大恩人が何人もいる。
8年前、埼玉から東京に帰ってきたとき、仕事が激減した。生活費が足りないこともあった。そんなとき助けていただいたのが、前回のブログで書いた杉並区在住のオーナーだった。
そして、ほぼ同時期に助けていただいたのが、東京稲城市の同業者だった。当時29歳だったと思う。
稲城市の同業者は、超人見知りだった。だから、仕事を外部に出せずに、一人で仕事を抱えこんで、疲労が蓄積していた。それを心配した彼の11歳上の奥さんが、私の長年の友人の京橋のウチダ氏に、「誰か主人をサポートしてくれる人をご存知ないですか」と相談したのだ。
ウチダ氏は、お節介にも、「かなりの変人ですが、丁度いい人をご紹介できます」と私をドラフト1位で選択したのである。
ウチダ氏に言われた。
「本当に筋金入りの超人見知りですので、それだけは心してください」
そのとき、仕事が乏しかった私は、ウチダ氏に言った。
超人見知りでも、超美尻でも仕事ならありがたくいただく。だが、超美尻は私に仕事をくれないが、超人見知りなら私に仕事をくれるだろう。だから、オレ、超人見知り好き、と言って、私はその仕事をひきうけた。
それに、俺も超人見知りだから、超人見知りの気持ちはわかる、とウチダ氏に言ったら「ハハハハハハハ」と手を叩いて爆笑された。
なんでだ?
会ってみて、稲城市の同業者が、人見知りだということは、0,2秒でわかった。目を合わせないのだ。そして、話してもいないのに、絶えず唇が震えていた。指先も震えていた。
しかし「歩くメンタルクリニック」と呼ばれている私は、会話をなるべく放棄することで、彼とのコミュニケーションを取ることにした。
仕事の段取りは、箇条書きで文章にしてもらった。わからない部分だけ、私が稲城市の同業者に質問する形式をとった。ただ、そのときも、しつこく聞くことはしない。「これは、こういうことなのかな〜」と別の表現で聞き直した。
時間はかかったが、その方式は確実に成果を上げて、5ヶ月もすると、稲城市の同業者の表情が変わってきた。最初は私のことを「おたく」と震える声で呼んでいた同業者が、私を「Mさん」と呼び始めたのである。
それからの仕事はスムーズにいって、私は稲城市の同業者から毎月一定の仕事をいただき、家計が安定するようになった。
つまり、大恩人。
だが、3年前から、同業者の仕事が半減することになった。
同業者の仕事は、恵比寿で文具店と看板広告を営む奥さん経由で入っていた。しかし、そのうちの大口の取引先の1つが有明に引っ越したために、その仕事がなくなったのだ。それは大きな痛手だった。
こんなときこそ、恩を受けた私が、それを返す番だと思った。その頃には、安定して仕事が入っていた私は、溢れた仕事のいくつかを稲城市の同業者に回した。
しかし、坂道を転がる速度は速い。ボブ・ディランも「ライク ア ローリング ストーン」と歌っているではないか。
昨年の暮れには、同業者の仕事は、全盛期の10分の1に減ってしまったのである。
なぜ、そんなに減ってしまったのか。奥さんが言うには、今まで出していた仕事を企業が外部に出さず内部で賄ったため、こちらまで回ってこなくなったのが原因としか考えられない、とのことだった。
結局は、デザイナーなんて、よほどの才能がある人以外は、そんな運命を辿るものなのかもしれない。
私の身にも半年後には、同じことが怒る興る起こるかもしれない。
そして、今年の春、稲城市の同業者に呼ばれた。
「僕、仕事をやめようと思っているんです」
唐突だね。煙突だね。
「唐突ではないです。仕事がなければ、それはフリーランスではないです。プー太郎です。僕にもプライドがあります。家で仕事をしていない姿を子どもたちに見せたくはないですから」
でも、奥さんの仕事は順調なんだよね。だったら、今の低迷期を黙ってやり過ごして、また新しい波が来るのをゆっくりと待てばいいのでは。
私がそう言うと同業者は「Mさんは、楽観論者ですよね」と初めて見せる強い意志のこもった目で、私を見た。
「でも、僕は悲観論者なんです。先の見えない現実に、身を置くことはできません」
「デザインしかできない僕ですけど、それに醜くしがみつくのは嫌なんです」
俺は、醜くしがみついてるけどな。
同業者が言う。
「初めて子どもができたとき、僕の世界が変わったんですよ。僕のほかに命がある。これは、感動でした。自分が守らなければいけないもの。自分が生涯見届けなければいけないもの。それが、こんなにも身近にある。僕は、子どもたちにも家内にも働いている姿を見せ続けたい」
超人見知りの同業者は、このときだけは雄弁だった。
「僕は、どんな仕事をしてでも、父親と夫の顔を見せなければ、『人間失格』だと思ってるんです」
その感情は、正直私にはわかりにくい。
だって、父親と夫が、人間失格であるかは自分だけで決めるものじゃない。
子どもと奥さんが決めることだ。
彼が勝手に決めるのは、私には自己満足に思える。
「だけどもう、僕は決めてしまったんですよね。来月からコンビニと牛丼屋で働きます」
超人見知りの同業者は、アルバイトの範囲が限られていた。
美術の専門学校に通っていたとき、同業者は生きていくためにアルバイトをすることになった。しかし、濃厚なコミュニケーションをとる職場は敬遠した。
いろいろ考えたあげく、マニュアル通りの接客をすればいいコンビニエンスストアと牛丼屋さんを彼は選択したのである。
確かに、コンビニエンスストアや牛丼屋さんでは、濃厚なコミュニケーションは、必要ないかもしれない。
刹那の時間を過ごすだけだからだ。
「だから、僕、またコンビニと牛丼屋で働くことにしました」
昼はコンビニエンスストアで働き、夕方から牛丼屋さんで働くというのだ。
奥さんの恵比寿の店には、細々とまだ仕事が入ってくる。
結果的に、その細々とした仕事は私が受け継ぐことになった。仕事が増えるのは嬉しい。
私は、嬉々として、春から月に2〜3回、恵比寿の奥さんの事務所に顔を出した。
元同業者の奥さんの年齢は、元同業者から推測すると40代後半だと思われる。しかし、お世辞抜きで、40歳前後にしか見えない。
奥さんは、歯並びが綺麗だ。歯並びが綺麗な人は若く見える、という「歯並び綺麗な人は若い」理論を唱える私の理論に賛同する人は少ないが、奥さんは間違いなく若く見えた。
若い人はご存じないだろうが、むかし酒井和歌子さんという女優さんがいた。可愛い中にもキリッとした強さを持っているように見えた。今で言えば、北川景子さんに近いかもしれない。奥さんは、その酒井さんに63%似ていた(わかりづらい?)
ちなみに我が娘は、乃木坂46のナントカさんに66%似ていた(どうでもいい?)。
今週の水曜日、仕事をいただきに恵比寿の店に行った。
看板広告用のカッティングシートの文字作りだった。仕事の打ち合わせはすぐに終わって、店備え付けのパソコンで文字を打った。クライアントもそばにいたので、修正を繰り返したのち、1時間程度で仕事は終わった。
終わったので帰ろうと思ったそのとき、元同業者の奥さんが、「ビールがあるので、飲みませんか」と言ってきた。
え? 営業中なのに、いいのですか。
「もう6時を過ぎてます。うちは6時終了ですから」
では、いただきましょう。アサヒのスーパードライだった。奥さんは、酒が弱いので炭酸水だった。
乾杯。
すると、いきなり奥さんが聞いてきた。
「あんなに、人見知りの主人が、私と結婚したのはなぜだと思いますか」
そう聞かれても、私は他人の恋話には興味がないので、首を傾げた。
ただ、相手が話すというのなら、聞く用意はできている。
「17年前、主人は、この近くの牛丼屋でアルバイトをしていたんです。そのとき、ここで商売を始めたばかりの私は、店を閉めたあと、家に帰って食事を作るのが面倒だったので、よく牛丼を買って持ち帰ったんです」
その店で、今のご主人が働いていたというのだ。
「牛丼を1つください、と私が言うと、主人は『はい、お持ち帰り、1つですね』って、いつも言うのですが、毎回声がひっくり返るんですよね」
毎回声がひっくり返るのが、気になって、つい通ってしまったんだという。そんなことって、あります? あったんでしょうね。
「この人は、いつ声がひっくり返らなくなるんだろうって思って、週に3、4回は通ってましたね。いま思うと、よく飽きなかったなと思います」
ある日、また牛丼を買って帰ろうと店に寄ったとき、お客さんが突然気分が悪くなった場面に出くわしたという。
そのとき、意外なことに、元同業者は、素早い動きでお客さんを床に横たえさせ、シャツのボタンとズボンを緩め、靴を脱がせながら、救急車を呼んだ。そして、そのときの状態を的確に伝えた。
声は、ひっくり返っていなかった。それが、印象に残った。ひっくり返らないのを初めて見たからだ。
しかし、お客さんが、救急車で運ばれたあと、奥さんが、お取り込み中、申し訳ありませんが、牛丼を1つくださいと言うと、帰ってきた元同業者の声は、またひっくり返っていた。
相手は、おそらく学生。しかし、自分はもう30歳を過ぎていた。恋愛対象にはならない。だが、なぜか、そのあとも頻繁に通った。
それから、しばらくして、奥さんの店に、元同業者がやってきた。元同業者は、奥さんが、そこにいることに驚き、回れ右で帰ろうとした。
奥さんは、咄嗟に元同業者の腕を掴み、引っ張った。元同業者は、「あのー、離してください」と声をひっくり返らせた。
奥さんは、すぐに手を離した。すると元同業者は、走って出て行ってしまったのである。
なぜ、腕を掴んでしまったのか。自分の行為が恥ずかしくなった奥さんは、それ以来、牛丼屋さんに寄るのはやめたという。
だが、思いがけないことに、その3週間後に、元同業者がまた店にやってきた。
元同業者は、コピー用紙を無言で買って帰っていった。それから、同業者は、1ヶ月に1度来て、コピー用紙を買って帰るようになった。
あのー、申し訳ありませんが、この話まだまだ続きますか。
「あ、ごめんなさい、長かったですね。こんな話つまらないですよね。人の馴れ初めなんて」
続きを聞きたい気持ちもあったが、ビール2本飲んでしまったし、帰って家族の晩メシも作らないといけないし、申し訳ないですねえ。
晩メシか。今日は楽をしたいな。
そうだ。帰りに元同業者の働く牛丼屋さんで、牛丼を4人前買って帰ろうか。10年くらい食っていないから、たまにはいいかもしれない。
国分寺の牛丼屋さんに入った。
目の前に立った私の顔を見て、元同業者は、目を見開いた。
そして、反射的に言った。
「いらっしゃいませ〜」
声が、ひっくり返っていた。
大恩人は、牛丼屋さんでは、声がひっくり返るようだ。