鉄道富山駅の入口になっていた。

富山地鉄は都市系ICカードを使えないので、富山地鉄専用ICカード「えこまいか」を購入して、上市駅に向かった。富山地鉄に昭和昭和18年戦時統合として、富山県内のすべての私営・公営の鉄軌道・バス会社を合併させた。上市駅も磐越西線の会津若松駅と同じ折り返し形のスイッチバックを行っていた。

上市駅は頭端式2面3線のホームで、真ん中が1番、両サイドが2番,3番の変則的なホーム番号が付けてあった。上市町から立山連峰がはっきりと見える。



ひときわ、ギザギザした山が標高2999mの剱岳で新田次郎の小説「点の記」を思い出す。小説も読んだし、映画も山の映像の美しさに何度も観てしまった。近くに点名立山(3003m)の一等三角点があるので、しょうがないが、点名剱岳が三等三角点でビックリした。民話にあるような山頂に石上げして、あと1m、何とか標高を高く出来ないものだろうか、とバカなことを思いながら北陸一の霊場と云われる日岩寺に向かった。

日岩寺は真言密宗大本山だという。大岩日石寺石仏は国の重要文化財及び史跡に指定され、文化庁説明に「大岩山の一角に突出した巨大な岩壁に刻んだ磨崖仏で、北陸第一の規模を誇っている。中尊不動明王像は像高三メートル余、その忿怒相には平明な趣があり、体躯の肉づけも誇張が少なく、総じて平安後期の温雅な特色を表わしている。二童子像もほぼこの頃の像容を示しているが、阿弥陀・僧形の二像は不動三尊像に比べると遙かに小さく、また表現上に明らかな相違が認められ、鎌倉期に入ってからの追刻と考えられる。これら五尊の図像的な典拠は明らかでないが、この地方の特殊な山岳仏教遺物として注目すべきものである」。岩壁に刻んだ磨崖仏を覆うように本堂が建てられていた。社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡として「集塊岩ヨリ成レル大岩山西南山麓ノ一部ニ露出セル凝灰岩ノ岩壁ヲ削リテ高サ約十尺ノ不動明王座像ヲ中尊トシ二童子立像ヲ左右ニ配シ其ノ間ニ阿弥陀如来及僧形ノ座像ヲ半肉彫ニセルモノニシテ手法優秀藤原時代ノ作ト認メラル前面ニ慶安四年ノ造営ニ係ル三間三面單層入母屋造ノ覆堂ヲ建設セリ」とあり、史跡に指定されていた。元禄年間に建てられたという楼門形式の山門は上市町有形文化財に指定されている。仁王門の右手に洞窟があった。

阿覚窟と言い、明治三十年に一覚和尚により厄除大師(弘法大師)を祀ったものだという。戻り際、出口で頭をぶつけてしまった。少しフラフラしながら磨崖仏がある本堂に行った。


岩に刻まれた不動明王像は忿怒の形相というより温和な感じだった。右手の宝剣で迷いや煩悩を斬り払って貰いたいものだ。写真はお寺の関係者に断って撮らせて貰った。本堂の右手石段の上に富山県で唯一の木造三重塔があった。


急な石段を登るのは嫌だったが、この三重塔、周りの板塀がなく、変わった造りになっている。建造時に金がなく板壁を省略したと説明に有ったが、なにか別の理由が有ったのではないだろうか。三重塔や五重塔にしても構造は模型でしか見ることが出来ないが心柱の実物を初めて見た。ここの三重塔、一見の価値があると思う。


境内に富山の名水にも選ばれているという藤水と呼ばれる霊水があった。傍に100円で空のペットボトルを売っていて、持帰れるようになっていた。ホテルのバスタブにでも入れようと1本、持帰った。帰り途中、2Lの水がこんなに重いとは思わなかった。

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