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防災評論家:山村氏が語る“互近助の力”とは?

2019-11-05 16:24:45 | 講演・講義・フォーラム等

 自然災害が多発する我が国においては、もはや公的な援助にだけ頼っていても限界があるという。山村氏は災害に備えて“自助・近助・共助”の大切さを説いた。

                 

 11月4日(月)午後、札幌グランドホテルにおいて石油連盟、北海道石油システムセンターなどが主催するセミナー「自然災害に備える!」が開催され、防災システム研究所々長の山村武彦氏が来道して講演するのを受講する機会を得た。

 山村氏は「大規模自然災害に備えて ~今日から取り組む自助・近助・共助~」と題して90分間の講演を行った。

                  

 山村氏は防災研究家らしく各地の災害現場に足を運ばれている経験から、昨年の北海道胆振東部地震をはじめとして各地の惨状を写真と共に紹介した。そうした数多くの現場に足を運ぶ中で、大村氏が実感したことを基にお話が進められた。その大村氏のお話の中で印象的だった言葉が「正常性バイアス」という言葉だった。「正常性バイアス」とは、人は都合の悪い情報を無視したり、自分に都合よく解釈したりすることを指す言葉だという。つまり自然災害に対しても、人はきっと正常な状態がずっと続くだろう、起きるとしてもずっと先であり、自分は災害には遭わないだろうと考えてしまう傾向があるという。そう指摘されると、私も相当に正常性バイアスがかかった一人ということが言えそうだ。

 そうした傾向が形式的な避難訓練となっていないだろうか、と山村氏は問題提起された。現在行われている避難訓練のほとんどは「災害後の対処訓練」であり、きわめて形式的だと指摘する。災害後の対処訓練も必要だが、より大切なのは「災害予防訓練」ではないかと指摘する。「災害予防訓練」とは、「状況別・命を守る訓練」、「火を出さない準備訓練」、「閉じ込められない訓練」、「『安全ゾーン』避難訓練」などを指すという。そして最も必要なのは実践的な「生き残り訓練」であると指摘した。

            

 数多くの災害現場に足を運んだ山村氏が痛感することは、「公助の限界」だという。今や防災は行政主体から住民主体になっていくべきだと強調された。つまり互いに近くで助け合う「互近助の力」であるという。山村氏の主張は論としては賛同できるのだが、はたしてその主張が日本の社会に定着していくだろうか?と考えると若干の疑問が残る。

 行政に頼る防災には限界があるという指摘はその通りだと思う。しかし、今の社会において隣近所が助け合うという風土を醸成できるか、というと難しいのではないかという疑問がどうしても残ってしまう。防災だけではなく、社会福祉の面でも地域による助け合いが叫ばれているが、現実には思うように定着していない現状が報告される。

 山村氏は、もともと日本社会には“向こう三軒両隣”という助け合いの風土があり、それを再興することの大切さを説いた。私が生まれ育った田舎においてもそうした風土が確かに存在していた。しかし、今やその風土は崩壊してしまったと言えないだろうか?そう悲観的に考えた私だが、山村氏は東京のある地域において(それがどこであったかは失念した)自助・近助・共助の取り組みが功を奏している地域があることを紹介してくれた。

 これは明るい兆しと捉えたい。あるいは“向こう三軒両隣”の風土を微かにでも記憶している私たち世代がその風土を再興していく世代なのかもしれない。ある意味で山村氏のようなアジテーター役の方々が日本社会に自助・共助・近助の大雪さを発しつつ、私たち世代がそれに呼応してかつて日本社会にあった古き良き風土を再興していくことが肝要なのでは?と考えた今回の講演会だった…。