田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌は「水の都」だった!?

2017-10-15 20:14:35 | 講演・講義・フォーラム等
 海に面しているわけでもないのに、その昔札幌は「水の都」だったと講師は言う。なぜそう言わしめたのか、NPO法人「北海道総合地質学センター」の研究員から話を聞いた。
 
 10月13日(金)夜、北海道総合地質学センター主催の「札幌の失われた川を歩く」と題する講座が開催された。講座は2日間にわたるもので、第1日目が座学、第2日目が現地を巡検するという講座だった。
 座学だけの参加も可、ということだったので、私は1日目の座学だけ参加した。

  座学は、同センターのシニア研究員である宮坂省吾氏「札幌の失われた川を尋ねて ~「水の都」札幌~ 」と題して講義された。
 地質学の話など一般には難しい話だが、宮坂氏は一般向けに易しく、分かりやすくお話された。
 宮坂氏が、札幌を「水の都」と称するのは、概ね次のような説明だったと理解した。

               
               ※ 講師を務められた宮坂省吾氏です。

 札幌の現在の市街地は、豊平川の扇状地に開けている。
 扇状地の特徴として、山間を下ってきた川の水は、砂や礫が堆積した扇状地まで下ると多くの水が地下に吸収されてしまう。その水が、扇状地の各所において再び地上に噴き出し、多くの流れを造ったという。
 扇状地において水が噴き出したところを、アイヌたちは「メム(湧泉沼)」と呼んだ。そのメムから噴き出した水がいたるところに流れを造ったという。そのため札幌の地には川が網目状に張り巡らされていたそうだ。宮坂氏は、その痕跡が札幌市内のいたるところに見て取れると話された。

               
               ※ およそ2,000年前に札幌市内を流れていた川です。北大図書館所蔵の貴重な資料ですが、 
                講師が公開を前提として借用しているとのことですので、ウェブ上の載せることも可と判断して掲載しました。 

 宮坂氏は北大の図書館に所蔵されている古地図を提示してくれた。
なるほど札幌市内には今では見られない多くの川が存在していたことが分かる。その川の名は、祖先河川としてコトニ川、サッポロ川(現豊平川)があり、そこに注ぐ川としてシノロ川、ハチャム川、ケネウシ川、ヨコシッペ川、サクシコトニ川、チュプナペッ川、シンノスケコトニ川、等々…。(いずれもアイヌ語名)
※ サクシコトニ川は、現在サクシュコトニ川とも称されている。

 上記の川の中で、サクシコトニ川が北大構内を流れていることは良く知られている。このサクシコトニ川の源流は現在マンション建築が進む旧伊藤邸内にあったメムから流れ出たものといわれているそうだ。現在、メムの水は枯れ、北大構内を流れるサクシコトニ川は人工で汲み上げた水を流していることも多くの人の知るところである。
 今でこそサクシコトニ川は小さなかわいい流れであるが、もともとはかなりの幅があったようだ。北大の中央ローンのところは川の両岸が高くなって自然堤防のようになっているが、昔はそこまで水が流れていた跡があり、サケが遡上し、1931年には手づかみで獲ったという記録が残っているそうだ。

               
               ※ 右側の青い流れがサクシコトニ川です。その源が旧伊藤邸になります。

 また、北大植物園内には現在も川が残っているが、これも植物園内にメムがあり、チュナペッ川とシンノスケコトニ川が流れ、西のポロトコトニ川に合流していそうだ。これらの川はところによって川幅が20~30mにもなっていたという形跡が残っているという。
 また、園内にはメムの水が溜まった「ひょうたん池」があったが、その泉は枯れ、現在は湿生園になっているそうだ。

 宮坂氏が今回紹介したのは、主として北大に関係する北大構内、北大植物園、偕楽園に限定しての説明だったが、札幌市内は13のメムがあったと伝えられているが、実際にはもっとたくさんのメムが存在していたともいわれている。
 するとそこから小さな流れができ、全体としては網目状に川が存在していたということもうなずける話である。

 それが今、ほとんどのメムが消失してしまったのは、市街地の開発のせいのようだ。特に札幌に残っていたメムは昭和26年に一斉に枯れたともいわれているそうだ。その原因は、その年に札幌駅の地下工事が実施されたことによると伝えられている。
 さらには、工業用水として地下水が利用されるようになったこと、都市化を進めるにあたって小さな流れが人工的に制御されるようになったこと、などなどによって小さな川は整理統合されていったようだ。

 札幌が「水の都」だったということは意外に思えたが、説明を聞いてみると「なあ~るほど…」と納得することができた。
 都市化によって、地下水が枯れたり、小さな流れが整理統合されることは、人間が快適に過ごすためにはある種いたしかたのないことなのかもしれない。
 今、その痕跡は北大構内、北大植物園、あるいは知事公館の構内くらいなのかもしれないが、それでもこの大都市の都心近くに残っていることは貴重である。これからも末永く保存されることを願いたいと思う。