ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

慶応義塾大学SFC研究所が主催した「イノベーション創出セミナー」の話の続きです

2013年06月14日 | 汗をかく実務者
 慶応義塾大学SFC研究所プラットフォームデザインラボが 、6月中旬に東京都内で開催した「イノベーション創出セミナー」の話の続きです。

 今回の「イノベーション創出セミナー」では、イノベーションを実現する最前線にいる起業家や投資家、大学の研究者など6人がパネルディスカッションで、日本のイノベーション創出の現状について議論を繰り広げました。

 パネリストのお一人は、Anis Uzzaman(アニス・ウザマン)さんです。米国カリフォルニア州のシリコンバレーで、ベンチャーキャピタルのFenox Venture Capitalの共同代表パートナー兼CEO(最高経営責任者)を務められている投資家です。





 同社は、インターネットやソフトウエア、リテイル関連分野のベンチャー企業に投資しているそうです。当然、同分野の日本人起業家やベンチャー企業にも投資しています。

 アジアの成長力に注目し、アジアの起業家や創業したベンチャー企業に投資し、育成し、その結果として、IPO(新株上場)などのリターン益を目指します。

 アニスさんは、日本語を流ちょうに話します。交換留学生制度によって、東京工業大学を卒業し、その後米国のオクラハマ州立大学大学院を修了し、東京都立大学大学院(現 首都大学東京大学院)で博士号を取得しています。その後は、米国のIBMなどに勤務され、その後にFenox Venture Capitalを設立します。

 アニスさんは、日本に注目している理由の一つは日本の大学・大学院や企業の研究開発力の高さだと説明します。このために、日本での投資活動をしているそうです。

 会場からの「米国ではなぜベンチャー企業を起こす若者が多いのか」という質問に対して、「米国では近所にベンチャー企業に成功して、普通では考えられないぐらいのお金持ちになった方が身近にみえるから」と答えます。ベンチャー企業を創業しその事業に成功し、同社の株が桁違いに上がると、一生使い切れないお金が手に入るようです。

 こうした実情を近所の知り合いで実際にみると「日本の有力大学の卒業生の多くが大手企業に入社して社員・従業員として働くという人生観が変わるのでは」といいます。このへんは、会社とは何か、生き甲斐とは何かに関わる人生観です。

 以前に勤務された米国IBMでは、「巨額の事業資金を用意して、自分たちの事業に関係する分野のベンチャー企業をどんどん買収し、IBMは事業領域を変えていくため、ベンチャー企業のM&A(合併・買収)が盛んだ」と説明します。この辺も、既存の大手企業に対する、米国のベンチャー企業の役割が分かる話です。リスクが高い新規事業分野は多数のベンチャー企業が担い、その成功者だけがその巨額の報酬を得るという仕組みです。

 日本と米国の起業精神の違いを具体的に説明していただき、考え方の違いがよく分かるパネルディスカッションでした。

話題のグローバルITベンチャー企業の会長を務める加藤さんのご高説を伺いました

2013年06月13日 | 汗をかく実務者
 6月中旬に東京都内で、日本などでのイノベーション創出の方法論などを追究している慶応義塾大学SFC研究所プラットフォームデザインラボは「イノベーション創出セミナー」を開催しました。

 このセミナーには現在、IT(情報技術)ベンチャー企業で注目されている人物がパネルディスカッションに登場し、その発言などに注目が集まりました。

 今回の「イノベーション創出セミナー」では、イノベーションを産み出す最前線にいる起業家や投資家、大学の研究者など6人がパネルディスカッションで議論を繰り広げました。



 6人は、ここ10数年間に、日本でのベンチャー企業を創業するエコシステムがどのぐらいできているかなどを深く熱く議論しました。

 今回、パネルディスカッションに登場した方の中で、注目を集めたのはITベンチャーのMido Holdings Ltd.(日本語表記はミドクラ)の取締役会会長の加藤隆哉さんです。



 加藤さんが注目を集めている理由は、経済産業省系の政府ファンドである産業革新機構(INCJ、東京都千代田区)がネットワークの仮想化ソリューションの開発ベンチャーであるMido Holdings(ミドクラ)に製品開発・事業開発の成長資金として12億円を上限とする投資を決定したと、2013年4月3日に発表したからです。政府系ファンドが期待するベンチャー企業を率いる人物として、注目を集めているのが加藤さんです。

 産業革新機構によると、スマートフォンやクラウドコンピューティングの本格的な普及に伴ってネットワークトラフィック(通信量)の急激な増加が見込まれ、データセンター事業者やインターネット企業などがネットワーク機能の拡大と、その構成の柔軟かつ迅速な変更のニーズが強まっているそうです。

 こうした業界ニーズを受けて、コンピュータ/ネットワークのインフラストラクチャー業界では、ネットワークの仮想化技術(ソフトウェア化)を実現するSoftware Defined Networking (「SDN」)市場が、2012年以降に本格的な市場立ち上がり始めているとのことです。

 加藤さんが創業したミドクラは、ネットワークの仮想化ソリューションを開発しているベンチャー企業です。同社の共同創業者は、米国のAmazon(アマゾン)のトップエンジニアとして有名なDan Mihai Dumitriuさん(ダン・ミハイ・ドミトリウさん)です。彼がミドクラの取締役・CEO(最高経営責任者)/CTO(最高技術責任者)を務めています。2010年1月に、スイスのローザンヌ市や日本の東京都などで設立された、小さなグローバル企業です。

 加藤さんは「国籍が多様な28人の経営者・社員がスイスのローザンヌ市や東京都、スペインのバルセロナ市などの日本と欧州、北米などで分散して仕事をしている」そうです。加藤さんは、「日本人だけで新技術を開発する発想を捨て、多様な考え方・意見の下で開発を進めることが重要」と力説します。同社では、グーグル(Google)、アマゾン、シスコシステムズ(Cisco System)、ソニー、NTT(日本電信電話)、NEC(日本電気)などの企業出身者が開発や営業などの仕事をしています。

 市場の小さい日本国内ではなく、最初から日欧米などのグローバル市場を目指す世界を相手にする企業です。製品開発・事業開発などの先見性などを世界中の企業と競い合っています。

 「今後、日本でイノベーション創出を盛んにするには、日本人の小学生のころから外国人と一緒に学び、話すなどの異文化コミュケーション環境で過ごすことが重要」と指摘します。



 ミドクラが開発しているネットワーク仮想化ソリューションの「MidoNet」は、世界的にも類のない分散型アーキテクチャーを強みとし、ネットワーク構築・変更の柔軟性、設備投資およびネットワーク運用でのコストメリットなどが、データセンター事業者やキャリア/ネットワーク事業者、インターネット企業から注目されていると、産業革新機構は説明します。

 加藤さんは、京都大学工学部航空工学科を卒業後に「研究者・開発者としての自分の能力を見切って」コンサルティング企業に入社します。加藤さんを有名にしたのは、大学の先輩とグロービス(東京都千代田区)を設立し、グループのCOO(最高執行責任者)としてベンチャー企業の経営に携わって実績を上げたことです。その間に、ベンチャーキャピタリストとして、様々なベンチャー企業に投資し、株式上場に成功します。

 2004年には、モバイルコンテンツ開発のサイバード(東京都渋谷区)の代表取締役社長に就任するなど、活躍します。その後、2010年1月にグローバル企業のミドクラを設立します。京都大ではアメリカンフットボールの名プレヤーとして活躍した加藤さんの波瀾万丈の人生を垣間みました。

群馬県富岡市の郊外の谷間では、スイレンの花が密やかに咲いています

2013年06月12日 | 旅行
 群馬県富岡市郊外の蕨という丘陵の谷間にある「花の里」という“スイレン観光園”では、スイレン(睡蓮)の花が多数咲いています。

 富岡市郊外の地元の方にしか知られていないスイレン観光園に昨年にも行った話を、2012年6月12日編に載せました。その再訪です。ここまでたどり着くのはなかなか難しいことです。案内表示が途中の道に、ほとんど出ていないからです。

 丘陵の谷間に細長く続く水田向けの用水(溜池)だった池に、地元の園芸業の方がスイレンを長年にわたって丹精込めて育てたスイレン観光園です。

 用水の水面にスイレンの葉が茂り、その葉の間からスイレンの花が浮かぶように咲いています。





 濃い紅色や白色、薄い黄色などのスイレンの花が咲いています。







 用水を囲む森の木に、ヒヨドリが留まっていて、その鳴き声が用水周辺に響きます。静かな用水の近くでは、このヒヨドリの鳴き声しか聞こえません。

 スイレンの葉の上に、所々に小さなカエルがいて、人の足音がすると、水の中に飛び込みます。



 スイレンの花や葉の上には、大きいトンボや小さい糸トンボなどが少し飛んでいます。

 スイレンの葉の裏に、トンボのヤゴが留まっていて、羽化し始めています。しばらくすると、トンボになって羽ばたきます。



 郊外のほとんど人影がない静かな谷間で、スイレンの花が秘かに咲いています。郊外の谷間にある、隠れたスイレンの“桃源郷”です。

新生児用人工呼吸器という医療機器で有名なメトランの社長にお目にかかりました

2013年06月11日 | 汗をかく実務者
 埼玉県川口市内に本社・工場を構えるメトランは、新生児用・小児用の人工呼吸器という医療機器分野では、世界的に有名な先進企業です。

 1984年にベンチャー企業のメトランを創業したのは、ベトナム出身のトラン・ゴック・フックさんです。現在は日本に帰化されて、日本名の新田一福さんを名乗っています。



 体重が1キログラム以下の“未熟児”として産まれた新生児は、肺が未発達で小さいために、ごく少量の空気を肺に送り込まないと、未熟な肺は耐えられません。このため、ごく微量の空気を細かく送り込む仕組みが必要になります。この仕組みは、外国のある研究者が提案し、カナダなどの大学病院の教授がその実現に必要な技術を学術論文などに公開していたものです。

 ベトナムの裕福な資産家の息子として育ったフックさんは、将来、ヤシ油を原料にした洗剤メーカーをベトナム起業したいと考え、ベトナムの仏教組織からの奨学金を基に、日本に留学して大学で工業化学を学びました。

 大学を卒業後、日本の企業で事業の進め方を学ぶために、医療機器メーカーに研修生として入社し、営業や開発などの仕事のやり方を学びました。この間に、ベトナム戦争が終結しベトナムが共産主義国家になったために、資産家の一員だったフックさんは帰国できなくなり、同社の正社員として医療機器事業の仕事に励んだそうです。

 製品企画部門に配属された時に、人工呼吸器という医療機器のニーズに出会います。人工呼吸器は、万一、その機能が停止すれば、患者の死に直結する機器だけに、このハイリスクを恐れて、日本の医療機器メーカーは参入していなかった分野です。日本は輸入品に頼っていたそうです。

 フックさんは、人工呼吸器に対する病院での現場ニーズなどを調査する過程で、人工呼吸器の学術文献を紹介されました、未熟な肺に、小さな圧力で高頻度で酸素などを送る高頻度振動換気タイプ(HFO)技術についての学術情報を学びました。

 そして苦労して、1分間に900回も、極低圧で酸素ガスなどを送るHFOタイプの人工呼吸器のプロトタイプをなんとかつくり上げたそうです。当時勤務していた医療機器メーカーでは「そのプロトタイプを各病院の医師などに見せて、使い勝手を評価してもらい、その事業性などを検討するように」と指示されます。結果としては事業化が見送られました。

 1984年に独立することを決意したフックさんは同社を退社し、メトランを創業します。創業後に、米国の国立衛生研究所(National Institutes of Health=NHI)から、高精度人工呼吸器のコンペティションに参加しませんかと打診する手紙が届きます。米国の国立衛生研究所の関係者が、フックさんがHFOタイプの人工呼吸器のプロトタイプをつくり上げたことを知っていたからです。何とか、国立衛生研究所が提示した仕様を満たすプロトタイプ機をつくり上げ、米国の国立衛生研究所に送りました。

 合計8社あった応募企業の中で、ただ1社の外国企業であるのメトランが合格を勝ち取ります。勝因は「我が社だけが現場の医者のニーズに十分応えていたから」とのことです。この結果、米国の国立衛生研究所はメトランに85台の実機を注文します。

 85台の注文を受けたメトランは、役員・社員が3人の少数精鋭態勢で、実用機「ハミングバード」(Hummingbird)を設計し製造し、米国に送り出します。これが、メトランが人工呼吸器事業に進出した経緯です。

 フックさんは独自の技術シーズと医療現場のニーズを付き合わせて実用化の可能性を考え、可能と判断すれば、その事業化リスクを取る姿勢で挑戦しました。

 その後も人工呼吸器「ハミングバード」の改良を続け、日本市場では機種名「ハミング」とし、未熟児向けの人工呼吸器として、日本での市場を確保しました。日本の病院のNICU(新生児特定集中治療室)では、メトランの人工呼吸器の採用率は、約90パーセントと業界では推定され、ほぼ独占状態になっています。

 最近は成長戦略として、メトランは業務提携などのアライアンスを積極的に取り始めています。例えば2010年11月には、大手医療機器メーカーの日本光電と業務提携を提携し、日本光電はメトランと人工呼吸器の独占販売契約を締結しました。さらに、2012年10月にはフクダ電子(東京都文京区)とホームケア関連機器の開発を目的とした合弁会社ブレステクノロジー(東京都文京区)を設立しました。

 現在はベトナムに製造子会社とソフトウエア開発の子会社をそれぞれ1社ずつ設立し、グローバル化を推進しています。

 メトランは現在、役員・社員が30数人の規模の会社です。創業から約30年間は新生児向けの人工呼吸器市場というニッチェ市場で、独自の先進技術を磨いてきました。その分だけ、企業規模の成長は遅くなりましたが、他社は持っていない独創技術の蓄積はできたようです。独自技術を持つオンリーワン企業です。

長野県佐久市の佐久荒船高原では、レンゲツツジが花を咲かせ始めました

2013年06月10日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東側に位置する佐久荒船高原は、レンゲツツジの花が咲き始めました。

 標高が1200メートル程度の佐久荒船高原の中心部の「内山牧場」(旧牧場跡地)の草原では、低木のレンゲツツジが花を咲かせ始めています。

 草原一面に生えているレンゲツツジの木はいっせいに花を咲かせ始めています。緑色の草原の中に、濃いオレンジ色のレンゲツツジの花があちこちで浮かび上がります。





 早朝は、下側から朝霧が上がって来て、草原は薄く霞んでいます。その中で、モズのチィチィチィという独特の鳴き声が四方八方から聞こえます。





 モズは互いに縄張りを主張し合い、メスを呼んでいる様子です。近くまで飛んで来るのですが、人間に気が付くと少し遠くの背の高い木の枝に避難します。

 ホオジロなどもいる様子ですが、薄い朝霧によって姿が見えません。

 また、「内山牧場」の草原部から南側にそびえ立つ荒船山(標高1423メートル)がふだんは望めるのですが、朝霧によって雲の中です。

 佐久荒船高原の中心部の「内山牧場」草原部の周辺にある林では、オオカメノキが白い花を咲かせています。





 佐久荒船高原のあちこちでレンゲツツジの低木が花を咲かせ始めると梅雨本番に入ります。