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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

鈴木夕張市長おおいに語る

2013-10-13 21:23:04 | 講演・講義・フォーラム等
夕張市長の鈴木直道氏はナイスガイ(一時代? いや、二時代前の言い方だねぇ)だった。自らが夕張市長になったいきさつを、ユーモアを交えながらも謙虚に語った。 

               

 鈴木直道氏というと、東京都職員を経て2年間夕張市役所に派遣された後の2011年、30歳1ヶ月という若さで夕張市長に初当選された方である。
 それから2年、夕張市の市政運営はどうなっているのか?そうした興味があって会場に赴いた。

 「道民カレッジ」が直接開催している数少ない講座の一つに「かでる講座」がある。おおよそひと月に一度くらいの割合で開設している講座である。その「かでる講座」の10月の講座が10月9日(水)午後に開催され、その時の講師が鈴木夕張市長だったということである。

 鈴木氏が東京都職員時代に2年間夕張市に派遣されていたことは良く知られていることであるが、その前後のことについて興味深い事実がいろいろと語られた。
 まずは、高卒だった鈴木氏が東京都職員として務めながら法政大学(夜間)に学んだということだったが、そこで熱中したのがボクシング部での活動だったという。その活動は本格的なもので4年生の時には部の主将まで務め、国体の東京都予選では決勝戦まで勝ち進んだという。あの端正な顔立ちの鈴木氏がボクシングの経験者とは意外な気がした。しかし鈴木氏にとってはボクシングにのめり込み、苦しい練習に耐えたことがその後の人生に大きく影響していると語った。

 また印象的だったのが、鈴木氏が人生の転機において常に前向きに考え、積極的に自らの人生を切り拓いていったことだ。
 鈴木氏は東京都に就職してからも埼玉県の実家から片道2時間かけて通勤していたという。その上大学に通っていたわけだから相当に過酷な毎日だったようだ。途中で通勤は無理ということで寮に入ったということだが、それでも二足のわらじは大変だったようだが、鈴木氏はけっして弱音を吐かなかったという。
 そして東京都の職員は26歳になって初めて昇進試験を受ける資格ができるそうだが、鈴木氏はそれを一回で通過してしまうのだ。そこを26歳で通過したことが、夕張市派遣に繋がっていったということだ。その際も、鈴木氏は打診があったときに、自分のキャリアにプラスになると判断して派遣を受け入れたということだった。
 2年間の夕張市派遣を終え、今度は総理府に派遣されたそうであるが、そこへ夕張市の有志から夕張市長選出馬を要請されという。そこでも鈴木氏は周囲の反対を押し切り、チャレンジする道を選択し、夕張市長の座を射止めたのである。

          
          ※ 「かでる講座」において私たちに語りかける鈴木夕張市長です。

            
 鈴木氏の当日のテーマは「やらなきゃゼロ」と題して、夕張市長として夕張市が抱える課題と、それに対してどのように課題解決を図っているかという予定のようだった。事実、24頁にもわたる資料も準備してくれた。
 ところがその話題に入る前段のお話で時間が過ぎてしまった。ある意味、鈴木氏にとっては市長になるまでのことが、氏自身にとっていかにドラマチックな展開だったかということを物語っているようだった。
 市長となって2年、その行政的手腕を云々するのは早すぎるのかもしれない。ただ、話の中で時々垣間見せる言葉の端々に市長としての力量の一端を私たちに見せてくれたようにも思われた。
 課題が山積していると云われる夕張市の復活のために、若さとバイタリティで奮闘されることを期待したい。