天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

井上ひさし氏著『吉里吉里人』で、陽気さを抜き取って寂しさの白粉を塗った女性のソフィア・ローレンが登場

2010-04-18 15:14:02 | 日記
今日の日記は、先日逝去された井上ひさしさんの代表的小説『吉里吉里人』(1981年新潮社刊)に書かれたソフィア・ローレンに言及した彼の文章です。
逝去された井上ひさしさんの作家としての原点は、浅草のストリップ劇場・フランス座のコント台本を書き始めた、上智大学外国語学部フランス語学科在学中のアルバイト的な執筆活動でした。彼は、当時からその劇場に出演した多くのストリッパーを見ていたはずです。その彼のストリッパーに関する著作を、私は自身の日記ブログでも紹介しました。だから、彼は私にとって、とても身近な大先輩的な存在でした。
そして、私は突然の彼の逝去を悼んで、彼の代表作である小説『吉里吉里人』を今回再読してみました。そうしてみたら、私の大好きな女優ソフィア・ローレンの記述をその小説に見つけ出して、私はとても驚きました。
その小説から私が読んで驚いた文章を抜粋し、以下に引用します。
『葡萄棚を潜ってすぐの住宅からはピアノの音がしている。(うむ、ショパンだな)呟きながら古橋は葡萄棚を潜った。もっとも古橋のショパンは当てにならない。この男は、ピアノ曲を耳にすると反射的に、うむ、ショパンだな、という癖があるからだ。他の作曲家の名前を知らないのである。
ピアノを弾いているのは白人の女性だった。気品の塊といった感じの三十四、五歳の大美人である。(ソフィア・ローレンという女優がいたはずだが、彼女から陽気さを抜き取って、「寂しさ」という白粉を塗ったくるとこの女になる)古橋は芝生の庭から覗きながらそう思った。』
私の趣味であった世界の大先輩である井上さんが、自分の代表作の『吉里吉里人』にも、私の大好きなソフィア・ローレンを登場させてくれていたのです。私は、この彼の文章を読んで、とても嬉しくなりました。
そして今、彼が小説でイメージしたソフィア・ローレンは、添付した写真のような美しい姿だと、私は思っています。私は、衷心より井上ひさしさんの御冥福をお祈りします。
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