まりっぺのお気楽読書

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スペイン王フェリペ2世王女 カタリーナ・ミカエラ

2016-10-28 21:23:40 | スペイン王妃・王女
キレイなだけじゃない 自己主張王女
フェリペ2世王女 カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア
サヴォイ公カルロ・エマヌエーレ妃


1567〜1597

フェリペ2世の四女カタリーナ・ミカエラの母親はイサベル・デ・ヴァロア
姉のイサベラ・クララ同様、フェリペ2世と継母アナ・デ・アウストリア
愛に包まれて成長しました。

肖像画からもおわかりいただけると思いますが、カタリーナは大変美しかったらしい。
また、知的で、自分のステイタスを知り尽くしていたそうです。
だからかもしれませんが、かなり尊大な女性だったようです。

カルロ・エマヌエーレは、イタリアにおける領土拡大を考えていて
ぜひスペインの力を借りたいと思ってました。

そこで、ぜったい下心があったと思うけど、フェリペ2世は協力を約束して
カルロ・エマヌエーレとカタリーナの結婚が決まりました。
         
姉のイサベラ・クララよりかなり早く、18歳の時に結婚したカタリーナは
トリノで新婚生活をスタートさせますが、なにしろ横柄だったし、式典とかドレスとかに
いちいちスペイン式を取り入れようとするので、すこぶる不人気でした。
イタリア貴族に言わせりゃあ「小娘のくせに…」ってことなんでしょうかね?

しかし、カタリーナはすぐに政治と外交のスキルの高さを見せ始め
次第に宮廷内で尊敬が集まるようになりました。

姉のイサベラ・クララといい、カタリーナといい、王子だったらねぇ…
というか、嫁に出さずに女王にしちゃえばよかったのにね!
そしたらスペイン=ハプスブルク家の将来は違ったかもしれない。
ブルボン家にもってかれなかったかもしれないよね。

カタリーナは、父王フェリペ2世とは結婚後も仲良く手紙のやりとりをしていましたが
サヴォイに関する干渉は退け、自主性を主張していました。
トリノにスペイン軍を駐屯させたいという申し入れも拒んでいます。
フェリペの下心、台無し…

カタリーナは、夫カルロにものすごい影響力がありました。
彼女が夫を政治家として成長させたとまで言われています。 度々摂政も務めています。
また、ギャラリーをたくさん増やしたりして、文化面でも功績があります。
お子様も9人生んで、領地の将来も安泰です。

態度はでかいけど、やることはやる!! 誰も逆らえないですね。
会社のトップとかだったらいいけど、 直属の上司だったらいやかも…

              
                 お美しいのでもう1枚

カタリーナは、1597年の一に女の子を流産しますが、どうやら回復しなかったらしく
6月に亡くなりました。 30歳という若さです。 
サヴォイは惜しい人を亡くしましたよね。
夫のカルロ・エマヌエーレ1世は翌年亡くなりました。

フェリペ2世と四人目の妃アナ・デ・アウストリアには、四男一女のお子様が生まれますが
四男フェリペ(3世)以外は幼くして亡くなっています。
王女マリアも3歳で亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことワイルドアニマルコーナー
今日ひさびさに近所でタヌキを見ましたよ! 以前はアライグマとかハクビシンとか見たんだけどね
マンションがけっこう建っちゃって… タヌキ以外は野生と言っていいのかどうだかわかりませんが

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