まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン王フェリペ2世妃 イサベル

2009-04-28 01:44:18 | スペイン王妃・王女
溺愛された幼な妻
フェリペ2世妃 イサベル・デ・ヴァロア


1545~1568/在位 1559~1568

イサベルは、イタリア半島をめぐる争いを終結させたカトー=カンブレジ条約で
スペインのフェリペ2世に嫁ぐことになりました。

最初は王子ドン・カルロスと結婚することになっていたのですが
マリアを亡くしたフェリペ2世が「僕の奥さんに」と考えを変えたみたいです。
小説『クレーヴの奥方』によると、イサベルは「王子の方じゃないの~?」と
駄々をこねたようになっていましたが、実際は違うみたいです。

     

イサベルはとても内気でおとなしい少女で、母カトリーヌ・ド・メディシスには
畏敬の念が強く逆らえなかったということです。
でも、カトリーヌはイサベルをとても可愛がっていたようですよ。

実際結婚後にイサベルはホームシックにかかってカトリーヌと会いたがり
やっと面会が決まったのですが、どこで会うか、誰を連れて行くか、何を着るかなど
両国の間であーでもないこーでもないと議論が白熱してなかなか合意しませんでした。
やっとバイヨンヌで再会することができましたが、その後二度と会えなかったようです。

イサベルは父アンリ2世のいいつけで、少女時代をメアリー・ステュアート
同じ部屋で育ちました。
メアリーはすでにスコットランド女王だったので
イサベルは常にメアリーに優先権を与え、従順でした。
メアリーもそんなイサベルを可愛く思って、ふたりは大親友になり
友情はイサベルが嫁ぎ、メアリーがスコットランドに帰国した後も続きました。

1559年、イサベルはフェリペ2世と結婚します。
32歳のフェリペ2世は14歳の新妻に首ったけで、しばらくは愛妾も持ちませんでした。
彼女の欲しがるものは「どれだけ金がかかってもよい!」と買い与え
退屈しないように舞踏会や馬上試合などのイヴェントも開いてあげました。
イサベルはカトリーヌに「王と結婚できて幸せです」と手紙を送っています。

でもなんたって14歳ですもの。
遊び相手としては同年代の男の子の方がいいですよね?
てなわけでイサベルは、王太子ドン・カルロスや、フェリペ2世の庶子ドン・ファンや
アレッサンドロなど、年の近い王子たちと楽しい時間を過ごすようにしていました。

ドン・カルロスは、もと婚約者で父の王妃としてやってきたイサベルにとても友好的で
奇行で手に負えなくなってきた時も彼女には優しく紳士的でした。
イサベルはドン・カルロスが監禁された時、しばらく泣き暮らしたと言われています。
最初の計画どおりドン・カルロスとイサベルが結婚していたら
彼も悲劇的な末路をたどらなくてよかったかもしれないね…
遺伝もあるかもしれないが、シャルル6世みたいに摂政をたててもいいわけだし…

イサベルは1568年に4度目の出産で流産し、その日のうちに亡くなりました。
奇しくも1568年にはドン・カルロスも獄中で亡くなっています。

つねにイサベルと一緒にいるよう心がけていて、イサベルが天然痘に罹った時でさえ
離れようとしなかったフェリペ2世は悲しみにくれます。
イサベルの母カトリーヌは即座に妹のマルグリート(マルゴ)との再婚を打診しますが
フェリペ2世は辞退しました。
恐るべし、カトリーヌ・ド・メディシス

オペラ『ドン・カルロ』ではイサベルとドン・カルロスの間に、なにか恋愛沙汰が
あったような感じになってるようですけど、実際はどうだったのでしょう?
恋愛感情が無かったとは言えないでしょうけど、フェリペ2世はベッタリだったらしいし
廷臣たちの目もあるし…無理だったんじゃないかなぁ。

(参考文献 西川和子氏『世界の王宮とヒロイン(マドリッド王宮)』
      エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』 wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スペイン王フェリペ2世妃 マ... | トップ | スペイン王フェリペ2世妃 アナ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スペイン王妃・王女」カテゴリの最新記事