田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

五代目・古今亭志ん生の「風呂敷」

2017-10-04 19:45:17 | その他
 名人の名をほしいままにした五代目・古今亭志ん生の得意演目の一つ「風呂敷」を聴いた。ところが、録画が古いせいか、あるいは高齢のために活舌が衰えたか、よく聞き取れなかったのが残念だった。しかし、「NHK超入門 落語THE MOVIE」が「風呂敷」の可笑しさを見事に表現していた。 

               
               ※ 古典落語のDVDに見入る「めだかの学校」の会員たちです。

 私は“落語”の可笑しさをいま一つ感得できない人間なのなのかもしれない…。

 私が所属する「めだかの学校」では、今年下半期の学習テーマの一つとして「古典落語研究会」と称して、会員限定で古典落語のDVDを視聴することになった。
 その第1回目の研究会(学習会)が10月2日(月)午後、かでる2・7で行われた。
 第1回目の題材として取り上げられたのが、五代目・古今亭志ん生が演ずる「風呂敷」だった。その他には、十代目・桂文治の「源平盛衰記」、三遊亭園彌の「七段目」が取り上げられた。

 ここでは「風呂敷」に絞ってレポすることにする。
 事前に配布された資料には、「風呂敷」のことが次のように紹介されていた。
 「別名に『風呂敷の間男』がある古い江戸咄のひとつ。今夜は帰らぬという亭主の留守に若い新吉が遊びにきたので女房は酒を出して話し合っていると、突然亭主が泥酔して帰ってくる。あわてて新吉を押し入れに隠すが、亭主はその押し入れの前にどっかとあぐらをかいてしまう。万事休すの女房はアニさんの助けを求めに。さて風呂敷はどう使うのでしょう?」

               
               ※ 名人の誉れ高い五代目・古今亭志ん生です。

 この資料を拝見し、これはなかなか面白い噺だと思い、期待しながら五代目・古今亭志ん生の話を待った。
 ところが! 録画されたのは昭和30年の「NHK放送演芸会」という番組のものだった。画面はもちろん白黒、マイクも録音機器も今とは比べ物にならないくらい性能的には劣るものだったと思われる。さらに五代目はその時65歳で必ずしも活舌は良くない。そこに輪をかけるように私の聴力がそれほど良くないのだ。三重苦である。

 懸命に耳を傾けだが、志ん生が何を言っているのかまったく聴き取れない。せめて噺の核心の新吉が押し入れに隠れるところくらいは聴きたいと思ったが、それも叶わなかった…。私の聴力はかなり衰えたのだろうか?と心配になったが、事後にある方が「さっぱり分からなかったので寝ていた」と語っていたのを聞いて、私だけではなかったのだと少しホッとした。

 その後の十代目・桂文治の語りは時代も下って録音機器も進歩したのか、志ん生よりは聴きやすかったが、それでも彼の発音にもやや難があった。
 最も聴き易かったのは三遊亭園彌の「七段目」だった。声もクリアで、活舌も良く、噺のオチもすんなり私の中に入ってきて、一番楽しめた。

               
               ※ この日の三人の噺家の中で、最も聴き易い落語を聴かせてくれた三遊亭園彌です。

 その後、現在NHK総合で放送されている「NHK超入門 落語THE MOVIE」を録画したものが放映された。この「落語THE MOVIE」とは、「噺家の語りに合わせて再現役者の口が動く、いわゆる「リップシンク」に徹底的にこだわり、あたかも落語の登場人物たちが実際に話しているかのような臨場感を演出した」ものである。
 この「落語THE MOVIE」で「風呂敷」を視聴した。噺家は古今亭菊志ん、役者は不貞の女房が野々すみ花、女房が助けを求めるアニさんに武井壮が配されていた。
  
               
               ※ 落語THE MOVIEで「風呂敷」の語りを務めた古今亭菊志んです。

 このVTRがとても新鮮だった。噺家の古今亭菊志んの語りに合わせて、役者が動き、菊志んの語りに役者の口も動いて、語りと演技が見事にリンクし、原作「風呂敷」の可笑しさがダイレクトに伝わってきた。
 そういう意味では、私は落語に関しては“超入門者”なのかもしれない。

               
               ※ ムービーの中で演じたアニさんの武井壮、真ん中が泥酔した夫、そして女房の野々すみ花です。

               
               ※ アニさんが持参した風呂敷で泥酔した夫の顔を覆っているスキに若い新吉を逃すところです。

 これから半年間、「古典落語研究会」は続く。この間に、落語を聴く耳を少しは進歩させたいものである。