今日の日記は、過去の出来事を振り返るカーカイブ編です。2007年10月4日(木)に某ネット掲示板に投稿した反論が、現在の悲惨な私の姿をもうその頃から悪行客たちには、既に判っていてそれを私に暗示させていた気が今、私はしています。以下に、その悲劇的な結末を私に暗示させた記述を、多少手直しして掲載します。
『あなた達に、私の劇場演技者女性の観劇応援の行く末を、心配して頂かなくても結構です。(私注:悪行客はそのころから私の排除を画策していたから、その行く末を偽善的に心配顔を装っていた。)私は、自分の出処進退は自分で決めます。私は前の投稿で「今後の己の身の処し方も現在熟慮中」とも記述しています。
これでも、私は現在までの約5年間で、劇場演技者女性の観劇累計回数が、710回にも及ぶ筋金入りの真の劇場演技者女性を応援する客です。ただ、これはこの劇場演技者女性の観劇を通して、嬉しいこと・悲しいこと・怒ったこと・楽しいこと等の喜怒哀楽の心的体験が、その分だけ私に間違いなく身についた証でもありますが。
また、いろいろと嫌なことが劇場内外であっても、私が今まで劇場演技者女性の観劇を続けてこられたのは、劇場演技者女性に私を「虜」にする「何か」があったからです。その「何か」とは、私は以前別の劇場関連ネット板で、劇場演技者女性の魅力三要素として具体的に表現しています。しかし、最近ではそんな言葉では言い表せない、応援客と劇場演技者女性をメンタルに結び付ける「オーラ」ではないかと、私は思うようになりました。
この「オーラ」は極めて個人的な心証でもあり、私がそれをどのように感じるかで、この「オーラ」は私の応援行動に直接強く影響を与えています。最近の私の応援行動の変化(皆勤やオークション参加等)もその「オーラ」の顕著な影響の現れです。でも、その「オーラ」は不変・固定化されたものでなく、時には、変幻自在に変化して、私の前に現れてきます。その時の私は、その変化に驚き、その「オーラ」に完全に翻弄され、今までの応援信念も揺らぎ、時には思い悩むようになりました。
ですから、この「オーラ」をまったく気持ち良い心証として感じられなくなった時、私は劇場演技者女性の応援を止めて、観劇応援から完全に身を引きたいと思っています。』
『あなた達に、私の劇場演技者女性の観劇応援の行く末を、心配して頂かなくても結構です。(私注:悪行客はそのころから私の排除を画策していたから、その行く末を偽善的に心配顔を装っていた。)私は、自分の出処進退は自分で決めます。私は前の投稿で「今後の己の身の処し方も現在熟慮中」とも記述しています。
これでも、私は現在までの約5年間で、劇場演技者女性の観劇累計回数が、710回にも及ぶ筋金入りの真の劇場演技者女性を応援する客です。ただ、これはこの劇場演技者女性の観劇を通して、嬉しいこと・悲しいこと・怒ったこと・楽しいこと等の喜怒哀楽の心的体験が、その分だけ私に間違いなく身についた証でもありますが。
また、いろいろと嫌なことが劇場内外であっても、私が今まで劇場演技者女性の観劇を続けてこられたのは、劇場演技者女性に私を「虜」にする「何か」があったからです。その「何か」とは、私は以前別の劇場関連ネット板で、劇場演技者女性の魅力三要素として具体的に表現しています。しかし、最近ではそんな言葉では言い表せない、応援客と劇場演技者女性をメンタルに結び付ける「オーラ」ではないかと、私は思うようになりました。
この「オーラ」は極めて個人的な心証でもあり、私がそれをどのように感じるかで、この「オーラ」は私の応援行動に直接強く影響を与えています。最近の私の応援行動の変化(皆勤やオークション参加等)もその「オーラ」の顕著な影響の現れです。でも、その「オーラ」は不変・固定化されたものでなく、時には、変幻自在に変化して、私の前に現れてきます。その時の私は、その変化に驚き、その「オーラ」に完全に翻弄され、今までの応援信念も揺らぎ、時には思い悩むようになりました。
ですから、この「オーラ」をまったく気持ち良い心証として感じられなくなった時、私は劇場演技者女性の応援を止めて、観劇応援から完全に身を引きたいと思っています。』