まりっぺのお気楽読書

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オーストリア皇帝フランツ1世妃 カロリーネ

2010-01-23 11:44:20 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
なぜにフランツ1世を選んだか?
フランツ1世妃 カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン


1792~1873/在位 1816~1835

フランツ1世ったら、3人目の妃マリア・ルドヴィカが亡くなってから
なんと7ヶ月で4人目の妃をもらっちゃいました。
24歳年下の美しいカロリーネ・アウグステです。

カロリーネは、フランツの弟トスカーナ大公フェルディナント3世にも
プロポーズされたのですが、フランツを選びました。

なぜにかしら?
Wikipediaでフェルディナントを見てみると精悍そうなお顔立ちよ。
弱々しくてメッテルニヒの言いなりのフランツよりいいんじゃないの?
やはり皇帝の肩書きが強かったのかしら?

カロリーネも2度目の結婚でした。
最初の相手はヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世で
フランツ1世の最初の妃エリーザベト・ヴェルヘルミーネの甥っ子でございます。

    
カロリーネとヴィルヘルム1世はナポレオンに命じられて1808年に結婚しましたが
ふたりは最初から「自分たちは政治の犠牲者だ」って思いに取り憑かれて宮廷内で別居し
1814年にナポレオンが失墜するやいなや離婚しました。

この時代、政治に利用されない結婚をする王侯貴族の方が珍しいとは思うのですけれども
ナポレオンに仕組まれたってところが癪にさわったのかしらね。

オーストリア皇帝と言っても当時国は財政難で結婚式は簡素なものでした。
フランツも4回めだからさぁ… どうでもよかったでしょうね、式なんて。

カロリーネは “ エレガントで敬虔で知的だが、何はさておき美しい ” と言われて
たいした人気者になったそうです。
病院や貧民宿泊所を建てたりと、慈善活動に熱心だったのも人気の理由かもしれません。

1835年にフランツ1世が亡くなるとザルツブルクへと移り
38年後に亡くなりました。

これから登場する人気者シシィは、義理の母ゾフィーとの確執が伝えられていますが
カロリーネはどちらとも親友としてつき合っていたそうなので
時にはふたりの仲を取持ってあげたかもしれませんね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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4 コメント

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こんばんわ (まりっぺ)
2011-01-17 01:48:50
コメントありがとうございます。

そうですよね、親戚としての気遣いが大きかったでしょうね。

この時代の家族や兄弟姉妹・親族の関係は日本の戦国時代同様、入り乱れて争ったり殺戮があったりと、なかなかに複雑で興味深いですね。

仲のいい親族のエピソードを聞くとほっとします
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親友というより (Unknown)
2011-01-16 20:10:50
本文のラストにシシィとゾフィーとの関係がちらりと書かれておりますが、ゾフィーとシシィの母ルドヴィカの二人はカロリーネの異母妹にあたるので、親友という以上に身内としていろいろ気を使っていたのかもしれませんね。
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こんばんわ (まりっぺ)
2010-01-25 01:35:16
マリアンヌさん、こんばんわ。

やり手政治家とは機を見るに長けているというのが絶対条件なんでしょうね?
皆国の行く末を案ずる気持ちと信念を貫く強さがあった人だとは思いますが、私はメッテルニヒが一番保身に走っていたような気がしています。
でも保身をしていても国を正しい方向に導いてくれれば、それでいいんですけどね。

清廉潔白でも無能な政治家より、腹黒い有能な政治家の方が国のためにはいいんじゃないかとも思う今日この頃ですが…
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メテッルニッヒって、本当に海千山千ですよね? (マリアンヌ)
2010-01-24 23:26:40
まりっぺ様、こんにちは。

記事に出てきたメッテルニッヒ、という人物、本当に海千山千の政治家ですよね?しかも当時の人間としては恐ろしく長命で、オーストリア政界に長く君臨した、というイメージを私は持っています。
ちなみに、メッテルニッヒ、イギリスのウェリントン公爵とフランスのラ・ファイエット侯爵、と何故かだぶって見えるのです。3人とも長命でそれぞれの国で海千山千の政治家だったなあ、って。

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