天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『ミシシッピー・バーニング』ウィレムデフォーは「一番罪なのはそれを見てみぬふりをすること」と語る

2010-04-04 18:07:32 | 日記
今日の日記は、レンタル店から借りて来て鑑賞した映画『ミシシッピー・バーニング』(アラン・パーカー監督 ジーン・ハックマン ウィレム・デフォー主演アメリカ1988年製作)のことです。
私の現在の理不尽な境遇を斟酌した時、以前この映画を劇場で観た時の「ある記憶」を、私はふと思い出しました。だから、もう一度その記憶を再確認する為、私は今日、この映画を見直してみました。
この映画は、1964年ミシシッピー州ジュサップという町で、FBI捜査官(ジーン・ハックマン ウィレム・デフォー)が、3人の公民権運動家の失踪事件を調査した実話の出来事から、アメリカ南部の人種差別の深刻な実態を鋭く描いて、悪しきアメリカ社会を強く告発しています。
2008年に初の黒人大領領を選んだ自由平等の国のアメリカ合衆国ですが、半世紀前までは州によっては、その黒人には参政権すらなかったのです。その病んだアメリカの人種差別の実態を、20年後アラン・パーカー監督は映画で鮮烈に描いています。
その映画では、独善的な教義を信奉するKKK団リーダーが、所属メンバーに次のような言葉を語っています。
『ユダヤ人は認めない。反キリストだからだ。彼らの金融システムが共産主義を支えている。ローマ・カトリック教徒も認めない。トルコ人も東洋人も黒人も認めない。我々はアングロ・サクソンのデモクラシーを守るのだ!』
また、この町である黒人の家焼き打ち事件を目撃した少年の証言から、この焼き打ち首謀者が裁判にかけられます。しかし、担当した裁判官は、以下のような温情ある判決を、その犯人に下すだけです。
『この国では「我が家は我が城」と言う。それは社会を守る秩序でもある。君達はその秩序を乱した。だが、裁判所はよく理解している。君達の犯した罪は、ある意味では、よそ者のせいで引き起こされた事だ!よそ者が、この地へやってきた。彼らは道徳心も低く、非衛生的な連中だ。だから、ここの人々は、とても不愉快を感じている。』
このKKK団リーダーや南部州の裁判官の論理は、私を理不尽にも劇場から排除した独善的な親衛隊の悪しき教義と、完全に一致するものです。私は、この映画を再び観てその思いを強くしました。
しかし、この映画では、このような人種差別を容認する人ばかりではないと、強く訴えています。町の保安官代理の妻が、その夫のアリバイを崩す勇気ある証言を、FBI捜査官(ジーン・ハックマン)に伝えています。彼女はジーン・ハックマンに
『人々は、ここは人種差別ばかりと思っている。憎しみは生まれつきではない。教えられたの。学校で、人種差別は聖書にあると。創世記の9章27節。7歳の頃には、もうそう信じている。憎しみを信じている。』
と自らの偽らざる心境を吐露しています。その根拠となった聖書の一節とは「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」です。
そして、彼女は夫から暴行を受けても自らの信念を曲げず、さらに印象的な言葉を去っていくジーン・ハックマンに伝えています。
『どこにも行かないわ!ここが私の家よ。ここで生れたの。きっとここで死ぬわ!出たければもっと昔に出てたわ。大丈夫よ。分かってくれる人はいるわ。私のパーマが好きな人はいるわ。(ハックマンに向って)出張先に行っても、ハガキは出さないでね!』
何と勇気ある強い信念の女性でしょう。この一方で、アラン・パーカー監督は、町の不始末に責任を感じ自殺した市長を強く糾弾して、FBI捜査官(ウィレム・デフォー)に映画のラストで語らせています。
『一番罪なのは、それを見てみぬふりをすること!黙っていて何もしないのは、同じ罪人だ!』と傍観者だった市長を強く非難しています。
この映画の強い思いが、映画公開20年後、アメリカ初の黒人大統領を誕生させました。
だから、私の現在の悲しい境遇も、明日の「明るい世界」創造の動機付けとなるならば、まったくの犬死ではなかったと、今私は思っています。逆に、犬死であれば、その劇場には明日はないでしょう。
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献血171回目で、約三年半後、私の応援した女性の歴代観劇二番目記録212回を私の献血回数が破ると得心

2010-04-04 01:21:51 | 日記
今日の続編日記は、私のアーカイブ編でも登場した劇場演技者女性の現在観劇累計回数・914回の内、私の応援した女性の歴代観劇二番目の記録212回を、約3年半で破ってしまいそうな私の献血回数(添付した私の献血手帳を参照の事)のことです。
私は以前の日記で、イギリス渡航規制の解除により、私の禁止された献血が今年復活したことに触れました。そして、私は3日(土)午前中に、その復活解除後第二回目の献血に出かけて来ました。今回の献血は全血献血ではなく、私は事前に血漿成分献血を予約していました。
その献血が無事に終了し更新され戻ってきた私の献血手帳を見て、私はとても感慨深くなりました。その手帳に記載された私の献血回数が累計171回目で、献血基準によれば一年間12回(血漿成分献血の場合)可能であり、このまま順調に献血していけば約三年半に、その212回に到達可能だからです。
その三年半の間は、まだ私は「塩の人」でいる可能性が高いです。だから、私の応援した女性の観劇回数212回の更新は、独善的悪行親衛隊が今だに跋扈している現状を斟酌すれば、まったく不可能だと私は思います。そうなると、約三年半後には、その観劇回数の記録を破る献血回数の更新が、私を待っています。
現在の理不尽な境遇に置かれている私に、もう天は、私にこんな自浄力のない劇場の復帰は完全に諦めて、献血を多くし社会貢献をしなさいと諭しているのかもしれないと、この献血カードを見て衷心より私は得心しました。
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