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リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

1代目恩人

2018-09-02 06:45:01 | オヤジの日記

大恩人が何人もいる。

 

以前、「大恩人とボロ雑巾」という文を載せた。テクニカルイラストの達人・アホのイナバ君のことだ。

私にとって、そのイナバ君と同じくらいの大恩人が、去年の冬まで住んでいたオンボロアパートのオーナーだった。オーナーとは10年近い付き合いになる。

オーナーは、杉並に美容院を2つと理髪店を1つ、他に駐車場、武蔵野にアパートを2棟、カレーショップ一店を持っていた。

そのうち、美容院と理髪店、カレーショップのチラシ等の仕事を埼玉にいたころから、定期的にいただいていた。

オーナーは、私より13歳上の温厚な人だった。

 

そのオーナーに、私は8年前、大きな恩を受けた。

当時、私は埼玉のメガ団地から一刻も早く逃げ出したくて、娘と二人、見切り発車で「武蔵野に引っ越そう計画」をたてたのだ。

一番の難関は、住まいだった。埼玉の団地と同じ広さの部屋に住もうと思ったら、武蔵野では20万円の家賃を覚悟しなければいけなかった。

それは、無理無理無理無理。ゼッタイにMURI。

娘は、「2DKで我慢してもいいぞ」と言ったが、さすがに、それは苦しい。

そんなとき、救世主が現れたのだ。

酒好きのオーナーだ。

オーナーは、いくつも店を持っていた。そして、そのすべての運営を人に任せていた。だから、毎日が暇だ。そのオーナーの毎日の日課は、ウォーキングと買い物と風呂、酒だった。

ウォーキングは、杉並の家から吉祥寺まで。そして、吉祥寺で買い物をしたあとはタクシーで帰る。

帰ってからは長風呂。オーナーは、総檜のご立派な風呂をお持ちだった。私もたまに風呂をいただいたことがあるが、一流の旅館に負けないほどの作りだった。風呂に浸かりながら中庭の苔むした石と竹林が見えるのだ。オーナーは、テレビを見ながら、これに1時間以上浸かるのである。

オーナーは、アイドル好きだった。今のお気に入りは橋本環奈さんだが、当時は°C-uteだった。そのDVDを見て、風呂に浸かりながら「極楽極楽」と呟く毎日だった。

そのあとは、買ってきた惣菜を食べながら酒を飲む。昼間から家で酒を飲むことに、無上の喜びを感じているオーナーだった。

その昼間酒に、私もたまに付き合わされた。

そのときの世間話の中で、オーナーの持つアパートが8室のうち3室しか埋まっていないことを聞いた。

家賃はおいくらでしょうか?

「2DKで7万円だよ」

酔っ払って、いい気持ちになったオーナーに向かって、私は直球を投げた。

2室お借りしたら、どれほどディスカウントしてくれましょうか。

オーナーは、ヤケクソで「11万5千円」と酔っ払った目でテーブルを叩いた。

いただきましたーーー!

「でも、いいの? 築25年以上たっているオンボロだよ。取り壊すことも考えているんだよ」

そのご忠告を無視して、即契約。

ありがとうございます。

そのあとすぐ、娘の転校手続きを行った。

 

そこまでは、うまくいったが、現実世界は甘ーーーーくはなかった。

東京に帰って1年間は仕事が激減して、とっても暇だった。なぜかというと、14社あった得意先を東京に帰るにあたって、6社にダイエットしたからだ。埼玉の得意先は、ほとんど切った。

フリーランスになって、7年目が過ぎたころから、埼玉の得意先の支払いがよく滞るようになった。倒産も立て続けにあった。

それは、そんな得意先を選ぶ私が無能だからだということは、自覚していた。と理解してはいても、それは、とてもストレスが溜まることだった。ヨメからは、「いい加減ちゃんと働こうよ」と何度か言われた。

その逆恨みもあって、埼玉の得意先は義理のある2社だけを残してバイバイ。いい仕事をくれる会社も気持ちよく仕事ができないと判断したら、バイバイ。最悪のフリーランスだ。

どんな無能でも、得意先が減ったら収入が落ち込むのは想像できる。私も想像していた。

生活費、足りなくなるだろうな。今月は、酒が飲めないな。ストックしておいたインスタントラーメンを大量消費しようかな。主食は米ではなくモヤシだな、などとクズなことを考えていた。

 

そんなとき、救世主が現れたのだ。

オーナー様だ。

「Mさん、仕事どうしてる? 困っているなら言ってよ」

こここここ困ってます、ちょっとだけ。

そのときのオーナーの慈悲深い顔を思い出すたびに、今でも涙が出る。

オーナーは、他人事のはずなのに、目に薄っすらと涙を浮かべながら言ったのだ。

「じゃあ、足りない分は、ボクが仕事を出すから、それで何とか凌いでくれないかな。飲み友だちの元気のない顔は見たくないからね」

オーナーは、本当に仕事をたくさん回してくれた。そのお陰で、我が家は、東京武蔵野で不自由なく暮らせるようになった。

 

そして、昨年のことだった。オンボロアパートを壊すと決断したオーナーは、信じられないことに、私たち家族のために、新しいマンションを東京国立で探してくれたのだ。

そればかりか、引っ越し代、敷金、礼金まで出してくれたのである。

ほとんど神ではないか。

大大大恩人と言っていい。

 

昨日、9ヶ月ぶりに、オーナーの昼間酒に付き合った。

最近、少し酒が弱くなったオーナーが、2杯目のいいちこのレモンサワーを飲みながら、ハー! と大きく息を吐いたあとで言った。優しい目だった。

「Mさんとは、思いがけず長い付き合いになったね。出会いは、駅のホームだったね」

オーナーとは、10年近く前、中央線吉祥寺駅のホームで知り合ったのだ。携帯の充電が切れて緊急の電話がかけられず、途方にくれていたのを見て、私の携帯を貸した。きっかけは、そんな些細なことだった。

電話を終えたオーナーが、「お礼を」と言ったのに対して、私は、では、運転を見合わせている中央線を動かしてくださいと言った。

そのとき、中央線は何かの理由で止まっていた。オーナーは、誰かと会う約束をしていたらしく、連絡が取れなくて焦っていたというシチュエーションだ。

私の無茶ぶりに、オーナーは、目尻を下げた柔和な表情で、「ボクがハリーポッターだったらよかったけど、ただのハラーヘッターだから役に立たないね」とまったく面白くないジョークを言って、大口を開けて笑った。

それから、オーナーと私は、電車が動くまでホームのベンチで、おしゃべりを続けた。

 

「いま初めて言うんだけどね」と赤ら顔のオーナー。いつのまにか、もう4杯目を口に運ぼうとしていた。

「Mさんを初めて見たとき、20年前に死んだ8歳下の弟を思い出したんだよね。ガリガリでヒョロっとしてるんだけど、力が抜けていて、意味不明の冗談ばかり言っていたやつでね。それが、あの場面でMさんとドンピシャに重なって、すごく嬉しかったなあ。あのときは、弟と話している気分になって、ボクにとって、あの時間はとても幸せな時間だったよ」

「きっと、弟がボクにMさんを会わせてくれたんだなってボクは今もそう思っているんだよ」

オーナーが、いつも私を気にかけてくれたのは、そんな理由があったからなのか。

 

オーナーは、4杯目を飲み干したあとで、突然私に向かって頭を下げた。

いやいや、大恩人が、こんなガイコツに頭を下げないでくださいよ。

私がそう言うと、オーナーは初めて見せる真顔を作って「なに言ってるのかな、Mさん。最初に恩を受けたのは、ボクの方だからね。だから、ボクは大恩人じゃない。死んだ弟を思い出させてくれたMさんこそ恩人ですよ」

こういう風に話がループになる状態が、私は好きではないので、私はオーナーに、では、こうしましょう。日本の長い年功序列の風習に則って、オーナーが「1代目恩人」私が「2代目恩人」、二人合わせて「恩人ブラザース」ということで、いかがでしょうか。

「ちょっと無茶苦茶なまとめ方だけど、了解しましょうか。きっと弟もそんな言い方をしたでしょうから」

いいちこのレモンサワーと一番搾りで乾杯した。

 

大好物のビーフジャーキーを入れ歯でかじりながら、オーナーが5杯目のレモンサワーを作った。そして、頬を緩ませて言った。

「ボクの弟とMさんの大きな違いは、弟の方が根は真面目だというところですかね。弟は、下ネタは絶対に言いませんでしたから。Mさんは、唐突に下ネタを言いますからね。ジジイはビックリですよ」

すみませんねえ、育ちが下なので。下が身についているんです。

 

私はよく娘と漫才ごっこをするんです。娘も下ネタが好きなもので。

 

私は、勢いよく立ち上がって、拍手をしながら大きな声で言った。

 

はい、こんばんは〜、シモネタカゲキです。

こんばんは、シモネタユウコで〜す。

二人合わせて、シーモネーターで〜〜す!

 

 

おや、「1代目恩人」の私を見る目が・・・今までと違ってるぞ。