まさるのビジネス雑記帳

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ソ連・ロシアの過去の軍事侵攻

2022-04-23 08:33:52 | 国際・政治
◎ヨーロッパは複雑ですね。様々な言語・宗教・文化・習慣を持つ人が一つの地域に混在し、また政治的な境界は変動します。国民が居住する地域と、統治機構としての国家が一致しません。ウクライナもそうでしょう。親ロシア派でロシア語を話す人たちが東部に居るようですね。その東部地域を、プーチンが国家として承認してから、今軍事侵攻していますね。
ロシア、ベラルーシ、シリア、ミヤンマ、北朝鮮等では、腐敗が蔓延し、貧富の格差が拡大し、道徳が失われ、環境を破壊し、事実を隠蔽し、反対者にレッテルを張り粛清し、洗脳し、言論・集会結社の自由を認めない、一党独裁で、独裁者が支配します。

2014年のロシアによるクリミア半島軍事侵攻の後に、ワシントンポストにキッシンジャーの記事が掲載されました。「ロシアがウクライナを衛星国の地位に追い込み、それによりロシアの国境を再び拡大させようとすると、モスクワは、ヨーロッパと米国との相互圧力のサイクルの歴史を繰り返して、破滅の道を歩むことになってしまうのである。」とか「プーチンは、彼の不満が何であれ、軍事的手段に訴えることは新たな冷戦を生み出すことを認識すべきである。」等と述べていますね。
https://www.washingtonpost.com/opinions/henry-kissinger-to-settle-the-ukraine-crisis-start-at-the-end/2014/03/05/46dad868-a496-11e3-8466-d34c451760b9_story.html

◎日本では、今は国民と国家が一致しています。しかし、日本の歴史を見ても、歴史に正義や道徳はないと思いますね。鎌倉殿の13人で、これからどのように描かれるか知りませんが、北条氏は陰謀・だまし討ちと武力で次から次に敵対勢力を滅ぼし、執権の地位を不動のものとしました。織田信長等も比叡山焼き討ち、一部の一向一揆は皆殺しの歴史ですね。

◎ ところで、第二次世界大戦後のソ連・ロシアの軍事侵攻を、まとめてみると以下ぐらいでしょうか。
1) (スターリン)1945年8月18日の旧ソ連(ロシア)による占守島(しゅむしゅとう)侵攻。この侵攻の結果、北海道の北方領土が実効支配されて現在に至ります。北海道本島を守ったといわれる終戦後の日本国土の防衛戦。日本軍の守備隊が自衛で応戦(* 指揮官:樋口季一郎)、激しい戦闘となり多くの死傷者が出たようです。停戦命令を受けて21日に日本側が降伏。ソ連軍は千島列島を占領し、北方領土(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)も、米軍がいないことを知ると9月5日までに全島を占領しました。(日本兵は全員シベリア抑留)
・樋口 季一郎:(1888年 - 1970年)最終階級は陸軍中将。兵庫県淡路島出身。連隊長を
経て第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団長等、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満州国通過を認め、「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。大戦中はアッツ島の戦い、キスカ島撤退作戦、ソ連対日参戦に対する防衛戦闘(占守島戦)を指揮した。
・連合国との降伏文書の署名日:東京湾上の戦艦ミズーリで日本側が署名した日は、1945月9月2日ですね。 ⇒この文書には、ソ連代表も署名しています。第二次世界大戦の終結日の認識は、国によって違いますね。日本・イギリスは、8月15日ですね。米国などは9月2日で、中華民国では9月3日としているようです。
・ソ連のポツダム宣言参加:7月26日に英米中華民国名で日本に発出。ソ連は8月8日にポツダム宣言に参加表明したということです。

2) (ブレジネフ⇒アンドロポフ⇒チェルネンコ⇒ゴルバチョフ)1979年 - 1989年のアフガニスタン紛争では、アフガニスタンで断続的に発生している紛争のうち、1978年に成立したアフガニスタン人民民主党政権に対するムジャーヒディーンの蜂起から、1979年にソビエト連邦が軍事介入、1989年に撤退するまでの期間。⇒モスクワ五輪ボイコット
長期化した戦争で、ソ連側は1万4000人以上が戦死、アフガン側はその数倍の戦死者を出す結果となり、「ソ連のベトナム戦争」と言われているようです。

3) (エリツィン)第一次チェチェン紛争は、1994年から1996年にかけて、ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン共和国独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシア連邦軍との間で発生した紛争ですね。

4)(プーチン)第二次チェチェン紛争は、チェチェン独立派勢力と、ロシア人およびロシア連邦への残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で発生した紛争。1999年に勃発した。2009年4月16日に国家対テロ委員会は独立派の掃討が完了したとして対テロ作戦地域からの除外を発表、10年の長きにわたった紛争は終結したとされたが実際には独立派残党による北コーカサスの乱が2017年まで続いた。
⇒第二次チェチェン紛争は、首相になったプーチンが仕掛けたものと言われていますね。
モスクワ等3か所のアパートでテロが発生。300人以上が死亡1700人以上が負傷。これをチェチェン独立派が仕掛けたテロと断定して、チェチェンに侵攻した。実際はKGBの後継のFSBの自作自演の仕業(プーチンは、首相の前はFSB長官)ではと言われている。これで国民の圧倒的支持を得て翌年2000年に大統領就任。この事件を調査・解明しようとした人は大半が消された。亡命先のロンドンで毒殺された元FSB職員、下院議員2人、ジャーナリスト等が不審死等。弁護士等も収監。
https://www.youtube.com/watch?v=fLU2xx475ag

5) (実質プーチン。メドベージェフ)2008年の南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)は、2008年8月7日から16日にかけて起こったジョージア(グルジア)とロシア連邦間の戦争。ロシア側には分離派の南オセチアやアブハジアも参戦した。21世紀最初のヨーロッパの戦争とされている。

6) (プーチン)ロシアのクリミア侵攻は、2014年ウクライナ騒乱が発生して以来、ロシアがウクライナ南部のクリミア自治共和国に対して行なっている軍事行動で、実効支配している。

そんなところでしょうか。


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