尾崎が、「どうする? このまま帰るかい?」と聞いてきた。
尾崎の車に乗っていたのは私の大学4年の娘と私の3人だった。
娘は目を泣きはらしていた。そして、尾崎も。
30年以上の付き合いで、これほど取り乱した尾崎を見たことがなかった。
すがりついて泣いていた。
娘は、病室の壁に頭をつけて、泣きじゃくった。
その姿を見たとき、私は泣かない、と決めた。
泣くのは、今じゃない。
だって、俺は父親で長男だから。泣くときはひとりだ。
国立駅のロータリーの直線のところに、車を停めていた。
10分以上の沈黙のあと、尾崎が言った。
「なあ、俺とおまえは血の繋がりはないが、これからも兄弟の関係でいいんだよな」
当たり前だ。それを望んでいた人がいたんだ。
「あと6年。俺は絶対にいけると思っていたんだ」
俺もだ。
娘も鼻をすすりながら、うなずいていた。
病院から危篤だと聞かされたとき、尾崎が娘と私を車で拾って、病院まで連れていってくれた。
39.5度の高熱があって、意識は朦朧としていたが、呼びかけたら目を開けてくれた。
最期に間に合った。
あと6年、頼む、と耳元で呼びかけた。しかし・・・・・。
強い人が、風邪をこじらせただけで、眠った。
今まで5回、いつ死んでもおかしくないほどの大病を乗り越えて生きてきたのだ。
とても強い人だ。
「俺だったら、途中で諦めていたと思う」
俺もそうだ。
「幸せだったと思うか」
おまえに、たびたびドライブに連れて行ってもらったときは、とても嬉しそうな顔をしていたな。
孫娘が、頻繁に部屋を訪れて顔を見せると、その度に涙を流して喜んだ。
毎日、私の妻が、私が作った晩ご飯を持っていくと、必ず妻の手を両手で包んで、頭を下げたという。
私の27歳の息子に、誕生日プレゼントをもらったときは、それをいつまでも抱きしめていた。
少なくとも晩年は幸せだったんじゃないかな。
「眠ってたよな」と尾崎。
「眠ったんだよ」と娘。
2018年1月31日、午後4時12分。94歳。
とても強い人が、旅立った。
お人好しで 涙もろくて 騙されやすくて それでも人を信じることが好きで 愛の深かった人
いままで ありがとう 母さん これからも愛してます