天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

時系列な現象の流れを曖昧する「北海道弁」では、発言者のその時点の意思表示までも、曖昧にする恐れがある

2010-04-27 22:17:23 | 日記
今日の日記も、北海道独立の啓蒙著書『24365北海道 北の夢』(24365北海道研究会+北山創造研究所著・2007年産経新聞出版刊)に書かれた「独立憲章」のことです。
その憲章では、第二章・北海道国・その四条に『北海道国は日本語を土台とした独立言語「北海道弁」を持つものとする。』
その五条には『北海道国民は誇りを持ち「北海道弁」を操り、他国へ外出の際も、一切臆面無く「北海道弁」を駆使し交流を図ること。』と制定しています。
私もかってこの北海道に住んだこともあり、この書かれた条文には親しみを感じています。しかし、その「北海道弁」の弊害も私はよく知っています。
「北海道弁」には、他国の方言にはないある特徴が一つあります。この著書でも、それに(注:肯定的に)触れていますが、言葉の語尾を過去形にすることです。具体的に説明すると、『おはようございます』を『おはようございました』と、『いただきます』を『いただきました』と、正統の北海道弁では言い替えています。
標準語の『ありがとうございます』との感謝言葉は、語尾を過去形にしてもしなくても同じような言質になる曖昧な言葉ですから、この正統「北海道弁」は、その転用・誤用との指摘もあります。しかし、このような時系列な現象の流れを曖昧する「北海道弁」では、発言者のその時点の意思表示までも、曖昧なものにしてしまう恐れがあります。
だから、道産子特有の曖昧さを持つ劇場演技者女性の発言真偽に私が大いに惑わされて、正しい判断を間違えたと、私は今は思っています。
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