まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ11世王女 アンヌ

2012-03-19 23:04:11 | フランス王妃・王女
えーっとね… たぶんお局体質じゃないかと…
シャルル11世王女 アンヌ・ド・フランス
ブルボン公ピエール2世妃


1461~1522

みなさんお待ちかねのアンヌは、ルイ11世とシャルロット・ド・サヴォワの次女です。
長女ルイーズは生まれてすぐ亡くなりました。
三女ジャンヌはルイ12世妃になりました。
           
幼い頃にロレーヌ公ニコラと婚約しましたがこれを破棄して
12歳の時にブルボン公ピエール2世と結婚しました。

ピエールは実はオルレアン公女マリーと婚約していたのですけれど
これをルイ11世が阻止しています。
ちなみにマリーの弟が後のルイ12世でございます。

ちなみにちなみに、ピエールの姉マルグリートの孫がフランソワ1世です。
皆が王位を狙える位置にいるだけに… 結婚も一大事ですわね。
       
アンヌは肖像画から見て取れるように知的、かつエネルギッシュで
とても手強い女性だったということです。

弟シャルル8世が未成年の間は夫とともに摂政を務めましたが
職を辞した後も王様ばりの力を持っていたようです。

やり手さんだったアンヌには政治的な功績も多々あって… たとえば
ルイ11世時代の圧政を正したりとか、イングランドのチューダー家を援護したりとか
百年戦争終結を計ったりとか…

しかしそれはおいといて、私がとても気になったのは
数々の娘さんたちを監督・教育したことでしょうか。
ディアーヌ・ド・ポワティエ、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世皇女マルグリートなども
含まれております。

また娘のシュザンヌに宛てて『娘の練習帳(直訳)』という本を書き与え
庶民の暮らしや貴族としてのこころがけを説いたそうです。
どうやらハンカチを日常的に使うことを広めたのもアンヌらしい。

夫のピエール2世が1503年に亡くなって娘のシュザンヌがブルボン公領を継いだわけですが
アンヌは王家の干渉を防ぐため支配の手を緩めませんでした。

とっても頼りにはなりそうだが隅々まで口うるさそうでもありますね。
公領を継いだのが娘のシュザンヌで良かったよ…
娘なら口うるさい母親とも上手くやっていけそうだものね。
姑だったら大変かもしれない…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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クレルモン伯 (I LOVE ヨーロッパ)
2012-03-23 00:22:13
こんばんは。I LOVE ヨーロッパです。まりっぺさまの記事にコメントさせて頂きます。実は、アンヌ・ド・ボージューには、ルイ11世の初孫にしてブルボン女公シュザンヌの兄にあたるクレルモン伯シャルルという息子がいました。クレルモン伯シャルルは祖父ルイ11世の存命中の1476年に、祖父ルイ11世が53歳、叔父シャルル8世が6歳の時に生まれましたが、未婚で子女無しのまま、1498年、叔父シャルル8世と同年に、父ピエール2世に先立ち、22歳で亡くなりました。
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こんばんわ (まりっぺ)
2012-03-26 22:28:19
ご指摘ありがとうございます。

確かに日本語版だとシャルルがいますね。
フランス語版にもシャルルの表記があるんですけど、英語版は「1476年に妊娠したが死産か流産したと推測される」になってるんですよね。

そんなわけで歴代クレルモン伯を調べるとシャルルは3人いますがアンヌの子ではないですよね。
若くして亡くなったからブルボン公を継いでないので省かれているのかもしれないですね。

いずれにしても訂正いたしました。
ありがとうございました。
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